2ゲット 伝説のアットホーム
カーネルのフラクションがパーティション。
「イアロさん。起きてください、朝ですよ~」
「ふぇ!?」
ベタ過ぎるモーニングコールとでも言うべきテンプレ的文言に対し、すっとんきょうなシャウトを控えめに上げながら俺は眠りから覚めた。
宮殿を出て、かれこれ1ヶ月。
俺は無計画にも目的地へ移動する馬車に乗るために金銭が必要だと知らなかったほどだった。
ただ、宮殿を出た日に奇跡的に出会った騎乗獣召喚の使い手にカトブレパスという魔物をタダで譲り受けた結果、たった数時間で目的地に到着した。
カトブレパスは「速足カバ」と呼ばれていて、見た目にもほとんどカバだが無闇に快適な乗り心地である。
「ブレ。出てこい!」
「ひゅひ~ふ」
召喚用にもらった小刀ほどの長さの短杖を懐から取り出し、後は念じるだけでカトブレパスのブレ――俺が付けた名前だ――は、ひゅひひゅひ言いながら具現化する。
杖から出てくるのだ。そして帰るように念じるとブレは光の玉に変わり、それから杖に吸い込まれていく。
「これでよし」
「もう。召喚獣さんをあんまりこき使って、噛みつかれても知りませんよ~?」
俺が不意に杖で召喚を試すのを注意するのは、シュルダの受付嬢であるマチルダさんだ。
もちろん、受付嬢に他人を眠りから覚ます義務などない。それに、こんなことをしてもらっているのは、どうやら俺だけらしい。
「あ、あの……」
「はい?」
「いつも親切に、ありがとう……ございます」
マチルダさんは俺が感謝の言葉を告げるのを聞いても、穏やかな表情を微塵も変えないで「まあまあ」と謎の落ち着かせを示してきた。
「私はお仕事に戻ります。それと……」
「ああ、分かってます。毎朝の受付手続きを済ませるのは、シュルダの学生として俺もやるべきことなんでしたね」
「はいっ。ではでは、また後ほどシュルダで」
マチルダさんは俺の自室から出て行った。
「とは言っても、ここは既にシュルダなんだけど」
俺は独り言を漏らしながら、寝間着から普段着に着替え始めた。
自室とは言っても、ここは宮殿にある俺の部屋ではない。なにせ、ドアが普通にある。
シュルダ内にある学生寮。
本館と隣り合った別館だからシュルダと見なさない人もいる。だけど、別館入り口には「シュルダ学生寮こちらから」と看板があるので一般的には別館もシュルダの一部だ。
「さて、下ごしらえして学校行かないとな」
俺は更にそうこぼし、それから朝食を済ませて歯磨きや洗顔をした。
ところでシュルダに到着してから気付いたのだが、俺の服装はシュルダでやっていくには、思ったより高貴過ぎるようだった。
よって今の普段着は、宮殿にいた頃みたいなタキシードとかマントとかは採用していない。ま、一応、愛用している白銀のブレスレットだけは欠かさず左腕に着けるのだけど、あとはバンダナとかチュニックとか軽装かつカジュアルに徹するよう心がけている。
「おはようございます!」
「あら遅刻魔クンじゃない。珍しく定時ギリギリね?」
「うっ、すみません……」
マチルダさんは言った割には受付にいない。
まあ、いつもの社交辞令といった感じでイレギュラーなことでもないけど、とにかく今、受付にいるのは別の受付嬢であるハーティさんだ。
「謝るならマチルダにね。まあ、あの子も学習能力ないのは否めないけどさ」
「は、はあ」
「さ。タイムカードは押したからさっさと教室に出動しな!」
「はあ」
学習能力、とはマチルダさんもマチルダさんで起こしに来るのが始業10分前という事情だ。
あるいは、やっぱり受付してないのに「待ってる」と告げる軽率さか、両方だと俺は思っている。
教室という単語に出動とは使わないから、きっとハーティさんもハーティさんなんだけどさ。
ただ、ふんわりまとまった長髪のマチルダさんにシャキッとショートヘアのハーティさん。シュルダの花はこの2人だから態度が固すぎず、変な緊張感はなくてありがたくもある。
