第21話 タイムアップ!?
警察に足止めされたまま3日目の昼食を摂った一同。
朝に引き続き菓子パンと水だけの質素な献立。味はついているが味気はない。
数少ない娯楽のひとつである食事がこの有様で、みなの苛立ちがそろそろ限界に達しようとしたその時、ふたりの刑事が遥たちに近づいてきた。
「ご協力ありがとうございました。ひとまず撤収していただいて結構です」
斎藤刑事のその言葉にざわめきが起こる。
しばらくの間ここに引き留められると言われていたから驚きもひとしおだ。
なお、既に連絡先は控えてあるので、今後話を聞きたいときは別個に聴取をお願いするかもしれないとのこと。
「それで、二人を殺した犯人の方はどうなんですか?」
「……我々は引き続き捜査を行います」
後藤教授の問いに答える刑事の言葉は、ただそれだけ。
丁寧な口調ではあるが、あまりにも定型なお決まりの文言。
教え子を喪った教授としては納得いかないのだろうが、残った生徒たちを無事に家に帰す必要があることも事実。
老教授は顔を顰めつつも無言で頷いて生徒たちに振り向いた。
「と言うことだ。みんな、後片付けを始めよう」
「車はどうするんですか?」
芦田の問いは大学組にとっては重要事項だった。
免許証を失っている彼らにはまともな移動手段がない。
香澄山周辺には電車は通っていない。
「そちらについては、うちの車を回します」
「え、パトカーに乗るんですか!?」
ホッとした表情を浮かべていた七海が、この一言に絶句。
無理もない。あの白黒の車に乗せられるなんて、人に見られたら何と言われるか。
「まあいいじゃん、滅多にないことなんだしさ」
「ここから歩いて帰るぐらいなら、我慢しなきゃ」
矢生と芦田、二人に慰められて頷いている。
「でも、またここに戻ってこなきゃならないですよね」
車をここに置いたままにしてはおけない。
免許証が再発行されたら取りに戻るか、あるいはレッカー移動か。
あまり財政的に余裕がないなら後者は選びにくかろう。
そうは言っても、凄惨な殺人事件の現場になど再び足を運びたいとは思うまい。
「さ、そうと決まったら、さっさと撤収だ!」
弾かれたように動き出す一同を、二人の刑事は複雑そうな目で見つめていた。
★
「あんだけビビらせておいてよぉ……帰らせてくれるなら、もっと早く言ってくれたらよかったのに」
矢生の感想はメンバーにとって共通の思いだった。
蜘蛛の子を散らすようにキャンプに参加していた面々が広場に散っていく。
しかしその顔は一様に冴えない。その原因は明白だ。
二人の死、そしていまだ捕まらない犯人の存在がみなの心に影を落としている。
撮影組と大学組に違いはない。関係ないと嘯いていた各務原すら表情は硬い。
撤収許可が出たからと言って、すぐにキャンプ場を離れることはできない。
焚火台やバーナー、キッチン道具や食器類、テーブルや椅子といったキャンプギアの片づけに始まり、テントの解体・収納その他いろいろ。
ロッジに宿泊していた撮影組はともかく、大学組はやらねばならないことが多い。
柿本曰く『来た時よりも美しく』をモットーに、遥たちもごみを集めて袋に放り込む。
たったの2泊3日とは言え行動を共にしたのだから、手伝いくらいはしても罰は当たるまい。
大量の荷物をバックパックに押し込み、忘れ物がないか入念にチェック。後から思い出しても取りに戻るのはメンドクサイことこの上ない。
ロッジ組ではあらかじめ細々と片づけを進めていた柿本と坂本が早く、女性陣と各務原はもたついている。
さりとて男たちに女性の荷物を触らせられるはずもなく、柿本に助言を伺いながら遥たちは慣れない手つきで作業を進める。
なお、各務原の荷物は坂本が仕舞っていた模様。五分刈り頭のカメラマンは相変わらずカメラを触っている。
そんなこんなで撤収準備が終わったのは午後4時近く。
まだ日は高いが、ここから東京に戻るとなるとかなり遅めのチェックアウトになりそうだ。
奇しくも昨日美空が死亡したと推定されている時刻が近づいている。
最後に点呼を取り、二人の刑事に従って広場を後にする。
キャンプ場の入り口には管理人の岩崎が立っていて――
「あれ?」
「おや?」
みなが首をかしげている。
