8ゲット 圏外から出るために
春の冬は秋。
俺は眠りから覚めた。
「知らない天井だ」
そう。そこは俺には見覚えのない、どこかだった。
「目を覚ましたみたいだな」
「あなたは……」
そこにいたのは、ジンジュでもなければ女僧侶でもなかった。
「酒場にいた、レッドさんの知り合いのかたですよね?」
「確かにレッド=ロクシルは私の知人だが、キミには見覚えがないぞ」
レイアリオにある酒場「翼の銀光亭」にいたレッドさんの連れの女性。
目の前にいたのは、なぜか、その人だった。
「ここはどこです?」
「レイアリオに近い、フーラの町だ。そして、この建物は診療所。そして、私の家でもある」
「診療所。というか、あなたの住まいになぜ俺が?」
「モヒカン野郎が投げ捨てていった。ぐっすりお休みだから、3年は寝かせてやれとデカいツラをしていたぞ」
女冒険者と会話するにつけ、俺は今の状況が掴めてきた。どうやら、ジンジュに負けてすぐ、俺は意識を失ってしまっていたようだ。
ジンジュは自らが介抱するのまでは面倒なのか、近場の診療所に俺を連れて来たというわけだ。
「エリスだ」
「えっ」
「エリス=サリワー。それが私の名前」
「なるほど。俺はイアロ。イアロ=レムです」
冒険者が着るようなジャケットにもかかわらず、薬ビンを幾つか両手に持っているエリスさんを俺はさりげなく観察してみた。
髪型はハーティさんと同じくらいの短髪だが、ハーティさんが前髪を下ろしているのに対してエリスさんは真ん中から両側に分けることで、広すぎないおでこを惜しげもなく見せていた。
「どうやら意識がはっきりしてきたので、俺、そろそろ失礼します」
「まあ、そう焦るな。どれほどの冒険をしたのか知らないが、キミの疲れは相当なものみたいだから無理は禁物。シチューでも食べるか?」
「えっ」
「お腹、空いているだろう」
エリスさんは俺を冒険者と勘違いしたらしい。
まあ、酒場で俺やウィックの会話までは聞いてないだろうし、俺がレッドさんと面識があるからってエリスさんが俺を盗賊と分かる理由になるわけでもない。
盗賊だと名乗るべきか、なんとなく迷った。盗みを働こうと思ったのはあるけど、エリスさんはレッドさん並みに「雰囲気からして別格に強い」感じがあるので、それは早々と脳内で却下した。
それに、エリスさんは単に良い人そうなので、盗賊稼業の意欲が削がれた。
「冒険者では、ないんですけどね」
「へえ。別に興味ないけど」
「はあ」
「で、シチュー作るけど食べるのか食べないのか」
「ありがたく頂きます!」
俺はエリスさんが数々の薬ビンを薬棚に片付けてシチューを作り始めるのを、眺めたり眺めなかったりした。
そして俺は診療所ならではの患者用のベッドに寝そべりながら、あれこれと思案を巡らせた。
エリスさんは介抱してもらった恩はある一方で他人だとか、ジンジュはもう果たし合いを望んでいないのかとか、そういったことだ。
「……」
ただ、そこで俺の頭上に閃きの豆電球がチカリと点灯した。
それは「エリスさんから盗むのは大変に困難だが、隙を見て診療所内の何かをいただくのは比較的容易いかもしれない」という考えだ。
「……」
俺は慎重に、気取られないように観察のベクトルを室内に変更した。
盗むなら、強いであろうエリスさんならではのアイテムがいい。
そうすれば、名声と功績を同時に満たせるゆえにランキングがかなり高まるはずだからだ。
「……」
または、長い目で役立てるなら身体能力や理力が強化される魔法が書かれた本でも構わない、と俺は考えていた。
魔法は基本的に本で勉強するものだ。
宮殿ではこれから魔法を学んでいく、という時期だったから、今の俺に使える魔法はない。それと魔法は理力とは違い、暴走しやすい魔力を源とするので魔法は学んで制御するものだ、ということくらいしか俺には分からない。
「……」
