第22話 高遠遥はかく語りき その1
不自然な静寂に包まれた香澄山キャンプ場入り口前。夕暮れの到来を告げる風が木々をざわめかせる音が四方八方から響く。
撮影組、大学組、そして警察。みなの視線を独り占めすることになった男――遥に殺人犯として告発された矢生は、その引き締まった身体を強張らせたままのろのろと頭を上げ、しばし視線を宙に泳がせたのちに猛然と食って掛かった。
「あ? 黙って聞いてりゃいきなり何言いやがる!?」
遥に何度も言い寄ってきた軽い口調から一変。急にドスの入った声で叫ぶ。
対する遥は余裕綽々といった風情で、堂々と腕を前で組んで仁王立ち。
すぐ傍に居た柿本が、いつでも二人の間に立ちはだかることができるよう構えている。
「別に私は矢生さんが犯人とは言ってません」
「なんだと?」
「私の考案したトリックを使って池さんを殺害できたのは、ゼミ側の食材調達や献立を考えた人だと言っただけです」
そうしたら勝手に後藤ゼミの生き残りが矢生を凝視しただけだ。
犯人はほかの手を使ったかもしれないではないか。
まったく悪びれもせずに遥は肩をすくめた。
「ちょ、みんなそんな目で俺を見るな。証拠……そう、証拠はあんのかよ?」
「いいえ、ありません。すべて私の想像です」
その一言を聞いて鬼の首を取ったかの如く捲し立てる矢生。
「教授、こんなの言いがかりです。何の証拠もないのに妄想で俺を犯人に仕立て上げようって、コイツと警察がグルになって……」
「本当に証拠はないのかね?」
教え子の抗弁を遮って後藤教授は遥に問う。
遥は素直に頷いた。ないものはない。ウソをつくつもりはない。
「……ならば、君の説を認めるわけにはいかん。よくできていたとは思うがね」
あからさまに落胆した教授の言葉にも遥は特に反応を示さなかった。
証拠がない以上、これはただの妄想、あるいは言いがかり。
そう返されることは想定済み。逆の立場だったら遥だってそう主張するだろうから。
「そうですね。では2日目の美空さん殺しについて」
「まだやんのかよ。ふざけんな」
「まあ、そう言わずに」
柔らかい笑みを浮かべて矢生の言葉を封じ、遥は更に話を進めていく。
「美空さん殺しは2日目の午後、フィールドワークと称して森に入った美空さんがひとりになったところを背後から襲って絞殺。死体を山道から離れた洞窟に投棄。そして犯人は何食わぬ顔で仲間――失礼、ゼミ生と合流しました」
「美空君から最後のメッセージが送付されてから後は、ひとりになっていた人間はいないのだがね」
後藤教授は一息入れて、かつての教え子を睨み付ける。
「坂本君を除いて」
その殺意すら込められた凝視の圧に耐えられず、坂本は身体を震わせて後退。
在学中に何かあったのだろうか、坂本は相当に怯えている。
まあ、恩師に殺人の疑いをかけられては当然と言えば当然かもしれない。
しかし――
「坂本さんは犯人じゃありません。昨日立ち寄った店に警察が聞き込みしてくださったのでアリバイが確保されています」
これは今日になって地元警察が動いてくれたおかげで判明した事実だ。
遥が介入したわけではないので信頼のおける情報である。
自身の無罪を保証してくれた少女に、坂本は感謝の涙を流している。
実際に証明してくれたのは警察なのだが。
「美空さん殺しにおける問題は――死亡推定時刻です」
状況を鑑みた警察による推定では、『午後4時15分から午後5時』の間ということになっている。
「し、しかしその時間には誰も……」
遥の言葉に教授が抗弁してくる。
教え子である矢生を庇いたいのかもしれない。
「鑑識の結果はあくまで『午後3時から午後5時』です」
教授の言葉を食い気味に押し潰す。長らく人の上に立つことに慣れていた教授は、孫と同年代の少女のこの態度に面食らったようだ。
「頭の方の『午後4時15分から』のくだりは、メッセージアプリのタイムスタンプから引っ張られた時間に過ぎません」
「しかしメッセージが……」
「それが犯人のトリックです」
「トリック?」
一同の声がハモる。
ミステリ慣れしていない人間には、聞き知っていても現実味がない言葉である。
「あれは犯人が送付したものです」
「でも空野さん、それはおかしくないですか? このメッセージアプリはスマホごとに……電話番号ごとにアカウントが紐づけられてるから、美空さんのアカウントからメッセージを送るには美空さんのスマホでないと……」
おずおずと異論を発する深月。
遥はそんな彼女の言に頷き、
「ええ。メッセージは美空さんのスマホから送信されています。これは動かせない事実です。犯人は美空さんの死体からスマホを持ち出したんです」
「ちょ、ということは……」
「犯人は美空さんのスマホを使ってメッセージを送ったってことよね?」
「ええ」
遥は画面のロックについては死体の指紋を使って突破したことを付け加えた。
「でも、そのメッセージの時間、午後4時15分には私は教授とずっと一緒にいました。そんな変なことはされてませんでした」
