どうやらお家に帰れなくなったようです【6】
「今日は透の調子が悪くて保育園を休ませたの。もう少ししたら、庭の業者が来るから、私は挨拶だけしたら仕事に出かけます。業者の対応と透のことお願いしますね」
「わかりました」
私は頷くと、居間にある時計をチラッと見る。
(真人さんと鞍馬さん大丈夫かな? もうそろそろ時間だけど……うーん……あの二人のオーラを隠して、本当に業者に変装できるのかな? なんかこっちが緊張してくるよ……)
私が一人ドキドキしていると家のチャイムが鳴った。
晶子さんと一緒に玄関に向かう。扉を開けるとそこには業者の服に身を包んだ真人さんと鞍馬さんがいた。
前回変装して来た時に顔を見せてしまったので、二人は頭にタオルを巻き、顔はマスクで隠している。
奥に見える真人さん達が乗って来た車に目を向ける。
するとブルーシートがかけられた荷台からこっそり顔を出し、こちらの様子を伺う座敷わらしさんを見つける。
(座敷わらしさんって姿消せるんだよね……?何で荷台に隠れているの?)
私が頭に疑問符を浮かべていると、彼女と目が合いニッと笑うとウインクされた。
(あっ〜これはちょっと潜入捜査ぽくって面白そうとかいうノリですね……)
自分だけがすごく緊張していたようで、馬鹿馬鹿しくなってくる。
「どうも。いつもお世話になります。植木屋です」
「あら? いつもの人じゃないのね。それにずいぶん若い方達に代わられたのね」
「実はいつもこちらに来ている庭師が腰を痛めまして……それで代わりに僕達が。ですがしっかり庭の手入れはさせていただきますので、ご安心ください」
真人さんが微笑むと、一瞬晶子さんはポーッとしたように見つめる。
しかしすぐにはっとして私に視線を向けた。
「それじゃあ私そろそろ仕事に行かないといけないから、後はお願いしますね」
晶子さんは真人さん達にも「よろしくお願いします」と早口に告げ、バタバタと家を出て行った。
顔半分がマスクで隠れているのに流石のイケメン具合である。
もはや顔半分隠されただけではその色気は抑えきれないと言うところだろう……
私がそんなどうでも良いことを考えていると、真人さんと鞍馬さんが真剣な表情で話し出す。
「やっぱりこの家、中だけじゃねーな」
「そうですね……家の外にも何かありそうですね」
「外ですか? いつも廊下から庭を見てますけど、何も変な感じはしませんけど……」
「あんたがいつも見てるのはどの方角だ?」
「えっと……南の方ですね」
「それじゃあ、わかんねーだろうな。北東の方から嫌な感じがする」
「北東……鬼門ですか……これは何か嫌な意図を感じますね……」
真人さんの言葉に鞍馬さんが頷く。
その時、左手がぎゅっと引っ張られて、私はビクッと体を震わせた。
「優希ちゃん。ママお仕事行っちゃった?」
私が視線を下げると、そこには不安そうな表情の透くんがいた。私は透くんと目線が合うようにしゃがみ込む。
「うん。晶子さんお仕事に行かれたよ。私と一緒にお部屋に戻ってもう少し休もうか?」
私がにっこり笑って話しかけると、透くんは小さく頷いて、私に手をぎゅっと握る。
最初は人見知りで慣れるまでに時間はかかった。
しかし、だいぶ慣れてくれたようで、今はとても懐いてくれている。
まだ親に甘えたい年頃だろうし、父親も家に帰らず、母親も仕事で忙しいとなれば、とても寂しかったのだろう。
私が手を握り返すと嬉しそうに私にピタッとくっついてくる。可愛らしいと思い微笑みながら頭を撫でていると、透くんが咳をする。
一度咳が出始めるとなかなか治らないのだ。
「透くん、お部屋でお薬吸おうか?」
私が真人さん達に視線を向けると、真人さんが頷く。
「それでは私達はお庭の手入れをさせてもらいますね。また後ほどお呼びします」
私の視線だけで正確に意図を読み取ってくれたようだ。
私は「それではお願いします」と頭を下げると、透くんと手を繋ぎ部屋に戻った。
薬のおかげで咳は治ってきたが、今日はだいぶ体調が悪いようで、熱まで出てしまっている。
布団に入ってもしんどそうで、頬が赤くなり、涙目になっている。これも穢れの影響があるのだろうか……
私はそっと透くんの頭を撫でていると、ふと座敷わらしさんにもらったお守りのことを思い出した。
