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第18話 高遠遥の現場検証


 カーテンの隙間からうっすらと差し込む陽光と、耳元で震えながらアラーム音を鳴らしているスマホのおかげで、遥は目を覚ました。

 液晶に表示された時刻は『5:30』。午前3時起きだった昨日のことを思えば、実に爽やかな目覚めである。

 あくびをしつつ室内を見渡すと、ベッドで眠る裕子と深月の姿がある。

 二人ともすやすやと寝息を立てており、胸がかすかに上下している。

 ひょっとしたら殺人犯に襲われるかもしれないという危惧があったが、幸いなことに杞憂だったようだ。

 眠っている二人を起こさないようにシャワールームに入り冷水と温水を交互に浴びると、脳内に巣食っていたわずかな眠気が吹き飛び、入れ替わりに気合が燃え上がってくる。

 髪にまとわりつく水気をタオルに吸わせ、軽くメイクを施す。

 今日は撮影の予定がないのでわざわざ裕子の手を煩わせることもない。

 だからと言ってすっぴんで人前に出るつもりもないが。たとえ相手が柿本であろうとも、だ。これは譲れない。

 森の中を探索するために肌を露出しない格好に着替え、山歩き用のシューズを履く。


「それじゃ、行ってきます」


 ロッジのドアを閉めて鍵をかける。

 振り向くと、そこには見慣れた巨漢――柿本と、もうひとり……


「小川刑事? どうかされましたか?」


「それを聞きたいのはこっちの方なんだけど……」


 額に手を当てて嘆息する若い刑事に何と答えればよいか迷った遥は、柿本の様子を窺う。


「かなたさんが現場を見に行きたがっているという話は、昨夜のうちに警察の方に通しておきました」


 その言葉に愕然とする。

 言い方は悪いが『裏切られた』とさえ思った。

 これではまるで自分が殺人事件に興味津々な不謹慎すぎる変人と思われてしまうではないか。概ね間違っていない。

 冷静に考えれば、そもそも警察の目を盗んで現場検証などできるはずもない。むしろ柿本グッジョブなのでは、という気がする。


「森の中に殺人犯がいるかもしれませんので、僕が案内します」


「ここを空けてしまって大丈夫なんですか?」


『無理して付いて来なくてもいいんですよ』という副音声が漏れ聞こえてしまいそうな問い。

 しかして勤勉な小川刑事には全く通用しなかった模様で、


「心配してくれるくらいなら、危ないことは思いとどまってほしいところだけど……ここには斎藤さんもいるし、森の中を二人で歩かせる方が良くないと思うしね」


「そうですか……お手数をお掛けしますが、よろしくお願いします」


 小川を振り切るのは無理だと悟った遥は、手のひらを返して歓迎ムードを醸し出す。

 実際のところ警察と揉めてもいいことなんて何もない。

 わざとらしくため息をつく小川に朝イチの微笑みを向けた。

 無料のスマイルでご機嫌を取るのは『空野 かなた』の常套手段。



 ★



 美空の遺体が発見された現場は、広場の東の道を進んで約10分過ぎの位置から途中で茂みに分け入って、わずかに北進したところにあった。

 広場からは歩いて約30分と言ったところ。そろそろあちらでは誰かが目を覚ましているかもしれない。

 話に聞いていたとおり、岩肌にぽっかりと口を開けた洞窟があり、傍に鑑識と思われる青い作業服を身につけた年配の男性の姿が数人見受けられた。

 小川刑事が彼らに挨拶しつつ遥を案内したその先には、白いテープが人型を象って地面に貼られていた。

 周囲には番号が振られた何枚かのプレートが配置されている。

 テレビドラマ等ではしばしば目にするものの実物を見るのは初めての経験だ。

 おそらくこれが美空の死体発見時の状態を顕わしているのだろう。頭部と思われる丸い形は入口の方を向いていた。

 傍に屈みこんでいた鑑識が小川と話をしながらチラチラと遥の様子を窺ってくる。

 愛想よく挨拶――できる状態ではない。神妙な顔を作っておく。それぐらいの空気は読める。

 早朝の山間ということで冷涼な気候ではあったが、この洞窟の周囲は異様な熱気に包まれている。

 警察の執念が空気の圧となっているかのよう。手が触れた洞窟の壁はわずかに湿り気を帯びている。


「この洞窟で美空さんが発見されたそうです」


「ここが殺害現場?」


 遥の問いに首を左右に振ったのは鑑識の男。


「死体を動かした形跡があった。多分森のどこかで殺した後、ここに運び込んだんだろう」


