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第12話 未知なる容疑者X


『外部の人間による犯行』


 斎藤の言葉を聞いた遥は、思わず首を巡らせる。

 後から来た警察たちを除けば、ここにいるのは遥たちだけ。

 広場に建つロッジとテントを除けば、雨露をしのぐ場所はない。サイト外には鬱蒼と茂った森が広がっている。

 いくら夏場とはいえ、あの薄暗い森の中から自分たちを狙っている殺人犯がいるだなんて信じられない。

 想像しただけでも背筋が震える。


「全員が眠らされていたのだから、犯行が可能だったのは外部の者のみと考えるしかありません」


 斎藤曰く、昼間のうちに遥たちの隙を狙ってポリタンクに睡眠薬を仕込んだ犯人(仮に『容疑者X』とする)は、森の中からキャンプ場の様子をずっと窺っていた。

 そして皆が寝静まったのを見計らってサイトに侵入。ひとつひとつテントを回り荷物を盗んだ。ロッジには鍵が掛けられていたのであきらめざるを得なかった。

 ひとまず目的を達成した『容疑者X』は森に姿を潜め、再び残った獲物――無傷だった遥たち――を狙って牙を研いでいる。あるいは、すでにこの場を立ち去っている。

 

「……池さんはどうして殺されたんですか?」


 池の死因は絞殺だった。警察がやってくる前に一応確認しておいた。

 ほかのメンバー(特に柿本)には止められたが、自分の目で現場を見ておきたかったのである。推理作家のサガだろうか。

 それでも柿本の意を汲んで、テントの外から眺めるにとどめておくことにしたが。

 昨夜までは快活に笑い、ときおり遥にいやらしい視線を送っていた色男の顔は無残なものに変わり果てていた。

 恐怖か、あるいは苦しみか、ぎょろりと見開かれた目に光はすでに失われていた。

 顔は紫に変色し浮腫んでいる。細長い紐のようなもので首を絞められた跡が遠目でも確認できた。

 仰向けに寝かされている死体の頭は枕に乗せられている。首から上以外はまるで眠っているようにしか見えない。

 美空が発見してから、池の死体は動かされていない。殺人事件に詳しくない一同にも、現場保存を徹底した。

 また、先ほどの斎藤の言葉どおり池の荷物も荒らされおり、中身がテント内に散乱していた。


「多分、途中で目を覚ましちまったんでしょうなぁ」


 無精ひげがざらつく自身の顎を撫でながら、斎藤刑事が慨嘆する。

 睡眠薬の効果が十分でなかった池は偶然目を覚まし、犯人の顔を見てしまった。

『容疑者X』は咄嗟に持っていた紐で池の首を絞めた。つまり口封じと言うわけだ。

 死亡推定時刻は午前0時から1時の間。


「池さんはどちらから首を絞められていたんですか?」


「ちょっと、かなたさん……」


「索条痕を見た限りでは、前からですなぁ」


 斎藤の言葉を元に、遥は脳内で昨晩の池のテントをシミュレートする。

 池の上にのしかかり紐状の凶器で首を絞める犯人の姿が思い浮かぶ。


「……池さんが犯人と争った跡のようなものは見つかったんですか?」


 絞殺の場合、首を絞められてから意識を失うまでに犯人と取っ組み合いになる可能性がある。

 池の体格は悪くないし、それなりに運動神経もありそうだった。

 犯人に一方的に殺されたとは想像しづらいのだが……


「特に何も」


 年配の刑事は首を横に振った。


――それじゃ自殺の可能性……なわけないか。


 テント内で首を吊る池の様子を思い浮かべ、一瞬脳裏をよぎった考えをかき消す。

 昨日の様子では、とてもではないが自殺を考えているようには見えなかった。

 もちろん心の中まではわからないが、それでも……自殺はなかろう。

 そう確信できる程度には、昨夜の池はあまりに普通だった。いや、陽気であった。

 ついでに言うならば、自殺したいならわざわざキャンプなんかに来るまい。自室で吊ればいい。


「吉川線は?」

 

