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第23話 高遠遥はかく語りき その2


『証拠はある。犯人はミスを犯している』


 遥が投げつけた爆弾発言。

 ここまでは根拠のない(にしてはやけにリアリティがある)妄想を垂れ流してきた遥のこの一言である。

 場はにわかに騒然としてきた。そして無言で少女を睨み付ける男、矢生。


「証拠? 犯人のミスとはなんだ?」


 場が治まるのを待って遥は口を開く。


「美空さんの遺体を見たときに違和感があったんです」


「違和感」


「ええ……その前に言っておかなければならないことがあります」


「……何かね。きっとロクでもないことなのだろうが」


 遥に対する教授の信頼度は低い。

 深月の件を差し引いても、何の証拠もなく教え子を疑ってきた遥に好意を抱けない様子。


「今回の事件の動機です」


「動機……だと……」


「ええ、あくまで推測ですが……」


 ここで遥は一度言葉を切った。

 視線が向かう先はずっと固定されたまま――告発ターゲットの矢生ではなく後藤教授だった。


「どうかしたかね?」


「これから私が申しあげることは、きっと教授にとって大変不快なことだと思われます」


「何の証拠もなく教え子を疑われて既に十分不快だ」

 

 さっさと言え。

 口にはせずとも教授の態度が雄弁に語っている。

 祖父の傍に座っている深月が不安げな視線を遥に向けてくるが……


「では申し上げます。今回の動機は恐らく教授が推薦されるという留学の件と私は考えています」


「なに……」


 この発言に教授は当惑。

 まあ無理もないか、と遥も思っている。

 ふたりの人間を殺害する理由としては、あまりにショボイ。


「3年前の海難事故の被害者、その関係者による復讐の線も考えましたが……これは薄い」


 後藤ゼミに関しては『留学』『海難事故』以外の話は出てこなかった。

 このふたつと関係がないのなら、遥にとっては窺い知れない動機があることになってしまうが……どのみち小説家『空野 彼方』はあまり動機を重視しない。

 状況からの推測と証拠。それだけ揃えばミステリとしては十分なのだ。

 たった2日や3日行動を共にしただけの大学組の心中までは測りようがない。


「なぜそう思う?」


「海難事故の関係者が復讐するとなるとターゲットは池さん、坂本さん、そして後藤教授とそのお孫さんである深月ちゃんあたりになるはずです。少なくとも美空さんは関係ありません」


「道理だな。しかし否定はできまい」


 深月の肩を抱き寄せながら教授が問い詰めてくる。

 孫に脅威が迫っている可能性を考慮していなかったようだ。


「いいえ。否定できます」


「訳を聞こうか」


「もし犯人がすでに述べた4人を狙うなら、自分以外が全員眠っていた初日に皆殺しにすれば済む話です。関係者を恐怖で震え上がらせる狙いとも考えられなくはないですが、池さんの死体が発見されれば現場に警察が介入してきます。そうなると復讐の難易度が跳ね上がってしまいますから、これでは本末転倒です」


 遥は復讐の是非を問うつもりはなかった。そこまでの憎悪を抱いたことのない遥に復讐者の心情はわからない。想像は想像の域を出ない。

 ただ……例え目的が自己満足にすぎないとしても、恐怖を与えるためだけに復讐全体の成功率を著しく低下させる行動は道理に合わない。

 復讐を基準に考えると、どうしても1日目の夜の状況が不合理になる。それだけだ。


「なぜ1日目の番に殺されたのが池さんだけだったのか……ではなく、むしろ犯人は最初の段階では池さんしか殺すつもりはなかったと考える方が自然です。全員殺す機会がありながら池さんだけを狙ったという結果には、こちらの方がしっくりきます。さて、池さんの死体が見つかって状況がどう変わったかというと……」


「警察がやってきた。それと留学……ああ、そうか……」


 後藤教授は深い皺が刻まれた手を目に当てて慨嘆した。

 遥の言わんとすることを理解したのだ。


「推薦する予定だった池君が亡くなって、私は美空君を指名した。だから彼女は殺されたのか」


 自分が余計なことを口にしたせいで教え子の命が喪われたということに。

 

