第20話 高遠遥の事情聴取 その2
後藤教授のもとを離れた遥は、次に男2人組――矢生と芦田――の方に向かう。
ふたりは折り畳み式の椅子に腰かけて何やら話し合っている。
しばしば警察の方を見ては顔を顰めているあたり、現状に対する不満を口にしているものと推測される。
先の二人と併せて美空の死亡推定時刻に広場にいなかった者たち。いずれも後藤ゼミの関係者。
内部犯説を採用するならば、この4人の誰かが犯人である確率が高い。共犯の可能性もある。
「すみません、ちょっとお話を伺いたいんですが」
「なになに、何でも聞いてちょうだい」
「ちょっと、矢生さん……」
声をかけるとすぐに振り向いてくる矢生。遥の顔――と胸を見るなり相好を崩す。
これまであまり話してこなかった芦田が、やたらと前のめりの矢生を抑えに回っている。
すっかり消沈してしまっていた後藤教授とはえらい違いだ。
ゼミの仲間を二人喪ったのだから、もう少し粛然としているべきなのではと思わなくもない。
話を聞く前に機嫌を損ねるわけにもいかないから黙っているが。
「折角だから二人っきりでどう?」
矢生に至ってはテントに誘い込もうとしてくる。初日に見たとおりボロいテント。
開け放たれた入り口から見える内側も外見からの印象とそれほど異ならない。
女性を誘うには適さないように見える。まぁ、さすがに今の発言は冗談だろう。
矢生の下品な誘いを軽く躱しつつ、
「矢生さんのテント、凄く年季が入ってますね」
機嫌を損ねないように言葉を選ぶ。
「ま、まあね。ツギハギだらけだけど初めて買ったテントだから愛着があってさ」
だからと言って地面に接している床部分にも布を当てているのはどうかと思うのだが。
テントの底にシートすら敷かれていない。横になったときに気にならないのだろうか。眠り辛そうである。
テントの相場は知らないが、そこまで高いのだろうか。真面目にスマホで検索したくなってくる。
「……遠慮させていただきます。話はここで」
腰を下ろそうとすると、すかさず芦田が椅子を貸してくれた。
礼を言って座ると――生暖かさが気持ち悪い。芦田の体温を感じてしまう。何だか汗っぽいぬめりも。
しかし芦田自身は砂利が露出した地面に座っているので文句も言えない。
矢生の方はと言うと遥の顔と胸のあたりを視線が行ったり来たりしている。わかりやすい。
笑顔を崩さないようにしつつ、推理作家であることを明かし、新作のネタにしたいと前置きしてから話を切り出す。
ここまでは後藤教授たちとの会話と同じ手順を踏む。
「まずお伺いしたいのは昨日の件です」
「昨日っつーっとあれか、可愛い声だったね」
違う。そうではない。
へらへら笑う矢生の顔にグーパン叩き込みたくなる衝動を必死で抑え込む。
「いきなり半裸の人間が森の中から出てきたら、誰だって驚きますよ」
「それもそうか……なんか俺ら慣れっこになっててさ」
初日から池と矢生は半裸だったし、昨日の早朝は後藤教授が半裸で乾布摩擦していた。
このゼミの男どもは教授の薫陶でも受けているのだろうか。
もう少し一般常識を学ばないと猥褻物陳列罪で警察にしょっ引かれそうだ。
「あれ、そもそもどっちが先に脱いだんですか?」
HENTAIのオリジナルはどっちなのか。
あまり深い意味はないが話の取っ掛かりとしては悪くなさそうな話題だ。
いきなり美空の死に関わる質問を切り出すよりマシと割り切ることにする。
「あれは矢生さん。この人、いきなり半裸で出てきたんだよ」
オリジナルは矢生らしい。
いや、それよりも……
「二人とも別行動されてたんですか?」
「ああ、美空さんに先行かれちゃって、俺らは適当にブラブラと」
何ということもなさそうな矢生の言葉に頭が痛くなってくる。