「えっと、死体の服は脱がされていたんですよね?」


 犯人は森の中で美空を暴行(性的暴行の痕跡はないとのことなので未遂)した後で首を絞めて殺害。死体をここまで動かしたという流れに……


「ああ。死体を弄ぼうだなんて、とんでもない奴だ」


「え?」


 聞き間違いだろうか。

 遥は驚いて鑑識の男に目を向けると、


「死体を見たところ、殺されたのが先だ。ここに運ばれてから服を脱がされている」


「それは……」


 俄かには信じがたい情報を耳にして、とっさに言葉が出ない。

 屍姦趣味ネクロフィリアと言う倒錯した性癖については、職業柄調べたことがある。

 しかし、それは遥にとってどこか現実味を欠いた情報に過ぎず、まさか現実に――と言うか身近にそんな性癖を拗らせた人間がいるとは思わなかった。

 思わず顔をしかめたのは15歳の女子高生としてはごく当然の反応だろう。


「でも、その……服を脱がせただけなんですよね?」


「ああ。まあ、そうなんだが……」


 鑑識の言葉も要領を得ない。自身で調べた結果と、幾つもの事件に立ち会ってきた経験に照らし合わせてみても、何やらしっくりこない部分があるらしい。

 屍姦趣味と言う割には、実際に事に及んでいない。これは奇妙だ。

 殺人と言う人として最大級の禁忌を犯している犯人が、滅多に食べられないご馳走を目の前にして何もせずに立ち去る。そんなことがあるだろうか?

 

「さすがにヤっちまうと精え……もとい体液が残るからな。犯人もそこまで馬鹿じゃなかったんだろう」


 年頃の少女(15)相手のせいか言葉を選んでくる。別に気にしないのだが。

 疑問は残るものの、鑑識の言い分もわかる。現代の警察が誇る科学技術は凄まじいものがある。

 精え……体液を被害者の身体に残すのは危険すぎる。捕まえてくれと言っているようなものだ。あるいは絶対に捕まらないという自信があるか。

 シンプルに考えれば、犯人は正常な判断力を有していると見るべきだろう。

 白テープで囲まれた周囲――死体が転がっていたと思われる場所に目をやると、ゴツゴツとした岩肌が露出している。

 遺体は座ったままの姿から横倒しになったようで、両腕が万歳された形になっていた。


「美空さんの遺体を見せてもらったんですけど……」


「ああ、酷いもんだっただろう」


「ええ……それでちょっと気になったんですが、美空さんのメイクが随分崩れてたな、って」


 遥の言葉を耳にした鑑識の男の瞳に光が宿る。

 

「お嬢さん、なかなか鋭いね」


 本職に褒められると誇らしい。推理作家として。

 一般人の感覚としては、死体に詳しいJKというのはちょっとどうかと思わなくもない。


「このあたりの地面にはメイクの跡がついてないし、どうなのかな、と」


「服だな」


「服? 脱がされていたって言う?」


 遥の問いに男は頷く。


「服を脱がせる――と言うか捲り上げる際にかなり擦れたみたいだ。ベットリ付いてたぞ」


「なるほど……」


 美空の肢体を見るために服を脱がせたらメイクが崩れて、せっかくの美人が台無しになってしまったわけだ。屍姦に顔は関係ないのだろうか。わからない。


「他に何か気になったことはあるか?」


 見た目のわりに鋭いところに突っ込んでくる遥を見て気を良くしたらしい男が、逆に訪ねてくる。


「一番気になるのは、やっぱりスマートフォンです。ここで見つかったんですよね?」


「ああ。これだ」


 鑑識は美空の遺体跡の傍に置かれている一枚のプレートを指した。

 上半身――ずり上げられた衣服に拘束された腕の傍だ。


「スマートフォンがそんなに気になるんですか?」


 プレートの傍に屈みこんだ遥に、これまで沈黙を守っていた柿本が尋ねてくる。

 ええ、と遥は頷き、


「だって、犯行現場――美空さんが殺されたのは、ここじゃないんですよね?」


 鑑識の男が頷いた。


「森の中で殺されて、ここまで運ばれたと考えるなら……スマホは森のどこかに落ちているか、あるいは服のポケットに入ったままだと思うんです」


 美空が犯人と遭遇した時点でスマホを触っていれば、その場に落下するはず。

 森の中に落っこちない状況――もともとポケットに収まっていたのなら、死体のそばに落下するのはおかしい。

 ポケット説をとるなら、零れ落ちたのは服を捲り上げた時ぐらいしかないが、本当にそのタイミングでスマホが落ちるだろうか?


