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第7話 ワイルドキッチン


 無事に一日目の撮影を終えロッジに帰還した遥たち。

 無地のTシャツにすらりとした長い足のラインを際立たせるパンツに着替え、髪を後ろでひとまとめ。

 川辺で大学生組の池が言っていたバーベキューの手伝いをするために動きやすい服装でドアを開けて調理場へ向かったが――


「ケガするかもしれないから、料理はダメ」


「自分がやりますので休んでいてください」


「明日の撮影に障るかもしれないから却下で」


 大人勢の猛攻を食らってやむなく撃沈。


『ケガなんてしない』

 

『普段から料理は慣れているから』


 どれだけ言い募ってもまるで聞き入れられない。

 遥はこのキャンプ場を訪れたのは仕事のため、グラビア撮影のため。

 万が一にでも怪我をするわけにはいかない。絆創膏を貼ったままでは絵にならない。

 だからこそ、遥はこうして椅子に座って膝を抱えているわけだ。

 残念な気持ちを押し殺すことができず頬を膨らませているのも、自分の我儘にすぎない。そんなことは十分理解している。


――ちょっと楽しみにしてたのに……


 小学校、中学校共に林間学校のようなイベントには縁がなかった。

 よって屋外で調理という初めての体験に興味津々。

 飯盒炊爨、大鍋で仕込むカレー。芋煮。遥の脳内イメージにはいろいろと関係ないモノまで混ざっていた。

 しかし現実は非情であり、遥を除け者にして作業は進んでいく。

 折り畳み式の調理台が3つ。結構なスペースを取っている。用意された食材もかなり多い。


 東桜大学の面々は全部で7人。そのうち料理を担当するのは2人。

 長い黒髪が目を引く七海と、引き締まった身体の矢生。

 先ほど池と共に撮影現場に姿を現した面々である。

 七海は料理に慣れているようで、野菜を洗い次々に包丁を通していく。すっかり機嫌は戻ったようだ。

 彼女に比べると幾分劣って見えるが、矢生の方も特に手元は怪しくない。普段から自炊しているのだろうか。

 ときおり七海が矢生をサポートしているようにも見受けられる。息もぴったり。二人の仲はかなり良さそうに見受けられる。


――妥当な人選って感じ?


 ほかの連中が何をしているのかと見まわしてみる。

 後藤教授は相変わらず椅子に腰かけていたが、本は手元にない。

 彼の周りに座っている派手めのメイクが目を引く女性――美空と、小太りの男性――芦田の二人と何やら議論を交わしている。

 自然と触れ合うというお題目を物の見事にスルーしている。本当に一体何のためにキャンプ場にやってきたのだろう?

 池が匂わせていた『忠誠心を測るためのテスト』というのは案外冗談ではないのかもしれない。

 教授の孫である深月の姿は見当たらない。七海に尋ねてみたところ、体調がイマイチすぐれないので女子組のテントで横になっているとのこと。

 そして池は金属製のテーブルのようなものの上に木の枝を組み上げていた。


 撮影組からはアウトドアに詳しい(らしい)柿本と坂本が参加している。

 柿本はこれまで見たこともないほどに生き生きしていて、その力強い身体を存分に発揮して重い荷物を運んでいる。

 今は男性用ロッジから撮影組が用意した食材を抱えて往復している。

 一方坂本はと言うと、遥が釣ったヤマメを捌いていた。結構様になっている。


「坂本さん、お上手ですね」


 あまり家事をやりそうなタイプには見えなかったのだが。


「ひとり暮らしが長いですから」


 苦笑するT社編集。自炊の癖がついていると自嘲気味である。

 別に恥るようなことでもなかろうに。むしろ料理できるってアピールポイントでは?


「学生の頃から料理は得意だったよな」


 声の方に振り向くと、へらへら笑う池の横で炎が上がっている。

 金属テーブルらしきものの上で。

 

――え?