「透くん、このお人形はお守りなの。透くんの体がよくなるまでこれ持っておいて」
私が人形を渡すと、透くんはじっと人形を見る。
「このお人形花ちゃんと同じ服だ! 優希ちゃんも花ちゃんのお友達なの?」
「花ちゃん?」
「うん。たまにこの家で一緒に遊ぶんだよ。よくこのお人形と同じお花の着物を着ているから、花ちゃんって呼んでるの。でもねママ達には内緒なの。僕がしんどい時は眠くなるまで頭を撫でてくれるんだ! でも最近来てくれなくて……」
「それって保育園のお友達?」
「違うよ。ずっとこの家にいるんだ。姿を消したり、見えるようにしたりできるんだよ!」
(この家に昔からいて、しんどい時に側にいてくれて、最近会えてない……しかも姿を消したりって……もしかしなくても座敷わらしさんのことだよね。透くんは花ちゃんって呼んでるんだ……)
「そっか。でもきっとまた会えるよ! だから今は私が透くんが眠たくなるまで頭を撫でるから、ゆっくり休もうね」
透くんは小さく頷いて、人形を握りしめると布団を首まで被り直す。
そうしてしばらく頭撫でていると透くんの寝息が聞こえてきた。
(良かった……少しましになったみたい。座敷わらしさんの人形のおかげかな?)
私は起こさないようそっと部屋を出ると、真人さん達の様子を見に玄関に向かう。玄関の扉を開けると、ちょうど真人さんも私を呼ぼうと玄関に来ていたようだ。
「ちょうど良かったです。今、智風くんが外に埋め込まれているものを対処しています。ですので私はお家の中にあるものを見せてもらおうと思いまして」
「やっぱり家の外にも何かあったんですね……埋め込まれているっていうのは?」
私が首を傾げると、真人さんの表情が険しいものになる。
「どうやらこの土地に穢れを集めるもののようです。座敷わらしさんが浄化しても穢れが広がっていたのはアレのせいだと思います……ちょうど地脈の上に埋め込まれていて、それで座敷わらしさんほどの力でも抑え込めなかったのだと思います……」
「地脈っていうのは?」
「その土地ごとの気が流れる場所という感じでしょうか。これが穢されるとその土地一帯に穢れが広がってしまいます……」
「いったい誰がそんなことを……?」
「わかりません。とりあえず一旦今は全ての元を断ち切らねばなりません。家の中を案内してもらえますか?」
「はい」
私は例の部屋に真人さんを案内する。
部屋に続く曲がり角にさしかかり、私は足を止める。以前よりもさらに重苦しい感じがする。
空気が重く、体がだるくなる。
「これは……ひどい状態ですね…」
真人さんは目を見開き、小さく呟くと廊下の奥を見つめる。
私は意を決して足を踏み出すと、部屋の前で止まり、真人さんと視線を交わす。
真人が頷いたのを合図にそっと襖に手を伸ばすと一気に開いた。
そこは先日と同じように、おどろおどろしい気配に満ちていた。隣の真人さんからも息を呑む気配が伝わってくる。
「こ、これは……穢れを空気に広げていっているのか?」
真人さんが驚きに満ちた表情でその部屋の光景を見つめる。私も先日見た時に空気に黒い靄が浸食しているように感じた。
私は口元を手で押さえる。
部屋の中に入り、直に穢れを感じたせいか、頭が痛くなり、吐き気が込み上げてくる。
「!! 優希さん大丈夫ですか?」
私の様子に気づいた真人さんが驚いたように顔を覗き込み、私の体を支えるように肩を抱き込む。
どうやら私は相当酷い顔色をしているようだ。
「優希さん、座敷わらしさんからもらった人形を手に持っていたほうがいいかと」
「すみません……今、持っていないんです。透くんの体調が悪かったから透くんにお守りがわりに渡してて……」
私がそう言うと真人さんは眉間に皺を寄せて、ため息をついた。
「優希さんのそういう人を思いやれるところは美徳ですが、自分のことも大事にしてください。見ているこちらがヒヤヒヤします。とりあえず今はこの部屋から出たほうがいいでしょう。ここは私が何とかしますから、優希さんは透くんの部屋に行ってください」
「真人さんは大丈夫なんですか?」
私が真人さんを見上げて問いかけると、真人さんはふっと微笑んだ。
