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第2話 森を征く車の中で


「ふぁ」


 車窓の外を流れる景色を眺めていた遥の唇から、可愛らしいあくびが漏れた。

 美しい少女だった。街を歩けばきっと視線を独り占め。

 アンケートを取れば10人中7人が美人と答え、残りの3人は可愛いと答える。そんな少女だった。

 腰まで届くストレートの黒髪は陽光を浴びてきらめき、シミ一つない肌は透きとおるように白く滑らかで。

 切れ長の二重瞼。見つめていると吸い込まれそうになる大きな黒い瞳は僅かに濡れて、眦の端に一粒の涙が光る。

 すーっと通った鼻梁に微かに色づいた頬。瑞々しい唇は南国の果実を思わせる。

 白地のTシャツの上に薄手のカーディガンを羽織り、下は薄手のパンツで足首まで隠れている。

 服の上からでも分かるほどに豊かに盛り上がった胸元、キュッとくびれた腰から曲線を描く腰。

 そして、程よく肉のついたしなやかな長い脚。


高遠たかとお はるか


 どこかに飛んで行ってしまいそうな名前を持つ遥は、都内のとある進学校高に通う現役の女子高生。

 遥は今、白いミニバンに乗って山の中を走っている。窓の外は見渡す限りの山、山、そして山。うねる道路に対向車は見当たらない。秘境か。

 車内はさほど広くもない。ストロボにレフ板、スタンドなどの撮影機材だけでなく人数用のバックパックが詰め込まれており、むしろ狭く感じるくらい。5人の乗員の距離は互いに近い。