「はい。教授が池さんの代わりに美空さんを指名したことで犯人は焦ったはずです」


 推理作家である遥には、ひとつの殺人トリックを組み上げることの難しさが理解できた。

 殺人とは人生を賭けたギャンブルのようなもの。奇想天外な閃きで状況を制する犯罪の天才でもない限り、即興でトリックを考案するのは不可能だろう。


「しかし犯人は美空さんの殺害に成功します。恐らく初めから複数の計画を持ち込んでいたからでしょう」


「と言うと?」


「1日目の睡眠薬トリックは失敗する可能性を排除しきれませんから」


 メンバーの食べられないものを献立に複数織り交ぜることで自分から疑いを逸らす迷彩を展開する。

 字面だけ見れば面白いトリックだが、そもそもゼミの面々が予定通りの料理を口にするとは限らない。

『食欲がわかない』『当日になって急に体調を崩した』『食べる気分じゃない』『もうお腹いっぱい』などなど。

 当日その場でどれだけアドリブを入れたとしても、全員を眠らせることに成功するとは言い切れないのだ。

 池を殺すつもりなら、第二、第三のトリックをあらかじめ用意しておかないと心許ない。


「さらに言えば、私たち撮影組との合流も予想外だったでしょうね」


 まったく見ず知らずの人間が当日になっていきなり現れたかと思えば、あれよあれよという間に食事を共にすることになった。

 当然相手の食事の好みなんてわかるわけがない。犯人は計画の変更――初日の殺害を諦めかけたかもしれない。


「私たちの方に好き嫌いがなかったのは犯人にとっては幸運だったと思います」


「……そこまではわかった。それで犯人の犯したミスとはなんだ?」


 散々焦らされてきて教授の余裕がなくなっている。

 自分の不用意なひと言が美空の命を奪ってしまったという可能性に対する怯えも見える。


「犯人のミスは、池さんを殺害するための計画を美空さん殺害に流用したために発生したものです」


「それは、一体?」


「池さんと美空さんの違い……端的に言って男と女の違いというと、どういうものを思いつきますか?」


 唐突に遥はみなに問う。


「えっと、胸がある」


「男にはアレがあって女にはない」


「……下ネタから離れてください」


 セーフティ扱いされている撮影班から飛んできた球をウンザリした様子で払いのける遥。


「それで、正解は?」


「メイクですよ。美空さんが最期まで抵抗したせいで犯人の服にメイク――多分ファンデーションが大半でしょうけど――が付着してしまったんです」


「どうしてそう思うんですか?」


「美空さんの死に顔、メイクがぐちゃぐちゃでした。あとで鑑識の方に伺ったところ、美空さんの服を捲り上げる際に擦れたと仰っていましたが……多分それは後で犯人が施した偽装ですね」


「根拠はあるの?」

 

「美空さんの服が捲り上げられていた件については、警察はネクロフィリア――屍姦趣味の線を疑っておられましたが、その割には遺体に性的暴行の痕がありません」


 これは鑑識の話を聞いたときに引っかかっていた疑問だ。

 口にするのも嫌な話ではあるが、死体を犯す機会なんてものはそうそう訪れない。

 滅多にお目にかかれない極上の獲物を前にして、倒錯した趣味を持つ人間が何もしないというのは考えづらい……というか、何もしないのであれば殺す理由がない。

 ごく普通の性的嗜好を持ったシリアルキラーの可能性もあるが……どのみち初日に男ひとり殺すだけというのはおかしい。あの日はやりたい放題できたはずなのだ。殺すのも、犯すのも。


「大学組の中に用心深いネクロフィリアがいる可能性も考えましたが、みなさんが私に向ける視線からはそういった特殊な趣味を持っているようには感じられませんでした」


 他人が自分に向ける視線の意味に敏感なグラビアアイドルならではの発想に賛同したのは、


「そうね。みんなかなたちゃんの肢体に目が釘付けになってたわね」


「うん。長年可愛い女の子を追いかけ回してきた僕が断言する。この中にかなちゃんよりも死体が好きなんて変態はいない」


 かつてのグラビアクイーンとカリスマカメラマンのお墨付きが出た。

 何の証拠にもならないが、信用度の高い情報ではある。信じるかどうかは人に寄りそうだが。

 

「となれば、犯人がわざわざ美空さんの服を脱がせようとしたのは別に理由があることになります。服を脱がせて何が変わったかと言うと」


「メイクがぐちゃぐちゃになった」


 呆然と呟かれた七海の言葉に遥は頷いた。


「美空さんのメイク崩れに警察が着目すると都合が悪いことが犯人にあるという事だと思います」


 遥は続けて、


「ちなみに男性の方はあまりご存じないかもしれませんが……ファンデーションって服につくと水で取れないんですよね」


「……そうなのかい?」


 教授の問いに七海が答える。


「はい。ファンデーションには顔料と油が配合されていますから」


 その説明にいまいち要領を得ない男性陣(各務原を除く)。


「服についたファンデは泥汚れとカレーの染みの混合物みたいなものです」

 