「まったくあなたは…自分が辛いというのに人の心配までして。私はこういうことにも慣れているので大丈夫です」
私は安心して頷くと、部屋の外に目を向ける。
そしてビクッと目を見開くいた。
(どう、して……? 気配も音も何もしなかったのに……)
「どうしてなの……何でみんな、みんな放っておいてくれないのよ……何でこの部屋に入ろうとするの!!! 前にも言ったのに!! 早くこの部屋から出て!!」
そこには仕事に行ったはずの晶子さんが立っていた。
しかし、その様子は朝の仕事に向かうピシッとした様子ではなく、髪を掻きむしり明らかに普通の状態ではなかった。
髪はボサボサになり、顔色は真っ白だ。そして手には木の棒を握っている。こちらを般若のように睨みつけ、大きな声でぎゃあぎゃあと怒鳴りつけながら、木の棒振り回す。
真人さんは自分の背に庇うように私の前に立つ。
「私が彼女を引き止めますから、優希さんはこのまま部屋を出て、智風くんを呼びに行ってもらえますか?」
「わ、わかりました。」
確かに私がここにいても、あまり力になれるとは思えない。真人さんのことは心配だが、ここに留まり足手まといになるより、鞍馬さん呼びに行ったほうがいいだろう。
私が部屋から出ようと、少しずつこちらに近づいてくる晶子さんの様子をうかがっている時だった。
「ママ……?」
廊下のほうから透くんが部屋を覗き込むのが見えた。
こちらが騒がしかったから起きてしまったのだろう。
しかし、いつもとは違う晶子さんの様子に驚いたように固まっている。
晶子さんは今、普通の状態ではない。透くんと認識しているかも怪しい。すると透くんのほうを睨みつけると、体の向きを透くんのいる廊下のほうに向ける。
私は咄嗟に走り出すと透くんを庇うように二人の間に体を滑り込ませ透くんを抱きしめる。
その時、視界の端に棒を振り上げる晶子さんの姿が見えた。
私は次に来るであろう衝撃に耐えるよう目を瞑る。
ドンっという鈍い音が響く。
しかし、体に衝撃は襲ってこない。
その音と共に何かを堪えるような「うっ………」という声が聞こえた。
私は目を開けるとそろりと後ろを振り返る。
そこには真人さんが立っており、木の棒を左腕で受け止めていた。
そして右腕で棒の先端を掴むとさらに棒を振り回そうとしていた晶子さんの動きを止める。
「優希さん! 今のうちに智風くんを!!」
「は、はい!」
私はすぐに立ち上がり透くんを抱えると立ち上がる。
すると廊下の奥からバタバタとこちらに駆けてくる音が聞こえた。
「真人どこだ!?」
鞍馬さんの声だ。
その声に私も大声で返し、部屋の外に出る。
「鞍馬さん!! こっち! こっちです!!」
私の声にちょうど廊下を通り過ぎようとしていた鞍馬さんが気づき、こちらに駆けてくる。
そして部屋の中を見て目を見張り、すぐに険しい顔になる。
「智風くん、良いタイミングです。彼女を抑えてください」
真人さんは晶子さんを警戒し、こちらを見ずに鞍馬さんにそう告げる。
「ああ、わかってるよ」
鞍馬さんは返事をするとすぐに晶子さんを後ろから羽交締めに押さえ込む。
しかし、それでも晶子さんは手足をバタつかせ拘束を振り払おうとしている。
その光景に目を見開き怯えている透くんを私はそっと抱きしめ、「大丈夫、大丈夫。」となだめた。
真人さんは一息つくと、この前私を助けてくれた時と同じように、そっと自分の腰のあたりに手を添え、刀でも出すかのように『何か』を引き出した。
そして神棚の扉を開く。
そこには文字がびっしり書かれたお札のようなものが入っていた。
私にはその文字を読むことはできなかった。草書体のような文字なのか、それとも呪文のような特殊な文字なのか……
直に目にするとさらに全身が冷えていくようなゾッとするような感覚がする。
目を凝らすとその札から地面に伸びる真っ黒い糸が見えた。真っ黒い糸というより、もはや黒い靄が纏わりつきすぎて元の色を隠してしまっているようだ。
(気持ちが悪い……この前ハンカチなんて比じゃない)
真人さんは『何か』を両手で握り直すと深呼吸をして、振り上げた。
「断ち切れ!!」
真人さんの声と共に振りおろされた『何か』が黒い靄の線を切ると、部屋の中であるにも関わらず、風が辺りに巻き起こる。部屋中の鈴がシャラシャラと音を立てる。
