1ゲット 王家なんて
薄味の火加減が、みじん切り。
俺の名前は、イアロ=レム。
いや、本当の名前はもうちょっと長くて、イアロルートル=キオクス=フランドナジェ=ハバラ=ガンドリレムって言うんだが、イアムと覚えてくれて構わない。
「ぼっちゃま、イアロぼっちゃま。陛下が至急の用事とのこと。ささ、急ぎ陛下のお所へ向かってくださいませ」
じいや、と俺が呼ぶ男の言葉だ。コイツの名前を、俺はあんまり覚えてない。
人の名前を覚えるのは苦手じゃないんだが、この用心深い老人は滅多なことでは名乗らないんだ。
俺はそんな慎重なじいやに生返事を返した。
「けっ。ヤツの急用なんて、肩たたきか近所のオオカミ退治かどっちかじゃないかよ」
「ぼ、ぼっちゃま?」
じいやを前に、俺ははっとして「いつも」の口調に戻した。
「こ、こほん。じいや。ボクは今、王家の伝統を座学していて忙しいのだ。出来ればもう半時刻ほど後にしてほしい、と、そう父上に伝えておくれよ」
「かしこまりました」
律儀に一礼をすると、じいやは悠然とした足取りで俺の部屋を退出し、極めて丁寧にカーテンを閉めた。
カーテン。――ああ、そうさ。ドアじゃなく、俺の部屋と俺が暮らす宮殿の二階通路とを繋ぐのは布切れ1枚なんだ。
「王家。……伝統、か」
俺は実際、ちゃんと座学、つまり椅子に腰かけながら勉強していたんだ。だけど、王家の伝統がぎっしり記されている書物の、その開かれたページの上。そこに俺はひっそりと、とあるモノをかぶせていた。
要は、俺は本当はそっちを見ていたってことだ。
「ふひひ。王家の人間じゃあ絶対に目指せない盗賊王への計画書。こいつぁ、おいそれとは他人にゃ見せられやせん」
盗賊王。
もちろん俺が生まれて以来、ずっと属してきたハバラ王室は盗賊稼業とは無縁だ。むしろ盗賊ってドロボーなわけで、王家はそうしたヤクザな人物については見つけた者に通報させ、兵士に取り押さえさせ、地下の牢屋に連行させるという使命さえある。
「ふひひ」
だけど、俺がつい「ふひひ」してしまうのには理由がある。
話は俺が七歳の誕生日を迎えた日にさかのぼるんだ、――。
◇
(15年前)
「よう、少年」
誕生日プレゼントなんてないけど、やたら豪勢なお祝い会が長々とあった日の深夜。
だから、まあ厳密には誕生日の翌日だったんだけど、とにかく、その声が俺に聞こえたんだ。
「誰?」
当時、七歳の俺は声がする方を振り向いた。
父上、母上から与えられたばかりの自室。
今までは王室で両親と寝食を共にしていた、一人息子にして次期国王確定の俺。
1人用にしてはやや広いベッドで、なんだか興奮して眠れなかったわけ俺。
だからその声はもしかしたら気のせいで、俺が1人ぼっちを恐れているからこそ聞こえてしまった幻聴ってヤツなんじゃないかと思ったんだ。
「誰と聞かれて、答える盗賊がいるか?」
声の主は、当時から身長180センチを越える大柄の父上よりは背丈が低いように思われた。
「トウゾ……ク」
「ああ。貴族さまの永遠の敵。ドロボーとも言うっけな」
声は低く、また深夜だからだろうか、ひそひそ声になるように気を付けているみたいだった。
「ど、ドロボーさん?」
俺は「盗賊が現れたら、急いで部屋を出てすぐの所にいるはずの兵士に知らせ、捕まえさせるように」とその日、父上にきつく言われたばかりだった。
でも、まだ子どもだったのもあるし、いざ盗賊を目の前にすると動けなかった。
そして、そんなダメな俺の口からは普段から半分バカにしての呼び方だった「ドロボーさん」がここで実に間抜けたタイミングで出てしまったんだ。
「コイツを頂きに来た」
盗賊の兄さん――名前は言わなかったような気がするけど、たまに聞こえる声の低さや月明かりに照らされた顔つきから盗賊は若い男であるらしかった――は、白宝石のブローチを誇らしげに俺に見せ、笑みを浮かべた。