七海と教授はそもそも美空の(スマホから送信された)最期のメッセージのタイミングではスマホを触ってはいないという。教授も教え子の言葉に同意した。
「えっと、矢生さんはずっと自分のスマホを弄ってたけど……」
「歩きスマホされてたんですよね?」
「う、うん……でも、矢生さんが持ってたのは自分のスマホだったよ」
この目で確かに見た。芦田はそう語る。
先ほどの『矢生犯人説』に思うところがあるのか、念を押すように何度も頷く。
矢生を信じたい気持ちと疑わしい気持ちの間で揺れている。前者の方に傾いているように見受けられる。
そしてみなが矢生に目を向けると――
「俺は……スマホ弄ってたから芦田の方は見れてねぇ」
「そ、そんな……」
自分は矢生のアリバイを証明したのに、矢生は芦田のアリバイ証明をできないという。
この突然の裏切りともとれる矢生の発言に、芦田は顔を朱く染めた。
「一緒にいたのなら、少しぐらいは見えるんじゃないんですか?」
「それがそうもいかない。あの時は芦田は俺の前を歩いていたからな」
距離があって手元まで目が届かなかったと言う。
「ふぅん」
犯人扱いされて腹を据えかねているらしい矢生の言葉は、どこか投げやりな印象を与えてくる。
「芦田さん」
「は、はひ!?」
「これは確認なんですが……本当に矢生さんが自分のスマホを触っているところを見たんですね?」
先に裏切ったのは矢生だ。遠慮することはないぞ。
言外にそう匂わせたかに見える遥の言葉に、
「……見た。矢生さんが手に持ってたのは自分のスマホだった」
芦田は自分の見た光景を素直に伝えた。
矢生の態度はどうあれ、前言を撤回するつもりはないらしい。
「本当に見たんですか?」
「うん」
「本当に? 液晶画面を覗き込んで確認しましたか?」
「うん……え?」
遥が付け足した一言に芦田はきょとんとした表情を浮かべた。
「もう一度確認します。芦田さんは矢生さんのスマホを見たんですか?」
「え、液晶画面って……いや……そこまでは……」
芦田の声がどんどん小さくなっていく。
遥が本当に言いたいことを理解したらしい。
言い淀みが深まるのに合わせて、丸い顔に浮かんでくるのは疑惑、そして恐怖。
「芦田さん……芦田さんが見たものを教えてください」
「……ボクが見たのは……スマホ……いや、スマホカバー……緑色の」
ようやくその言葉を吐いた芦田を見て、遥は満足げに頷いた。
「ゼミのみなさんは教授に倣う形でみんな林檎印のスマホ、それも最新機種を使われてますよね。だから……」
座っていた面々が腰を浮かしかける。
「スマホカバーを付けかえれば簡単に誤魔化せる。他人のスマホの画面を覗き見るなんてマナー違反ですから」
森の入り口からひと際強い風が吹く。
★
「このトリックを使う際に必要なのは二つのスマホです。美空さんのものと自分のもの。トリックを仕掛けるのに自分がメッセージを即座に送信しないと、せっかくのアリバイトリックが台無しですから。犯人は殺害した美空さんのスマホを奪って自分のスマホとカバーを付けかえる。そして死体の指紋を使って認証を突破。目撃者のいる前で自分のスマホカバーを付けた美空さんのスマホからメッセージを送信。すかさずもう片方の手で自分のスマホからメッセージを送信。自分のテントに戻ってからスマホカバーを戻し、美空さんのスマホから指紋を拭き取る。戻ってこない美空さんを探しに行く振りをして自分が死体を隠しておいた洞窟まで先回り。スマホに美空さんの死体の指紋をつけて破壊、そして死体の傍に投棄。これでトリックは完成です」
成功率を高めるなら、美空の死体を使ってスマホに指紋をつけてから、別の場所――森の中に捨てるべきだと思わなくもない。
とは言え、美空捜索に警察が森に入っている中で、そこまで怪しい動きをするのはリスクが高い。
指紋をつけるだけなら即座に発見したと叫べば住むが、洞窟を出るところを見られたら言い訳のしようがない。
仮に先に死体を発見されたとしても、指紋のないスマホを破壊して森の中に捨てておけば犯人まで捜索の手は及ぶまい。
移動した死体の傍にスマホが落ちていたために、遥は内部犯を疑うきっかけになってしまったが、これは結果論に過ぎない。どこにスマホを捨てようが、リスクをゼロにすることは出来なかったのだから。
「すでに述べたとおりに、このトリックを成立させるには仕掛けるタイミング――午後4時15分前後に『自分のスマホを触っている』ことを誰かに証言してもらわなければなりません」
そうでなければ意味をなさないトリックなのだ。
ゆえにスマホを触っていないと互いに証言した後藤教授と七海は白。
このふたりはそもそも件のメッセージに返信していない。犯人ならトリックを自ら空振らせる真似はすまい。
「矢生さんが嘘をついていないという前提に立つと、芦田さんがこのトリックを仕掛けるのは不自然です」
