どうやらお家に帰れなくなったようです【5】
(うん……やっぱりあの部屋を調べなきゃだよね……)
あれから数日、真面目に仕事をこなしたおかげで、晶子さんからもだいぶ信頼を得られたと思う。
今日も毎日の日課の部屋掃除を終え、考える。
(気持ち悪い感じがするって言っても、中を見ない限り確証は得られなし。まぁ私の場合、見たところで確証得られるかもわからないけどね……)
真人さんは私に『視る』力があると信じているようだが、自分自身はあまり実感がない。確かに幼い時は見えていたとはいえ、大人になってからは見えていなかったのだから……
何というかあの時は自分の命が危機に晒されたから見えた火事場の馬鹿力とかそういう類いのような気がする。
(少しでも真人さんと鞍馬さんが来るまでに情報はあったほうがいいよね……でも本当に上手くいくのかな?……)
私は頭を押さえつつ、先日のカフェでの話を思い出す。
あの日カフェで話をした時、二人がいい笑顔で言い出したのだ。
「じゃあ俺らは業者になって家に行きゃあいいってことだな!」
「そうですね。まぁ日にちと時間がわかれば何とかなるでしょう。優希さんご迷惑おかけしますが、情報収集引き続きお願いしますね」
「え? あの…えっと…はい……?」
(なんか普通に話し進んでるけど、本当に大丈夫なの? というか業者に変装できるものなの? 何とかなるって……今までどういう風に情報収集してたのか聞かない方が良さそう……)
私は頭を振ると、よし!っと意識を切り替える。
とりあえず今日はまだ晶子さんが帰ってくるまで時間もあるし、透くんは保育園に行っている。
あの部屋を探るには絶好の機会だ。
私は速足にあの部屋の前まで足を進める。
部屋の前の暗い廊下に足を踏み入れると、足元が急激に冷えていくような、足をゾワゾワと何かが駆け上がってくるような、気持ち悪い感覚に襲われる。
私はポケットの中の座敷わらしさんからもらったお人形をぎゅっと握りしめ、大丈夫大丈夫と念じながら、ゆっくりと足を進める。
部屋の前で足を止め、部屋と廊下を隔てる襖を見つめる。
緊張で早鐘を打つ心臓を落ち着かせるように、深呼吸を数回繰り返す。そして覚悟決めるとそっと襖に手をかけた。
思いきって一気に襖を開く。
「なに…これ……?」
私はその光景に息をのむ。
背中をゾッとしたものが駆け上がり、全身に鳥肌が立つ。
両腕をさすり一歩後ずさる。
部屋の中は真っ暗だった。
部屋の窓には外からの光が入らないよう新聞で目貼りされ、至る所に鈴がついた赤い糸が張り巡らされている。
そしてその中央に高い棚があり、お社のような小さな神棚が置かれている。
何かの儀式にでも使うのだろうか?
しかし、この部屋には神聖な感じが全くなく、むしろ禍々しさしか感じない。まるで全てを闇に呑み込むような不気味さを感じる。
不思議なことにこれだけ真っ暗になっているのに、その中央の神棚がしっかりと見えるのだ。まるでその存在をこちらに誇張するように……
私は冷や汗を流しながらも神棚をじっと見つめる。
すると黒い蜃気楼のようなモヤモヤが周囲に広がっているのに気づいた。少しずつ空気に浸食するように全体に広がっているように見える。
私はぎゅっと無意識に人形を握りしめると、人形が熱くなっていることに気づいた。
はっとして手元に目線を落とすと、空気をつん裂くような金切声が聞こえた。
「なにしてるの!!」
私がビクッとして声のほうに顔を向ける。
そこには般若のように顔を歪めた晶子さんが廊下の先に立っていた。彼女はバタバタとこちらまで駆け寄るとばっと襖を閉めた。
そしてギロリとこちらを睨みつける。
「前にも言ったでしょう!! ここには絶対に入らないでって!! あなたはこんな簡単なことも理解できないの?」
明らかに尋常じゃない様子でこちらに叫び続ける。
私ははっとして頭を下げ、晶子さんに謝る。
「す、すみません! 掃除に集中していて気づかず開けてしまったんです。本当に申し訳ありませんでした!」
晶子さんはしばらく怒鳴り散らしていたが、少しずつ落ち着きを取り戻したのか、こちらに背を向けると静かに告げる。
「今日はもういいわ……帰ってちょうだい。」
「ですが……あの……」
「帰ってちょうだい!!」
「も、申し訳ありませんでした……」
私はもう一度頭を下げ、葵の家を後にした。
カランカラン
「あっ! 優希さん、お疲れ様!」
「お疲れさん。」
「お疲れ様じゃ!」
「優希さん、お疲れ様です。今日もありがとうございました」
私がカフェに入るとみんなが労いの言葉と共に迎えてくれる。
私の顔を見て真人さんが首を傾げ、心配そうな顔になる。
「何かありましたか?」
するとカウンターから二郎くんが出てくると、「とりあえず座って座って!」と優しく背中を押される。
そして座敷わらしさんの席の隣に私は腰掛けた。
座敷わらしさんは最近、カフェにずっといるようで私が帰ってくるのを待ってくれているらしい。
他のお客さんがいる時は姿を隠しているようだが、誰もいなくなるとこうして姿を現すようだ。
座敷わらしさんも心配そうな顔で私の顔を覗き込む。
「大丈夫か?」
そんなに酷い顔をしていたのだろうか?