それもそうだろう。今まで森の中に散っていた警察たちが、いつの間にか一団の周囲を取り囲んでいたのだから。
素人目に見てもわかるほどに物々しい気配を漂わせながら。
「これは一体どういうことかね?」
後藤教授が前を行く刑事たちに問いただすと斎藤刑事は無言で振り向いた。熟練の刑事は、そのままある一点をじっと見つめている。
不審に思った教授たちがその視線を追っていくと、その先にいたのはひとりの少女。グラビアアイドル『空野 かなた』
「ここを去る前に、少し私の話を聞いてください」
微かに傾いた日差しを受けたその瞳には、今まで見たことのないような――妖艶な輝きが浮かんでいる。
黒く、深く、澄んでいて、そしてどこか猫を思わせるような瞳。
★
「池さんと美空さん、二人を殺した犯人がわかったかもしれないんです」
柿本を横に従えた遥は開口一番、みなの度肝を抜く言葉をぶつけてきた。
この少女はいったい何を言っているのだろう。彼女の瑞々しい唇から漏れた言葉の意味を理解するまでにわずかな時を要した。
そして――
「な、なんだって!?」
驚きの声を漏らす教授。他の面々も似たり寄ったりの表情を浮かべている。
遥に向けられた眼には疑惑と困惑の色が浮かんでいる。
冗談にしては質が悪い。
「話を聞いてもらえますか?」
「……私の教え子の命を奪った犯人がわかった、そう言ったね?」
「ええ」
「犯人は森の中に潜んでいると警察は言っていたが……その口ぶりだと、君の意見は違うのかね?」
「はい。犯人はこの中にいます」
即答にして断言。
ある程度その回答を予想していたのではあろうが、いざぶつけられると絶句せざるを得ない。
しかして、その衝撃からいち早く立ち直ったのは、やはり最年長者である後藤教授だった。
「いいだろう。言ってみたまえ」
「教授!?」
芦田の声は悲鳴じみたものだった。
大学組もこれまでの事情聴取や状況を判断すれば、遥がどういった人間を告発しようとしていることは容易に想像がつく。
『美空 美鈴』の殺害時刻に完全なアリバイがあるのは――彼女を殺害することができなかったのは、サイトで撮影していた者たちと深月。
彼らにはずっと刑事が張り付いていた。ゆえに残るのは――
「おそらく君は私の教え子たちを疑っているのだろうが……半端な考えで私たちの名誉を傷つけることがあれば……ただでは済まさんよ」
長年人の上に立ってきた者の矜持であろうか、後藤教授の眼差しは今までにないほどに厳しい。
そして自分の教え子たちを信じ護ろうとする態度に揺るぎはない。これまでの好々爺じみた姿からは想像しがたい迫力がある。
並の学生なら睨まれただけですくみ上りそうになるその視線を真正面から受け止める形になった遥は、しかし全くもって怯む様子を見せない。
遥と後藤、二人のにらみ合いは、しかしほんの一瞬で。
荷物を背中から降ろし、腰かけたのは――後藤教授。
「お時間を頂きまして、ありがとうございます」
嫣然と遥は微笑んだ。
★
ふたりの刑事もこのやり取りを見守る心づもりで、周囲の部下に指示を出している。
警察たちに囲まれたまま、再び腰を下ろした撮影組と大学組のメンバー(死亡者を除く)。
彼らの前に立った遥は、おもむろに自説を語り始めた。
「まずは1日目の夜についてお話します」
その言葉に警察を含めたその場の全員が頷いた。
「警察の方々の現場検証によると、森の中に潜んでいた犯人が昼間のうちに我々の目を盗んでポリタンクに睡眠薬を投入。全員を眠らせてからテントの荷物を漁り、途中で目を覚ました池さんを殺害したとのことですが……この時点ですでに間違いがあります」
白くて細い指を降りながらひとつひとつ状況を説明し――最後にこれは過ちであると断じた。
よりにもよって警察の言葉を否定したのだ。まだ年端のいかない女子高生が。
「ほう」
後藤教授が腕を組んで唸る。全くもって納得できないといった風に。
「どこが違うのかね?」
「私の推測では犯人は内部の人間です。飲み水に睡眠薬を入れてしまうと自分もこれを飲んで眠ってしまいます」
「いきなり内部犯と決めつけるのは乱暴だな。何の根拠もない」
「私が内部犯を疑うに至った理由は後ほど。でも、根拠はあります」
「ほう?」
遥の言葉に教授の眉が跳ね上がる。
