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第14話 メイクアップ!


 屋内での撮影は何ごともなく無事終了。

 あとは外の広場でキャンプ用のギアを合わせて撮る予定となっていたので、みんなでロッジの外に出て広場の中央に向かおうとしたところ、裕子が深月を呼び止めていた。

 何かあったかと思いきや、二人はヒソヒソと話し合い女性用のロッジへ戻っていく。


――これは……


 ピンと来た遥は二人の後を追う。


「ちょっと、かなちゃん?」


「すみません、少し時間を頂けますか?」


 呼び止めてきた各務原にそう返すと、


「う~ん、撮れ高は稼げてるし……まあ、別にいいか……」


 カリスマカメラマンの思案はほんの一瞬で、予定を繰り上げて少し早めの休憩を貰えることとなった。



 ★



「あら、かなたちゃんも来たのね?」


 ドアを開けると、ロッジの中に入っていた二人が遥の方に目を向ける。

 深月は椅子に腰かけて、裕子は荷物を漁っている。その手に掴まれているのは、


「深月ちゃんにメイクするんですよね?」


 念のために尋ねてみると、案の定ふたりは頷いた。

 深月はおずおずと。裕子は堂々と。


「何かお手伝いできることはありますか?」


「ん~、別に」


「そうですか……」


 当てが外れてしまった遥はベッドに腰を下ろす。

 ふと、視線を感じた。深月だ。


「深月ちゃん?」


「え……あの、その……」


「大丈夫。落ち着いて……それで、どうかした?」


「あの、あの……私も……空野さんみたいになれるでしょうか?」


「ええ」


「いいえ」


 深月の問いに異なる二つの答えが重なった。

 遥は肯定し、裕子は否定した。


「裕子さん?」


 裕子の顔は今までに見たことがないくらいに真剣なもの。

 深月も固唾を飲んで次の言葉を待っている。


「『誰かみたい』になるんじゃないの。あなたは『あなた』になるのよ」


「でも、私……」


「きっかけは憧れでもいい。でも、人間はどこまで行っても自分以外の誰にもなれはしない。『後藤 深月』は『後藤 深月』にしかなれない。ううん、他の誰かになる必要なんてないの」


 衣装もメイクも、あくまで自分自身を輝かせるための助けにしかならない。


「自分に自信を持ちなさい。あなたがこれから何をするにせよ、それがきっとあなたの助けになるから」


「三上さん……そう、ですね。ありがとうございます」


 俯いていた深月が顔をあげた。

 濡れた声、眦の端に水滴。でも笑顔。


「さ、始めるわよ」


「よろしくお願いします」


 すっかり打ち解けあった二人を羨ましく思う遥。

『さすが年の功』という言葉は飲み込んでおく。『言わぬが花』ということわざを引くまでもない。



 ★



『メイクといってもかなり基本的な奴だから、憶えて帰って、あとは自分で練習あるのみよ』

 