そもそも前後に並んで歩いているのなら、万が一にも画面を覗き込まれたらアウトになる前方から使うトリックではない。
「あら、今回も一番怪しいのは矢生さんになってしまいましたね?」
遥の声はどこか面白そうなものを見たかのような響きが含まれており、わざとらしいことこの上ない。
自分の想像したふたつのトリックが『偶然』同じ犯人に行きついてしまったのだ。あくまで『偶然』だが。
遥の瞳は猫のよう――獲物をいたぶる猫のように光輝く。
「……バカバカしい。そんなもんで俺を犯人扱いするなっつってんだろ? だいたいどうやって両手にひとつずつスマホを持って操作するんだ? それこそ見たらモロバレだろ」
矢生は遥から視線を外し芦田を睨む。
「なあ芦田……お前、俺がスマホ二刀流してるとこ、見たのかよ?」
この問いに芦田は首を横に振る。
「でも、昨日の矢生さんは山歩きに向かなさそうなズボン――かなり余裕がありそうなものを履いておられましたから、ポケットの中で操作できたのでは?」
「……証拠は?」
やぶ睨みの矢生からの問いに『また性懲りもなく証拠ですか?』などと呆れた口調で返す遥。これでも一応推理作家である。
「ありません。美空さんのスマホから矢生さんの指紋が出れば簡単なんですけど拭き取られてましたし……でも、矢生さんのスマホの方はどうでしょう?」
「何?」
「私の考案したトリックが使われていたと仮定すれば、犯人は聞き手でない方の手で自分のスマホを操作したはずです。指紋が残ってるんじゃないですかね?」
利き手でない方の手でスマホを弄った指紋が。
遥の発言に、その場にいた全員の視線が矢生の方を向く。
「アホか。ソシャゲやってたら両手使うわ」
対する矢生は平然としたもの。
「インストールされているゲームで触らないような場所から左手の指紋が検出されたら……怪しくないですか?」
「怪しくなんかないね。ゲーム内のイベントが忙しいときなんかは普段と違う持ち方をするのはよくあることだ」
「その辺りを含めて警察に調べていただくというのはどうでしょう?」
「……断る。他人にスマホを触らせたくねぇ」
「どうして?」
「……あるんだよ、エロゲーっぽいのが。恥ずかしいだろ?」
顔を背けて答える矢生に、芦田が同情するような視線を向けている。
敵視する遥はともかく、同じゼミの女性である七海の前でこんなことを告白させられるのは辛かろうと感じているのだろう。
「最近のスマホアプリはえっちっぽいものが多いですし、私は別に気にしませんが……」
「……お前な……」
「そんなことより、どうして警察への協力を拒むんですか?」
「だから!」
「後藤教授、前に『犯人逮捕のためには警察に協力は惜しまない』とおっしゃられていましたよね?」
「……ああ」
「でしたら教え子にも警察に協力するよう要請して下さい」
「おい、お前!」
口調は丁寧でも内容は傲慢そのもの。
『虎の威を借る狐』どころか『虎の首根っこを引っ掴んで脅す狐』だ。
遥の態度に腹を立てた矢生だが、
「矢生君。空野君の言うとおりだ。疚しいところがないのなら警察の方々に協力したまえ」
「……はいはい。わかりましたって。善良な市民の義務って奴だな」
教授を使って目的を達した遥を睨みつつ、矢生はあっさり小川にスマホを渡す。
その顔には皮肉げに歪んだ笑みが浮かんでいる。あるいはあからさまな侮蔑。
小川はこれを手袋をはめた手で受け取り鑑識に回す。
「あのスマホから指紋が検出されなければ、君の推理は的外れということになるが……どうなんだね?」
後藤教授から水を向けられた遥は、軽く肩をすくめた。
「さぁ……矢生さんのスマホですから矢生さんの指紋は出るでしょうけど、証拠にはならないと思います」
美空のスマホから指紋を拭き取ったように、矢生も自分のスマホから指紋を拭き取っているかもしれない。
その上で改めて指紋を付け直されていたらどうしようもない。
結局、またも証拠なしということになる。
「君、それはあまりに無責任じゃないかね」
「そうでしょうか? ……そうかもしれませんね」
教授の咎めるような声にも特に気にした様子を見せない。
遥の推論は状況と矛盾してはいなが、なにぶん証拠がない。
後藤教授としては、こんな妄想で教え子を疑われてはたまらない。
常日頃は穏やかに見せている教授の顔も苛立ちを隠せない。
「私が口にしているのは何の根拠もないただの妄想みたいなものですから。……その割には矢生さんはずいぶん慌てておられましたが」
「てめぇ……」
「まあ、証拠はあると思いますけど」
「何!?」
ここまで『証拠はない』として推論――と言うか妄想を延々と披露してきた遥のこの言葉である。
色めき立つ面々に向かって、遥は歌うように自身の推理を披露する。
「さて、ここまでは上手くやったかに見えた犯人ですが、実はひとつ大きなミスを犯しています」
その口ぶりの何と楽しそうなことか。
隣で腕を組んでいた柿本はゲンナリした顔をしている。