殺人犯が潜んでいるかもしれない森の中で、さらにバラバラになるなんて不用心にもほどがある。
「ま、そこはほら、俺って結構鍛えてるし」
Tシャツに包まれた身体を誇示してくるがスルー。柿本ほどではない。
芦田の方は俯いてしまっている。
「で、矢生さんが裸で出てきた、と」
「汗びっしょりで気持ち悪かったんだからしょうがないじゃん。全裸はさすがにマズいと思ったしさ」
『それとも見たかった?』などとナチュラルにセクハラを仕掛けてきたが、これもまた笑顔でスルー。
森の中から全裸男が現れたら、ノータイムで110番通報である。文明の利器の力よ。
「ボクは矢生さんに無理やり脱がされただけだから。ノーマルだから」
顔をあげた芦田の弁解がやけに必死だった。
その口ぶりから判断するに、この小太り男はまだまともな感性を残している模様。
「君くらいの年頃の子だったら、むしろ燃える?」
「燃えません」
遥にBL趣味はない。
他人の趣味嗜好に口出しするつもりはないが、『BLが嫌いな女なんていない』などと思われるのは心外だ。
「でも君だってほとんど裸で森の中を歩いてるじゃん」
矢生の瞳に宿るエロ度が増す。
今は普通に服を身につけているから肌の露出はそれほどでもないが、遥は自分の身体を矢生の視線からガードするように抱きしめた。
結果として深みを増した胸の谷間に矢生が熱い眼差しを注いでくる。
「あれは撮影だからです。上着も着てます」
「ほとんど変わらないと思うけどなぁ」
「違います」
そう言っては見たものの、実のところ遥も内心では『あまり変わらないのでは?』と思っていたりする。
今さらながら、この企画は根本的なところで無理があったのではないかと疑問がよぎる。
「この話はここまでで……おふたりはもともと美空さんと一緒に森に入ったんですよね?」
『え~』と矢生がブーたれる(みっともない)が、芦田の方は程よくほぐれてきた模様。
いい感じに口を滑らせてくれるとありがたいところである。
「ええ。でもあの人、ひとりでさっさと歩いていっちゃって。何かめっちゃ浮かれてましたね」
「あれだろ、留学の件。池さんが死んで自分のところに回ってきたから大喜び……って不謹慎にもほどがあるだろ」
矢生の腹立たしげな声。亡くなった池と仲が良かったせいか、美空に対する嫌悪感が一層強まっているらしい。
この男の口から『不謹慎』という言葉が発せられた不思議については置いておく。
「どーせ、みんなの前じゃ喜べないからひとりになりたかったんだろ」
「だからあんなメッセージを送ってきたと?」
「ああ、ありそうですね。あの人なら……」
芦田もその点に関しては矢生と同意見のようだ。
『そこまでするか?』という疑問を抱いた遥は、あまりにあっさり過ぎる二人の回答に困惑させられる。
彼らの中では美空のイメージはかなりネガティブに歪められている。
教授は美空を買っていたような話しぶりだったのだが……
「あのメッセージが送信されたとき、おふたりは何を?」
「ん、芦田と合流して広場に引き返そうとしてた」
少しだけ考える風で答えてくる矢生。
伸ばされている長い髪を手櫛で後ろに流している。
「そうそう、矢生さんが歩きスマホしてて危なっかしいのなんのって」
「悪かったな」
木の根に足を取られてズッコケかけた遥としては渇いた笑いを浮かべざるを得ない。
やっぱり歩きスマホ駄目、絶対。
「芦田さんは歩きスマホしてなかったんですか?」
「ボク? ボクはその……」
挙動不審になった芦田の肩を叩きながら矢生が答えてくれた。
「コイツ、大学で歩きスマホして怖い人にぶつかったことがあってさ」
歩きスマホはそれ以来封印しているとのこと。
実際に痛い目に遭うとしっかり反省するようだ。
「でも、メッセージはすぐに確認したよ」
「美空さん怒らせると怖かったからな……」