 彼女が座っているのは車内の最後尾。広い座席を独り占めしている形だ。面子の中で一番贅沢な扱いを受けているのは――身も蓋もないことを言えば、遥が美少女だから。


「かなちゃん、寝不足かい?」


 ミニバンの中部座席に座っていた男が振り返る。

 年のころは30~40と言ったところ。中肉中背。

 髪は五分刈り、髭はなし。ねっとりした印象を受ける顔パーツを収めた頭部は楕円形。


各務原かがみはら 洋司ようじ


 主にグラビアアイドルの撮影を専門とするカメラマン。

 その道においては日本に並ぶものなしと謳われるカリスマ。

 今も手元で愛用のカメラを弄んでいる。

 各務原は遥を『かなちゃん』と呼ぶ。


『高遠 遥』=『空野 かなた(そらの かなた)』


 芸能事務所『かなたプロダクション』に所属する唯一のグラビアアイドル。デビューして丸1年と少し。

 整った顔立ちだけでなく、身体の方も15歳にして破格のスタイルを誇っている。

 そんな彼女が朝早くから車に乗って山に向かっているのは、もちろんグラビア撮影のため。土曜日だが仕事だ。


「昨日、ちょっと調子に乗り過ぎまして……」


 遥はバツが悪そうに答える。


「へぇ、珍しいね」


 各務原の言うとおり、遥が夜遅くまで起きていることは珍しい。もともと体調管理には万全を期す性格なのだ。

 そんな遥がなぜ昨晩に限って夜更ししていたかと言うと……


「ベッドに入った途端に、いい感じのトリックが頭の中に浮かんできちゃいまして。これはメモらなきゃって……」


「あはは、あるある」


 気難しいと有名な各務原だが、遥の前ではいつも上機嫌だ。

 遥には『空野 かなた』以外にもうひとつの名前がある。


『高遠 遥』=『空野 かなた』=『空野そらの 彼方かなた


 これまた糸の切れた凧のようなペンネーム。読みはグラドルとしての芸名と同じ。と言うか小説家としてデビューしたのが先だった。

 今のところミステリをメインに執筆活動中。他にもコラムや連載小説などを細々と。

 デビュー当時は若干13歳。『天才中学生作家現る!』などと大々的にプッシュされたものだ。

 鳴かず飛ばずの時期もあったものの、本人の(様々な)努力のおかげで一応執筆を続けることができている。

 売り上げの方はいまだ芳しくはないが、実家暮らしの学生の身分ゆえに金銭的に窮乏するほどではない。


「まだキャンプ場まで時間がありますから、休んでいていただいて大丈夫ですよ」


 穏やかな声は運転席から。


坂本さかもと 栄一えいいち


 出版業界中堅であるT社の若手編集。緩いパーマのかかった頭部は視線を逸らさないよう正面を向いたまま。

 今回の企画を立ち上げた編集部の代表として、一行が乗るミニバンのハンドルを握っている。

 T社に何度か営業として顔を出した際に遥の応対を引き受けてくれた男で、線の細い容姿からイメージされるとおり気弱なところがある。

 そして影が薄い。気を抜くと存在を忘れてしまいそうになる。『誰もハンドルを握ってないんじゃないか?』と不安に感じたことも一度ではない。


「車酔いは大丈夫ですか?」


 助手席に座っている巨漢が気づかわしげに尋ねてくる。


柿本かきもと いさむ


『かなたプロダクション』代表取締役社長兼『空野 かなた』のマネージャー。そして遥の遠い親戚。

 学生時代は空手に専心。大学卒業後とある企業に就職するも水が合わずに数年で退職。

 就職に失敗した形ではあるが、その温厚で誠実な人柄は親族間で信頼されており、遥がグラビアアイドルとしてデビューする際に監視――もといボディーガード代わりに傍につくことになった。

