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第4話 東桜大学後藤ゼミ


 機材を抱えて駐車場から戻ってきた柿本と坂本。遠目に見てもわかるくらいに汗だくである。

 二人の後ろには、キャンプ場の管理人である岩崎のほかにも大勢の人影が続いていた。

 後続のうち先頭を歩くのは岩崎と同年代の痩身の男性。

 髪は白髪で、アウトドア用の衣服に纏われているような印象を受ける。基本的にインドア派なのだろうか。

 その男の後に続く20代前後と思われる男性が3人、女性が3人。女性のうちひとりは遥とほぼ同年代に見える。


――誰?


 無言で目を横にやると、同じく疑問を浮かべている各務原と視線が合い、互いに首をひねる。

 どうやらこちらの事情とはかかわりない一行のようだ。

 

「かなたちゃん、これ」


 背後から裕子が遥に上着をかける。

 今の遥は露出の多い水着にサンダル履きの撮影仕様。見ず知らずの若い男たちの視線が自然と集中してしまっている。

 別にその程度で怯む遥ではないが、裕子の厚意は受け取っておく。

 そうこうしている内に近づいてきた坂本に各務原が問う。


「ここ、貸し切りじゃなかったの?」


 憮然とした声だ。


「ええ、まぁ……」


 坂本の返事は煮え切らない。

 対する各務原の機嫌は悪くなる一方で、


「どうした、栄一?」


 そんな坂本に声をかけたのは、一行の若い男性の中では最も年上と思われる男。

 背は高くサラサラの髪は色の抜けた軽い茶色。垢抜けた顔立ちに白い歯が光る。

 全身くまなく日に焼けており、何となく場違い感がある。

 街か……あるいは、この季節なら海が似合いそうな雰囲気を持っている。


「坂本さん、お知り合いですか?」


 下の名前である『栄一』と呼ばれたという所から察するに、坂本は後からやってきた連中と顔見知りらしい。


「え、ええ。こちら、僕の大学時代の恩師とその教え子たちでして……」


「あら」


 年長と思われる男性が坂本の『恩師』だろう。

 ほかのメンバーは、同年代か年下であるから、自然とそういうことになる。

 こんなところで出会うなんて偶然……なのだろうか。


「こちら、東桜(とうおう)大学理工学部の後藤教授です」


「後藤と言います。坂本君のお知り合いですかな?」


 紹介された男――後藤教授――が問うてくる。

 近くで見れば好々爺と言った雰囲気だが、小粒の瞳の奥には鋭い光が宿っている。

 教授と呼ばれるだけあって、なかなか油断ならない御仁らしい。

 遥たちと坂本は知り合いと言えば知り合いだが、それほど深い仲でもない。

 グラビアアイドルと雑誌の編集。カメラマンと撮影スタッフ。

 さてどう答えたものかと判断に迷う遥だったが、


「ええ、坂本さんにはお世話になっています」


 裕子が率先して頭を下げる。出会ったばかりだが、彼女は揉め事を好むタイプではないようだ。

 マイペースを貫く各務原はさておいて、お互いに自己紹介することとなった。

 グラビアの撮影班と大学生。別にライバルと言うわけでもないので角を突き合せるようなこともなかろう。

 遥はそう結論付けた。


 

 ★



 後からやってきた一同は、関東の有名私立である東桜大学の理工学部『後藤ゼミ』に所属している面々だった。

 遥はまだ高校1年生なので、さほど強く進路を意識しているわけでもないが、東桜大学と言えば国内の私大の中でもトップクラスの学力を誇ることで名前くらいは聞き知っている。

 進学組の目標とする大学のひとつである。順当に大学進学を考えるなら、いずれ遥も受験することになるかもしれない。


 白髪の老人が教授の『後藤ごとう 勝正かつまさ


 坂本に声をかけてきた茶髪に焼けた肌の男が『いけ 純一郎じゅんいちろう


 後の二人の男性のうち、引き締まった体型の長髪が『矢生やぶ 庄司しょうじ


 小太りの眼鏡が『芦田あしだ 良助りょうすけ


 派手なメイクの美人が『美空みそら 美鈴みすず


 清楚なお嬢様然とした黒髪の『七海ななみ 響子きょうこ


 そしてボブカットの少女が『後藤ごとう 深月みつき


 深月は後藤教授の孫で中学3年生とのこと。


 