「みなさん、初日の夜を思い出してください。焚き火は最後にどうなりましたか?」
「どうって……普通に消火された筈じゃ」
芦田の言葉に遥は頷いた。
「はい、その通りです。火が消えてから燃えカスに柿本さんがバケツで水をかけていました」
内部犯か外部犯かの話から飲み水に、そして焚き火に話が飛んで一同は困惑。しかも今度は燃えカスときた。
「それで?」
「その燃えカスを警察に調べていただきました」
「は?」
キャンプメンバーは揃いも揃って首をかしげている。
「その結果、燃えカスからは睡眠薬の成分は検出されませんでした。つまりあのバケツの水には睡眠薬は含まれていません」
「そうなのか?」
後藤教授の問いに頷いたのは小川刑事。
「空野さんの話を聞いて灰捨て場の燃えカスを調べました。睡眠薬は混ざっていません」
これは鑑識が確認した。確定事項である。
「ではあのバケツの水がいつ汲まれたか? 覚えていらっしゃる方はおられますか?」
遥の問いに答えたのは七海。
「えっと……焚き火を熾したのは池さんで、それを見た柿本さんが慌てて……あっ」
話していて思い当たったらしい。
「柿本さんがバケツに水を汲んだのは、夕食の準備をしている最中です。あの後私たちはずっとサイトにいました」
昼間のうちにポリタンクに睡眠薬が仕込まれていたら、バケツの水にも――そして燃えカスからも睡眠薬が検出されるはず。
そして夕食の準備を始めてからはみんな広場に集まっており、誰も怪しい人影など見ていない。
この二つが意味するところは、夕食前の段階ではポリタンクに外部の人間が接近して睡眠薬を投入する機会はなかったということ。
「私たちは睡眠薬など飲まされていなかったということか?」
後藤教授の問いに遥は首を横に振る。
「いいえ、私たちは薬で眠らされていたと思います。テントが荒らされていたのに池さん以外誰も目を覚まさなかったというのは、偶然とは考えにくいですから」
「だったらどうやったと言いたいのかね?」
「睡眠薬は使用されています。投入先は――料理です」
遥は内部犯を疑っている。
そして水を否定した。残るのは料理。単純な答えだ。
「まあ、道理だな。で、どの料理かね?」
「そこまではわかりません」
続く教授の追及に、遥は力なく首を左右に振る。
「……何?」
「順を追って説明します。まず、料理に睡眠薬が仕込まれていたという私の推論の根拠、違和感の原因は――パエリアです」
「は?」
一同は間抜けな大口を開ける。
パエリア。バーベキューと共に供された初日の夕食。
なぜいきなりそんな話になるのか、さっぱり理解できない様子。
しかし――遥は断言する。
「あのパエリアはおかしいんです」
「かなちゃん、何が言いたいわけ?」
口を挟んでくる各務原に視線を向ける。
「私たちは特に気にせず食べていましたけど、あれを食べることができない人がいましたよね?」
「と言うと?」
「美空さんです。彼女はエビアレルギーだったそうですから」
「つまり睡眠薬はパエリアに入っていて、アレルギーでそれを食べられない美空ちゃんが自分の体質を理由にこれを逃れた、ってこと?」
「犯人は美空さん? でも彼女も……」
美空も翌日に殺害されている。
訳がわからない。一同の視線がそう語っている。
みんなの注目を浴びた遥は再び首を左右に振った。
自慢の黒髪がサラサラと流れ、陽光を浴びてきらめく。
「違います。私が気になったのは、互いに気心の知れたメンバーが集まったはずのキャンプにも拘らず、メンバーが食べられない食材が使用されていたというところです」
「言われてみると変ですね」
柿本の言葉を受けて遥は続ける。
「せっかくのキャンプにわざわざ食べられないものを用意する理由なんてありませんよね。現に私たち撮影班は事前の打ち合わせで献立や食材についてはチェックを入れてました」
坂本がうんうんと頷く。
遥にせよ各務原にせよ、接待する立場であるT社編集としてはその辺りは気にせざるを得ない。
幸い撮影班のメンバーは好き嫌いやアレルギーを含め特に口にできないものはなかったが。
「そう考えると、他の料理もおかしい」
パクチーの匂いがきつかった生春巻きを倦厭した面子は少なくない。
芦田は玉ねぎとニンジンがダメ。
