第16話 転がる死体、2人目
『美空 美鈴』の死。
その凶報を携えてきた警察たちは、遥たちに構うことなく再び死体発見現場に引き返してゆく。
後を追おうとした遥は、しかし肩を掴まれて足を止める。
振り向いて肩に伸ばされた筋肉質の手を追いかけていくと――その先には渋面を形作った柿本の顔。
「かなたさん、いけません」
「でも……」
美空が戻ってこないまま放置していたことに深く責任を感じずにはいられない。
彼女以外が全員そろった時点で森を捜索していれば、犯行を防ぐことができたかもしれないのだから。
その思いと、二人目の――連続殺人の現場に、何かしら憎むべき犯人の証拠が残されているのではないかという思いで、居ても立ってもいられなくなる。
一方で、推理作家としての興味が少なからず存在することも認めざるを得ないのだが。とんだ悪癖である。
「柿本さん、どうしても駄目ですか?」
下から覗き込むように見上げると、大きく柿本は仰け反り顔を逸らす。
柿本は遥を含め女性免疫が足りないところがあるが、ここは踏みとどまった。
「すでに警察が現場に向かっています。私たちにできることはありません」
「そんなこと、行ってみないとわからないじゃないですか!」
「……」
なおも身体を寄せてしつこく食い下がってみると、
「これから日も暮れます。せめて明日の朝にしませんか?」
「……わかりました」
言質を引き出したところで遥は大人しく引き下がった。
どのみち今夜は徹夜で警察の現場検証が行われるに違いない。
さすがに何のコネもない一般人がホイホイ現場に足を踏み入れようとしても、追い出されるのが関の山だ。
後藤ゼミの面々の様子を窺ってみると、誰も彼もが言葉を失っている。
七海は口を押えて蹲り、深月は祖父に抱き着いてその胸に顔を埋めている。
男二人は柿本と似たような表情を作り、引率者でもある後藤教授は目を閉じたまま天を仰いでいる。
朝方に池を喪ったばかりなのに、今度は美空を死なせてしまったというショックを隠せていない。
一方撮影班の方はと言うと、行動を共にしていた者の死について痛ましさを覚えはしているものの、あまり表情に変化は見られない。
それも仕方のないことだろう。池に限らず美空にしても、このキャンプ場に来て初めて顔を合わせた面々である。
彼らのことはほとんど何も知らないに等しい。胸の内にしても、テレビで凶悪犯罪に巻き込まれた被害者たちに対するような『かわいそう』と言う感情以上のものは浮かびようがない。
ただ、今回の事件に関しては身近で起こったことだけに、動揺までは隠せていない。
しかし、二人を手に掛けた殺人犯がいまだ捕まっていないという現実に対する警戒心が衝撃を上回っている。
誰もが視線をあちらこちらの森に彷徨わせ、暗がりの中から現れる影におびえているようにも見える。
そうは言っても、いつまでも立ち尽くしているわけにもいかない。
「飯にするか……」
ポツリと呟いたのは、各務原。
「すまない、今はそんな気分になれない」
「空気読めよオッサン」
「自分のことしか考えてねぇのかよ」
無神経ともとられかねない発言に、四方八方から異論が飛ぶ。
「そうですね。ちゃんと食べないと」
遥は各務原の側に回った。
別に彼を擁護するつもりはない。
反対する理由がないだけだ。
大学組から白い眼を向けられても怯むことはない。
「まだ夜は長いんです。食べておかないと、身体が持ちませんから」
祖母の死を看取ったときも、続く葬式ほかアレコレの時も、半ば無理やりにでも食事を口に放り込んでいた記憶がある。
小説家として、あるいはグラビアアイドルとして活動する際も健康管理には人一倍気を遣っている。
何をするにも体力がなければ乗り切れない。これは『高遠 遥』にとって基本中の基本。
――警察の事情聴取があるし、明日になれば現場にも行くんだから。
人目を集める豊満な胸に秘めるは、正体不明の殺人鬼に対する闘争心。先日のAプロにまつわる殺人事件に挑んだときの感覚が思い出される。
そうは言っても、相手が正体不明の殺人鬼となると推理の類とは相性が悪いことは認めざるを得ない。快楽殺人鬼の類だったら手に負えない。
厄介な相手は素直に警察に任せて、自分たちは撤収した方がいいのだろうという気もする。もともと小説家の仕事でもグラビアアイドルの仕事でもない。
それでも――
――何もしないままではいられない。
美空との思い出などほとんどない遥は、彼女の死を悼みこそすれ悲しむことはできない。
祖父の胸に顔を埋めて涙を流す深月は、きっと美空に対して思うところがあるのだろう。
深月のためにも何とかしたいという気持ちはある。
