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第17話 事情聴取、再び


『そうそう、スマートフォンと言えば……』


 再度の事情聴取を始める前に、斎藤刑事はスーツのポケットから透明なビニール袋を取り出した。

 中に入っていたのは――林檎印のスマートフォンだった。黒い皮のカバーに見覚えがある。

 ただしスマホの筐体は奇妙な形に折れ曲がり、液晶はクモの巣のようにヒビが入っている。


「この携帯電話なんだが、こいつぁ被害者『美空 美鈴』さんの持ち物で間違いありませんかね?」


 スマートフォンを掲げながらの斎藤の言葉、その響きに違和感がある。


「そのカバーは美空さんのものだと思いますが、何でそんなことを聞くんですか?」


 美空と交流の深かった大学組の方を見やると無言で頷いている。

 遥の問いに刑事はしばし考えるように沈黙。そして、


「この電話は被害者の遺体の傍に落ちとりましてね」


「死体の傍、ですか?」


――え?


 何故だろう、斎藤の言葉がやけに引っかかる。

 思わず問いかけてしまうほどに。

 死体の傍にスマホがあるということは、美空は最期までスマホを触っていたということに……


「……ちなみに指紋は?」


「被害者のものだけ残っとります」


 斎藤刑事の話しぶりでは、遺留品に犯人の指紋なんてそうそう残っているものではないということは想像していたようだ。

 言わんとすることは理解できる。しかし――何かがおかしい。今すぐ言葉にしろと言われても困るのだが……

 

「ま、とりあえずこれが被害者の持ち物だとわかればいいんです。それじゃ、おひとりずつ話を伺いますんで」


 刑事に促されるままに事情聴取が始まる。

 しかし、遥の脳裏には激しい違和感が付きまとっている。

 きれいな顎を人差し指と親指で撫でながら、声がかかるまで思考の海に沈んでいった。



 ★



 事情聴取の順番は午前中と同じで大学組が先。美空との関係を鑑みれば妥当な所だろう。

 名桜大学の面々への聴取がひととおり終わったところで遥の順番となった。

 深くひとりで考え込んでいたせいか、名前を呼ばれても反応することができず、柿本に肩を揺さぶられてようやく正気に返る。

 広場の片隅に緊急設置されたブース――接収されたテーブルと椅子を置いただけの簡易なもの――に歩み寄り、斎藤の言葉のままに椅子に腰を下ろした。

 テーブルを挟んで正面に斎藤が座り、そのすぐ傍に小川が控えている。


「それじゃ……空野さんでしたね。今日の午後どこで何をしていたのか教えてもらえますか?」


 斎藤の言葉を聞いてチラリと小川に目を向けるも、若い刑事は口を真一文字に結んだまま。

 

「……わかりました」


 別に疚しいところはないので、順を追って説明していく。

 男性用ロッジで撮影してから、広場での撮影の前に休憩。

 同行していた裕子とともに女性用ロッジで深月にメイクを施し、記念にスマホで写真を撮った。

 ロッジの外で撮影再開。テントやギアと併せた写真がメイン。

 裕子のメイク講座を聞いているところに、半裸の矢生と芦田がサイトに帰還。湖に通じる東の山道から。

 撮影が終了したのでロッジに戻って服を着た。外に出てみると後藤教授と七海が戻ってきた。

 しばらく普通に歓談し、夕食の用意をしようとしたタイミングで戻らない美空を探して小川刑事ほか警察の方々と男性陣が森に入り、そして――


「言うまでもないことかもしれませんが、私たちにはほとんどずっと小川刑事がついていただいてました。広場での様子は鑑識の方もご覧になっておられると思います」


「まぁ、そうだなぁ」


 小川も遥の言葉に同意するように頷いた。

 さすがに女性用ロッジには小川を入れなかったが、あの小さな小屋から広場にいた面々の目を盗んで森に入ることはできない。

 おそらくほかの撮影組もこれから同じような話をするのだろう。

 ひとりひとり口ぶりは変わっても、さほど証言に食い違いは出ないはずだ。

 撮影組と深月には怪しいところはなかった。美空を殺害するチャンスはなかっただろう。


「ちなみに被害者が亡くなったと推定される時間帯、午後4時15分から午後5時あたりにかけては何を?」


「えっと、その辺りは……すみません、あまり詳しくは覚えていません。撮影中だったとは思うんですが……」


 わからないことはわからないと素直に答える。

 余計なことを口にして捜査をかく乱するつもりはない。

 ひょっとしたら各務原のデジタルカメラを調べればわかるかもしれないと付け加えておく。

 