鈴の音のはずなのにそれは耳障りで直接頭に響くようだ。
まるで最後の抵抗というように、けたたましく鳴り続ける。
私は透くんをさらにきつく抱きしめ、あまりの風の強さに目を瞑った。
しばらくして風がおさまり、そっと目を開くと部屋の中に張り巡らされていた鈴のついた糸が全て切れて落ちていた。
そして異常な状態だった晶子さんも力なくくずおれる。
「ママ……」
透くんの小さな声に晶子さんは顔を上げこちらを見つめる。先ほどまでの無機質な瞳ではなく、ゆっくりと瞳に光が戻ってくる。
「透……?」
晶子さんはいつもの様子に戻り、何が起こったかわからないというように首を傾げる。
透くんは晶子さんのほうに駆け出し、抱きついた。
そしてわんわんと泣き出す。
母親が何か違うものになってしなったようで、とても怖かったのだろう。
晶子さんは戸惑いながらも透くんを抱きとめると、穏やかな表情で優しく頭を撫でた。
そして部屋に目を向け、その惨状に驚いたように、こちらに視線を向けた。
「私、一体何をしていたの……」
その時部屋が暖かい優しい光に包まれる。
先程まで感じていた頭痛も気持ち悪さも怠さも、全てなくなり体が楽になる。
自分の変化に驚き体中確認していると、部屋の一点に光が凝縮し、さらに明るくなる。
パッと光が散ると、そこに座敷わらしさんが現れる。
「やっと入れたか……」
「花ちゃん……?」
晶子さんは小さく呟くと、目を丸くして座敷わらしさんを見つめる。
座敷わらしさんはその声に振り向くとにっこり優しく微笑んだ。
(晶子さんも座敷わらしさんを知ってる……?)
「わ、私……ごめんなさい……ごめんなさい……」
「ママ……?」
晶子さんは座敷わらしさんを見ると突然泣き出した。
透くんは晶子さんを心配げに見つめている。
「わ、私……花ちゃんにもう一度会えたら謝りたいって……あの時は酷いことを言って、ごめんなさい……」
座敷わらしさんは晶子さんに近づくと、そっと頭に手を乗せて、優しく撫でた。
「大丈夫じゃ! わかっておる。もう泣くな」
「私は子どもの頃、体が弱くてあまり学校に行けなかった。あなたが初めて友達になってくれて一緒に遊んでくれた。とても嬉しかったの。それなのに……」
しゃくり上げて言葉に詰まる晶子さんの背を、座敷わらしさんが優しく撫でる。
「体の調子が良くなって学校に行き出してから、私は友達にあなたのことを話したわ。そしたらみんながおかしいって……それってお化けだって言われて、怖くなって、あなたに酷いことを言ったわ。あなたが気持ち悪いって……私の前にもう現れないでって……」
「人間がそう思うのは、仕方のないことじゃ」
座敷わらしさんは寂し気に微笑むと、優しい瞳で晶子さんを見つめる。
「で、でも……あなたはあんなに優しく見守ってくれていたのに……私、後で気づいたの。いつもあなたが現れるのは私の体調が悪くなる時で、あなたと会うと体が楽になった。あなたは私のために会いにきてくれてたんだって……あなたにずっと謝りたかった。私が一方的に拒絶したせいであなたと会えなくなってしまったから……」
「わかっておる。気にしてなどおらん、大丈夫じゃ!」
座敷わらしさんは困ったように笑う。
晶子さんは自分の服のポケットを探すとそっと座敷わらしさんに手に持ったものを差し出した。
そこにはあの座敷わらしさんからもらった人形が乗っていた。
しかし、私がもらったものと違い、だいぶ古びている。所々ほつれ、それを修復したような箇所もある。
「ずっと持ってたの。これを持ってたらまた会えるような気がして……」
晶子さんが微笑むと今度は座敷わらしさんが涙を堪えるように顔を歪める。
「そうであったか……」
座敷わらしさんは両手をそっと晶子さんの手に重ねた。
すると手の中が光り、そっと手を開くと、そこにはほつれも無く綺麗な状態の人形が乗っていた。
座敷わらしさんがにっこり微笑むと空気に溶けるようにゆっくりと姿が霞んでいく。
「待って! まだ話したいことがあるの!」
「大丈夫じゃ! わらわはいつでもお前たちを見守っておる。」
その言葉を最後に座敷わらしさんの姿が消えた。