どうやら月見は大事な行事のようです【7】
北の神の社は山の中腹にあった。手前の宮には多くの観光客がいたが、奥の宮まで足を運ぶとだいぶ人も少なくなる。
大きな木々に囲まれた奥の宮は静かでとても厳かな雰囲気がある。
「二郎くんは北の神様に会ったことあるの?」
「ないない。僕なんてまだまだひよっこだもん。そんなに神格の高い神様と知り合う機会なんてないよ」
そんなものなのだろうか。であれば智風くんは有名な大天狗の子息ということで面識があるのはわかるが、真人さんは一体どうやって知り合ったのだろうか。
「優希さん、私の後ろに」
私がそんなことを考えていると固い声の真人さんに呼ばれる。私が真人さんの後ろに移動すると同時にあたりが光に包まれる。
「よく来たな」
とても澄んだ美しい高音が響く。小さな声であるのにこちらまでしっかりと届くのが不思議だ。
声のしたほうに視線を向けるとそこにはとても美しい女性がいた。
光に反射しキラキラと輝く足元まで伸びる水色の髪に少し細めた目から覗く金色の瞳、こちらが目を覆いたくなるほどの妖艶な体つきは男性だけでなく女性をも魅了する。
咲耶姫様が清楚な美しさだとするならこちらの神様は妖艶な美しさだ。こちらを面白がるようににっこり引き上げられた小さな唇がより妖艶さを引き立てている。
私はその美しさにぼーっと見惚れていると北の神はさらに笑みを深くする。
「よく来たなですか? そちらがそうなるように仕組まれたのでは?」
真人さんは北の神から私を隠すように前に立つ。あの妖艶さでも真人さんには通用しないらしい。
普通の人であれば男女問わずあのように微笑まれては惚けてしまうに違いない。
「仕組むとは? また人聞きの悪い。一体何を言っている?」
「しらばっくれるつもりですか? 盃の件ですよ」
「盃? ああ、そういえば。私はただ気に入った盃を譲り受けただけだぞ」
「よくもそんなことが言えますね」
含みのある笑いに真人さんの顔が険しくなる。
「どうせご自分で今の状況を確かめたかったのでしょう?」
真人さんの顔がさらに険しいものとなるが北の神は面白いとでも言うようにニヤッと笑い、真人さんから視線を外す。
「さぁどうかな? それよりもそこの娘。私に用があるのではないのか?」
私は話を振られてはっとする。あの美貌でこちらをまっすぐ見られてはとても緊張してしまう。
「は、はい! あの北の神様が持っていらっしゃる盃の件でうかがいました」
「ああ。先程の話だな。蛇の神使から譲られたものか?」
そう言うと北の神の手にいきなり盃が現れた。
「そ、そうです! お願いがありまして、その盃はその蛇の神使が大切にしていたもののようなのです。ですのでこちらの盃と交換してはいただけませんか?」
私は西の神から譲り受けた盃を北の神に差し出した。北の神は私の手にした盃を見つめるとニヤッと笑う。
「ほう……西の神から譲り受けたのか? あいつの気配がする。お前は本当にそれで良いのか? このような蛇の神使の盃よりも余程その盃の方が価値があるぞ」
まるでこちらを試すような笑みで問いかける。
「いいえ。この盃はこのために譲り受けたのです。ですからどうか交換してはいただけませんか?」
「ふっ……! お前もなかなか面白いな。西の神が気にいるだけはある。あれはあまり人を寄せんつけんが……なるほどな。いいだろう。この盃と交換してやろう」
私はその返事に安堵の息をつく。私が盃を手渡そうと足を踏み出すと真人さんに手を取られた。私が首を傾げると警戒心をあらわにした真人さんに止められる。そういえば自分から近づくなと言われていたことを思い出す。
「私が渡しますから、優希さんはここに」
「……そんなに警戒せずとも私は何もしないさ。その娘から提案を受けたのだ。お前からは受け取らぬ」
真人さんはキッと北の神を睨みつける。しかし北の神は気にしたふうもなく、にこりと微笑み私を見つめる。
(真人さんがこんなに警戒するなんて……一体この神様と何があったんだろ?)