「服を脱がせる際にポケットの中から偶然落っこちたのでは?」


「ちょっと試してみます?」


 そう言うなり遥はおもむろに腰を下ろしボトムのホックを外す。

 お尻に当たる地肌は夏の太陽に晒されておらず、じゃりじゃりと湿った感触が気持ち悪い。

 唐突な現役グラビアアイドルのストリップ。暗い洞窟に雪のように白い肌が浮かび上がる。仰天する男たちを尻目に脚からズボンを抜いていくと――


「ほら、落ちませんよね?」


「わかりました、わかりましたから、かなたさん!」


「下は水着着てますから」


「そういう問題じゃありません!」


「はいはい」


 腰を浮かせてお尻をはたき白いお尻に付着した土を落とし、ボトムを引き上げる。


「もし仮に落下したとしても、放置しておきますかね……」


 立ち上がってホックを止めてつつ遥は首をひねる。

 そもそも落ちたスマホを指紋をつけないように拾い上げて、再びポケットに入れておけば違和感はなくなるのだ。

 服を捲る手間はあるのに、スマホをしまう手間がないというのは……


「林檎印の新型は胸ポケットには入りませんし……仮に入れていたにせよ、落っことしたらスルーはないと思います」


「上を脱ぐのは止めてくださいね」


「だから水着着てますって……」


 せめてどこかに持ち去って捨ててしまう方が無難な感じがする。

 死体の傍というのがとりわけ怪しく感じられた。

 ご丁寧に指紋まで拭き取って――


「大体、何でスマホを破壊したんでしょうね?」


 斎藤刑事に見せてもらった美空のスマホはかなり念入りに破壊されていた。

 たまたま落下してヒビが入ったとか、そういうレベルではない。

 あれは意図的に破壊されたものだ。そして死体の傍に捨てた。『何のために?』という疑問が続く。


「スマホが犯人にとって都合が悪いものだったというのはどうでしょう?」


 それなら犯人がスマートフォンを破壊せざるを得ないではないか。

 これは名案とばかりに小川が柏手を打つ。


「と言うと?」


 遥が先を促すと、小川刑事は暫し悩んだ後、


「そうだ! 写真を撮ったんじゃないかな? ほら、ダイイングメッセージの代わりに」


 この小川刑事の発言に、遥は思わず眉をしかめた。


「写真ですか? 今にも殺されようとしているのに、それは悠長に過ぎるのでは?」


 以前見た、人間が死にゆく姿を思い出したのだ。

 死を間近にした者は、大抵最期まで抗うもの。

 ミステリーにおけるダイイングメッセージみたいな、自分が死んだ後にしか役に立たない(つまり自分を助けない)もののことなんて考える余裕はない。

 ましてや今回の事件は絞殺。意識を失うその瞬間まで首を絞める凶器から逃れるために戦ったはずだ。


「でも……」


 なおも食い下がってくる小川に向かって問いかける。


「……じゃあ、試してみます?」


「え?」


 訝しげな表情を浮かべる小川刑事を座らせて、


「あの、首を絞めたのはどちらから?」


「後ろだ」


「ありがとうございます」


 小川の背後に回って身を寄せる。

 凶器の代用品がないので手を伸ばして刑事の首を掴む。

 実際には扼殺(手で首を絞めて殺す)ではないが、状況確認ができればいいので今は置く。


「こうやって背後から忍び寄って首を絞めたんですよね」


「ああ、バレないように近づいて、一気にギュッといっただろうな」


 鑑識の言葉に遥は頷く。

 遥の白い手が巻き付いている小川の首はなぜか赤くなっている。


「美空さんは当然必死に抵抗する。……抵抗してください」


「えっと、その……」


「真面目にやってください」


 ひと回り近く年下の少女にどやされて、自分の首を絞める手にそっと手を添える刑事。

 右手、そして左手――つまり両手を使って遥の手を引きはがしにかかっている(仮)。


「そう言えば、被害者の爪に本人以外の皮膚とか残ってなかったんですか?」


 鑑識は首を横に振った。


「このまま首を絞められて、死亡」


 この一連の流れにスマートフォンが介入するタイミングがない。