しみじみと矢生がつぶやいた。
過去形で語らなければならないことに改めてショックを受けている模様。
「矢生さんも?」
「ああ。すぐ返信した」
そう言ってアプリを立ち上げて該当する箇所を見せてくれる。
周りの森と同じ、緑色のスマホカバーが矢生。光沢のある黒のプラスチックが芦田。
液晶画面には、深月に見せてもらったものと同じメッセージが表示されている。
教授たちと異なり、矢生たちと深月の返信は早い。実に若者らしい。
「後はその……3年前の海難事故について話を聞かせてほしいんですが」
「そう言われてもな……」
「ボクら、その頃はそもそも大学にも入ってないし」
ふたりは件の事故についてはあまり詳しく知らないらしい。
考えてみれば当然で、3年前ならふたりともまだ大学に入っていないのだ。美空と同じく。
後藤ゼミの課外活動が大きな変更を迫られた海難事故については、教授、池そして坂本以外は関係ないということになる。
「そうそう。ゼミに入ってから池さんにそういうことがあったって聞かされたくらいだよな?」
『夏にどうして海じゃなくって山に行くのか』と尋ねた矢生たちに、池が概要だけ話してくれたとのこと。
まぁ、普通に疑問を感じるところだろう。
完全に遥の偏見になるが、若者にとって夏と言えば海の印象がある。
「誰が亡くなったとか、その辺りは……」
遥の言葉に男たちは首を横に振った。
――聞きたいことはこれぐらいかな。
「お時間を取らせてしまってすみませんでした」
「いやいや、どうせここから動けないしね」
「君みたいな可愛い子となら、どれだけだって話していたいくらいだし」
好意的な笑み(といかがわしい視線)を向けてくる二人に礼を言って立ち上がる。
今の会話に何か手掛かりになるものはあったのだろうか。判断しづらいところだ。
――あとは坂本さんか……
★
「坂本さん、どこにおられるんですか?」
大学組に話を聞き終わった遥がぐるりと広場を見回した限りでは、坂本の姿は見つからなかった。
ただでさえ坂本は影が薄い。意識しないと見過ごしてしまいそうになる。
「坂本氏ならロッジだよ」
椅子に腰かけてカメラを弄っていた各務原が教えてくれた。
軽く会釈して男性用ロッジのドアを叩く。
「坂本さん、いらっしゃいます?」
「どうかされましたか、空野さん」
内側から張りのない声が聞こえてきた。
「ちょっとお話を伺いたいんですが……」
「ドア開いてますから、どうぞ」
「失礼します」
ドアを開けるとそこには坂本と柿本の姿があった。
二人とも荷物を片付けていたようだ。
柿本は先ほど別れた時と変わらない様子だが、坂本の顔には疲労が色濃く見える。無理もない。
「えっと……お疲れ様です」
「いえ、まあ……」
坂本はメンバーの中でただひとり昨日のアリバイがない。
警察の事情聴取も、遠目に見た感じでも尋問に近い有様だった。
そして今もなお疑われ続けている。ロッジに入ったのも、ここなら警官の視線が気にならないからかもしれない。
空いているベッド――柿本が使っているらしい――に腰を下ろし、坂本に目を向ける。
「昨日の件について質問させてもらっていいですか?」
「……どうぞ」
グラビア企画の主役からの話だけに、さすがに正面切って断りこそしなかったものの、坂本の表情は『いい加減にしてくれ』と語っていた。目は口程に物を言うのだ。
「と言っても、あまり話すことはないんですが……」
飲料水だけでなくキャンプ参加者が追加で要求してきた品々を纏めて買い出しに行っていた。広場を去るところは遥たちも目にしていた。
最寄り(と言ってもかなり距離がある)のコンビニだけでは事足らず、遠方へと足を延ばす羽目になった。
戻って来てからは柿本や矢生と荷物を運び、それからはずっと遥たちと行動を共にしていた。
