第19話 高遠遥の事情聴取 その1
「取っ掛かりは掴めた感じはするんです。あと少し、何か気づけてない……」
秀麗な顔に苛立ちの表情を浮かべる遥。
喉元まで出かかっている何かに、言いようのない不快感を覚える。
「う~ん、難しそうですか」
「はい。後は証拠。そして一日目の犯行のトリックと、できれば動機も詰めたいです」
「……最初の殺しも同一犯だと?」
小川の眉が怪訝に歪む。
「それもわかりません。ただ……このキャンプ場に複数の殺人犯がいるとは考えにくいとは思います」
そんなことを口にしてはいるものの、遥としては『複数犯人説』を捨てきれてはいない。
共犯か否かはさて置いて、可能性そのものを否定する根拠は見つかっていないのだ。
希望的観測は禁物だ。冷静になること。そして思考の幅を狭めてはいけない。
「かなたさん、そろそろ……」
柿本の言葉にお尻のポケットから黒革カバーのスマホを取り出し時間を確認。『7:30』
メッセージアプリを開くと、裕子たちが何度も居場所や無事を問うている。
柿本と一緒に美空の遺体が発見された場所を見学していること、今から広場に戻ることをグループメッセージに投下。
――――
『空野 かなた』キャンプでグラビア!(6)
――――
裕子
『かなたちゃん、早急に返事』7:27
かなた
『すみません、美空さんの遺体が発見された現場を見せてもらってました』7:31
かなた
『小川刑事と柿本さんも一緒です。だから安心して』7:31
深月
『目が覚めたら姿が見当たらないから、みんなで心配してました』7:31
裕子
『罰としてご飯抜き』7:31
各務原
『何かわかった?』7:31
――――
事件に首を突っ込んだだけでなく、貴重な話を教えてくれた鑑識に礼を言う。
次々と表示されていくメッセージを追いながら帰路につくと――足が木の根に引っかかってこけそうになった。
すんでのところで柿本に救われた。隣の小川刑事は呆れたような視線を送ってくる。
「かなたさん、歩きスマホは止めてください」
「ごめんなさい、柿本さん」
歩きスマホ、ダメ絶対。
「あれ?」
小川が遥を見て怪訝な声を零す。
「どうかされました?」
「ああ、いや、空野さんのスマホって白じゃなかった?」
「え?」
人のいい刑事に問われて手元を確認。スマホもカバーも黒。
「ああ、これは『空野 かなた』用の……仕事用の奴です」
昨日警察に見せたのは『高遠 遥』用。
家族や友人など親しい人間とのやり取りは、元から持っていた自分のスマホで行っているのだ。
わかりやすいようにスマホ本体もカバーも白。
――そういえば、美空さんとお揃いだったな。
ポケットから取り出した黒い皮のカバーを見て、そんなことを想う――
「あっ」
「どうかされました?」
気づかわしげに尋ねてくる男たちに、
「そっか、この方法なら……無理か……いや、行けるのかな?」
ひとり自分の思索に没頭してしまった遥は、柿本に手を引かれていくこととなった。
完全に保護者と子供の図である。
★
広場に戻った2人は、勝手にいなくなったことを謝り(小川は斎藤にメールで許可をもらっていた)朝食を摂った。
昨日のうちに坂本が買い込んで来てくれた菓子パン。カロリーや糖分が気になるうえに栄養価が残念だが、頭を回転させるためには甘味は大切なエネルギーだ。
食べ過ぎないように注意しながら、チラリとみなの様子をチェック。そして思考を走らせる。
――昨日一緒に撮影してたメンバーには、美空さん殺害は無理よね。
柿本、各務原、裕子、深月、そして遥自身。
まずこの5人は白。これは小川やほかの警察たちも証言してくれる。
そしてキャンプ場の管理人である岩崎は、池の死後ずっと警察と行動している。彼にも犯行は不可能だ。
残るは後藤ゼミの面々と、T社編集の坂本。
坂本も元は後藤ゼミに所属していたらしいので、今回の事件はゼミ内部のトラブルと考えてもいいかもしれない。
しかし後藤教授と七海、矢生と芦田は互いにアリバイを証言することができるので、共犯の可能性を考えなければ一番怪しいのは坂本になってしまう。
これで坂本が犯行時刻に森にいなかったことを証明するもの――たとえば買い物のレシート――があればよかったのだが、あの男、わざわざ領収書を切ってもらっている。
経費で落とすつもりだったようだが、完全に裏目に出てしまった。当然ながら手書きの領収書に時間は記されていない。
まあ、この件については警察もすでに動いており、昨日坂本が立ち寄った店にこれから聞き込みを行うとのこと。
――しかも犯人は屍姦趣味の可能性か……
屍姦趣味については、あまり詳しくはない。
ミステリーにせよホラーにせよ、そういう特殊な性癖を拗らせている人物を出すとストーリーは盛り上がるだろうが、遥は自著にそのような人物を出したことがない。
想像で補って執筆しようとしても何となく嘘くさいというか……ピンと来ないのである。ピンと来てしまうと一般人を逸脱してしまう気もする。
内部犯説と鑑識の見立てを採用するならば、そんな胡散臭い人物がこの一行の中にいることになってしまうのだが……
――いや、あの5人にそんな趣味はない。
これまで彼らが遥に向けてきた視線は、程度の多少はあれど一般的な男性のものと同じ性的な興味を含んでいた。
グラビアアイドルとして多くの視線を集めてきた遥は、視線の意味には人一倍敏感だ。これは自信を持って断言できる。
ちなみに七海からも感じたので、たぶん彼女は同性愛者あるいは両性愛者の可能性が高い。趣味嗜好は本人の自由だしイチイチ言及はしない。
――となると、美空さんの服を脱がせたのは偽装ってことになるけど……
わざわざそんなことをする理由がわからない。
外部の強盗犯に見せかけるのなら、身ぐるみ一式剥いで行った方が説得力がある。
服を脱がせる――正確には捲り上げることに意味があるのだろうか? レイプ、しかも死亡後にヤったと見せかけるメリットが。
……あるのだろう。おそらくすでにヒントは遥の目の前にある。
喉元あたりにわだかまるもどかしさが、そう遥に告げている。しかし――言葉にならない。
――いったん思考を整理し直そう。
食べかけのクリームパンをひと口齧る。甘味が口中に広がる至福の瞬間。
頭の中身がきれいさっぱりと蕩ける白い液体によって洗い流される。
――坂本さんが白であることが証明されると……あとは2つのペアのうちどちらかが共犯関係ってこと? でも共犯だとすると動機は何?