「おはよう」
俺は教室に入るなり挨拶を投げ掛けてみた。
シュルダ本館。
一階はおもにロビーや受付がある。そして俺が今いるのは二階に位置する、とある教室だ。
3つある教室の内の1つであるここはB組。隣にA組、もう片方はC組でなく職員室で、職員室の向こう側にC組の教室がある。
「おっす。今日はギリじゃーん」
伸び気味の語尾で第一印象は怖かったけど根は気さくな盗賊仲間、というか同級生のウィックが、いの一番に俺に挨拶を返してくれた。
コイツとは席も隣同士だ。俺の席は教室に2つある入り口のうち、黒板と反対側にある方の最後部。更に入り口側の端っこだから隣席は1つでありウィックの反対側は教室を出入りするための引き戸だ。
「とほほ。そろそろ慣れてね、転入生くん。先生より来るのが遅いのは、10分前行動が出来ない証拠ですよ」
「はい。気を付けますッ」
担任のスバイ先生に怒られてしまった。
厳密には遅刻ではないけど、むしろ俺は遅刻する傾向にあるので時間ギリギリ程度では警告の範囲内になってしまっているみたいだ。
やれやれ、先が思いやられる。でも見放されたわけではない以上、とにかく頑張るのみだ。
「伝説のアットホームは伊達じゃないな」
「転入生くん、何か言いましたか?」
「い、いえなんでもありませんッ」
転入生くんとは、俺を意味する。
今年、このクラスに転入してきたのは俺だけだからだ。
それから、伝説のアットホームとはシュルダの通り名のようなものだ。読んで字のごとく、伝説と呼ぶべき脅威に値する気さくさがシュルダに浸透している雰囲気だ。これはシュルダに詳しい人々からすれば常識らしい。
「さて。この時間は、いよいよ来週に迫った定期テストについて説明していきます」
授業開始を告げるベルが「リーンリーン」と鳴ったこともあり、スバイ先生はすらすらと淀みなく授業を進め出した。
一月前に転入した俺をよそに、3ヶ月に一度ある定期テストが来週行われるようだ。今は12月なので、次の次は早くも卒業試験。
ここは1年で卒業するシステムだから、実は俺は他の学生に4分の3ほど遅れを取っているわけだ。
「マジかよ。じゃあ、なんで今さら入学を認めたんだよ……」
先生に聞こえないように、口を動かすだけの無言の抗議を俺はしてみた。
俺以外はきっちり入学シーズンから在籍している。よって完全に俺だけが置いてきぼりである。
「今回は転入生くんがいることもありますし、盗賊の基本を一度、総ざらいしておきましょうか」
スバイ先生は学生たちにそう告げると、おもむろに見覚えのある長財布を取り出した。
「ああっ、それ俺のッス」
「知ってます。というか、隙だらけですが試験勉強は大丈夫なんでしょうね?」
ウィックの財布だった。
彼が慌てふためくのを見て笑う学生もいれば、「自分もそうかも」とあたふたする学生もいる。俺はと言えば、内心では俺も餌食に成り得ると震えながらも強がってポーカーフェイスだ。
先生が格好よくヒュッと財布を投げるとウィックはキャッチボールだけは得意と見えて二本指で、はし、と受け止めた。
「試験勉強は、大丈夫じゃないかもです」
「ドヤ顔してないで、おしゃべりばかり鍛練しないで勉強も忘れずにね?」
スバイ先生はウィックの飄々とした答えに飽きれ顔だったけど、ムードメーカーであるウィックの態度でクラスメイトたちの雰囲気は総じて和やかになった。
伝説のアットホーム。うん、ある程度は実際にそうであるようだ。
「宮殿の人たちとは随分、違うや」
「イアロ、どうした?」
「いや、なんでもない」
前の席の青年が俺に愛想よく聞いてきたが、俺は名前を思い出せないままに曖昧に弁明した。
宮殿にいた頃は、礼儀とか形式とかを重んじるのが当たり前だった。フランクとか気軽とか、そういった概念はここで触れた新しく、未知の何かだ。