 ここに来てようやく遥は池が何をやっていたのか理解が及ぶ。

 どうやら彼は焚き火を熾していたらしい。

 ひとりで遊んでいるのかと思っていた。


「ああっ」


 ロッジから持ち出した食材(撮影班準備)を即席キッチンに置いた柿本が、炎を見て非難するような声をあげる。


「水の用意をしてないのに火を熾すなんて……」


「堅いこと言わないでくださいよ」


 筋肉質の巨漢は池をひと睨みし、あらかじめテーブルに置かれていたタンクからバケツに水を汲んで焚き火台の傍に置いた。

 念のための消火用の水。花火をする時と同じようなものか。キャンプに詳しくない遥の推測である。


「いったいどういう教育を受けてきたのやら……」


 池を直接叱りつけても『暖簾に腕押し』『糠に釘』であまり効果がない。

 柿本は本人に聞こえないところでぶつぶつと愚痴をこぼす。

 その声を拾った七海がしきりに頭を下げている姿は、傍から見ていて痛々しい。


「……水を補充してきますね」


 用意されている食材を見回した柿本は、そう言い置いて大きなポリタンクを抱えて水場の方へ走っていった。


「かなちゃん、ちょっと来て」


 ロッジの方から各務原と裕子が呼んでいる。


「どうかしましたか?」


「ああ。明日の撮影について打ち合わせ」


「了解です」


 仕事とあれば仕方がない。椅子から腰を上げてロッジに向かう。

 調理組が頑張っているところを眺めているだけというのも居心地が悪かった。


――仕事に逃げるお父さんか。


 そんな感想が脳裏に浮かび、慌てて頭を振って笑顔を作り直す。

 食事までにもうひと頑張りしておこう。そう心に決める遥だった。



 ★



 打ち合わせは概ね30分程度で終わった。

 今のところ事前に決めておいたスケジュールを順調に消化できている。

 このままいけば明日の午後から明後日には時間が余るかもしれない。


『何か面白そうなネタがあればいいんだけどね』


 各務原はそう笑った。『面白そう』とは具体的にどういう意味かは答えてくれなかった。

 大学組との距離感が難しそうに見えたが、先だっての大場の件でもこのカメラマンはプロとして仕事をしていた。

 あまり気を回し過ぎるとかえって失礼に当たるかもしれない。


「かなたさ~ん」


「お呼びだ」


 ロッジの外から柿本の呼び声が聞こえる。

 おそらくバーベキューの用意ができたのだろう。

 ちょうどいい感じに腹が減ってきている。


「それじゃ、行きましょうか」


「言うまでもないと思うけど、あまり食べ過ぎないようにね」


「わかってますって」


 釘をさしてきた裕子に笑いかける。明日も撮影があるのだ。

 調子に乗って食べ過ぎてお腹がポッコリなんてことになったら台無しである。

 ロッジを出るとサイトの中央に置かれた焚き火台(いつの間にか3つに増えていた)の周りにテーブルが移動しており、大学組と柿本そして坂本が準備万端と言った風に待ち受けている。