そして――遥が美空の死に花を手向けるならば、それは犯人逮捕への協力という形に他ならない。
遥の意を汲んだ柿本は、各務原と共に夕食の準備に動いた。
あらかじめ買っておいた缶詰とインスタントラーメンが中心の質素な献立になる。
『かなプロ』社長として、スイッチが入った遥は止められないとわかっているのだろう。
大きな筆で描いたような顔のパーツのひとつひとつが、苦虫を噛み潰したような表情を形作っている。
いつも迷惑をかけて申し訳なく思うが、だからと言って我慢しようとは思わない。
「ただの缶詰でも、こうやって焙ってやると結構食えるもんだ」
遥と柿本の心情に気付いているのかいないのか、バーナーで次々と缶詰を温めていく各務原。
サバ缶、カレー、オイルサーディン、焼き鳥、コーンなどなど。
どれもこれもほとんど酒のあてばかりなのが気にならなくはない。
ここにインスタントラーメンが加わって、何とも栄養的に問題の大きそうな晩餐の支度が整っていく。
――さすがに今日は文句を言っていられない。
日々の健康志向を棚上げして、遥は出来上がった食事を腹の中に収めていく。
本音を言えばあまり食欲は湧いていないのだが、一日の撮影で体力を消耗していることは間違いない。
今のところは精神的な問題で空腹を感じられないだけに過ぎない。張り詰めていた気がプツンと行ったときに、空腹が一気に襲ってくることを思えば、多少の無理を押し通すことも吝かではない。
柿本が火をつけた焚き火を眺め、爆ぜる薪の音を聞きながら黙々と口を動かしていると、東の山道から斎藤刑事が姿を現した。
「斎藤刑事、現場の方はよろしいんですか?」
「ひととおりは見てきました。あとは鑑識に任せるしかありませんな」
「夜通しになりますね……」
「ええ、それにしても2人目とは……何だってこんなことになるんでしょう」
『どなたか心当たりはありませんかね』
斎藤の問いに首を縦に振る者はいない。
警察が山を捜索している中でのさらなる犯行は、彼らの矜持を強かに傷つけることとなった。
この事実がマスコミあたりに発覚してしまうと、さらに大きな批判にさらされかねない。
ふたりも死なせてしまっている以上、報道機関も黙ってはいないだろう。
早急な解決が望まれるが、相手は森の中に潜む怪人。警察の人員だけでは山狩りは思うように進まず、このまま逃げられる可能性すらある。
「皆さんも、疲れているところ申し訳ありませんが、少しお付き合いいただきますよ」
斎藤が夕食を食べている撮影班と大学組に向き直って、そんなことを口にする。
言葉こそは丁寧だったが、有無を言わせぬ口調でもあった。
文字通り藁にもすがりたい心境なのだろう。そんなことを表情には出さないものの。
「はい。私たちにできることなら協力させていただきます」
遥の言葉に撮影班が頷く。
柿本と各務原は食事を終えているが、さすがに今日は酒に手を伸ばしたりはしない。
森の闇に潜む殺人鬼がいつ襲いかかってくるともわからないのだから、当然の警戒と言える。
「私の生徒の無念を晴らすためなら、協力は惜しみません」
ひとことひとこと、言葉の端々に悔恨を滲ませる後藤教授。
そんな教授に従うゼミ生たち。項垂れてはいるが、みなの瞳は焚き火にあてられてギラついている。
ほの暗い夕闇の中、定まらぬ炎が揺らめいていた。
★
美空の遺体は、湖に続く東の山道から逸れた森の中、道から外れて北西に10分ほど歩いたところ、ぽっかりと口を開けている洞窟の中で見つかった。
死因は池と同じく絞殺。索状痕から凶器は池殺害に使われたものとほぼ同様と見られている。同一犯の可能性が高い。
池の時とは異なり、美空の首には幾筋もの吉川線――死を逃れるために凶器を引きはがそうと首をひっかいた跡――が見られた。
このことから美空は死ぬ直前まで意識を保っていたと鑑識は判断している。恐らく死の運命に最後まで抗っていたのだろう。
死体には移動させられた跡があり、実際の事件現場は別の場所――おそらく森のどこか――と推定される。詳細は不明。
また、彼女の遺体は池のそれとは異なっており、服が脱がされていた。
上着は頭の上、両手首を拘束するようなあたりまで捲り上げられており、スカートは膝下あたりまでずり下げられていた。下着類も同様であった。
ゆえに今回の犯行は強盗ではなくレイプ目的のものと推測されたが――予想に反して性的暴行の痕跡はなかった。
淡々と事実だけを口にする斎藤刑事。服を剥かれていたというくだりで顔を歪め怒りをあらわにする女性陣。
しかし遥の思考は別の方向に飛んでいる。
――服を脱がされているのに性的暴行はされていない。犯人は何でそんなことを?