 芸能界という特殊な世界に飛び込む娘を心配した親心という奴である。


 いつもは窮屈そうにスーツに圧し包んでいる身体は健在。一線を退いてなお迫力満点、しっかりと鍛え上げられている。

 今回はキャンプということで、かなりの軽装。半袖のワイシャツから伸びる腕の筋肉が力強い。

 角刈りの頭に太い筆で描かれたような顔立ちが、見る者に武骨な印象を与えてくる。芸能関係とは縁遠い存在感がある。暑苦しいと言ってはいけない。

 ちなみに、『かなたプロダクション(通称かなプロ)』は社長ひとりグラドルひとりの弱小芸能事務所である。

 この大男は、いつの間にやら社長業やらマネージャーまで押し付けられた苦労人でもあった。


「大丈夫です。私、車には酔いませんし」


 厳つい外見とは裏腹に柿本は生真面目で心遣いのできる人間だ。

 グラビアアイドル『空野 かなた』しては、社長にはもう少しドンと構えていてほしいと思うこともなくはない。

 自分の暴走に巻き込んでしまったという意識があるから、あまり強くは言えないのだけれど。


「そうよ、寝不足は美貌の大敵なんだから!」


 そんなことを言ってくるのは、中部座席、各務原の隣に座っている女性。


三上みかみ 裕子ゆうこ


『ビューティフルコーディネーター』を自称する美女。

 今日になって初めて顔を合わせた遥は、実のところ彼女のことをよく知らない。

 耳慣れない肩書に首を傾げてしまったが(失礼!)、要はスタイリストやヘアメイクなどの仕事をひとりで引き受けてくれるらしい。

 複数のプロの仕事をひとりでこなせるのかという疑問はあるが、互いに知悉しているらしい各務原が『問題ない』と太鼓判を押していた。

 女性の撮影については一家言ある男の言葉だけに信じてもいいだろうと遥は判断している。実績は発言の信憑性を裏付ける。

 ただ――


「三上さんって、どこかでお会いしたことあるような気がするんですよね……」


 目尻の涙――あくびのせい――を拭いつつ遥は疑問を口にする。

 名前に聞き覚えはないが、顔を見た覚えがある。

 仕事の性質上、一度会ったことのある人間の顔と名前は極力覚えるよう心掛けている若手のグラビアアイドルとしては凄く気になるところである。

 相手によるものの『知らなかった』では済まないこともあるのだ。こうして直接本人に尋ねること自体が厭われる場合もある。


「残念。私と貴女が会うのは今日初めてよ」


「……そうなんですか?」


「そうなんです。な~んて」


 ふふふと笑う裕子。機嫌は悪くなさそうだが……この業界、名前を知られていないというのは遥の感覚では残念なはず。余計に謎が深まるばかりだ。


「かなちゃんは知らないかな? 『飯塚 かりん』って」


 助け舟を出してくれたのは、裕子の隣に座っていた各務原。

 その顔に浮かぶ笑みに悪意は見られなかったが、声には遥を試すような色合いが含まれている。


「『飯塚 かりん』って……え、あの『飯塚 かりん』さんですか?」


 各務原の口から語られた名前を反芻して驚愕。

『飯塚 かりん』は伝説的なグラビアアイドルである。

 遥もこの仕事を始めてから彼女の写真集を買い求めた。研究資料として。

 美貌やスタイルもさることながら、ポーズや表情など参考になるものが多かったと記憶している。


「ちょっと、各務原さん! バラしたら面白くないじゃないですか!」


 プリプリと怒ってみせる『飯塚 かりん』もとい裕子だったが、各務原は取りあわない。


「かりんちゃんは3年前にグラドルを引退して、今の仕事を始めたんだ」


「へぇ~」


 各務原の言葉に、遥は少し『意外だな』という感想を抱いた。

 グラビアアイドルは成功すると大体女優やタレントに転身する。それが典型的な出世パターン。

『飯塚 かりん』ほどのグラドルなら確実にそのコースに乗っていたはずなのだが。


「えっと飯塚さんは……」


「裕子」


「え?」


「裕子って呼んで。私もかなたちゃんって呼ぶから」


「はい」


「それで、何?」


「あ、はい。裕子さんはどうして今のお仕事を?」


 遥は今15歳。10年たっても25歳。

 25歳でもグラビアアイドルとして全然問題ない年齢ではある。

 遥は今の自分が気に入っている。高校生も、小説家も、そしてグラビアアイドルも。

 高校生は永遠に続けるものではないとして(トラブルがなければ3年で終了)、きっと10年後も自分は小説とグラビアを続けているだろうという予感がある。

 もちろん現状維持で満足しているわけではない。向上心はあるしステップアップにも関心がある。執筆も、芸能活動も。

 しかし――仕事を続けられなくなったときに自分はどうするのか、あるいはどうなるのか。将来に不安がないわけではない。学校でも進路がうんたらかんたらと教師が口にしている。

 ゆえに、自分と同じ(というのは失礼にあたるかもしれないが)グラビアアイドルとしての伝説的存在である先輩が、何を思って引退し、何を思って今の仕事に就いたのか。

 その事情には強く興味を惹かれるのであったのだが――


「うふふ、ひ・み・つ!」


 笑顔ではぐらかされた。

 あまり無遠慮に立ち入ってはいけない、直感的にそんな気がした。

 出会っていきなり聞く話でもなかったと反省し、遥は素直に引き下がった。

 シートに身体を預けて窓の外に目をやれば、そこに広がる緑の森がどんどん後ろに流れていく。

 その光景をぼんやり眺めていると、だんだんと眠くなってきた。

 

「すみません、ちょっと寝ます」


「ええ、おやすみなさい」


 目蓋を閉じて闇の中へ。

 車道をタイヤが切る音と微かな揺れが遥を眠りへといざなった。



 ★



「大自然の中で撮影と言うのはどうでしょう?」


 芸能界を震撼させた『大場おおば しげる』(芸能界最大手の事務所であるAプロ社長。事件ファイル01参照)の死にまつわる一連の事件について、遥や警視庁捜査一課が奔走しているさなかのことであった。

 探偵気取りで情報を集めている間にも日常は存在するわけで……出版業界中堅のT社に営業をかけた際に、顔見知りの編集である坂本からそんなことを提案された。

 遥たち3人が話し合っていたのはT社の一室。グラビアアイドルの打ち合わせという華やかなイメージとは裏腹に、どこにでもありそうな普通の会議室だった。

 折り畳み式の木製テーブルにパイプ椅子。遥が通っている高校にも似たようなものがあった気がする。


「大自然の中……ですか?」


 坂本の言葉に遥は首をかしげる。

 グラビアアイドルにとって『撮影』と『自然』の二つのワードをシンプルに結び付けると――まず思いつくのは海。

 肌も露わな水着をまとうことが多い仕事柄、その連想は実にスムーズなものだった。ノータイム。

 だったら最初から『海』と言えばいいわけで、わざわざ『大自然』などと呼ぶのはおかしい。


「ええ、ここなんですが……」


 坂本が取り出したのはT社が出版しているアウトドア誌だった。

 遥とはあまり縁のない雑誌だが、本屋で表紙を見たことぐらいはある。手に取ったことはない。

 開かれていたページには『香澄山キャンプ場』と記されている。

 場所は東京都から少し離れたG県の山間部。割と近い……のだろうか?

