第13話 撮影再開!
買出しに出た坂本編集の代わりに監視役の小川刑事を加えて、再びグラビア撮影に臨む。
各務原の言葉どおり、今日は屋内での撮影がメイン。2つのロッジのうち男性用の方が選ばれたのは、女性陣のプライバシーを尊重した結果である。
ロッジのドアを開けて中を覗き込んだ遥は、意外そうな表情を浮かべた
「思ってたよりきれいに片付いてますね」
「たった1日でそこまで汚れませんよ」
ゲンナリした風な柿本の声。
考えてみればビルの一室の借りている『かなたプロダクション』の事務所もあまり散らかってはいない。
遥か柿本、どちらかが気がついたときに掃除しているし、日頃から整理整頓に努めているおかげである。
ロッジ内の間取りは女性陣のそれと変わりない。
ベッドが3つ。テーブル、ソファに物置の棚もある。エアコンも同じ。
キッチン、洗面所、シャワールーム、そしてトイレも変わらず。
唯一の違いは床に敷かれているカーペットが緑色という点だけ。女性のロッジは黒だった。
――各務原さんはもっとゴチャゴチャしている気がするけど……
一流のカメラマンである各務原の日常について窺い知ることはできないが、何となくあの手の凝り性な人間の部屋は雑然としているイメージを持っていた。
「かなちゃんはいったい何が言いたいのかな?」
「いえ、別に……ほんとですよ?」
遥の考えていることなどお見通しだと言わんばかりに笑う各務原から視線を逸らすと、一同の最後尾の小さな影が目に留まる。
「さ、深月ちゃんも中に入って」
「は、はい」
見るからに内気そうな少女にとって異性の部屋というものは緊張するのかもしれない。
遥はと言えば、普段から柿本と二人で事務所に詰めていたり、弟の部屋を掃除したりですっかり慣れてしまっている。
「僕もお邪魔しちゃってよろしかったんですかね?」
小川刑事がしきりに辺りを見回し――正確には遥の方を見ないようにしつつ、そんなことを言ってくる。
「森の中に殺人犯がいるかもしれないんですから、警察の方に傍にいていただけると心強いです」
歓迎の言葉を返しておく。警察と揉めてもいいことはない。
春先に遭遇した大場殺しの一件で知り合った刑事Aなら大喜びで踊り出しそうなもの。
この刑事は真面目だ。と言うより、これが普通なのだろう。どう考えても我妻――刑事Aがおかしい。
「ねえ各務原さん、メイク変えた方がいいかしら?」
「今のままでいいんじゃない? かなちゃんはナチュラルメイクの方が映えると思う」
「あら、私の出番はなしってこと?」
ちょっと拗ねた風に裕子が微笑むと、
「素材のいい子は変にいじらない方針だからね。裕子ちゃんの時もそうだったでしょ」
「そうだったかしら……言われてみればそんな感じだったわね」
しれっと持ち上げられて裕子はあっさり機嫌を直す。
「それじゃ準備しますね」
服を脱ごうとして――各務原のストップがかかる。
「ちょっと待って。脱ぐところも撮ろう」
事情を知らない人が聞いたら警察を呼ばれそうなことを平然と口にする。
ちょうど今ここに居る警察がギョッとした表情を浮かべているが、みんなしてスルー。
別に今回初めての指示と言うわけでもない。脱ぎかけの写真というのは需要があるのだ。
「えっと、場所はどうします?」
「最初は窓際のベッドの上で。その後脱衣所で撮ってから水着にしよう」
「了解です」
遥がベッドの上に乗り、柿本は光の方向を考えてレフ板を掲げる。この1日で大分慣れてきた模様。
各務原はカメラを構えて位置取りを決め、他のメンバーは撮影の邪魔にならないように場所を開けた。
「ゆっくり上着から脱ぐ感じで。視線こっちに頂戴」
黙って各務原の指示に従うと――シャッターとフラッシュ。
まずはあいさつ代わりに数枚撮影。
ベッドから降りた遥が各務原と一緒にデジカメの画面をチェック。
「う~ん、もうちょっと雰囲気出していこう」
「そうですね。普通過ぎる感じ」
表情といい身体の見せ方といい。
シチュエーションが生きてこない。
しばらくの間、撮影とチェックを繰り返して詳細を詰めていく。
「うわぁ」
その感嘆の声は誰のものだったろうか。
深月と小川、二人の声が入り混じったように遥には聞こえてきた。
普段見慣れない光景に圧倒されているのかもしれない。
見た目は華やかな仕事に見えても、裏はなかなかそうはいかないものだ。
水面に浮かぶ白鳥が、水中で必死に足をバタつかせているように。
★
『服を脱ぐ』という動作は『これから起こる何か』を期待させる。
そして脱ぎかけの服と相まって遥の肢体が絶妙な線を描き出す。
胸の下から腹を経て鼠径部に流れる前の曲線。
反り上げられた背中から臀部を経て太腿に向かう後ろの曲線。
脇からくびれたわき腹、そして骨盤を縁取る横の曲線。