殺人犯の思考パターンに詳しいわけではないが、日頃から殺人トリックを考えることが多い職業柄、ある程度のことは想像できる。
遥がミステリーを執筆する際には(ほかの作家も同じだろうが)、常に犯人の立場に立ってトリックを考える。
その経験から、犯人の行動には何らかの理由があると推察した。犯罪者は無駄なアクションでリスクを高めることを嫌う。
犯人はまず犯罪の実行(今回の場合は強姦からの殺人?)を、そして自分の犯行を隠すためのトリックを考える。
周辺の状況は――森の中には池を殺害した犯人を捜索するために警察が散会していた。
捜索すべきエリアの面積に比べればその人数は微々たるものではあったが、決して侮るべき存在ではない。
――となると、犯人は……
警察がうようよしている森の中で事に及ぶとは思えない。
しかし生きたまま洞窟まで成人女性を運ぶのはリスクが高そうで、どうにも腑に落ちない。
運んでいる最中に目を覚ましたら一巻の終わりだ。先にヤってしまった方が安全だろうか?
あるいは洞窟に運んで服を脱がせて、さてヤるかって時に警察が偶然傍を通りかかったから断念したとか?
――でも……レイプするなら昨夜のうちにヤっちゃえばよかったのでは?
自分で自分の考えに戦慄する。
警察もおらず、キャンパーは誰も警戒していない。犯人にしてみれば正にやりたい放題のパラダイスではないか。
睡眠薬が効いている間は目を覚ます心配も……
――ダメか。池さんは目を覚ましたから殺されたんだっけ?
斎藤刑事の言葉を思い出す。
チクリと頭のどこかに痛みが走った。
思考の海に身を投じた遥を差し置いて、斎藤の話は続く。
「被害者の死亡推定時刻は午後3時から午後5時の間と見られ……」
「あの、すみません、ちょっといいですか?」
おずおずと手を挙げた七海に斎藤は訝しげな眼を向ける。
「なんですか、一体?」
いつも纏っている温和な雰囲気が剥がれかかっている斎藤刑事。
立て続けに殺人事件に出くわしたところに話の腰を折られて機嫌を害したらしい。
「私たち、美空さんとグループメッセージでお話ししてまして……美空さんの最後のメッセージは、えっと……午後4時15分です」
ピンクのカバーが掛けられた自分のスマートフォンを操作する七海の口から紡がれた言葉に、斎藤と小川が顔を見合わせる。
「すみません、そのメッセージとやらを見せていただいても?」
「あ、はい、どうぞ」
スマホのメッセージアプリを立ち上げたまま、該当箇所を二人の刑事に見せる七海。
彼女以外の大学組も、慌てて自分のスマホをチェックする。
遥は深月に頼んで該当する箇所を見せてもらった。
確かに、美空が送信した最後のメッセージのタイムスタンプは『16:15』と記されている。
「ふむ……私はこういうものには疎いんですが……わかるか、小川?」
「ええ、これはグループに所属している方々――今回だと大学のみなさんになります――がリアルタイムでメッセージのやり取りをできるものでして」
年配の斎藤はこの手の電子機器に疎いらしく、若い小川の説明を受けてもピンと来ていない様子。
遥や大学生組からしてみれば『あって当然』のアイテムも、年配の人間にしてみれば厄介な魔法の道具みたいな感覚のようだ。
京都に住む遥の祖父母もだいぶん取り扱いに苦労していたことを思い出した。
「つまり、どういうことかな?」
「ここのタイムスタンプに表示された時刻に、それぞれのメンバーが自分のスマホからこのメッセージを全員に見られるように送信しているということになります」
小川は若者らしく、問題なく最新の電子機器を扱っているようで、上司に根気強く説明を繰り返している。
あまりその努力の甲斐はなさそうに見えるのが残念なところだ。
「ふうん、これは誰でもできるもんなの?」
「アプリは無償で提供されてます。インストールしておけば……あ、このアプリは電話番号に紐づけられてるから、自分のアカウントから発信するには自分のスマホからログインしないとダメですね」
「ほう……つまり被害者は少なくとも午後4時15分までは生存していたということになる、と?」
斎藤の問いに小川が頷いた。
ようやく七海が訴えたいところに理解が及んだらしい。
「便利なもんですな。ということは、被害者の死亡推定時刻は午後4時15分から午後5時の間ということになるわけか」
死亡推定時刻が一気に縮まった。
それでは、その時間帯のみなさんのお話を聞かせていただきましょうか。
歴戦の刑事は瞳に強い光を宿して一同を見回した。




