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第6話 後藤ゼミの事情


 ある程度撮影が進んだところで、いったん休憩と相成った。

 薄いシーツをカーテン状に掛けた即席の着替えブースで遥は水着を変更する。

 次の水着は赤の三角ビキニ。裕子が用意してくれたそれは心なしかサイズが小さい。

 肌を大体に露出させるのは今に始まったことではないので、臆することもないのだが。男性誌、特に青年誌ではよくあること。

 着替え終わった遥がカーテンに手をかけたところ、薄い布地の向こうが騒がしくなっている。


――ん?


 すわ何事かと様子を窺ってみると、テント設営を終えたらしい大学生組の何人かがそこにいた。

 知り合いらしい坂本と何やら言い争っている。


「あのね池君、今は仕事中だから」


「堅いこと言うなよ。ちょっとぐらいいいだろう?」


 気弱そうな坂本の声に覆いかぶせてくるような池の声。

 大柄な池の傍には引き締まった体型の男――矢生と、お嬢様然とした七海がついている。

 柿本他2人は我関せずといった風情で(無視はできていない)、坂本は3人の大学生相手に苦戦している。

 

「どうかされたんですか?」


 カーテンを引いて声をかけると、坂本と揉めていた池が遥の姿を見て調子っぱずれの口笛を吹く。

 矢生は驚いたように目を見開いたが、すぐに池と同じように好色な視線を向けてくる。

 唯一の女性である七海は頬を赤らめ、あからさまに顔を逸らしている。


「いや、せっかく友達が近くで働いてるもんだから、社会勉強させてもらおうと思ってさ」


 池曰く坂本は『友達』とのこと。

 坂本の方を見やると、そこに浮かぶは苦々しげな表情。

 とてもではないが遥の知る『友達』のする顔ではない。

 えらく一方的な『友情』のようだ。

 

「坂本の奴、大学の時も要領悪かったからさ。ちゃんと仕事で来てるのか心配で心配で」


 ナチュラルに『友達』を下げる口ぶりに眉を顰める。

 親のしつけが悪いのか教授の薫陶が行き届いていないのか、見ているだけで呆れてくる。


「君ら、いい加減に……」


 こめかみのあたりをピクピクさせている各務原。


「まぁ、少しだけなら別に構いませんよ」


 このまま池の好きにさせておくと、各務原と坂本の間に決定的な亀裂が走りかねない。

 各務原にとっては坂本、ひいてはT社との関係が破たんしようとも大した問題ではないのかもしれないが、遥にとっては大問題だ。

 できる限り出版社とは揉めずに友好な関係を維持したい。慌てて場を仲裁するために折衷案を提示する。

 少なくとも2泊3日の間は近くで宿泊する中でもあるから、無意味な揉め事は避けたいところだ。


「かなちゃん、ちょっと」


「撮影の邪魔はしない。それだけは約束してください」


 各務原に視線だけで謝ると、『仕方がない』と言わんばかりに肩をすくめられた。

 厚意に付け込んだ形になることは申し訳なく思う。あとで何らかの埋めあわせは必要になるだろう。

 グラビアアイドルを続ける以上、各務原との関係も悪化させるわけにはいかないのだから。

 そんな撮影側の内情をまったく気にした風でもないのが大学組。


「大丈夫大丈夫。俺、空気読めるから」


 池の根拠のない言葉には中身が詰まっているようには聞こえない。

 本当に空気が読めるなら、そもそも撮影現場に足を踏み入れるような真似はすまい。

 多分必死で周りが合わせているのだろう。

 顔を青ざめさせた坂本を見る限りでは、そうとしか思えない。

 他のゼミ生や教授はどう考えているのだろう?