 念を押すように遥が問うと、斎藤は器用に片眉を跳ね上げた。

 テント外からの観察では、細かいところまでチェックが行き届かなかったのだ。

 自殺はないだろうと思ってはいても、ちゃんと確認しておきたいところではある。


「難しい言葉を知ってるなぁ」


――推理作家ですから……


 感心した風に唸る斎藤から視線を外す。

 ……ここに来てから誰も自分を推理作家として扱ってくれないことに思い至り物悲しくなる。知名度が低い。

 以前に犯行現場に居合わせた推理作家と言うだけで警察からマークされたことがあるだけに、余計なことは口にしたくなかった。のだが……


「『吉川線』って何ですか?」


 おずおずと深月が尋ねてきた。

 その眼に邪な思考はなく、ただ純粋に知らない言葉を聞き咎めたというだけのようだ。

 年下の少女の視線はまっすぐに遥を捕えている。


「えーっと……」


 いつの間にか墓穴を掘っていた。なぜ自分はこういう所でやらかすのだろう。

 遥は大自然に抱かれて自らの迂闊さを呪った。現場保存の際も訝しがられた。

 殺人現場に詳しいJKなんて、どう考えても胡散臭い。さっきまでの自分の口を封じたい。

 現実逃避の後、どう答えたものかと悩んでいると、


「絞殺や扼殺の場合に被害者の首につく傷のことさ」


 斎藤の傍に控えていた小川が説明してくれた。

 絞殺あるいは扼殺の場合、凶器から逃れるために被害者が自らの首を掻きむしったりすることがある。

 その場合に皮膚に残った爪痕を『吉川線』と言い、自殺か他殺かの判断基準のひとつとされている。

 ちなみに『絞殺』は紐状の長いもので首を絞めて殺すこと、『扼殺』は手で首を絞めて殺すことである。


「被害者の首は……こういうのも何だがきれいなもんさ」


 一筋残る絞殺の後以外は。

 それは普通自殺を示す状況である。

 睡眠薬で眠らされても同じ状態になるだろうが、斎藤の考察では池は目を覚ましていたから殺されたはず。


「池さんの爪には何も残ってなかった?」


「ああ」


「でも、起きていて犯人と鉢合わせしたら、普通抵抗すると思うんですけど……」


「う~ん、そりゃそうなんだが、睡眠薬のせいで動けなかったんでしょうな」


 斎藤の言葉を是とするならば、池は生きながら首を絞められて殺されたということになる。

 想像するだけで胸が悪くなる。案の定、美空と七海は顔を背けて嘔吐いている。あれが死体を見た女性の普通の反応だろう。

 遥は気分こそ良くないものの、疑問に意識を持って行かれてそれどころではない。つまり普通ではない。


――言っていることはおかしくない。水に仕込まれた睡眠薬を全員が飲んでるんだから、私たちの中に犯人はいないことになる。


 それでも、何かおかしいと感じてしまうのは、推理作家としての疑い深さゆえだろうか。

 状況に無理やりつじつまを合わせたような気持ち悪さが消えてくれない。

 登場人物の中に含まれない外部犯などと言う存在を認めてしまうことに、どうにも抵抗がある。

 だからといって、夕食を共にした一行の中に犯人がいたと考えるのは、疑り深いというより人間不信ととられかねないとも思っている。

 ひとり思い悩む遥をよそに斎藤は話を続ける。


「それで、これからの話なんですが……警察としては所轄署の署員を動員して山狩りするつもりでいます」


「……それで、俺たちは?」


「まだ話を聞かせてもらいたいので、できればここで大人しくしていてほしいんですが、どうでしょう?」


「う~ん、どうします?」


 遥は撮影班の面々に伺いを立てる。

 ……とは言っても、警察に逆らおうという考えを持つ者はいない。

 実質的に同意を求めているだけである。


「人ひとり殺された現場に居たいとは思わないけど、撮影がまだ終わってないしなぁ」


 各務原の発言は不謹慎なようではあるものの、遥たちの本来の目的を鑑みれば妥当と言えなくもない。

 推理作家として殺人現場に興味があるとはさすがに口にはしない。

 その程度の分別はあるつもりだ。もう手遅れな気もする。


「撮影って、どのあたりでやる予定なんですか?」


「川と湖はもう撮ったから、今日はこの広場とロッジで撮ろうと考えています」


「それなら、うちの小川をつけましょう」


「え、僕ですか!?」


 いきなり指名された小川刑事は、先輩刑事に引っ張られて離れていく。

 二人がゴショゴショと相談している内容は聞こえてこないが、小川は斎藤に言い含められたようで大人しくなった。


「コイツはこう見えても腕が立ちます。周りにも大勢警察はおりますし、まあ安全でしょう」


 などとニコニコ笑っているが、心の内で何を考えているのかは不明。老練な刑事だ。

 案外遥たち撮影班の監視をさせるつもりで刑事を張り付けているのではなかろうか。

 自分で外部犯だと言っておきながら、どこか釈然としないものを感じているのかもしれない。

 遥のような小娘が気になることは、第一線の刑事だって気になるだろう。

 

――考えすぎかしら?