強引に盗んでから、ブレを召喚してトンズラするのは理論上は可能だ。
だけど「翼の銀光亭」でまた鉢合わせした日には、ついに俺が犯人と知られてこっぴどいことになること受け合い。
よって、最近はあまり乗ってやれてないブレを出すにしても盗みが首尾よくバレなかった時に限る、という話になる。
「……」
ふと、薬棚の上に怪しい書物があるのが目に留まった。
やけに分厚く、魔法の書にしては長編なのは否めないけど怪しい。
もちろん、薬棚の上にあるのだから薬品に関する辞典か何かかもしれない。
ただ、他に何かないかと探しても室内にはキチンと整頓された棚やタンス、ツボなどがあるばかりで無造作に放置されているモノは他に見当たらなさそうだった。
「……」
トレパクールで、棚ごと盗む手はある。
だけどそれにはリスクが伴う。
最初こそ、俺もトレパクールは最強最高の盗みの奥義と考えていた。
実際、トレパクールを極めきった俺だから壁など障害物はないに等しく、それこそワープさせるみたいに棚を瞬時に診療所の裏手に移動させるくらいは造作もない。
しかし極めきっても、その程度なのがトレパクールだ。
つまりワープしたのを目撃されたら、それまで。ワープ魔法なんて存在しないらしく、何事かと騒ぎになってしまうのだ。
「ニンジン、嫌いとかないよね?」
「……」
「聞いてる?」
「……」
パクール、つまり貫く理力を加減して俺はそっと、棚上の本を動かしてみた。
出力を最大限に抑制することで理力を見えないほど薄くし、ワイヤーを放つように理力を本の脇に、屋根を貫かないようにふんわりと飛ばしたのだ。
貫かない程度にまで弱めて貫かぬ理力となったワイヤー光線だから、じり、と本を焦がしたり切ったりせずに動かすことが出来た。
初の試みだったが、好奇心に負けて始めただけだったが思ったより手応えは上々だ。
「好き嫌いはなくすようにと教育を受けたので、ニンジンなら平気です」
「平気。それって、好きではないって意味だね」
「あ、はは。まあ」
「じゃあ大幅に増量してあげるから、好きになりなよ。もちろん私をじゃなく、ニンジンをね」
やがてドボボボと盛大な音を立て、12本のニンジンが鍋に投入された。
言葉に偽りなし。大幅な増量だ。
そんなことより本を、と俺は思ったけどシチューについては、あとはじっくり煮込むだけらしい。
「暇だ」
「冒険には行かないんですか?」
「患者がいるのに冒険に行ったら、ここは店じまいしますと言ってるようなもんさ」
見た目から冒険者と判断しただけなのだが、どうやらエリスさんはやはり冒険者のようだ。
冒険と医療を兼業するなんて無理も甚だしいけれども、俺はそこは人それぞれ生活は自由だから深くは聞かなかった。
「キミも冒険者に転職しなよ。戦うのは最低限だし、護衛を雇えば変なのに絡まれても大抵はなんとかなるぞ」
「いや、俺はとうぞ……」
「ん?」
「なんでもないです」
「盗賊なのか?」
「それは……」
なんとなく気まずさが漂った。
レッドさんには早々にバレてもなんとも思わなかった。
そもそも俺はレイアリオの町の酒場にいたのだから薄々は盗賊と気付いていても良さそうなのに怒りを買ってしまったようだ。
「盗賊です。すみません」
「出て行って」
「えっ」
「今すぐ、ここから出て行きなさいよ!」
エリスさんは、物凄い剣幕で俺を責めた。
俺はそんなエリスさんを無視など出来ず、わけは分からないながらも診療所を出ていくことにした。
「あっ」
「お前……イアロか」
診療所を出ると、レッドさんとばったり出会った。
「ふむ、ついてないな。お前、盗賊なのにエリスの世話になる羽目になったか」
「どういうことです?」
「アイツは、盗賊が嫌いなんだ。盗賊嫌いが過ぎて、たびたびレイアリオに偵察に来るほどにな」
つまり、俺は大した理由でもないのに診療所を追い出されたのだった。