 イマイチ距離感がつかめない。


香澄山(かすみやま)キャンプ場ですか?」


 遥の隣に座っていた柿本が雑誌を覗き込む。

 打ち合わせの際には控えていることが多い社長兼マネージャーにしては珍しい。

 やや前のめりな姿勢でページをめくる柿本を余所に遥は坂本の提案を吟味する。


 グラビアアイドルと山。あまり聞いたことがない。

 普段の撮影は都内のスタジオが大半。

 近場の海に行ったことはある。

 しかし山というのはどうなんだろう?

 今すぐスマホで『グラビアアイドル 山』と検索したい欲求に駆られた。

 ……提案者である坂本の手前ゆえ自重したが。


「空野さんには申し訳ないんですが、あまり予算が取れませんで……」


 小説家として出版業界に携わる遥としては坂本の言い分――T社の意向は理解できる。社内の財政事情をぶっちゃけられても困るという本音は置くとして。

 出版不況が叫ばれる昨今、業界中堅どころのT社の懐事情は厳しかろう。

 削れるところは削りたい。限られた予算で最大限の集客力を見込みたい。

 グラビアは雑誌の顔だ。客に手に取ってもらえるかどうかを占う重要なコンテンツだ。

 遥の知る限り、ほとんどの男性誌の表紙や巻頭カラーでグラビアアイドルは活用されている。極小面積の水着をまとったスタイル抜群の美少女は男の欲望に直撃する。

 どのアイドルもルックスのレベルは高い。極端なことを言ってしまえば誰を使ってもそこそこの効果はある。

 でも有名どころはギャラが高い。ロケ地もそれなりの場所を選ぶ必要がある。事務所の意向もバカにならない。

 だから『空野 かなた』のような微妙な知名度のグラドルに声をかけた。ギャラが安かろうがロケ地がキャンプ場だろうが、首を横に振らなさそうだから。

 ……スケジュールの空き具合まで読まれているかもしれない。


「でも、ここはウチと懇意にしているところでして」


 いつも同じスタジオでは面白くない。

 だからと言って海外に繰り出す予算もない。

 目新しい企画は打ち出したい。そんな葛藤の結果がキャンプ場ということらしい。


――ふむ、どうしたものかしら……


 遥は背を引いて腕を組む。

『空野 かなた』はグラビアアイドルとして王道を歩いているとは言い難い存在である。自覚している。

 グラビアデビュー時のキャッチフレーズは『美少女すぎる小説家』。

 小説家として名前が売れないものだから、グラビアアイドルになって目立ってやろうというのがそもそもの発端である。

 地味ながらも整った容姿(当時)と、際立ったスタイルを併せ持っていたことが功を奏した。

 まぁ、何はともあれハッキリ言ってしまえばキワモノだ。

 グラビアアイドルとしても、小説家としても。

 そんな遥だからこそ――この企画に興味が湧いた。

 挑戦的な発想は嫌いじゃない。むしろ――


「面白そうですね」


 遥の返事から企画は走り出した。

 打ち合わせを重ね、日程を調整し、カメラマンやスタッフを選別し、持参する食材や献立を決定した。

 仕事ではあるものの、せっかくのキャンプだから楽しみたい。食事ひとつとっても、みんなの嫌いな食べ物を用意する意味がない。

 普段は一歩後ろに下がっている柿本が、今回の企画ではやけに気合を入れていた。


 その裏側で大場の事件に片を付け、一学期の期末考査を終えた。

 そして夏休み目前のこのタイミングで、一行は『香澄山キャンプ場』に向かうことと相成ったのである。


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