 深月の前に立った裕子は開口一番、そんなことを言い放った。

 そして早速メイク開始――の前に洗顔から。


 ぬるま湯を顔に掛けるようにしてすすぎ、タオルで水滴を吸い取る。

 手のひらに洗顔料を載せてしっかり泡立て、泡で汚れを落とすように優しく洗っていく。

 そして再度ぬるま湯ですすぐ。


「洗顔は1日2回くらいまで。力を入れず優しくすること」


 深月を椅子に座らせた裕子は、化粧水を手で温めて顔全体に塗り広げる。

 保湿用の乳液を顔に点置き。少量を薄くマッサージするように塗り広げてゆく。


「まだ中学生だし、ファンデーションはいらないわね」


「そうなんですか?」


「うん。それに、あれは服につくと洗い落とすのがめんどくさい」


「そうなのよね~」


 下地は日焼け止めで代用。これも顔に点置きして内から外へと伸ばしてゆく。

 最後に軽くパウダーを載せる。


「さて、次はアイシャドウね」


 使うのはブラウン。ベースカラー、ミディアムカラー、ダークカラー。

 さらにペンシルライナーでアイラインを引いていく。


「リップは軽めでいいわね」


「色付きのリップクリームでよくないですか」


「そうね……」


 そんなこんなでひととおり。遥に施すよりも、かなりゆっくりめ。

 メイク初心者の深月がちゃんと記憶できるよう配慮しているのだろう。


「よし、こんなもんでしょ」


 男どもに見せてやりましょ。裕子は不安げな深月に微笑んだ。



 ★



「おや」


「へぇ」


 外で待たされていた一同は姿を現した深月を見て驚きの表情を浮かべた。無理もないと遥も思う。

 深月の衣装はさっきと変わらないのに印象は大きく変化している。

 うっすらとメイクが施された深月は、まるで深窓の令嬢のよう。

 年頃の少女らしい幼さの中に大人っぽい雰囲気が強調されて、思わず目を引かれる。

 さすがと言うべき裕子の手腕もさることながら、深月自身の素材力が大きい。逸材だ。

 男たちの視線を受けてどうすればいいかわからないのだろう、深月はしきりにショートボブの髪を弄っている。


「あの……おかしくないですか?」


 恥ずかしそうに俯いて呟く深月。


「ううん、そんなことない。すっごく似合ってる」


 初めて見たときから思っていたとおりに素直に褒めると、深月は更に頬を赤らめて後退してくる。


「ほら深月ちゃん、もっと胸を張って」


 後ろに構えていた裕子に捕まって、深月はたたらを踏んでいる。


「そうそう、可愛いんだから。堂々としてた方がずっといい」


「そ、そんなこと言われても……」


「初々しいね。写真撮っていい?」


「え、ちょっと、ダメです!」


 唐突な各務原の言葉に、遥と裕子は思わず顔を見合わせた。

 各務原はこと女性に対しては業務外ではお世辞を言わない。

 下手をすると仕事であっても厳しいことを口にして場を凍らせることも少なくないと聞く。

 そんな男が『写真を撮らせて』なんて言うのは、ちょっとした事件である。


「え~、勿体ないよ。ほら、絶対外には出さないから」


「ちょっと、強要はダメです」


 小川刑事が慌てて二人の間に割って入る。


「まあまあまあ、そんなに深刻ぶらなくても」


「一応僕は刑事ですから」


 視線をバチバチやっている男たちはスルー。


「あの、どうですか、空野さん……ほんとに変じゃないですか?」


「うん、凄くいい。でも、どうしてメイクしようって思ったか聞いてもいい?」


 ちょっと意地悪な遥の問いに、頬を赤らめ視線を泳がせていた深月は、小さな声で呟いた。


「さっきの空野さん、堂々としてて『凄いな』『カッコいいな』って」


 ロッジの中では裕子に遮られてしまったが、深月が自分に憧れてくれたことが嬉しい。

 それを堂々と口にしてくれることが、さらに嬉しい。年頃の少女らしい自己主張の萌芽を感じた。ついでに遥の自尊心もくすぐられた。

 内気な深月にしてみれば、化粧一つとってみても思い切りがいるだろう。

 昨晩は思い悩んでいるように見受けられたが、今は照れの裏にわずかながら誇らしさが見て取れる。

 背中を押した形になる遥としては、その前向きな変化を歓迎したいところだ。


「せっかくだから写真撮ってもらったら?」


「で、でも……」


 みんなに褒められて、なおも逡巡する深月。


「気難しいことで有名な各務原さんがあんなこと言うなんて、滅多にないんだから」


 後ろから裕子も援護射撃。


「だったら、空野さんが撮ってくれませんか?」


「え、私? カメラ持ってないけど……」


 突然の指名にびっくりさせられる遥。軽く身を引いた。

 基本的に『撮られる側』の人間のせいか、あまり写真を撮った経験がないのだ。


「お願いします」


 遥の内情を知ってか知らずか頭を下げてくる深月。


「撮ってあげたら?」


「……わかりました。やってみます」



 ★



 グラビアアイドル『空野 かなた』はファンサービスが少ないと指摘されることがある。

 ひとつひとつのグラビアではむしろ攻めの姿勢を見せているにもかかわらず。

 その最大の理由と言うのが――


「かなちゃん、手が震えてる」


「わわわ、わかってます」


 深月に向けられたスマートフォンを持つ手が、指摘されるまでもなく遥自身ハッキリわかるほど震えている。


「じゃ、撮るよ。ハイ、チーズ!」


 フラッシュが深月を包み込む――と同時に遥の腕が揺れた。その結果――


「これはさすがにブレすぎ」


 各務原の品評を聞くより前に、無言で写真をゴミ箱に放り込んだ。

 小説家にしてグラビアアイドル、成績優秀で料理も上手。

 多才に見える『高遠 遥』にも苦手なものはある。写真はそのひとつ。

 いまだファンと直接接する機会のない――撮影会とかサイン会とか――『空野 かなた』がファンサービスの不足を指摘される理由、それがSNSの活用不足。

 デビュー後に取得したアカウントのフォロワーはすでに5ケタを超えて6ケタを目指しているが、一度も自撮りの写真を掲載したことがない。

 個人が情報発信するようになって久しい現在このご時世、グラビアアイドルとしてはこれがなかなか痛い。

 しかし遥の方にも言い分はある。


『プロの手が入っていないメイクのヘタクソな自撮り写真なんて載せたら逆効果なのでは?』


 自撮りが下手という部分はサラッと誤魔化している。

 社長の柿本もその辺りの事情に詳しくないだけに、ロクに指摘できないままの状況が続いていた。

 このままではよくないとわかっていても、苦手意識のせいであまり気が進まないのである。


「ねえ深月ちゃん、やっぱり各務原さんに撮ってもらった方が……」


 このままではいつ終わるかわかったものではない。

 サクッと終わらせられるイメージがまるで湧かない。

 付け加えるなら、自分を慕ってくれる深月にカッコ悪いところを見せたくない。

 