 対して遥たちが自己紹介をすると、『空野 かなた』と『各務原 洋司』の二つの名前に聞き覚えがあるものが数名。


「え、『空野 かなた』って、あのグラビアアイドルの?」


 芦田が興奮したように声をあげれば、


「へぇ~、グラドルか。可愛いしスタイル抜群だね」


 池が遥を見つめつつ相好を崩す。頭のてっぺんから足の先まで舐めるように目が蠢いている。

 向けられた視線はすっかり慣れてしまった種類のものではあるが、遥は裕子から借りた上着の前をそっと閉じた。


「『各務原 洋司』さんってことは、ここで撮影っすか?」


 矢生は各務原の名前に反応した……と言うか、『空野 かなた』を知らなかったと見える。

 それでもやはり池同様、チラリチラリと遥の肌に目を向けている。

 にわかに色めき立つ若い衆は、しかし一行のリーダーである後藤教授の咳払いで居住まいを正す。


「我々はここで2泊3日の間、自然と触れ合い仲間の絆を深めるためにやってきました。どうかよろしくお願いします」


「こちらこそ、いろいろ騒がしくしてしまうと思いますが……迷惑にならないよう気を付けます。よろしくお願いします」


 後藤教授と遥が互いに握手を交わす。

 遥たち撮影組はロッジに泊まり、後藤ゼミの一行は広場にテントを張ってキャンプをすることになる。

 学生たちがそれぞれ荷物を置いてテントを張る様子を眺めながら、しきりに汗を拭く坂本に説明を求めると……


「その、撮影の許可は頂いていたのですが、うちの予算では貸し切りというわけにはいきませんで、はい……」


 申し訳ありません。そう言って頭を下げてくる。

 ただでさえ薄い存在感が、もはや消滅寸前。『穴があったら入りたい』と言った心境だろうか。

 ほかの客がいるのは仕方がないにしても、自分の知り合いと偶々かち合うなんて想像もしなかっただろう。


「……」


「そうは言っても、これは調子が狂っちゃうわね」


 無言で機嫌の悪さを隠そうともしない各務原と、軽くため息をつく裕子。

 裕子にしても突然の遭遇を歓迎してはいないようだ。


「坂本さん、このことは事前には……」


「いえいえ、とんでもない。完全に偶然です!」


 念のために発した遥の問いに、慌てて弁解する坂本の様子を見るに嘘ではないらしい。

 T社の財政事情を鑑みれば予測できたことではあるし、編集者のひとりに過ぎない坂本に不満をぶつけても始まらない。

 そもそもの話だが、遥は人に見られるのが嫌いではない。むしろ仕事の関係で注目を集めるのは望むところという姿勢で挑んでいる。

 観客が増えた方がテンションが上がるかもしれないと思えば、別に悪い話でもなさそうだ。あちらの事情は知らない。


「とりあえず、ちょっと休憩してから撮影に入りましょうか」


「かなちゃんがそれでいいなら、僕が言うことは別にないかな」


 大きく息を吐き出してようやく口を開く各務原を見て一同はホッと胸をなでおろした。

 撮影班のトップは遥ではなく業界一のカメラマンである各務原だ。

 ……坂本にしてみれば、遥と各務原のどちらか一方の機嫌を損ねるだけでも大失態なのだが。

 ここは坂本――ひいてはT社に貸しひとつ。いやふたつか? コツコツとした積み上げが次の仕事に繋がるのである。

 なお、撮影班最後のメンバーにして遥の唯一の上司である柿本は――


「どうかした、柿本さん?」


「……いえ、注意しておくに越したことはないかと」


「そうね」


「うん」


 柿本に答えたのは裕子と各務原。

 彼らの間に瞬時に形成されたコンセンサスを理解できないまま、とりあえず頷く遥だった。

 チームの結束が固まるのは大歓迎。



 ★



「おふたりとも、お疲れ様です」


 大学生組との合流でペースを乱された大人たちをよそに、一度ロッジに戻って冷蔵庫からミネラルウォーターを持ってきた遥は、機材を運んできた二人に一本ずつペットボトルを渡す。


「ありがとうございます」


「どうも、すみません」


 透明なペットボトルを受け取った二人は、顔に浮かんだ汗を拭いつつ、蓋を開けて水を喉に流し込む。


「ふぅ」


「各務原さんも、どうぞ」


 気難しいカメラマンには裕子がボトルを渡している。

 残った一本の蓋を開け、遥も中の水を一口。

 車から持ち込んで冷蔵庫に放り込んだばかりだったので、残念ながらあまり冷えていない。

 それでも午前中とはいえ既に夏休み目前の時期だけあって、暑い。東京に比べれば温度は低いはずなのだが。

 身体が水分を欲しているようで、染み渡るように美味い。熱射病の危険性を鑑みれば、こまめな水分補給は重要だ。


 ペットボトルを口から離し、チラリと広場に目を向ければ、そこにはキャンプの用意をする東桜大学の面々。

 さっさと自分のテントを張り終えたのは池という男。軽薄そうな風体とは裏腹にアウトドア慣れしている模様。

 テントの準備に手間取る他の男を尻目に、女子のテントの設営に向かっている。実に欲望に忠実なアクションである。

 見たところ、男はそれぞれ個別にテントを張り、女子は大きめのサイズのテントを三人で使うようだ。

 男の片割れ――引き締まった体型は矢生と言ったか。彼のテントは随分ボロ……年季が入っている。何度も修繕されているようで遠目に見てもツギハギが目立つ。

 アウトドアに慣れているかと思いきや、テントひとつ立てるのにえらく苦労しているのは意外な感じがする。思いっきりインドア派(と言うかオタクっぽい)の芦田の方がまだマシっぽい。