 写真を撮るために片手をフリーにするなんて、首を絞められている状態ではまずありえない。力負けしたら死亡一直線の状況である。

 遥がそう纏めると、小川刑事は目に見えてわかるほどにしゅんとしてしまった。子犬っぽい。


「でも、スマホに犯人にとって都合の悪いデータが入ってたってのはありそうだな」


 鑑識が小川の案を一部拾い上げる。


「……先に美空さんが犯人の写真あるいは正体を示す何らかのデータを持っていて、それゆえに狙われたということになりますか」


 柿本の言葉には一定の説得力があった。

 わざわざスマホを取り出して破壊するに足る理由にはなる。


「よし、スマホのデータを復元するように……」


「どうやって犯人はそれを知ったんでしょう?」


「え?」


「そもそもデータを消すだけなら、ここでやればいいはず」


 わざわざ死体を運んだり服を捲る暇があるのだから、それほどの困難はないように思われる。


「ロックがかかってたんじゃないんですか?」


「死亡直後なら、多分指紋認証で突破できます」


「指紋って……」


 言い募る柿本に答えるべく、白テープを指さす。


「死体の指紋を使えば認証できるはず。だからデータを消すだけなら問題ない」


「ひとつひとつ消すことができないくらいにたくさんのデータがあったとしたら、どうでしょう?」


「その場合、犯人が外部犯であるという前提そのものが崩れますよ」


 それほどのデータを短時間に集めることができたとは思えない。

 この森に来てからたったの1日しか経過していない。

 池の死後からなら半日もない。


「ああ、そうでしたか……」


 頭を掻きむしる柿本とは裏腹に、遥の方は冷静なまま。


「いや、犯人は内部の人間と考えた方がいいのか」


 瑞々しい唇から零れた呟きに目を剥く男たち。


「え、かなたさん、それは……」


 同じ釜の飯を食った仲間を疑うのか。

 柿本は言外にそう告げている。言うまでもなく遥は疑っている。

 外部犯が存在しないことを証明することはできない。悪魔の証明だ。

 そっちは警察のマンパワーに任せて、遥は内部犯を疑うべきだと考えた。

 ようやく目指す方向性が定まった。いや、顔見知りを疑う覚悟が定まったと言うべきか。


「さっきの議論、途中まではいい線行ってたと思うんです」


「と言うと?」


「犯人にとってスマートフォンを壊さなければならない理由があったってこと」


「それ、ほとんど最初だね」


 小川の小さな呻き声を無視して遥は思考に没頭する。


「犯人がスマホを壊す理由……データ削除はありうるけど、そもそも死体を使えば犯人の指紋はつかないし破壊する必要もない。わざわざ壊したら逆に怪しまれるだけ」


 身体を抱きしめるように両腕を組み、豊かな胸を持ち上げるポーズで立ち尽くす。

 無意識のうちに右手の中指と親指が顎を撫でる。


「怪しまれるリスクを負ってまで壊す……わざとらしい。まるで何かから目を逸らしたいみたい」


 少しずつ推論を組み上げていく。


「……目を逸らすって、何から? データ復元させたくない? いや、違う。ちょっと壊した程度ならデータは復元できるはず。スマホ……を何かに使ったってこと? ほかに思い当たる理由がない」


「何? 何かしたって?」


「ちょっと、空野さん……」


「それに、なんでスマホを死体の近くに捨てたのかしら……森の中に捨てなかった理由……あえて発見させる必要がある?」


 ほんの小さな違和感から、その背後にある大きなイメージを結像させていく。


「犯人は美空さんを殺してからスマホを持ち去って何かに使った。そしてその後であえて発見させた。その理由は……」


「「「理由は?」」」


 三人の男の声がきれいにハモる。


「あ~、もうちょっとでわかりそうなのに!」


 少女はきれいに整えられた頭を掻きむしった。

 大人たちは肩を落とし、力なく笑う。

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