ラタトゥイユには矢生と芦田は手を付けていない。
七海は鶏肉が嫌い。
アヒージョはにんにくの匂いを嫌がった遥と美空がスルーした。
食後のラーメンもカロリーを気にする女性陣には不評だったし、コーヒーやウーロン茶もそれぞれバラバラに選んでいた。
「ほとんどの料理に共通しているのは『食べない人がいる』という点です。これは犯人によって意図的に操作されたものと考えられます」
「どうしてだい?」
「だって――ひとつの料理に薬を仕込んで犯人が食べず、他の料理はみんな食べていたなんて状況になったら怪しまれるじゃないですか」
睡眠薬が料理に仕込まれていたという疑いに警察が行きあたる可能性は否定できない。
もし、そうなってしまった場合の保険を犯人はかけていたということ。
みんなで囲むバーベキューであまり露骨に食事を拒むと怪しまれる。後から警察に『○○は飯に手を付けていない』なんて告げ口されたら厄介だ。状況的に食べざるを得ない。
だから、自分が食べない料理があっても怪しまれないシチュエーションを作った。
ひとつの料理につきひとりかふたり。NG食材込みの料理を複数用意する。
そのうちいくつかの料理に睡眠薬を仕込んで、自分以外の人間が全員眠るように献立を決定。迷彩だ。
さらにこの犯人は手を打っている。
「柿本さん、食べ終わった後の食器の扱いについて何か言っていましたよね?」
突然水を向けられた柿本に視線が集まる。
戸惑いながらも大男は頷いて、
「はい。食器をシンクに入れて水を張っていたのは、マナー違反だと」
「……そうなのか?」
斎藤刑事が疑問を呈する。
その気持ちは遥もわかる。普通に家事をこなしている経験を参照すると気付かないのだ。
「食器の汚れをそのまま水に流すと排水溝に溜まり、他の利用者の迷惑になります。そもそも水場から離れたところであんなことをしていては話になりませんが……」
「……そうなんですか?」
今度は七海が問うてきた。日頃家事をしているのか、キャンプに慣れていないのか、その顔に浮かぶのは純粋な疑問だった。
答えたのはキャンプ場の管理人である岩崎。
「食器を放り込んで水を張ったシンクは重くなります。運ぶのは大変だし、汚水をあたりにまき散らしかねません」
管理人の説明に柿本が同意。
「先にキッチンペーパーなどで汚れを拭き取ってから水場で洗うのが基本です」
そして汚れたペーパーはゴミ袋に入れて持ち帰る。
『来た時よりも美しく』だ。
「食器を水に沈めたのは、どの料理に睡眠薬が入っていたのかあとから調べてもバレないようにするための工作と思われます。そして犯人は自分以外の全員が眠ったことを確認して池さんを殺害。ポリタンクに睡眠薬を入れてシンクに水を注ぎ、証拠を隠滅。自分も眠らされていたかのように装ってテントに戻った」
翌日やってきた警察が現場を見れば水に投入された睡眠薬から犯人は外部の人間であると推測する。
なぜなら――この場にいた人間は全員同じように眠らされていたようにしか見えないから。
万が一料理を疑っても、怪しい人間は複数――否、ほぼ全員。自分にたどり着く可能性は低い。そもそも証拠は何もないのだ。
最近ボイストレーニングを始めた遥の語りはよく透る声で美しく響き、いつしか皆が聞き入っている。
「ですが……このトリックが使える人間には条件があります。お聞きいただければご理解いただけると思いますが、献立――あるいは食材を決定する人間にしか実行できません」
その一言に後藤教授は首をひねった。
「今回のキャンプの幹事は池君だったんだが……」
自分を殺すためにトリックを仕掛ける馬鹿がどこにいるのか。
教授の疑問は当然のもののように思えるが……それは違う。
「池さんが本当に料理を用意したとお思いですか?」
「何?」
驚く教授を余所に、ゼミ生の面々の視線がひとりの人間に集中する。
「私たちの食材は坂本さんが用意してくれました。ゼミの方はいかがですか?」
「……矢生さん……」
小さな声は、しかしその場にいた全員の耳朶を打った。
声の主は芦田。向けられたのは、すぐ隣に座っていた男、すなわち矢生。
矢生の引き締まった身体が、どこかしら硬直しているように見えた。
俯いたまま長い髪が垂れた顔は影が差していて、その表情は窺い知れない。