 今まで少なくない『大人』と共に仕事をこなしてきた遥にとって、池はただ身体が大きいだけの子どもにしか見えなかった。



 ★



 闖入者の存在は想定外だったものの撮影は続く。

 もともと誰かに見られることでテンションを上げていく遥にとって、観客が増えた方がやりやすいというのは皮肉な話だ。

 不躾な男たちの視線が遥の豊満な胸や腰回りを這いまわる様に、いっそ愉悦すら覚えるほど。

 ただ――


「撮影はご遠慮ください」


 池が調子に乗って構えたスマートフォンを柿本が掴み上げる。

 趣味の悪い金色のカバーが目立つ林檎印のスマートフォン。最新機種のようだ。カメラの形が特徴的なので見ればわかる。

 遥も同じ林檎印を使っているが、型落ち品である。ちょっとうらやましい。


「おい!」


 柿本に食って掛かった池は、しかし逆ににらみ返されて腰が引けてしまっている。

 

「約束を守っていただけなければ、しかるべき措置を検討させていただきます」


『しかるべき措置』というあいまいな文言にはどのような意味が秘められているのだろうか。

 彼らの指導者である後藤教授へのクレームか、あるいは大学か。

 柿本に限って、まさか物理的な手段はとらないと思われるが、そんなことを池が理解できるはずもない。


「チッ。もう撮らねーから、さっさと返せよ」


 舌打ちする池に渋々ながらスマホが返却される。


「せっかくだから、七海ちゃんも撮ってもらったら?」


 今度は矢生だ。邪魔しないという約束はどこに行ったのだろう。

 七海は迷惑そうにしているが、内心まんざらでもない様子。

 しかし――


「なんで?」


 各務原は逆に問う。

 心の底から理解できないという風に。


「いや、七海ちゃん、今年のミスキャンパス候補なんですよ。何なら芸能界デビューも」


「だったら君が撮ってあげればいい」


 カリスマカメラマンの淡々とした言葉に、矢生も七海も顔を引きつらせる。

 その声には『撮る価値なし』という各務原の意思を察してしまったから。無関心の残酷さが彼らの、特に七海のハートを直撃する。

 矢生の提案は七海の気を引くためのものだったようだが、ものの見事に空転してしまっている。

 七海の方はというと顔面蒼白。見た感じお嬢様っぽいから、他人に邪険にされる経験がなかったのかもしれない。

 取り付く島なしと判断したらしい矢生は自分のスマホを七海に向けたが、当の七海はあらぬ方向にスマホを向けて風景写真を撮っていた。『各務原なんて興味ありません』と全身で物語っている。

 どちらも林檎印の最新機種。矢生は緑色、七海はピンクのカバー。彼らのゼミでは林檎印が流行っているのだろうか?


「かなちゃん、集中!」


「はい!」


 盛り上がってきた気持ちを切らさないように、再び気合を入れなおす遥だった。



 ★

 


