どうやらただのカフェではないようです【3】
「いらっしゃいませ」
「あら、二郎くん久しぶりね〜」
「こんにちは」
「あら?二郎くん一人?」
「本当だ〜オーナーいないのね……残念だわ……」
五十代後半くらいの女性陣四人がお店に入ってきた。
彼女達は口々に話しながら勝手知ったる様子で一番奥のテーブル席に座った。
二郎くんもすぐにお盆に水とお手拭きを乗せ、彼女達の席に向かう。
「あれ?皆さんこの時間に来られるの珍しいですね。いつも午後からなのに。真人さんは今ちょっと席外してるんですけど、もうちょっとしたら戻ると思いますよ」
彼女達に返事をしながら、二郎くんはテキパキと水とお手拭きを置いていく。
「あら、そうなの?オーナーいるのね! よかった!」
「ほらここ最近、一週間ぐらい? お店閉まってたじゃない。もしかしたら朝ならやってるのかな? と思って来たのよ」
「いえ。ここ一週間はずっとお休みしてたんですよ。だから午前中来られても閉まってましたよ。今日から開いてたのでちょうどタイミングが良かったですね!」
二郎くんはにっこり笑い答えると、一度お盆を置きにカウンターに戻ってきた。
そして私をチラッと見ると小声で話しかける。
「さっき真人さん達が話していた常連のお姉様達だよ。大体一週間に一度くらいで来られてるんだけど、実は真人さんの隠れファンクラブみたいなんだ!」
「えっ!? オーナーってファンクラブあるの?」
私が驚いて尋ねると、二郎くんはしーっと人差し指を立てて、また小声で教えてくれる。
「真人さんカッコいいし、優しいからね〜女性に大人気なんだ! 常連さんはみんな良い人たちだよ!」
二郎くんはそう告げると、注文を聞きに彼女達のテーブルに向かう。
「いつものコーヒーとケーキでいいですか?」
二郎くんがにっこり元気に尋ねると、彼女達は顔を見合わせ、ニヤッと笑う。
「いつものメニューだと、二郎くんの接客の練習にならないでしょう? だらか今日は違うの頼むわ」
他の女性もうんうんと頷いている。
「え〜。いいよ。僕の練習なんて! いつもの好きなケーキとか頼んでよ!」
二郎くんは基本的には厨房にいるので、あまり接客はしない。
だからオーナーも心配そうだったのかと納得し、私も二郎くんの様子を見守る。
「私はそうね……アイスコーヒーにサンドイッチ。でもトマト食べれないから抜いて欲しいの」
「私はホットじゃなくてアイスミルクティーにパンケーキ。パンケーキの上の生クリームはいらないわよ。ジャムだけで大丈夫だし」
「じゃあ私はレモンティー……じゃなくてやっぱりメロンソーダにするわ。それとチーズケーキね」
「私はホットのカフェオーレとレモンパイにしようかしら……やっぱりリンゴパイにするわ。カフェオーレはミルク多めでお願いね」
一気に注文を言われた二郎くんは必死でペンを走らせている。
「少々お待ち下さい」と固い声で返事をすると、真剣な顔で今度は口元をゴニョゴニョ動かす。
「アイスコーヒーにサンドイッチのトマト抜き、アイスミルクティーとパンケーキはクリームなし、レモンティーじゃなくてメロンソーダで……」
これはどうやらペンでサッと書き取れなかったため、後で注文用紙に書き込もうとしているようだ。
彼女達もその様子を自分の子供を見守るように優しい笑顔で見守っている。
(二郎くん頑張れ!)
私も心の中でエールを送りながら正面を向こうとして、体を捻り失敗した。
自分の肘がコップにあたり、水をひっくり返してしまったのだ。
カタンというコップが倒れた音と共に水が机に広がる。その音に気づいた二郎くんがこちらをハッとして振り返る。
「優希さん大丈夫?!」
「大丈夫、大丈夫」
私はすぐにお手拭きでこぼした水を拭き取る。二郎くんもすぐにお手拭きを何個か持って戻って来て、一緒に拭いてくれた。
「ごめんね……ドジしちゃった」
私が謝ると二郎くんはにっこり笑って首を横に振る。
「僕もよくドジしちゃうから大丈夫。それよりも服は濡れてない?」
「大丈夫だよ。まぁ、少し濡れちゃったけど、これくらいならすぐ乾くし」
「コーヒーとかじゃなくてよかったね」
二郎っくんがホッとしたように息をついた。
しかし、その後さっと顔色が変わる。
「あ……注文……えーと、コーヒーとパンケーキとメロンソーダにミルクたっぷりで……」
(いや、メロンソーダにミルクは入れないでしょう!)