私は心配そうな様子の真人さんに大丈夫だというように微笑んだ。
そして北の神に手が届く前まで歩み寄り、盃を差し出した。北の神は満足そうに盃を受け取ると、白蛇の神使の盃を私の前に差し出した。私がそれを受け取ろうと手を伸ばし、ちょうど盃に触れた時、私の手を北の神の手が包み込んだ。
「な、何のつもりですか!?」
私が驚いて北の神を見つめると真人さんの焦ったような声が後ろから響く。
手が触れた部分から何かが流れ込んでくるような不思議な感覚がし、その流れ込んだものが体中を駆け巡る。まるで水の中に入っているような、何か膜のようなものが私の周りを取り囲んでいるような不思議な感覚。その気持ちのいい感覚に身を任せ、目を閉じる。
そのまましばらく経つとその感覚が一瞬で消える。ゆっくりと目を開くと私の目の前に北の神の美しい顔があり、目が合うと北の神がふっと微笑んだ。
「この盃と交換ではこちらがもらい過ぎるからな。ちょっとした祝福だ。お前が心配するようなことは何もないさ」
真人さんに目を向け揶揄うようにニヤッと笑う。
「ありがとうございます」
「もし何かあればまた私のところに来るがいい。力になるかはその時の気分次第だがな」
北の神はそう言うと美しく笑う。私がその笑顔に見惚れていると後ろから「おい」という智風くんの声で我にかえった。
北の神に頭を下げて、みんなのところまで戻ると心配そうな表情の真人さんに体調に異変はないかと尋ねられる。
私が大丈夫だと答えると安心したように息をついた。
「優希さんはこのまま智風くんとジロくんと帰ってください。私は少し北の神とお話があるので」
先程までの北の神に対する真人さんの剣呑な表情を思い出し、心配になり見つめると、大丈夫だというように真人さんは笑みを深くして頷いた。
私は渋々頷くと智風くんと二郎くんと一緒に奥宮を後にした。
「彼女に関わらないでくれませんか」
「それはお前が私に指図できることではないな」
二人の間に剣呑な空気が広がる。真人さんははっと息をはくと三人が歩いて行った方向を見やる。
「あまり彼女に負担をかけたくないんですよ。今はまだ私の力も準備も全て整っていないのですから」
「別にあの娘に何かしようとしているわけではないさ。我が友である冥府の神が情をかけたのだ。私なりにお前たちの行く末を心配して見守っているのさ」
言葉とは正反対のような面白がるような笑みに真人さんは顔を歪める。
「どの口が言うのですか? あの時は見捨てたくせに」
「見捨てた? 違うさ。私なりの優しさだよ」
「とにかく今は彼女を刺激しないでください。やっと……やっともう少しのところまで来たんですから」
「本当にそこに彼女の望みはあるのか? それはお前の独りよがりではないのか?」
北の神の全てを見透かすような瞳と真人さんの仄暗く光る瞳が交差する。しばらく見つめ合いお互いに目を閉じた。
「なんと言われようとも私の願いはぶれません。あなただって私のしようとしていることに興味が惹かれたからこそ、私が孤児となり一人で動きやすくなるように調整したのでしょう?」
「さぁな。私は少しでも我が友が情をかけたことが無に帰さないよう少し手を加えただけだよ」
「そうですか。では無に帰さないためにもこちらに関わることはやめてください。それではこれで失礼します」
真人さんは頭を下げるとさっさと北の神の社を後にする。
北の神はため息をつきその後ろ姿を見つめた。
「なぁ真人よ。確かに少し手は加えた。だがその名は本当にお前の両親がお前のためにつけたものだぞ。この世に生まれてきたことを祝福しつけたものだ。誰かに祝福され、また望まれていること、お前自身が気付けなければ…………」
北の神の小さな呟きは誰の耳にも届かぬまま空気に消えていった。




