どうやら力が目覚めたようです【5】
智風くんが大きな声で部屋の中に話しかける。
「親父! 智風だ。今戻った。開けるぞ」
そう言うと返事も待たず、パッと襖を開ける。そして中を見て驚いた。
布団が敷かれ、横たわっている天狗がいたのだが、驚くべきはその天狗の大きさだ。
智風くんや真人さんは背が高いがそれでもその天狗には遠く及ばない。その天狗は大人の男性の三倍はあろうかという大きさをしていた。そしてそれを見てあの廊下の幅の広さと高さに納得する。確かに家主がこの大きさなのだ。あのサイズでなければ逆に移動が大変だろう。
横になっている天狗は私達の方に視線を向けるが、その表情は真っ青で顔色が悪い。とても話しができるような状態には見えない。すると側に控えていた天狗がその大きな天狗に近寄り耳を寄せ、代弁する。
「このような格好で申し訳ないが、体調が悪いため、勘弁してもらいたいとのことです」
それはもちろんだ。あれほど顔色の悪い人を無理やり起こしてほしいとは思わない。
その大きな天狗をじっと見つめると体中を黒い靄が包んでいるのが見えた。先ほどの颯さんとは比べ物にならないほどに濃い靄だ。真人さんの方をチラリと見ると真人さんにもしっかり靄が見えているようで眉間に皺が寄っている。
私は智風くんをツンツンと引っ張った。
「どうした?」
「あの……私に一度浄化させてもらえないかな?」
「優希さん待ってください。あれは流石に濃すぎるのでは? 少し時間を置けば、先ほど鞠で里を浄化したので一定期間は土地が浄化されるはずです。ですからしばらくすれば少し靄が薄くなると思うのです。それから浄化してもらった方が良いと思います」
真人さんの言葉に同意するように智風くんが頷く。
「確かに今、浄化すれば優希の体への負担が大きすぎるだろう。あれでも相当力を持った天狗だ。真人の言うとおり、しばらく経てば少し体調が良くなるはずだ。それから優希にはお願いしたい」
二人はそう言うが、それではずっと辛い状態が続いてしまうことになる。とてもしんどそうに横たわっている目の前の天狗を見ると、そのまま待っていて本当に大丈夫なのかと思ってしまう。
「私なら大丈夫です!」
私が勢い込んでそう言うと、二人は困ったように互いに顔を見合わせた。そして小さく息を吐くと、すぐに体が辛ければやめるという条件で許可してもらえた。
私は早速その大きな天狗に近づき布団の隣に腰を下ろす。そしてそっと手に触れた。
私が触れるとこちらをチラッと窺うような視線を向ける。私は安心させるように微笑むと目を閉じて集中する。
智風くんや颯さんは少し纏わりついている程度だったが、こちらはしっかりと体に巻きついているようだ。これでは軽く手で払っただけでは穢れを祓えそうにない。
私は穢れを体の内側から外に追いやるイメージで手から力を流していく。そうしてしばらく力を流し続けると優しくポンポンと手を叩かれた。
「お嬢さんありがとう。もう大丈夫だ」
私が目を開くと、先ほどまであれほど顔色が悪かったと言うのに、今は嘘のようにスッキリした表情をしていた。だいぶ靄が濃かったので、全ての穢れを祓うことはできなかったが、今は微かに体に残っている程度だ。その様子に安堵し、ふっと息を吐き出した。
横になっていた大きな天狗が体を起こすと、側についていた天狗はすかさず背を支えた。
「無理なさらないでください。完全に浄化できたわけではないですし、まだお辛いでしょう?」
私がそう言うと、大きな天狗は優しい気に目を細めると頭を振る。
「いや。お嬢さんのお陰で先ほどまでの怠さが嘘のように楽になったよ。ありがとう。改めて挨拶させておくれ。私は天狗を取り纏めておる大天狗の風牙だ。智風が人間を連れてくると言いに来た時は驚いたが……」
そしてチラッと智風くんのほうに視線を向けると、また私に視線を戻す。
「お嬢さんさんなら納得だ。私を見ても怯えず触れてくるとは……君は見た目に囚われないのだな。そんな人間はなかなかいない。それにどんな相手に対しても思いやりを持っている。優しい子だ」
そんなふうに手放しに誉められるとくすぐったく感じてしまう。私が「そんな」と頭を振ると、優し気に目元を緩ませる。
先ほどまで顔色の悪さに気を取られ、気づかなかったが、やはり親子なだけあって面立ちは智風くんととてもよく似ている。特に瞳の色など目元がそっくりだ。翼は年齢のせいか少し艶を失っているように見えるが、翼の大きさは体にも比例し、この里にいる誰よりも大きい。それこそが大天狗という所以なのかもしれない。