私は冷静に心の中で突っ込んだが、二郎くんの焦った表情に、とても申し訳ない気持ちになる。
間違いなく私のせいだ。
注文でいっぱいいっぱいのところに私が水をこぼして気を逸らしてしまったからだ。
今もブツブツとめちゃくちゃな注文を繰り返し呟いている。
「二郎くん。二郎くん」
私が呼ぶと、二郎くんはハッとしたようにこちらを向いた。
「私のせいでごめんね!」
私が謝ると、二郎くんは力なく笑う。
「優希さんのせいじゃないから大丈夫だよ。僕がパッとメニュー書けなかったから。それに真人さんならちょっとハプニングあったくらいで注文忘れたりしないもん……」
二郎くんは肩を落とすと、もう一度注文聞いて来ると立ち上がる。
私は二郎くんの袖を引っ張ると呼び止めた。
「ちょっと待って。こっちから見て右奥の人から時計回りにアイスコーヒーにトマト抜きのサンドイッチ、アイスミルクティーに生クリーム抜きのパンケーキでジャムは有り、メロンソーダとチーズケーキ、ミルク多めのカフェオーレとリンゴパイだよ。」
私が先程の注文を繰り返すと、二郎くんがキラキラとした目で見つめてくる。
「すごい。さっきの一回で覚えたの?」
「そんなすごいことじゃないよ。昔バイトで接客業やってた時もあったし、よくこの店のメニュー表も見てたから、たまたま覚えてたんだよ」
キラキラとした目で見つめられるのが照れくさく、視線を逸らす。
しかし、二郎くんは「そんなことないよ!すごいよ!」と褒めてくれる。
二郎くんは「ありがとう」と言うとすぐに注文用紙に書き写し出した。それから急いで厨房に戻り準備を始める。
しばらくして全ての注文を運び終えると、二郎くんはニコニコしながら私の前に陣取った。
「ねえ!優希さん!僕いいこと思いついたんだ!」
「何?」
私はコーヒーを飲みながら二郎くんのほうを窺う。
「優希さん今お仕事探し中って言ってたよね? ここでアルバイトするのはどう?」
「私は一応正社員で探しているんだよね。それにアルバイトを雇うか決めるのはオーナーでしょ?」
私がそう返すと二郎くんはうっと言葉を詰まらせる。
「でもでも、アルバイトしながらお仕事探しもいいんじゃないかな? 確かに決めるのは真人さんだけど、僕から提案していいかな?」
キラキラした、とてもいい笑顔で詰め寄られ、首を縦に振りそうになる。
しかし、この小さなお店にやっぱりそんなにアルバイトは必要無いのではとも思う。
私は苦笑いを浮かべ、曖昧に誤魔化してみた。
するとちょうど話が終わったのかオーナーと鞍馬さんが奥の部屋から出てきた。
それを見ると二郎くんはすぐにオーナーをこちらに呼んで先程の出来事を話し出し、私をアルバイトにと提案しだした。
(私まだ了承してないんですけど……)
私の意見が置いて行かれた状態でどんどん話しが進んでいく。口を挟む隙もなく二郎くんが話し終わるとオーナーが口を開く。
「この話、幸神さんは了承されているんですか?」
そう言われてやっと二郎くんはまだ返事もらえてなかったと思い出したのか、縋るような目でこちらを見る。
「私は……」
二郎くんのうるうるとした、縋るような目で見られて返答に困っていると、さらに二郎くんは言い募る。
「だって真人さん一時間くらい外出するだけでも心配だからって店閉めちゃうじゃないですか。もったいないですよ!」
確かに先程の二郎くんの接客を見ていると心配になるのはわかる。
オーナーが「しかし」と話し出そうとした時、それに被せるようにそれまで黙ってやりとりを見ていた鞍馬さんが口を開いた。
「いいんじゃねーか。本人がいいなら」
鞍馬さんはカウンターの椅子に腰掛けるとオーナーに視線を向ける。
「前も言ってたじゃねーか。二郎一人じゃ心配だし、接客経験のある人が雇えれば、こっちの仕事入った時も少しの間抜けれるって」
「それは確かにそういう人がいてくれればいいとは言いましたが……幸神さん、ご迷惑ではないですか?」
一気に三人の視線がこちらを向く。
(うわ〜こんなイケメン三人に視線を向けられるとすごい迫力ね……って今はそんな場合じゃ無いわね……)
確かに私は仕事を探しには行っているが、それこそ一日のうち30分〜1時間程度である。あとは家でぐーたら過ごしているだけなので、少しずつ体を働くことに慣らしていくのも大事かもしれない。
「………次の仕事が決まるまででよければ……」
私がそう言うと二郎くんが瞳をキラキラさせて喜んだ。
「本当によろしいのですか?」
「はい。今は家でぐーたらしている時間のほうが長いので……」
私が苦笑を浮かべて答えると、オーナーも嬉しそうににっこり笑う。
「それでは幸神さん、よろしくお願いします!」
「そんじゃ、ここで働くんならまた会うと思うからよろしくな。俺は鞍馬智風だ。真人のもう一つの仕事を手伝ってんだ」
「私は幸神優希です。よろしくお願いします」
鞍馬さんと挨拶をし、そういえばと気になっていたことをオーナーに聞く。
「そういえばオーナーのもう一つの仕事ってなんなんですか?」
私が問いかけるとオーナー「まだ話してなかったですね」と微笑む。
「『断ち切り屋』をしているんです。人の悪縁などの縁の繋がりを断ち切るお仕事です」