「みなさん、林檎印のスマホなんですね」


 休憩になったので矢生に聞いてみた。

 水着のまま距離を詰めると、相好を崩した男はすぐに食いついてくる。

 肩のあたりまで伸ばされた髪をかき上げた矢生は苦笑。

 しかし上半身が裸であった。何かスポーツでもしているのか、その身体はかなり引き締まっている。

 なお、服を着ていないのは川に入って遊んでいた際にずぶ濡れになったせい。大学生とは。

 ……森の中でビキニを着ている遥がどうこう言えた筋でもないが。


「ウチの教授が林檎押しでね。みんなも併せてるって感じ。忖度って奴かな」


 突き刺さる視線をものともせず、遥の問いにあっさりと答えてくる。

 なお、教授は毎年最新機種に乗り換えており、ゼミ生もそれに合わせているという。

 学生の身分にとっては結構な出費に思えるが……


「些細なことでも教授の機嫌を損ねるのは怖いもんさ」


「そう言うものですか……」


 大学というものに対して抱いていたイメージと現実のギャップに言葉が続かない。

 この話題にはこれ以上踏み込まない方がよさそうだ。お互いのためにも。


「大学のゼミでキャンプって、よくあることなんですか?」


 と言うわけで、話を変える。遥は今年高校一年生になったばかり。大学については詳しくない。

 しかしいずれは進路を定めなくてはならないわけで、情報は集めておくに越したことはない。

 自分の水着姿を披露するだけではいささか不公平と感じられるものだから、せっかくなので現役の大学生に話を聞いておくのも悪くはない。


「う~ん、どうでしょう?」


 一番年下に見える七海は首をかしげている。

 各務原の言葉に気を悪くしていたようだが、今見た限りでは引きずってはいないようだ。


「何年か前までは、毎年海に行ってたんだけどなぁ」


 夏だからね。

 近づいてきた池が爽やかに笑う。こちらも上半身裸である。日に焼けた肌が大胆に露出している。

 彼もまた先ほどまで矢生と川に飛び込んで水遊びをしていた。七海も誘われていたが、さすがに断っていた。

『水も滴るいい男』と言いたいところではあるが、いくら夏だからといって開放的過ぎるのではなかろうか。

 しかもその眼は大胆に露出された遥の胸に釘付け。色々と台無しである。


「と言うことは坂本さんも?」


「ええ、まぁ……」


 坂本の顔色は冴えない。

 何やら隠し事をしているように見受けられる。


「……何かあったんですか?」


「そ、それは……その……」


 言い淀む坂本をよそに、


「ちょっとトラブルがあってさ。人死にが出たんだ」


「え!?」


 池の言葉は衝撃的なものだった。

 人が死んだというのだ。

 大問題だと思うのだが、池の口調はあっさりしている。


「別に誰が悪いって話じゃない。あえて言うなら運が悪かったってだけ」


 それでも大学内外からの批判は厳しかった。

 ただ、後藤教授は毎年夏季休暇になるたびに自然に触れ合うことを趣味としていたので、事件の後は海の代わりに山に行くことになったとのこと。


「そんなことがあったのに、止めるという話にはならないんですね……」


「ま、それはそうなんだけど……今回に限って言えば、教授にも事情があるんだ」


「と言うと?」


 ちょっとあざとめに表情を作って遥が尋ねてみると、気を良くした池は容易に口を滑らせる。チョロい。


「教授と懇意にしているアメリカの大学に有望な若手を留学させるって話が持ち上がっていてね」


「はぁ」


 いきなり話題が明後日の方向に飛んだ。

 キャンプと留学に何の関係があるのだろう。

 ツッコミを堪えつつ話を促す。


「ゼミ生だってみんながみんな暇なわけじゃない。せっかくの夏季休暇に教授に着いて田舎に行こうなんて考えるのは心証を良くしたい連中ばかりさ」


 つまりこのキャンプは教授にとって生徒の忠誠心を計るためのテストのようなものということか。

 にわかにキナ臭い展開になってきて、遥は内心の感情を見せないよう顔の筋肉に力を入れた。


「後藤教授は『有望な若手』を探しているんですよね?」


 教授のご機嫌伺いをしたところで、あまり意味はないのでは?

 ごくシンプルな疑問である。


「教授だって人間だからね。感情を完全に排することはできないって」


「それは、そうかもしれませんけど……」


 思い当たることはなくもない。

 遥は小説家として、あるいはグラビアアイドルとして活動する中で、様々な同業者を見てきている。

 その中には時代の寵児ともてはやされる者が存在するが、彼らの全てが純粋に能力だけで時流を形成しているわけではないことを実体験として理解している。

 小説家としてマイナーだった少女が、肌を晒して名前を売った例もある。

 ただ……学問の世界にあっては、そういう生臭い問題とは無縁であってほしいと願っていた。現実は非情であった。

 