 洗い落とす際にはクレンジングオイルを馴染ませるのが有効である。

 ほかにも方法はあるが、水洗いのみできれいに洗い落とすのは難しい。


「池さんを殺害する方法を流用して美空さんを殺害した際に、服にファンデがついてしまった事に気付いた犯人は焦ったと思います」


 男性である池よりも女性である美空の方が殺害そのものは容易と考えていたのかもしれない。

 しかし美空の必死の抵抗により、予想外のトラブルが発生してしまった。

 もちろん森の中にクレンジングオイルなど存在しないし、メイクの落とし方に詳しくない犯人は咄嗟に近くにある水――湖で汚れを洗おうとした


「矢生さんと芦田さん、昨日は半裸で戻ってこられましたけど、先に服を脱いだのは矢生さんでしたよね?」


 これは遥が直接聞き出したことだ。


「戻ってきた矢生さんが腰に巻いていた上着を絞っておられましたけど、あのとき垂れていた水は本当に汗だったんでしょうか?」


「……」


 矢生は答えない。


「半裸の上半身に目が行ってしまって服そのものには着目できませんでした。今思うと上手いことやったなと感心します」


 あれだけ堂々と服を見せつけられれば、まさかそこに重要な証拠が残っているとは考えにくい。

 疑い始めてみると、何ともわざとらしいアクションだったように感じられる。


「昨夜は警察の方が夜通し広場を監視されておられましたし、睡眠薬も使われていないはずですので、犯人が七海さんたちのテントに入ってクレンジングオイルを調達したとは思えません。だから……矢生さん、昨日着ていた服を見せていただけますか?」


「……」


 矢生は遥を睨み付けたまま身じろぎひとつしない。


「矢生君、見せたまえ」


 教授の言葉にも答えない。


「あら、さっき矢生さんは警察に協力するためにスマートフォンを渡してくれたじゃないですか。同じように服を見せてくれればいいんですよ?」


「お前……お前……」


 呻くような矢生の声に、他の面々はようやく先ほど遥が『証拠にならない』とわかりつつスマホの提出を求めた理由に思い当たった。

 今この瞬間の矢生の反応が全てを物語っている。


「個人情報満載のスマホを提出できてただのシャツを見せられないなんて……そんなことありませんよね?」


 スマホは見せられるのにシャツは見せられない。

 道理に合わないこの瞬間を作るために先ほどから遥は延々と妄想を垂れ流したのだ。

 きっとスマホのくだりで矢生は『証拠なんて見つかるはずがない』とほくそ笑んでいただろう。


「わ、悪いが生憎……」


「まさか、捨てたとか言わないですよね。昨日は警察の方々がずっと見張ってましたが、そんな話は聞いていません……あ、そうだ。ついでにもうひとつ」


 震える矢生に逃げを許すつもりはない。

 逃げ場はあらかじめ塞いでおく。


「……まだあるのかね?」


「皆さんにも関係があることです。1日目の夜に盗まれたお金やカードが今どこにあるか」


「え、どこにあるんですか?」


 七海の声に遥は答える。


「犯人が矢生さん――失敬、内部犯と仮定した場合ですが。外部の強盗犯を演出するために盗んだ物品の処理、これが意外と厄介なんです」


「そうかな? 焚き火にでも放り込めばよくない?」


 各務原の言葉に、


「いいえ。警察の捜査技術なら、焚き火の燃えカスからでも足がつきます。小さく切り刻んでも無駄です。そもそもいきなり焚き火を始めたら目立ちますよ」


 遥の言葉に同意するように、周りを囲っている警察たちが頷く。


「それもそうか。警察凄いな」


「だからといってどこかに捨てるのも上手くないです。基本的にここに居る方々の身体能力は一般的な人間のそれに準じていますから。森の中に捨てるにしても犯人が足を踏み入れるような場所は警察も立ち入ります」