 チラリと視界の端に小さな人影。女性陣のテントから教授の孫である深月が姿を現した。

 あまり周りと打ち解けているように見えない彼女も、食事は一緒に摂るらしい。


 みなを待たせないように急いで駆け寄ると、山の涼風のおかげで程よく心地よい。

 鼻腔をくすぐる食欲をそそる香りもたまらない。

 そして焚き火――


「え~、それでは我々東桜大学後藤ゼミ一同と、グラビアアイドルの『空野 かなた』さんの出会いを記念して……まずは教授からひと言お願いします」


 場を取り仕切る池が教授の言葉を求める。

 その間に、みなの手元に飲み物が配られていく。

 未成年である遥と深月、そして芦田は紙コップに注がれたウーロン茶。

 ほかのメンバーは缶ビール。


「そうですね。今日はお疲れ様でした。毎年恒例になっている我がゼミのキャンプに、こうして皆が集まってくれたことを嬉しく思います」


 うんうんと頷く教授。

 表向きは喜ばしい話だろう。ゼミ生の内心は置くとして。


「長い話をする場でもないでしょう。楽しくやりましょう」


 教授の話は想像以上に短かった。

 大学の偉い先生がどのような話をするのか興味があった遥としては肩透かし。

 しかも先んじてスピーチを短く切られると、次に回ってくる自分もあまりペラペラしゃべるわけにもいかない。


「それでは、空野さんお願いします」


「えっと……私はキャンプというのは初めての経験です。山に登って川で遊んで魚を釣って。みなさんのような大学の方々とお話しするのも初めてです」


 そこで一息。


「得難い経験をさせていただいていると思います。感謝の気持ちでいっぱいです。短い間ではありますが、これからもよろしくお願いします」


「それじゃ、みんな飲み物は行き渡ってる? 乾杯の音頭は……空野さん、お願いできるかい?」


「はい。それでは……今日という日の出会いを祝して――乾杯!」


「「「乾杯!」」」


 右手に掴んだ飲み物を掲げ、遥の声とともに乾杯で場が満たされる。

 打ち鳴らされるビール缶の音を少し羨ましく思いながら、ウーロン茶を喉に流し込む遥であった。


「わあ」


 誰かの歓声が耳朶を打つ。

 紙コップを口から離した遥が周囲の様子を窺うと、みんな揃ってキャンプ場の入り口――西を向いている。


「わぁ……」


 遥もまた思わず声を漏らした。

 遠い大地のさらに彼方、稜線に太陽が沈みこむ。

 昼と夜の境目、その瞬間。燃えるような赤から、どこまでも深い黒への変遷。

 お尻のポケットから林檎印の黒革スマホを取り出し、周りの面々と同じくボタンに指を当てた。

 チラリと彼らの手元を見やれば、大学組は矢生の言葉どおり全員林檎印。

 教授は銀色、芦田は黒のプラスチック、美空は黒の革製、そして深月は花柄。チームワーク的なものを感じるし、それぞれに個性が出ていて面白い。

 なお、撮影班は遥以外はまちまちだった。統一感も何もあったものではない。



 ★



「じゃんじゃん焼いていくから、どんどん持って行ってくれ!」


 池の言葉に偽りはなく、焚き火の上に置かれた網には肉やら野菜やら色とりどりの食材が載せられている。

 テーブルに置かれている皿を見る限りでは、十分すぎるほどの分量がある。

 男たちはハイペースに肉を平らげていくが、遥は彼らに倣うことはない。

 肉をひと切れ、あとは野菜を多めに。玉ねぎ、ピーマン、トウモロコシ。

 食べきれたら後のことはそれから考えればいい。


「ん、おいし」


 ごく普通の肉のはずだが、外で食べるとなぜか美味しく感じられる。不思議だ。

 人だかりになっているバーベキューから離れて他の料理を見て回ることにする。


「えっと、このお鍋は何ですか?」


「ダッチオーブンです」


 遥が疑問を口にすると、傍についてきた柿本が答えてくれた。

 聞きたかったのは中身の方なのだが……


「ダッチオーブン?」


 あまり聞き慣れない言葉だった。家にある鍋とどう違うのだろう?


「一見すると普通の鍋のように見えますが、これは蓋の上にも炭火を置いて上下から同時に加熱することができます。『煮る』『焼く』『蒸す』と色々デキる便利さが楽しい」


「ほう」


「鍋自体に厚みがありますから均一にじっくりと日を通すことができるだけでなく、食材から出た水分を利用して圧力鍋のような使い方もあります」


「……楽しそうですね」


「ええ、キャンプにはダッチオーブン。これが……」


「いえ、柿本さんが楽しそう」


 遥の指摘に沈黙する柿本。顔に射した赤みは手に持つビールのせいだけではなさそうだ。

 そんな柿本はさておき、火傷しないように蓋を開けると――


「えび、いか、あさり? これはパエリア?」


 色鮮やかな魚介と野菜。鼻をくすぐるサフランとオリーブの香り。


「食べられますか?」


 いつの間にか傍にいた七海に頷く。

『少な目でお願いします』と付け加えることも忘れない。

 レモン汁を一振り、『脂肪少な目でヘルシーですよ』と返ってくる。

 口に運ぶとギュッと詰め込まれていた魚介の旨味が広がっていく。今まで遥が経験したことのない味わいだ。


「美味しいです。これ、家でも作れるんでしょうか?」


「大丈夫だと思いますよ。よかったら後でレシピをお渡ししますね」


「ありがとうございます!」


「ちょっと、これエビが入ってるじゃない!?」


 声を荒げたのは美空。


「美空さん、どうしたんですか?」


「私、エビはダメなの!」


――美空さんはエビが嫌い。珍しいな。


「アレルギーなのよ。なんでエビなのよ、もう……」


 頬を膨らませる美空。


――アレルギーは仕方ないよね……でも……


 何だろう、違和感がある。

 うまく言葉にできない。決して口の中にパエリアが詰まっているからではない。


「まったく、矢生の奴ほんっとうに気が利かない……」


「矢生さん?」


 米を飲み込んだ遥が問うと、


「そう、矢生よ」


 美空はえらい剣幕である。

 ほかの面子に比べると、遥に対して非常にフラット。


「そちらの幹事は池さんだと思ってたんですが……」


「はぁ、ま、確かに幹事は池さんだけど。あのボンボンがそんなことするわけないじゃない」


 見ればわかるでしょ?

 そう続けた美空の視線を追うと、ビール片手に肉を頬張る池がいた。小太りの男――芦田も一緒にひたすら肉、肉、肉。

 その傍でドンドン肉を焼く矢生。食材が焦げないように必死に手を動かしている。

 美空の言うとおり、池は周囲に気を使ったり裏方に回る人間には見えない。


「矢生君も大変よね。美味しいところは全部池さんに持って行かれて」


「……」


 何とも答えようがない。

 礼を言って二人から距離をとると、次に目に入ってきたのは鉄板。

 正確にはその上で耳が美味しくなる音を立てている――またもや肉。

 しかしこれが――


「大きい……」


 思わず口から零れ出た声は、自分のものとは思えない呆けたような響き。

 涎も出そうになったが、済んでのところで正気に返る。女子力ギリギリだった。

 鉄板の上でジュージューと焼き上がっている肉、これが大きい。デカすぎる。ブロックだった。


「あんなの、絶対中まで火が通らないと思うんですけど」


「よく見ててごらん」


 今度は各務原が接近してくる。

 手に握られているビールをきこしめているらしく、顔は真っ赤で機嫌もよさそう。

 肉の方に目をやると、先ほどまで傍に居た柿本が大きなナイフで端から順番に切り分けていく。


「ああやって、食べる分を薄く切って焼くんだ」


「……豪快ですね」


「面白いだろ?」


「ええ」


 何もかもが初めての体験。

 見るもの聞くものすべてが興味深い。

 来てよかった。遥は心から感謝した。

 誘ってくれた坂本、ついて来てくれた柿本、各務原、そして裕子たちに。

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