私は苦笑を返し、「大丈夫です。」と答える。
そして自分自身を落ち着かせるように深呼吸すると、あの部屋のことを話し出した。
「実は…………」
「そうか……わらわがいた時はそのような物はなかったはずじゃ。わらわがいない間に何者かが持ち込んだのか……?」
座敷わらしさんは小さな声で呟くと、難しい顔をして考え込む。
「優希さん本当に大丈夫? 無理してない?」
二郎くんが私の隣に来るとそっと両手で私の手を包み込む。二郎くんの手は暖かく、その体温で初めて自分の指先がとても冷たくなっていたことに気づいた。
何ともないと思っていたはずだが、あの部屋と尋常ではない様子の晶子さんを見て、身の危険を感じ、恐怖を感じていたようだ。手が無意識に小さく震えている。
「優希さん、ありがとうございます。ここは安全ですし、もう大丈夫ですよ」
真人さんは優しく微笑むと、カウンターから手を伸ばし、そっと私の頭に手を置くと優しく撫でてくれた。なんだか子供扱いされているようだが、みんながいると思うだけで心が落ち着いてくる。
「あんたはよくやった。後は俺らに任せとけ! 俺らが明日行くまでその部屋に近づかないようにするんだぞ」
鞍馬さんもいつものクールな表情ではなく、優しげな口調と微笑みで私を見つめる。
何とか落ち着き手の震えが収まった。
冷静な思考が戻ってくると、今度は恥ずかしくなってくる。
(やばい。冷静に考えると何この状況……)
可愛いらしい男の子に心配げな表情で見つめられ手を握られ、色気のすごい美形の男性に優しげに微笑まれながら頭を撫でられ、滅多に笑顔を見せないワイルドなイケメンに穏やかな微笑を向けられ……ふと我に帰ると自分の心がキャパオーバーを訴えている。
顔から湯気が出そうになり隠すように俯くと、みんながさらに心配してこちらを覗き込んでくる。
(ど、どうしよう……みんなの視線で顔が熱い……なんでここにいる人たちこんな美形揃いなの!? そうだ! 話題! 何か別の話題!!)
頭ではそう思うものの、こういう時、咄嗟に何も浮かばない。私がぐるぐる目を回して回らない頭を必死に回そうとしていると、座敷わらしさんがそれに気づいて助け舟を出してくれた。
「優希も落ち着いたようじゃし、年頃の娘にそんな無闇に触るものではないし、不躾にずっと見つめるものでもないぞ! それよりお前たち明後日の準備は進んでおるのか?」
その言葉に、二郎くんは不満げに「はーい」とカウンターに戻り、真人さんは少し恥ずかしそうに「すみません。」と頬を掻きながら手を引っ込めた。
鞍馬さんは自分は関係ないと言うふうにこちらを見つめていたが、座敷わらしさんのジト目に「なんだよ?」と居心地悪そうに視線を逸らす。
そして座敷わらしさんは私にだけ聞こえるような小さな声で呟いた。
「全くこれじゃから女心がわからぬ者たちは……無自覚に人を誑かすとはタチが悪い」
(た、誑かすって……)
私は苦笑を浮かべる。
そして真人さんが先程の座敷わらしさんの問いに答える。
「そうですね。もうほぼ準備はできているので、後は明日を待つのみです」
「おはようございます」
翌朝私は様子を窺うようにそっと葵の家の扉を開いた。
しばらくすると晶子さんが玄関に出てきて、ばっと頭を下げた。
「昨日はごめんなさいね。私最近、過敏になっていて……酷いことを言ってしまったわ……」
「そんな! 私が勝手に入ってしまったのが悪いんです……頭を上げてください。私の方こそ申し訳ありませんでした」
私がそう言うと、晶子さんはほっとしたように表情を和らげた。
きっと元々優しい人なのだろう。今は穢れの影響で少し不安定になっているだけで……
きっと今日でまた平穏な日々に戻れるはずだ。
私は晶子さんに促され部屋にあがった。