 この場で最も体を鍛えている柿本も『一般人』に含まれる。

 森の中で発見されでもしたら『容疑者X=外部犯』説が崩壊する。

 そうなれば警察は当然キャンプメンバーに疑いの目を向けるだろう。


「川や湖はダメです。遺留品どころか犯人を捜すために警察が調べまわることは明白です」


 この辺りは大半が何の目印もない森だ。調べるにしても警察はまずわかりやすいところから手を付けるだろう。

 湖の面積は広いが、警察は自前のボートを持ち出して調査していた。

 ボートの上からでも底が確認できるほどに水質は透明。キャンプ場のホームページに掲載されている写真を見れば一目瞭然。


「でも自分で保管するのは問題外です。当たり前ですが所持品検査がありますから」


「つまり……どういうことだってばよ?」


「犯人にとって都合がいいのは、誰の目にも触れず怪しまれる心配がない場所」


「そりゃそうだろうけど……具体的には?」


 各務原の問いを受けて、遥は軽く地面を蹴った。


「土の中。正確にはテントの下です」


「それはないんじゃない? テントに穴を開けたら警察が怪しむでしょ?」


「そうならない人物がひとりだけいます」


「えっと……あっ」

 

 みなの視線が再び矢生に集中する。


「矢生さんのテントは外から見てもわかるほどにボロボロです。床部分にも布が当てられています。それにテントの下にマットが敷かれていません」


「つまり……盗んだものを地中に埋めてから布を当て直した?」


 その声はいったい誰のものだろう。

 疑問に感じた遥が目を向けると坂本だった。相変わらず影が薄い。もはや特技だ。


「もちろんそのまま放置はしていないはずです。わざわざ荒れた場所にテントを設置したとは言え、万が一にも不審感を持った警察に掘り返されたら台無しですから。撤収に合わせて回収していると思います」


 矢生がテントの設営に選んだ場所は、多くの利用者により何度となくペグが打ち込まれて荒れている。

 多少掘り返したところで見分けがつかないほどに。


「あ……撤収はかなちゃんの仕込みか」


 各務原の声にこれまで沈黙を守っていた斎藤刑事が頷いた。

 矢生の顔は蒼白を通り越して見たこともないような色合いに染まっている。


「空野さんからひととおりの話は伺っています。我々としても無視できない内容でしたので協力させていただくことにしました」


「私が協力させていただいてるんですけどね」


 斎藤の言葉を遥が覆すと、警察の面々が苦笑いを浮かべた。


「テントを張ったまま今の推論を述べると、ブツが掘り返されても『誰かに嵌められた』とか言われそうだったので、みなさんに後片付けをしていただきました」


 警察監視のもとで。


「と言うわけで、そのリュックの中を確認させていただきます」

 

 厳しい表情の斎藤が矢生に言い放つ。

 

「ふ、ふざけるな。何の権利があってそんなことを……そうだ、令状! 俺の荷物を見たいのであれば令状を持ってこい!」


「これはご無体な。あなたさっきは先生の言うとおりにスマートフォンを渡してくれたじゃないですか。私たちに協力する意思はあるんでしょう?」


「い、いやだ……」


「そこまで怪しまれるということは、ますます見せてもらわないとならなくなりますねぇ。皆さんご協力いただけますよね?」


 斎藤の言葉に頷く一同(矢生を除く)。


「矢生君。警察に協力できないというのなら、ちゃんと理由を述べたまえ」


「ダメだ……令状を……」


「矢生さん。確かに、警察による捜索には令状が必要です。でも……」


「でも……」


 矢生の声は調子はずれで甲高い。


「私たちが勝手に調べる分には、そんなものは必要ありません」


 遥のその一言は、まさに死刑判決そのものだった。

 それも思いっきり理不尽な類の。


「は、はぁ!?」


 無論、後から警察からお叱りがあるかもしれない。

 ミステリならこんな力業は許されないかもしれない。

 証拠を華麗に発見するのが探偵というのなら、その名が廃るかもしれないが――そんなことはどうでもいい。

 教え子を殺害された後藤教授は怒り心頭だし、殺人犯の疑いが強い人間を傍に置くことを誰も認めない。


 矢生が自分の周りを見回して後ずさる。

 自分以外のキャンプ関係者は自分と死者を除いて10人。1対10である。

 その大半は女性であるとしても、鍛え上げられた肉体を持つ柿本相手ではどうにもならない。


「ふざけんな! け、警察……コイツらを……」


「すみません、さっきから目にゴミが入っていまして。こりゃしばらく取れそうにない」


 猫の入るスキマもない包囲を崩さぬまま『何も見えない』などと嘯く斎藤。警察は矢生を助けるつもりはない。

 まあ、ここまで疑わしく協力もしないくせに、都合が悪いときだけ助けを求められても困る。

 それでも普通なら警察は介入するだろう。ただ、問題はこれが殺人事件であるということ。

 無情な刑事の言葉に後はないと確信させられたか、頭を抱えて蹲った矢生の言葉にならない奇声が森に響き渡った。

 こうして2人の犠牲者を出した殺人事件は幕を下ろしたのである。

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