 それでも――可能性として一番高いのは先の外部犯説であることも理解できる。

 キャンプ場にいたものは全員水を口にしている。それは即ち誰ひとりとして睡眠薬の魔の手から逃れることができなかった証でもある。

 これから誰かを殺そうと考えている者が、自分に睡眠薬を盛るはずがない。自身が眠ってしまったら、殺人どころではないのだから。


 キャンプ場を取り巻く森は深い。睡眠薬を飲んだ内部犯を疑うより、どこかに隠れている外部犯の方がはるかに現実的。

 そして――サイトを取り囲むあの森の中に殺人犯が潜んでいるかもしれないという想像は、心胆寒からしめるに十分なもの。

 若くて腕利きの刑事を傍につけてくれるのであれば、多少は安心できる。撮影班には腕に自信のある柿本もいる。

 チラリと肉体派の社長の方に目を向けると、剥き出しになった腕の筋肉に力がみなぎらせている。このキャンプ場に来てから柿本は絶好調だ。

 絞殺を狙う間に柿本の拳が殺人犯を吹き飛ばす目算は高い。あの大男の傍に居る限りは安全だろう。


 とりあえず遥たちとしてはそれで納得したのだが、収まらないのが大学組。

 財布と一緒にカードの類も奪われており、さらには免許証もない。

 ここから離れたくとも動きようがないという現実が立ちはだかっている。


――あっちのことは警察に任せよう。


 深月には悪いが、余計なことを言って場を引っ掻き回す気にはなれない。

 大学組の様子を横目で見やると、後藤教授は今にも泣きだしそうな孫ではなく美鈴に何やら話しかけている。

 美鈴は池の死を前にして動揺しているようだったが、教授の話を聞くにつれて次第に生気を取り戻し、ともすれば踊り出しそうになる気持ちを必死で抑えているようにも見える。

 そんな深月を非難するような目で見つめる他のメンバーたち。実に不穏だった。


――何をしゃべっているのかしら?


 あちらの話に関わらないと決めた傍から好奇心がムクムクと湧いてくる。

 先輩の死に動揺した美鈴を教授が励ました――などと単純に考えることはできなさそうだ。

 ゼミの中でもいろいろあるのだろう。あちらはどうにも一筋縄ではいきそうにない。


「とりあえず飯にしない?」


 今後の方針がまとまったところで提案された各務原の言は、至極もっともなものだったが、


「でも朝作ったものは食べられませんよ」


 何しろ睡眠薬入りの水をたっぷり使用しているのだから。


「じゃあポリタンクを洗って作り直しか」


「すみません、ポリタンクは証拠物として押収させていただきます」


 申し訳なさそうに小川が頭を下げる。


「おいおい、いくらここが涼しいと言っても、真夏に水なしはキツイぜ」


 持ち込んだミネラルウォーターもだいぶん減ってきている。

 熱中症の危険もある。しかし大学組は車を動かせない。

 そうなると――


「それじゃ、僕が買ってきましょうか」


 車を動かせる撮影班のうち、最も仕事が少ない坂本が自発的に手を挙げた。

 ある程度この流れを予想していた様子。

 まぁ、撮影組の構成を考えれば、一番動きやすいのは坂本だ。

 各務原はカメラマン、柿本はボディーガード。裕子は遥の世話があるし、女性に大量の荷物を運ばせるわけにもいかない。

 もちろん遥は問題外だ。企画の主役グラドルであるし、そもそも車の免許を持っていない。


「ごめんなさい、坂本さん」


「いえいえ、元はと言えば我が社の企画のせいですから」


「坂本君、我々の分も頼んでいいかい?」


 後藤教授が声をかけてくる。

 昨日までならば率先して用事を振り分けていた池はすでに亡くなっている。

 これまでは生徒に任せてゆっくりしていた教授が、ようやく重い腰を上げたらしい。


「わかりました。それじゃすみません、空野さん」


「よろしくお願いします……あ、ちょっと待ってください。あの……」


「どうかしましたか?」


 坂本を引き留めて斎藤刑事に声をかける。


「念のため、坂本さんにも誰かつけていただくことはできませんか?」


 森の中に犯人がいるのなら、坂本が駐車場に向かうまでに襲われる可能性も否定できない。

 遥の要望に斎藤の顔が渋くなる。


「……すみませんが、山狩りに人数が必要ですので、そこまでは……」


「でも、斎藤さん。彼女の言うことにも一理ありますよ」


 小川刑事がフォローに回ってくれた。


「うう~む……それじゃ、駐車場までは私がついていくということで、どうでしょう?」


「空野さん、そこまで僕のことを気遣っていただいて……でも、大丈夫ですから」


「そ、そうですか……勝手なことを言ってすみませんでした」


 何度も頭をペコペコさせながら、坂本は駐車場に向かって走っていった。


「彼、今回は貧乏くじを引きっぱなしね」


 裕子の言葉には頷くしかない。

 深い深い森を眺めながら、ため息をつく。

 

――坂本さん、無事に帰ってきてね……

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