そしてふと挨拶をしてもらったのに自分が名乗っていないことに気づき、私は居住まいを正す。
「挨拶が遅れてしまい申し訳ありません。私は幸神優希と申します。しばらくお世話になります。よろしくお願いします」
「いや、世話になるのはこちらのほうだろう。智風から協力してもらえるのだと話を聞いている。現に私を癒してくれた。この里にいる間はこの屋敷でゆっくり休んでくれ」
風牙さんはそう言うとまるで小さな子供にでもするようにぽんぽんと私の頭を優しく撫でる。確かに長い年月を生きているような大妖である大天狗なら、私なんて赤子に等しいのかもしれないが、その子供扱いはちょっと恥ずかしい。
どうしたものかと思っていると、後ろから声がかかる。
「おい、親父! いい加減にしとけよ!」
智風くんがムスッとした顔でそう言うと、風牙さんが面白いものを見たとでもいうようにくつくつと笑う。
「そう怒るな。流石にこんな若い娘に手は出さんから安心しろ!」
「怒ってねーし、誰もそんなこと言ってねーだろ!」
先ほどまでの智風くんの固い雰囲気が少し緩んだ気がする。やはりお父さんのことをとても心配していたのだろう。私がふふっと笑うと、何を笑っているんだというジト目で智風くんが見つめてくる。
そしてそんなやり取りを遮るように真人さんが話し出す。
「体調が良くなられたようでよかったです。私も挨拶がまだでしたので……私は大江真人と申します。よろしくお願いします」
真人さんの声に風牙さんが視線を向けると、しばらくじっと見つめ、はっと何かに気づいたように真剣な表情になる。
「今回も迷惑をかけて、申し訳ない。協力感謝する」
そう言って深々と頭を下げた。
今回も……ということは真人さんとは知り合いなのだろうか?
急に変わった重々しい態度に頭をかしげる。
「いえ、お気になさらず。こちらもいつも智風くんにはお世話になっておりますから」
真人さんがそう言うと風牙さんはもう一度頭を下げた。
そして周りをキョロキョロと観察していた二郎くんが緊張気味に声を出す。
「あの! 僕は二郎です! 僕も二人と一緒にお世話になります」
「ああ。聞いている。君は猫又だったね? 君もよろしく頼む」
そうして一通り挨拶を終えた私たちは、まだ風牙さんは本調子ではないと言うことで部屋を早々に辞した。
(あ、あれ?)
部屋を出て数歩歩いたところでフラリと視界揺れる。咄嗟に何かに掴まろうとしたがそれもできず、体が傾く。
「優希さん! 大丈夫ですか!?」
そんな私を真人さんが後ろから支えてくれた。
「ありがとうございます。大丈夫です」
「すまない……力を使わせすぎちまったな。親父の穢れは酷かった。それを一気にあれほど祓ったんだ。相当体に負担がきてるだろ? とりあえず部屋に案内するから今日のところはゆっくり休んでくれ」
「で、でも……」
智風くんは心配してそう言ってくれるが、ここに来るまでの里の様子を見ると、きっと伏せっている人はたくさんいるはずだ。私が大丈夫だと口を開こうとした時、後ろからヒョイと体を持ち上げられる。
「ま、真人さん! お、おろしてください!」
私はびっくりして声をあげる。真人さんが後ろから私を横抱きに抱え上げたのだ。そして真人さんはそのまま歩き出す。
「ダメです。優希さんはすぐ無理しようとされるので。智風くんこのまま部屋まで案内してください。優希さんは今日は諦めてゆっくりしてください」
真人さんにピシッと言われてしまい、助けを求めるように智風くんを見るが、真人さんに賛成だという視線で見つめられる。そしてそのまま部屋へと案内するため歩き出す。
「う……わ、わかりました! 休ませてもらいますから、降ろしてください!!」
結局私の叫びも虚しく無視をされ、そのまま部屋まで運ばれることになった。そして真人さんは二郎くんに私がゆっくり休むように見ておいてくださいと言うと、智風くんと二人で里の調査に出かけた。
二郎くんも相当心配をかけたのか、その日は決して部屋から出してもらえなかった。
(それにしても……真人さんいきなり抱き上げるんだもん! 近いし、なんか真人さんからいい匂いするし…………胸板も厚くて腕もがっしりしてたな……って何考えてるの! 好きって自覚した後だといろいろしんどい…………)
私は結局外出も何も出来きず、その事ばかりが気になってしまい、悶々としながら初日を終えてしまうのだった。