「そ、それって」
「凄いだろう。ま、辺境の宮殿にしちゃ警備が堅牢で、コイツをかすめるのが精一杯なのは反省点かな」
盗賊は改めて、意図的に月明かりに顔を当てて俺に顔を見せようとした。
端正な顔立ちだった。盗賊にしておくには惜しく、ある程度はこの人こそが王家なのではないかと思ってしまうような、厳しさと強さを備えた表情のような気がした。
「あなたは、誰?」
俺は、さっき聞いても答えてくれなかったのはさておいて、再び盗賊に尋ねた。
「そう、だな。まあ、この際だから教えてやろう。俺は盗賊王にいずれなる男、キビだ」
「キビ……。どうしても、それを盗まないといけないの?」
盗賊キビは俺の質問には答えなかったが、代わりに俺に次のように質問した。
「少年。人生は楽しいか」
「人生は楽しいか、だって?」
「ああ、興味がある。教えてくれ」
「別に、つまらなくはないかな」
俺が正直に答えると、キビはふっと笑い声を漏らした。
「なんで笑うんだよ」
「盗賊だから」
そう答えるか答えないかの内に、キビは姿を消した。
どうやら、二階の窓から飛び降りたようだった。
……
◇
(現在)
えっ。「ふひひ」に至る伏線なんてなかったって?
まあ、な。明らかな経緯なんて、確かにそこにはない。だけど、そうだな。
強いて言うなら、アイツ、――キビとかいう盗賊がなんとなく面白かったんだ。
「王室と盗賊。そのどちらかが俺の道なら、俺は、……本当は盗賊になりたいのかもな。なんて」
俺はそこで、天井に向かって大きく伸びをし、あくびをした。
オフホワイトの天井は宮殿全体に採用されている色合い。だから壁も同じような色だ。床は赤いカーペットが敷かれてるけど、それを取り去るとやっぱり似たような色となる。
「もし盗賊になるなら、父上や母上とは簡単には会えない」
俺は盗賊になる道を、今までに無数の時間を費やして模索してきた。
そうして密かに進めてきた調査によると、俺がいる国――黄積の国、サヴァラ――から国ひとつ越えた先に行くべき場所がある。
国土にすらなっていない荒野に散らばる数多の町のひとつ、グージーグージー。
そこに【シュルダ】という知る人ぞ知る建物がある。
盗賊学校、シュルダ。
「はあ~。俺の背中をもう一押ししてくれる何かがないかな」
俺はため息まじりに呟いた。
俺しか王様になれないのに、祖国を見捨てるなんて結構な恥さらしだ。だけど、盗賊稼業は不思議に俺を惹き付ける。
出来れば家族とか宮殿のみんなには、あまり迷惑を掛けたくはない。けど王家って俺が俺でいられる環境じゃないかもしれないと、たまに思う。
なんとなくだけどな。
「ん?」
ふと、記憶を辿り直す。
すると俺は、ある重要な事実を発見した。
「所詮、ここは二階。高度が大したことはない……?」
部屋に2つある大窓の内、机に近い東側の窓から顔を突き出した。
思ったよりは怖い。死にはしないだろうけど、足の骨とかが折れるかもしれない。
「警備もいる」
そう。盗賊にかつて入られたとはいえ、ここは宮殿。
外には警備係を言い渡されている兵士たちが、軽装ながらもファルシオンという曲がり刀を背中に帯びてゆるりと宮殿周辺を巡回している。
しかも、なかなか隙がない。
なにせ、あの時に盗賊キビが盗んでいった白宝石のブローチは【見星飾り】という名を持つ相当な希少品だったのだ。
よって宮殿はあの日を境に盗賊対策に躍起になり、今まではふらふらしていただけの兵士も鍛え上げられた上に計画的な警備を頭に叩き込まれてきた。
「はあ。やっぱり、試すしかない」
俺は結局、生半可な決心ながらもまだ22歳と若い内にと、羽式布飛行機を折り畳んであるのをベッドの下から取り出した。
「じゃ」
俺は誰にでもなく呟き、滑空としゃれこむことにした。
手荷物は最低限、パンを幾つかと水筒だけで。