なお、レシートはなく領収書を切ってもらったため、昨日の事情聴取の段階ではアリバイを示すものがない。
ほとんど車で移動していたため、スマートフォンに触れる機会はあまりなかった。
そもそも大学を卒業してからは、教授を含めゼミのメンバーとは交流がなかったとのこと。
美空の最期のメッセージも、同じグループに入っていないため目にしていない。
「こんなことになるなら、レシート貰っておけばよかった……」
大きなため息をつきながら頭を抱えてしまった。作業の手が止まってしまっている。
購入時間が機械的に打刻されたレシートがあれば、警察からも責められることはなかったのだから。
予定外の出費を経費で賄いたいという気持ちもわかる。坂本のアクションはごく普通のものだった。
美空の死という異常な状況によって、一転して不自然な行動に見えるようになってしまったのである。
「空野さん、僕を疑っておられますか?」
「……わかりません。ただ、坂本さんが行ったお店に警察が聞き込みに行くそうですから、アリバイは証明されるんじゃないかと思ってます」
美空の遺体発見現場からの帰り道、小川刑事からそういう話を聞いている。
今のところはメンバーで一番怪しい立場の坂本だが、警察が逆にアリバイを保証してくれるかもしれない。
「それならいいんですけど……はぁ、ただでさえ仕事が溜まってるのに……」
「編集のお仕事、お忙しいんですか?」
「ええ、まあ……忙しいのはいつものことなんですが」
2泊3日のスケジュールを確保するだけでも大変なのに、このままだといつになったら帰してもらえるのか予想もつかない。
上司にメールしたところ、『何とかしておく』とは言われたものの、どこまで信頼したものか……社会人は辛い。
「考えただけでも胃が痛い……」
坂本の手が再び動き出した。
バックパックに使わない荷物を収納している最中のようだ。
「いつ帰れるかわからないのに、片づけはするんですね」
「ええ、まあ。こういうのを後回しにできない性分でして」
遥の隣りで柿本が頷いている。
『お前も荷物をまとめておけ』と言われている気がした。
その視線をスルーして室内を見回すと、ごちゃっと荷物が散乱した一角が――
「各務原さんはそうでもないみたいですけど……」
「あの人は『後でまとめて一気に~』ってことなんでしょうね」
あれだけ仕事ができるのに、こういう所はだらしない。
『それがどうした』とふんぞり返る姿が目に浮かぶ。
何となく各務原らしいと納得できてしまうところが微笑ましい。
――ん? 後でまとめて?
坂本の言葉に引っかかりを覚える。
――後でまとめて片付けるなら、今は何もしなくていい……どうせ結果は一緒になるんだから……
ベッドに腰かけたまま足を組み、身体を抱きしめるように腕を組む。
胸元が押し上げられ、右手の人差し指と親指が整った顎を撫でる。
――池さん殺し、どうやって睡眠薬をやり過ごしたのかわからなかったけど……これなら、行ける? なにか証拠はある?
「空野さん?」
「坂本さん、お静かに」
――できるのはあの人……ということは……あれは……
近寄ろうとする坂本を柿本が押し止める。
固唾を飲んで遥を見守る男ふたり。
沈黙の中、少女のつぶやきが呪文のように流れていく。
「証拠は……ない。繋がらない……でも!」
いきなり立ち上がった遥は、挨拶もそこそこにロッジを後にする。
「かなたさん」
後ろから柿本が追ってくる気配を感じながら、走る。
柔らかい草むらに足を取られそうになり、何とか体勢を戻して、さらに走る。
その先には――
「小川刑事、調べてもらいたいものがあるんです!」
美空の死体遺棄現場の検証に付き合ってくれた、若い刑事の姿があった。
今日はここまで!
明日完結予定です。