 しかも矢生は芝生が剥げて地肌が見える場所にテントを設置している。あたり一帯は何度も掘り返されているように見えるが、位置取りはあれで正しいのだろうか。あまりいい場所には思えないけれど。

 ……いずれにせよ、初めてのキャンプでロッジ泊の遥が言えた筋ではない。別にキャンプに詳しいわけでもない。

 なお、池はしばしば撮影組――と言うか遥に視線を投げてくる。これに対して遥自身は特に反応はしない。

 あちらの女子組の機嫌はあからさまに悪くなっているようだが……まぁ、気にすることでもない。仲間内での揉め事がこっちに飛び火しなければよいのだ。


「そう言えば、坂本さんって理工学部だったんですか?」


『理工学部』が具体的にどのような講義を行っているかは知らないが、名前を聞く限り理系ではあるようだ。

 出版社の編集というと文系のイメージがあっただけに、少し引っかかりを覚えた。

 文系・理系。遥はまだ高校1年生だが、すでに進路を定めて動き出している意識の高い生徒もいる。

 小説家として、グラビアアイドルとしての仕事に専念するのか、それとも進学するのか。

 遥もそれほど遠くないうちに決めなければならない。年の近い大人の意見は参考になる。

 ……とは言っても、自分が理系に進む未来は想像がつかない遥だった。

 だから、この問いにはあまり意味はない。何となく振ってみただけだ。


「ええ、まあ」


 坂本の反応は薄い。あまり触れてほしくない話題なのだろうか。

 別にどうしても聞きたかったわけでもないので、それ以上の追及は行わない。

 広場の方では女子組のテントが完成し、池は教授の方に歩み寄っている。

 後藤教授と孫娘の深月はというと、さっさと組み立て式のロッキングチェアに腰を下ろし読書を始めている。

 テントは最初から生徒にお任せと言ったところか。さすがは教授。

 それにしても――


「屋外で読書って……」


 わざわざキャンプに来てすることなのだろうか?

 本は部屋で静かに読むものと言うのが遥のスタイル。

 首をかしげる15歳の少女に対し、


「いえ、普通にやりますよ。キャンプで読書」


 横合いから柿本がそう教えてくれた。

 紙の本はかさばるから、スマートフォンやタブレットにダウンロードした電子書籍の方が扱いやすいとのこと。

 打ち合わせの時といい、この巨漢はアウトドアに造詣があるらしい。

 年から年中、道場で空手三昧の青春を送ってきたのかと思っていたがどうも異なるようだ。

 遥の想像は結構失礼なものだった。自覚があるから口には出さない。


「そうなんですか。私も何か本を持ってきたらよかったかも」


「かなちゃんは書く方じゃなくって?」


「原稿はもう挙げましたので」


 各務原の軽いジョークに笑顔で返す。

 キャンプが楽しみで、直近の仕事は早めに終わらせておいたのだ。K社の編集氏が驚いていた。

 普段は小説の執筆に頭を悩ませていることが多いので、たまにはゆっくり休むのもいいだろう。

 無論グラビアの撮影には全力を尽くすし、初めて訪れるキャンプ場で面白そうなネタが見つかれば言うことはない。

 なるたけ顔には出さないようにしているものの、こういったところは年相応の稚気を感じさせる少女である。


「う~ん、いきなり森の中に入るのはアレだしなぁ」


 あたりを見回していた各務原が唸っている。

 口には出さなかったが、遥も同感であった。

 できれば最初は普通の場所で撮影をはじめ、テンションを上げていきたい。

 しかし広場はすでに占拠されている。あのど真ん中でポーズを決めるのは空気が読めてなさすぎる。


「とりあえず川の方に行ってみよう」


 まだバタバタしている大学組の近くでは撮影するにしても落ち着かない。

 お互いにとってあまりいい展開にはならなさそうであることは、容易に想像できた。

 場所を変えるのは妥当な判断に思えた。


「川ですか。了解しました」


 キャンプ場の北に渓流があると管理人の岩崎が言っていた。

 都会っ子の遥にとって『川』というとコンクリートで固められた護岸のイメージが強い。

 自身の目で確かめたわけではないが、恐らくテレビの中でしか見たことのないような光景が広がっているのだろう。

 ゴロゴロと岩が転がり、その隙間を透明な水が流れて小さな魚影が軽やかに泳ぐ。そんな感じではなかろうか。

 少なくとも『山と水着』の組み合わせよりは『川と水着』の方が親和性が高そうに思える。むしろ結構映えるのでは、という期待感が持てる。


――せっかくだから、写真撮って希に送ってあげよう。


 姉のキャンプ行に対して最後まで妬ましげな視線を送ってきた弟にプレゼントだ。

 蒸し暑い東京のグラウンドで泥にまみれている弟は、姉から送られてきた写真を見てどう思うだろう。


――悔しがるだろうな~


 地団太踏む弟の姿を思い浮かべて忍び笑い。

 たったひとりの弟に対してだけは、ちょっと暴君ぶる遥であった。

 鼻歌交じりに空想を弄ぶ姿が微妙な眼差しを集めていることに気付かないところが、残念美少女などと呼ばれる由縁である。

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