大胆にカットされた水着によって僅かに覆われている透けるような白い肌が、窓から差し込む光にあてられて露わになる光景。
サラサラの黒髪が、横たわったベッドの皺が、脱ぎかけのTシャツとボトムがその全てを強調する。
体勢を変えると胸元が揺れて、あるいは形を変えて、その大きさと柔らかさ、弾けるような若さを見せつける。
顔に浮かぶ表情は、切なげな眼差しであったり、そして自信にあふれた笑みであったり。
誘うような妖艶な雰囲気と、相反する無垢な姿。全てが人を惹きつける。
一瞬ごとにくるくると入れ替わる『空野 かなた』が余すところなく記録されていく。
「よし、それじゃ脱衣所に行こう」
各務原の声がかかる頃には、遥はすっかり出来上がっていた。
観客は少ないが、若年刑事の小川と年下の少女深月は食い入るように遥に魅入っている。こういうのも悪くはない。
頬は紅潮し、身体の奥から熱が沸き上がり背筋を駆け抜ける。大粒の瞳が怪しく濡れる。白磁の肌も一段と艶めいている。
脱衣所でも同じように撮影が続いた。
再び部屋に戻って服を脱ぎ棄て、水着だけになる。
肌の露出度が増した反面、衣服があったからこそできた表現がなくなった。
ベッドだけでなく、椅子やカーテンなど様々なアイテムの力を借りて変化をつけていく。
一心不乱にシャッターを切り続ける各務原から指示はない。遥にお任せということらしい。
どのようなポーズをとるか、どんな表情を見せるか、すべて遥自身が考えて実行に移す。
カリスマカメラマンに信頼されているという事実が嬉しい。
「う~ん、シャワー浴びてるところも撮ろうか?」
「……わかりました」
遥はほんの少しだけ逡巡した。
水に濡れるというシチュエーションは独特のエロスを孕んでいる。
それを生かすことに口答えをするつもりはないが、メイクが崩れる可能性が心配になる。
ちらりと裕子に視線を送ると、
「大丈夫よ」
その辺りは織り込み済みのようだ。さすがは元グラビアクイーン。
お墨付きをもらったのでシャワールームに移動して撮影。
狭い部屋で位置取りに苦労しそうなものだが、各務原は遥の動きに合わせてくる。
中にはかなり無茶な姿勢もあったりしたものの、さすが一流と呼ばれるだけあって一切の妥協がない。
各務原からOKが出たところで休憩に入る。タオルを借りて肌を伝う水滴を拭う。
段々時間の感覚がなくなってきている。柿本に預けてあったスマホを確認すると――午後2時半。
――――
<高遠 希>
――――
遥
『がんばってる?』14:35
希
『休憩中。そっちは?』14:36
遥
『撮影中。写真送ってほしい?』14:36
希
『いらねー。ちゃんと仕事しろ』14:36
遥
『可愛くないな~言われなくてもやってるし』14:37
希
『うるせ~!!』14:37
――――
「弟さん?」
「ええ、部活頑張ってるみたいです」
「野球部だっけ?」
「はい。中3だし、ここまで勝ち残ってるから気合入ってるみたいで。写真送ってあげようとしたら怒られました」
「青春ねぇ」
スマホを覗き込んできた裕子と笑い合う。
遥たちから離れたところ――部屋の隅っこでは、
「は~、凄いもんですね……」
小川が感嘆の言葉を漏らした。
「雑誌で見る分には何となく眺めるだけでしたけど……あんなにたくさん撮るんだ」
「まだまだ撮りますよ」
遥が答えると驚きを新たにしている。
「そうだね。乾かしてメイクを直して……水着も変えよう」
「やっと私の仕事ね」
メイクを落とした遥の髪をドライヤーで乾かしていた裕子が笑う。
ここまで手持ち無沙汰にしていた分だけ気合が入っている。
「どんな感じにします?」
「う~ん、水着はどんなのがある?」
「あ……かなたちゃん、ちょっとコレお願い」
ドライヤーを遥に手渡した裕子が部屋を出て、すぐに戻ってきた。
「これ、どうかな?」
裕子が両手で持ち上げたのは、黒地の競泳水着。
上はともかく下の方は相当エグイ角度で切れ込んでいる。
「かなたちゃんは足が長いから、胸ばっかりじゃなくってそっちも見せていった方がよくない?」
「そうだね。今までビキニばっかりだったし。かなちゃんはどう思う?」
「着てみます。微妙だったら変えたらいいですし」
正直なところ『何でキャンプ場で競泳水着?』と思わなくもないが、ギャップ狙いということで納得しておく。
「はい、それじゃ男性陣は部屋から出て」
裕子に押し出される形で男たちはロッジの外へ。
中に残ったのは遥と裕子、そして深月。
深月はずっと押し黙ったまま遥を見つめている。
その視線を感じながら、遥は水着を変える。
鏡の前で自分の姿を見つめてみると――
「カッコいいですね」
いつもは大胆に露出させている胸が若干きついが、シルエットはスリムに見える。
それでも内側から溢れるように圧力をかけてくるバストのボリュームは隠せない。