「小川がずっとおったし、写真撮ってたみなさんにはアリバイがあるとして……」


 そこで斎藤は一呼吸。


「あの、何と言いましたかな。若い方。坂本さんでしたっけ? 買い物に行かれてましたけど……戻ってきたのはいつぐらいかわかります?」


「え、坂本さん?」


 あまりに影が薄いのですっかり失念してしまっていた。

 言われてみれば、坂本は昼ごろから買い出しに車を走らせており、戻ってきたのはかなり遅かったはずだ。

 問われて記憶を振り返ってみるも……


「えっと、坂本さんが戻ってきた正確な時間は覚えていませんけど、買ってきたものを柿本さんや矢生さんが運んでいたはずですから、矢生さんたちが戻ってきたあと……いえ、教授が矢生さんに指示を出していましたから、教授たちが戻った後だと思います」


「ふぅん、素直にお答えいただいてありがたいですな」


「……恐縮です」


 仕事をくれた恩があるから、アリバイを証明したいという思いはある。

 しかしてロクに記憶のない遥が適当なことを口にするには躊躇いがあった。

 一応推理作家として、いい加減な証言をすることに強い抵抗がある。

『関係者だから』ということで妙なバイアスがかかる可能性も否定できない。


「確認ですが、昼間の間に怪しい人影を見たりは?」


 念を押すような斎藤の問いに遥は首を横に振る。


「ありません。ずっと広場にいましたけど、もしそんな人がいたら私たちの前に鑑識の方が見つけるのではないかと……」


「なるほど、それは道理だ」


 苦笑する斎藤。これ以上遥に聞きたいことはなさそうだった。


「ご協力感謝します。またお話を伺うことがあると思いますが、よろしくお願いします」

 