推理作家『空野 彼方』は、自著において動機を重視していない。
ミステリにおける動機とは、物語を盛り上げるための装置あるいはアクセサリに過ぎない。それが『空野 彼方』のスタンスである。
動機なんてものは作者がいくらでもでっちあげることができるし、いかにも胡散臭いミスリードも珍しくない。後付けされる場合もあり、壁に本を叩きつけたことも何度か……。
そも探偵は全ての情報を手に入れることができるとは限らない(そうあるべきなのだろうけど)。人の心まで覗けるわけでもなし、動機なんて自白以外じゃわかりはしない。自白もどれだけ信じられるか……なんて言い出したらキリがない。
だいたい推理小説の登場人物なんてのは、どいつもこいつも被害者に対していい感情を抱いていない。動機があって当たり前なのだ。無かったらただのシリアルキラーになってしまうではないか。それはそれでありだけど、趣向が変わってしまう。
まぁ、それはともかく……そんな動機なんてものにイチイチ拘泥するよりも、緻密あるいは大胆なトリックを構築した方がよほど面白い。
……などと考えているから作家としての人気が微妙なのかもしれない。認めたくはないが。そんなレビューを見てガックリ来たことがある。
いや、今は関係ない。遥はブンブンと頭を振って余計な雑念を払う。髪が頭の動きに合わせて大きく揺れる。
――動機……池さんと美空さんを殺す動機……
このキャンプ場に足を踏み入れて時を置かずに後藤ゼミの面々と出会った。
彼らとはいくつかの場所で行動を共にし、様々な会話に花を咲かせた。
そこで出てきた話題に限定するとなると……
――怪しいのは……留学の件と、何年か前の海難事故?
聞くとすればその辺りだろうか?
後はこの2泊3日、特に2日目の午後の動向。1日目の夜は全員睡眠薬で眠らされているのでどうしようもない。
全員アリバイがないどころか、全員動けない状態だったのだ。
……内部犯説をとるなら、犯人は何らかの方法で睡眠薬から逃れているはずなのだ。その手段も考察しなければならない。
美空殺しのアリバイを崩せても、まだまだ壁が多い。それでもひとつひとつ問題に当たっていくしかない。
概ね狙いを定めたところで、口中のパンをミネラルウォーターで流し込む。
犯人が次の行動に移る前に動きたい。覚悟を決めて遥は立ち上がった。
★
『実は私、推理小説を書いておりまして』
この枕詞は遥が事件に首を突っ込む際の常套句であった。
もちろん今回も役に立ってくれた。世界中の推理作家のみなさん、どうもすみません。
遥と関係のなさそうな事件や後藤ゼミの事情について質問すると、一様に胡散臭いものあるいは不謹慎な人間を見るような厳しい目つきを向けてくる者どもも、『まあ、仕方がない』と納得させる程度には有効だった。
ただ……ゼミの面々も警察も、誰ひとりとして推理作家『空野 彼方』の名を知らなかったが。遥は思いっきり凹んだ。ひとりぐらい居てくれてもいいんじゃないかと空を仰いだ。
二人の教え子を喪った後藤教授は、椅子に腰かけたまま何をするでもなく呆けていた。
その瞳は焦点が定まっておらず、遥が声をかけても気づいていない。
傍に控えていた七海が肩を揺さぶると、ようやく正気を取りもどしたらしく、遥に視線を合わせてきた。
「……どうかしたのかね?」
「えっと、少しお伺いしたいことがありまして」
そこで自分が推理小説を出版していること、参考までに詳しい話を聞かせてほしいと告げると、案の定と言うべきか教授は深い皺が刻まれた顔を歪めた。
当然の反応だったので怯みはしなかったが、後藤教授の中の『空野 かなた』像に大きなヒビが入ったことは認めざるを得ない。
「不謹慎とは自覚しているのですが、ひょっとしたら教授たちがご覧になってきた何かが犯人を見つけるヒントになるかもしれませんので……」
『推理小説と現実の事件は違う』という反論と、『ひょっとしたら何かの足しにはなるかも』という期待の狭間で教授の心は揺れている。
「……君には深月が世話になっている。犯人を許すことができないという気持ちもある。それで、何が聞きたいのかね?」
その表情にはいまだ迷いが見える。
無理もない。これがベテランの作家ならまた違うのだろうが、遥は名前すらロクに知られていない新人。
しかも15歳の女子高生に過ぎない。見た目からして信頼度が大きく異なっている。
「まずは昨日の午後についてお願いします」