程よく肉のついた脚がすらりと伸びる様もいい。元々長めの脚がさらに長くきれいに際立っている。
前後ともに下半身が多少食い込む感じがするのは、まあサービスと言ってもよかろう。
「でしょ。絶対似合うと思った」
満足げに胸を張る裕子を見て遥も笑う。
さすがかつてのクイーンの目利きは確かなものであった。
「みんな、入って」
ロッジのドアが開かれて中に入ってきた男たちは、遥の姿を見るなりため息をつく。
各務原は早速カメラを構えたが……
「各務原さん、メイク終わるまで待ってください」
「すっぴんでも全然大丈夫だと思うけどなぁ」
「い・や・で・す!」
「まあまあ各務原さん、そこは譲れないところだから我慢して……」
裕子のとりなしでカメラを下ろす各務原。心の底から残念そうに見える。
「ジャケットを羽織ってみたらどうかな」
「そんなの持ってきてませんよ。裕子さんは?」
「ごめん、それは私もない」
「あ、あの……」
今まで沈黙を守っていた深月が口を開く。
「ん、どうかした?」
「私のでよければ……お貸しします」
「え、いいの?」
「は、はい。私も……見てみたいので」
「そう。ありがとう、深月ちゃん」
感謝の気持ちを持って微笑みかけると、顔を赤らめた深月が慌てて女性用ロッジへ向かう。小川刑事も後に着いていった。
しばらくして戻ってきた深月がジャケットを差し出してくる。
いくつものポケットがついたボリュームのある上着。色はダークグリーン。
遥の方が背が高いせいか、羽織ってみるとヒップが半分くらいしか隠れておらず、その丸みからシュッと伸びた長い足が良く映える。
「うんうん、これは良いね」
各務原もご満悦。
「ふむ、髪を上げてみる?」
「お願いします。」
「ついでにサングラスを刺してみましょうか」
一度脱いで裕子にメイクを施してもらう。
後ろの髪をアップにしてうなじを見せ、前髪の上からサングラスを差し込む。
これだけで先ほどまでとはずいぶん異なる印象になった。装いも新たに撮影を再開。
普通に着てみたり、ジャケットを半脱ぎにしてみたり。わざとらしくお尻の食い込みを直してみたり。
様々なポーズ、様々な表情を見せながら、滞りなくグラビア撮影は続いていった。
キャンプ場のどこかに殺人犯がいるかもしれないという危惧は、撮影のテンションが上がっていくとともにどこかに飛んで行ってしまった。
「空野さん、凄いですね……とっても堂々としてる」
ベッドに寝っ転がってカメラを見つめているとき、ふいに深月が呟いた。
「ん~、まあね」
「その……恥ずかしいんですよね」
「うん、恥ずかしいよ」
身体をくねらせ、髪をかき上げる。
そこにシャッターとフラッシュ。
「恥じらいがあるからいい写真になるんだよ」
各務原の言葉は、残念なことにピントを外している。
写真は外さないくせに、こういう所は残念な人物だ。
「読者に媚びることも必要だけど、読者に『自分の自慢の姿態を魅せる』って気持ちも大切」
『男を手玉に取る』というのとはまた異なるが、ネガティブに、あるいは受け身になり過ぎない姿勢は崩さない。
自分を愛し、愛する自分に自信を持ち、自信のある肢体で人目を惹きつける。
そうすれば自分で自分のことを認めてあげることができる。ポジティブなスパイラルを形成することで、どんどん自分の魅力を引き上げていく。
結果として、読者は目で見て楽しい、出版社は雑誌が売れて嬉しい。みんな良いことばかりだ。まあ、これは極論かもしれないけど。
「深月ちゃんは自分のこと嫌い?」
「え……はい。私、自分が嫌いです」
躊躇いながらも、深月はハッキリと口にした。
その気持ちは、遥にも理解できる。昔の自分自身がそうだったから。
当時の気持ちを思い出すと――それはとても孤独で辛い日々だった。
今から考えてみると、それはほとんど独りよがりの勘違いだったのだが。
だから――
「もったいないよ。誰よりもまず、自分のことは自分で褒めてあげないと」
どんな些細なことでもいいから。
「でも、私にいいところなんてどこにも……」
「あるよ。深月ちゃんが気づいていないだけ」
遥の言葉に裕子も頷く。
裕子だけでない、他の男性陣も深月を見つめて微笑んでいる。
撮影中に突然始まった遥の語りを誰も止めない。
各務原は相変わらずシャッターを切り続けている。
マイペースに過ぎる男だが、遥を止めようとはしない。
「ナルシストになれって訳じゃない。自分を好きになれってことでもない。自分を好きになるって難しいしね。でも……」
まずは自分で自分を認めてあげよう。そうすれば生きることが少しだけ楽になる。
他人の目が気になるのは仕方がない。人間なんてそんなもの。でも……他人よりまず自分から。
人生の先達として、遥はそう続けた。その微笑みにフラッシュ。シャッター音。