 お決まりの台詞を持って、遥に退出を促してきた。



 ★



 遥が広場に戻った後、さらに撮影組の――そしてひとり別行動をしていた坂本の事情聴取が行われた。

 全員の話を二人の刑事が聞き取り終わる頃には、既に日は暮れて辺りは暗くなっていた。

 一同は広場の中央に集まり、昨日同様に焚火を囲んでいる。

 食欲のない者を除いて夕食を摂りはしたが、どの顔も重く沈んでいる。

 平地に比べれば冷涼な気候ではあるものの夏の日差しは強く、ただでさえ体力を消耗している。単純に厳しい状況である。

 その上、警察が山に入ってなお二人目の犠牲者が出て、いまだに殺人犯が森の中に潜んでいるという状況が精神的にも強烈なストレスを生み出していた。


「我々はこれからどうすればよろしいか?」


 最年長者である後藤教授が代表して警察に尋ねると、


「『美空 美鈴』の遺体は急いで司法解剖に回します。まだお伺いしたこともありますので、しばらくここに居ていただくことになると……」


「池君と美空君の命を奪った殺人鬼が、すぐ傍に居るかもしれないのにかね!?」


 憔悴する孫娘を抱きしめながら激昂する。

 日頃の温厚な教授の姿はそこにはなかった。

 ふたりも教え子を喪っているのだ。余裕がなくて当然。


「それはその……ここは警察が厳重に警護しますので。どうかご協力を」


「警察がいても美空君を護ることができなかったじゃないか」


「そこを責められると我々としても痛いところですが……」


 神妙な表情を作り(演技ではないだろう)、精一杯申し訳なさそうな声を絞り出す斎藤刑事。


「でも、教授……仮に解放されたとして、私たちどうやって帰ればいいんでしょう?」


 不安そうに問いかける七海。

 正体不明の殺人鬼は、1日目の番に池を殺害した際に、テントに泊まっていた大学組全員の荷物を荒らし金品を強奪している。

 もし途中で目を覚ましていたら、池のように首を絞められて殺されていたかもしれないというオマケつきだ。想像するだに恐ろしい。

 そして彼らが盗まれた物品の中には運転免許証も含まれており、このままでは車を運転することができない。

 まさか警察の目の前で無免許運転と言う暴挙に出るわけにもいかないのである。


「俺らを無理やり引き留めるってんなら、ちゃんと盗まれたもんを取り返してくれるんだよな?」


 苛立たしげな矢生の声。


「最大限の努力はつくします」


「努力で住んだら警察なんていらねーだろ! って、あんた等が警察だったっけ」


「矢生君、止めたまえ」


 皮肉げに語る教え子を制する教授の声は裏返ってしまっている。

 内心では自分も矢生と似たり寄ったりのことを考えていると容易に見て取れる。

 ましてやここにはまだ中学生でしかない孫がいるのだ。一刻も早くこんな場所から立ち去りたいというのが本音だろう。

 それでも、指導者として耐えねばならないこともある。


「でも教授……このままコイツらの言うことを聞いてたら、いつになっても……」


「彼らは犯人逮捕に全力を尽くしてくれている。警察に協力するのが善良な市民というものだろう」


 その言葉は矢生ではなく教授自身に向けられているよう。


「……教授がそうおっしゃるなら」


 教授に諫められて矢生は引き下がったが、あまり納得はしていないようであった。


「僕らの方は車はあるけど……」


 各務原が答えると、


「そちらの方々にもご不便をおかけすることにはなりますが……」


「う~ん、僕は別にいいけど。みんなはどう?」


「私は別に大丈夫です」


 即答する。

 しかし――


「かなたさんは学校がありますよね」


 各務原の言葉に乗っかろうとした遥を止めたのは、唯一の上司である柿本だった。

 いつもは穏やかな声が、今日はやけに重く響く。風貌と相まって迫力満点。


「学校って言っても……もう試験も終わってるし、夏休み目前だし、無理して行かなくても」


「行かなくても……何ですか?」


 真正面から視線をぶつけられて、遥の抗弁は力なく消えていった。

 柿本は遥の両親に信頼されて娘を預かっている。当然の反応であった。


「……学校がありますので、できれば早めに開放していただけると助かります」


「すみません、本当にご迷惑をおかけしまして……」


 この顛末に一同苦笑い。

 場の空気がほんの少しだけ軽くなった。

 遥に向けられる柿本の視線だけが重い。


「斎藤さん、遺体を……」


 覆いをかけられた担架を運んできた男が声をかけてくる。

 載せられているのは――美空だ。


「ああ。すみません、本来ならばご家族に確認してもらう所なんですが、今はこんな有様ですので。どなたか被害者の顔を確認していただけますか?」


 斎藤の言葉に一同は顔を見合わせる。

 死体の顔なんて誰も見たくない。

 しかし美空はひとり暮らしで家族は遠い田舎住まいとのこと。

 近場にいる知り合いが代理になるのは仕方がない。

 互いに視線で押し付け合う大学組の中で、最年長者でもあり今回のキャンプの責任者でもある後藤教授が手を挙げた。

 