「ふむ……すでに警察にも話してあるが、昨日は七海君と共に森に入っていた」
湖に通じる東の道とも、川に通じる北の道でもない。
さらに言うなら駐車場に向かう西の道でもなかった。
いくら自然に触れ合うことを目的としているとはいえ、道なき森に分け入るというのはどうなのだろう。しかも教え子――年頃の女性と。
警察も相当怪しんでいたらしく、何度も教授に確認を取っていた。
「どうして七海さんと二人だったのか、聞いてもよろしいですか?」
いきなり失礼な質問だったかもしれない。
教授と教え子の関係を疑っているような内容だ。『ような』どころの話ではない。
「七海君はよく気の利く子だからね。誓って言うが、君が想像しているような疚しい理由ではないよ」
まるで『お前はいかがわしいことばかり考えているな』と馬鹿にするような口調だ。腹立たしい。
チラリと七海の方に視線を向けると、憮然とした表情で頷いている。
遥としては『口では何とでも言えるのだから、疑われるような行動は慎め』とでも反論してやりたくなったが、こんな話を深月の耳に入れたくはない。
声をひそめてしばらく突っついてみたものの、昨日の動向については情報を引き出すことはできなかった。
「美空さんからのメッセージには……」
「気づかなかった。気付いてあげられなかった……すまないことをした」
七海とともに俯き肩を震わせている。
その姿に胸を締め付けられるような感情が込み上げるが、聞かなければならないことが他にもある。
感傷に浸っている時ではないのだ。
「次に、3年前の水難事故について教えてもらえますか?」
「……あの事故が今回の事件とつながっていると言いたいのかね?」
「あくまで可能性の話ですが……」
後藤ゼミではもともと毎年夏に海で合宿を行っていたと聞く。
しかし3年前に海難事故が発生し生徒がひとり亡くなっている。話してくれたのは誰だっただろう?
その事故に何らかの事件性があれば、亡くなった生徒の敵討ちなどと言う線も出てくるのではなかろうか?
ミステリの導入としては最適の部類だろう。ドラマ性がある。
「あの時はクルーザーを借りて海に繰り出していた。そこで嵐にあって船が転覆して……救助は行われたのだが手が足りなくてね。結局間に合わなかった」
「つまり事件性はなかった、と」
教授は重々しく頷いた。
「警察の取り調べもあったが、事故として処理された」
「警察がそう結論付けたとして、納得できない人間がいた可能性は?」
「ない……ないはずだ。だいたい美空君は関係ないだろう?」
美空は当時まだ大学にいなかった。浪人していたとのこと。
そもそもその件で怨みを持っているのなら、狙われるべきは当時在籍していた池、坂本、そして自分が狙われるはずだ。
後藤教授は自嘲気味に乾いた笑みを零した。復讐者(仮)のターゲットから深月が抜けているように思えたが、あえてツッコミは入れなかった。
「それでは最後に、教授が推薦する留学の件についてですが……」
「ああ、ウチに所属する優秀な生徒をアメリカにやることになっていてね」
話題転換に教授は目を白黒させている。
口調から重さが消えた。虚を突いた甲斐があったものだ。
ついでに重要そうな話をポロリと願いたいところである。
「もともとは池さんがアメリカに行く予定だったと聞いていますが?」
「うむ。しかし池君があんなことになってしまって……」
「代わりに誰を推薦することにされたんですか?」
「……美空君だ。しかし彼女もまた……」
浮き上がったに見えた教授の表情に影が差し、再び沈降を始めてしまった。
「では次に選ばれるのは?」
「そこまでは今は考える気に慣れんよ。少しは私に気を遣ってくれんもんかね」
吐き捨てるような教授の声。
七海の方を見ると非難するような視線を向けてきている。
「七海さん、今の教授のお話に補足するところなどは……」
「ありません」
即答だった。これ以上話をすることはないと全身が物語っている。
――ずいぶん嫌われたものだ。
昨日までの隠しきれない艶っぽい視線が、すっかり厳しいものになってしまっていた。
「ありがとうございました」
遥は頭を下げて二人のもとを離れる。
――海難事故の件は関係ないかな。
3年前に実際何があったかはともかく、当時の関係者でない美空が襲われた理由にはならない。
話題を振ったときの教授の口は重かったが、その点だけは納得のいくものだったから。