「ま、他の連中はご苦労なこったけど」


 池の口調はどこまでも他人事だ。


「それは、どうしてですか?」


「だって、教授に選ばれるのは俺だって決まっているからさ」


 自信満々に言い切る池。

 そんな池を苦々しげに見つめる矢生。

 感情を見せない七海。

 そして大学を離れた坂本。

 四者それぞれに複雑な思いがあるように感じられた。



 ★



『仕事が終わったら一緒にバーベキューしようよ』


 そう言い置いて立ち去った大学生組。

 人影が減ってあからさまに場の空気が落ち着いたものになる。

 先ほどまでは(主に各務原が)ピリピリしていたおかげで大変だった。ほぼ無言だが圧が凄かった。

 その分ある種の緊張感が溢れる写真が撮れたようにも思えたが。

 各務原のプレッシャーに大学生たちは全く気付いていなかった。あれは社会に出たら苦労するだろうなと言わざるを得ない。まさしく空気読めてない。


 再び即席カーテンに隠れて水着を変える。今度は青。

 着替え終わって本日最後の撮影(予定)に入る前に、気になっていたことを尋ねる。


「ちょっといいですか、坂本さん?」


「え? 何でしょう?」


 ターゲットは坂本。

 池たちが立ち去った方を向いたままぼーっと突っ立っているところに声をかける。


「さっき池さんがおっしゃっていた、何年か前の海での事故って、どんな感じだったんですか?」


「どうって言われましても……う~ん」


 突然話を振られて戸惑いを隠せない坂本。


「その……何でそんなことをいきなり?」


「いえ、すみません。これでも一応小説家なもので、何かの参考になればと思いまして」


『小説家』と言うだけで首を突っ込む理由になる。

 人死にを話のネタにするのは不謹慎に思われるかもしれないというリスクはあるが。

 推理作家ならそれほどおかしな話でもなかろう。作中で頻繁に人を殺す仕事である。


「あまり思い出したくない話なんですが」


 気が乗らない風ではあったが、池たちのせいで現場の雰囲気を悪化させてしまったという自覚があるのだろう。

 やむなしと言わんばかりに少しずつ口を開く。


「3年くらい前の話です。教授のお供をしてクルーザーに乗っていたゼミ生のひとりが海に投げ出されまして」


「それは……普通に救助すればよかったのでは?」


「天候が急に悪くなったんです」


 海に不慣れなゼミ一同はとても手を出すことはできず。そして救助隊も船を出せず。

 結局海に落ちた哀れな生徒は、そのまま誰にも助けられず溺死した。


「そう言えば、そんなニュースを見た覚えがあるわね」


 裕子が話に入ってくる。

 東桜大学は一時この事件のせいで、管理不行き届きを問題視されたという。

 3年前と言うことは遥はまだ12歳。あまりテレビを見る方ではなかったので記憶にない。


「それはただの事故だったと?」


「池が言っていたように、特におかしな点はなかったと記憶しています」


 ただ運がなかったのだと坂本は続けた。

 クルージングに出るまでは好天だったし、天気予報でも何も言っていなかったとのこと。


「でも、海がダメなら山ってのも安易な話だ」


 各務原の意見はもっともなもの。


「ですね。山だって油断していたら大変なことになりますよ」


 どうやらいろいろ経験しているらしい柿本も、深刻な表情で語る。


「それでも止めるってことにはならないんですね」


「ええ。教授の意思と言うのは割と絶対的なモノですから」


 時代錯誤かも知れない。

 そう思っていても逆らうことなどできない。

 教授とのかかわりは、自分の将来を左右することもあるという。

 まったくもって身につまされる話であった。面白くとも何ともない。


「池さんが留学するという話は?」


「初めて聞きました。ちょっと意外な気がしますけど、池ならあるいは……」


 急に話題を転換すると、坂本はそのままサラリと口を滑らせた。


「優秀な方なんですか?」


 人は見かけによらないという。

 チャラ――軽薄に見えても、研究者としてはできる人間ということもありうる。


「いえ……アイツの実家が大きな会社で、教授にかなり研究費用を融通してるんです」


「結局は金とコネか。世知辛いねぇ」


 夢も希望もない話であった。

 溜め息が出てくる。

 一応大学に進学するつもりの遥だったが、これはいったいどうしたものかと考えこみたくなってしまった。


「ま、あちらさんの話は置いといて、そろそろ始めるよ」


「はい」


 将来のことはさておき、今は目の前の仕事をひとつひとつこなしていく。気を取り直して笑顔を作る。

 時間は有限で、撮れ高は多いに越したことはない。一日目のラストに向けて気合を入れなおす。

 夏の日はまだ高く空は明るいけれど、誘われたバーベキューのことを鑑みればあまり余裕はなさそうであった。


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