「あの、私も見せてもらっていいですか?」


 そこに遥が後に続く。

 広場の全員の視線が遥に集中する。


「あのね、君。これは見世物じゃないんだ」


 突然の申し出に露骨に顔をしかめる斎藤。殆ど無関係な高校生が何を言っているのかと目が語っている。

 しかし、そんな程度で怯む遥ではない。顔見知りの警察にはもっと厳ついのとか、もっと胡散臭いのがいる。慣れた……くはないが、慣れてしまったかもしれない。

 不謹慎ではあると自覚しているものの、推理作家のサガとして死体を確認せずにはいられないのである。


「『死体を見慣れている』と言うほどでもありませんが、吐いたりはしません。お願いします」


「すまないが、彼女にも見せてあげてくれませんか?」


 遥が丁寧に頭を下げると、なぜか後藤教授が取り成してくれた。


「いや、しかし……」


「正直なところ、怖いのです。ひとりで教え子の死に顔を見るのは」


 それは恐らく教授の本音だったのだろう。声も身体が震えている。

 斎藤もやむなしと妥協し、遥たちを手招きして担架のカバーを引き上げる。


「む……」


「ううっ」


 後藤教授は口を押さえ一瞬で顔を逸らせてしまった。

 遥はと言うとそんなことはなく、傍に居る刑事二人が向けてくる訝しげな視線すら感じる程度の余裕があった。

 不謹慎のそしりを買うリスクを背負ってまで立候補したのだ。ほんの少しの違和感でもいい、何かしら情報を拾わないと甲斐がない。

 死体の顔は紫を越えてどす黒く浮腫んでいるものの、よくよく観察すれば生前の美貌の残滓が見受けられる。

 誰かの手によって目蓋も口も閉じられているが、発見された段階ではおそらくすさまじい表情を浮かべていたことが想像される。

 斎藤の説明通りに首には一筋の索条痕があり、縦に幾筋もの爪痕――吉川線――が見られた。


――あれ?


 遥が気になったのは遺体の顔――と言うよりもその表面。

 派手目に施されていたメイクが見るも無残に崩れている。 

 吉川線の様子といい、最期まで必死に抵抗したのだろう。

 そう考えればおかしくはない。おかしくはないはずなのだが……これまた凄く引っかかる。


「……よろしいですか?」


「ええ、間違いない。美空君です」


 すっかり憔悴してしまった教授が消え入りそうな声で呟く。

 背後で『ひっ』と喉を鳴らす音が聞こえた。


 

 ★



 美空の遺体確認を終え、撮影組と深月がロッジに入り、他のメンバーはテントに戻る。

 昨晩との違いは広場を護る警察たちの姿。

 彼らは交代で夜を徹して監視を続けるのだろう。二人目の被害を出してしまった以上、彼らに妥協はない。

 美空の遺体を検視している鑑識官たちも同様に徹夜が見込まれる。


 ロッジに鍵をかけ、メイクを落としてシャワーを浴びる。

 深月、遥、そして裕子の順に。

 それぞれがシャワールームに消えている間は、カーテンを引いた窓から外の様子をチェック。

 池と美空、二人の命を奪った犯人が、万が一にも警察の監視網を掻い潜ってくる可能性を否定できない以上、どれだけ警戒しても足りることはない。


 遥は黒革カバーのスマホを取り出し、液晶に指を走らせてメッセージアプリを起動。


――――

<柿本 勇>

――――


 かなた

『明日の朝のうちに、美空さんの遺体発見現場が見たいんですが』21:55


 柿本

『どうしても行くんですか?』21:56


 かなた

『いきます。さっきいいって言ってくれたじゃないですか』21:56


 柿本

『それはそうなんですが……』21:56


 かなた

『柿本さんが来てくれなくても、私はひとりでも行きますから』21:57


 柿本

『お願いですからやめてください。自分も行きますので、どうか短気を起こさないように』21:58


 かなた

『ありがとうございます。それじゃ、明日は……って、撮影はもう終わってますよね?』21:58


 柿本

『ちょっと待ってください』21:59


 柿本

『予定分の撮れ高はあるそうです』22:00


 かなた

『それじゃ、朝6時にロッジ前で』22:00


 柿本

『了解しました』22:01


――――


 メッセージの端々から苦々しげな柿本の顔が脳裏に浮かぶ。

 今回の企画で予定されていたスケジュールはすでに消化されており、撮れ高も充分。

 二つの殺人事件にかかわるアレコレで時間を消費してしまったが、多少の余裕はあるはずだ。

 そもそも今のままではキャンプ場に足止めされることになるわけで、予定もクソもないのだが。


――さて、私ごときにどこまでやれますか……いや、やってやるんだから!


 いまだ正体不明の犯人に向かって遥は中指を立てた。もちろん心の中で。

今日はここまでとなります。

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