「でも……」


「かなたちゃん、あなたに向けられた深月ちゃんの信頼を無下にしてはダメよ」


 大先輩の裕子にそう言われてしまっては、諦めるという道はない。

 やむなく再び深月にスマホを向ける。もう何度目かになる失敗のせいで深月にも若干の疲労が見える。


「かなちゃん、息止めて」


「え、息しちゃダメなんですか?」


 各務原のティーチングに驚く。

 指示は出しても指導はしない人間だと思っていた。

 そんな遥の思いを余所に各務原の言葉は続く。


「呼吸したままだと腕を保持できないでしょ?」


「でも各務原さん、ずっと連続で撮り続けたりしますよね。あの時ってどうしてるんですか?」


「もちろん息は止めたままにしてる。当たり前じゃん」


――当たり前なのか……


 愕然とした遥だったが、周りを見回してみると、深月を含めその場にいた全員が自分に残念なものを見るような表情を向けていた。少し離れたところにいた鑑識の人まで。


「ん、んん、失礼しました」


「左手でしっかり持って、右手は添えるだけ」


「はい!」


「脇は締めて身体に近いところで保持する」


「はい!」


 プロカメラマンに直々に教わる栄誉(あまり有り難くない)を浴することになってしまった。

 すぐ傍で各務原がポーズを取ってくれる。

 見よう見まねで……そして、大きく息を吸って――止める。

 スマホを構えた右手の揺れがいつもよりマシになっている。


「スマホの場合はシャッターボタンをそっと押さえて」


 力を入れて押し込むとスマホが揺れるから。

 各務原の言葉どおりにボタンを指で押さえると――シャッター音。

 そして――


「撮れた……撮れたわ、深月ちゃん」


「なぜかなたちゃんが感動しているのか、それがわからない」


 裕子のツッコミを余所に、交換しておいた深月のアドレスに写真を添付して送付。

 送られてきた写真を見た深月は、朗らかな笑顔を浮かべた。


「では、これからかなたさんも自撮りをしていただくということで……」


「え……」


 柿本の言葉に遥は全身を硬直させた。厄介な仕事が増えてしまった。



 ★



 どうにかこうにか深月の撮影を終えた遥は、気を取り直して撮影に臨む。

 深月に借りたジャケットを羽織ったまま、屋外で男に囲まれながら。

 ロッジに入る前にウロウロしていた鑑識たちはだいぶん姿が減っている。

 小川が言うには、あとからやってきた所轄の方たちと共に森を調べているとのこと。


「警察の方々はわかりましたけど、大学の方々は?」


「え……それは、どうだろう? あの方たちがどこに行ったか誰か聞いている人は?」


「フィールドワークとやらでしばらく森を歩くんだそうだよ」


 小川刑事の問いに、池のテントを調べていた鑑識が答える。

 それを聞いて思わず遥は眉を顰めた。


「森って、昨日池さんを殺した犯人が潜伏してるんですよね。危なくないですか?」


「我々もそう言ったんだけど……」


 鑑識の男性が肩を潜める。

 森の中の捜索に人員の大半が割かれており、それ以上の配置は難しいそうだ。

 しかも大学組は二手に分かれているとのこと。後藤教授と七海、美空と矢生と芦田のグループ編成。

 池の死後、後藤教授と美空が何やら相談していた様子を思い出すと、じわじわと不穏な感覚が背筋を這い上がってくる。


「ほんとに大丈夫なんでしょうか?」


「森の中には大勢警察がいるから大丈夫……のはず」


 自信が持てないのか、小川の言葉に力がない。

 見た目とは裏腹に奔放な教授たちに辟易している模様。

 あるいは、浮ついたように見える撮影組が警察の言うことを素直に聞いているのが、意外に感じられるのかもしれない。


「まさか、また誰か殺されたりしないだろうな……」


「各務原さん、さすがにそれは……」


 咄嗟に宥める遥だったが、頭の片隅から『あるかもしれない』という思いが振り払えない。

 殺人犯が捕まっていないのにも関わらず、ロクに注意も払わず森の中に入るなんて、いくらなんでも迂闊すぎると言わざるを得ない。

 これで何かあったら、さらに警察が叩かれるのだろうか? 警察って本当に大変。


「まぁ……ここで私たちが心配しても始まらないですけど」


「……だね。さて、撮るよ」


「はい」


 鑑識の方々に『お仕事お疲れ様です』と一礼。

 カメラに向かって微笑みを浮かべると、すかさずフラッシュを浴びせられる。

 テーブルからテントを回り、ロッジの前へ。

 カメラマンである各務原とレフ板を抱える柿本を引き連れて撮影は続く。

 途中で警察の姿がフレームに入りかけることが何度かあったが、その都度頭を下げると特に機嫌を損ねることはなかった。

 ときおり興味深そうに遥を見つめる者もいたので、彼らにはスマイルをサービスしておいた。

 どんなきっかけで新しいファンが増えてくれるかはわからない。営業努力は大切だ。


――あと少し、頑張りますか!


 午前中は事件のおかげでスケジュールが消化できなかった分、午後の撮影で取り返さなければ。


本日はここまでとなります。

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