第11話 事情聴取
平穏で静謐だったキャンプ場は、にわかに騒然とした雰囲気に包まれている。
昨夜まであたりを覆っていた自然の気配はすっかり霧散してしまっていた。
池の死体を発見して呆然とする一同を差し置いて、遥は手元のスマートフォンからすぐに警察へ通報。
ほどなくして物々しい空気をまとった一団――警察の方々――がキャンプ場の管理人である岩崎共に姿を現し、現場検証を開始した。
池のテント周辺は『KEEP OUT』の黄色いテープで立ち入りが封鎖され、青い服の男たち――鑑識――が厳しく目を光らせている。
さらに遅れることしばし、キャンプ場にそぐわないスーツ姿の男が二人が現場に到着。
「我々、こういうものです」
胸元のポケットから差し出されたのは黒革の――警察手帳。
目の前の男たちと、手帳の顔写真は一致している。サスペンスドラマでも見ているような現実感のなさ。
三白眼の壮年の男性が斎藤、まだどこか幼さを感じさせる若者が小川。
二人はG県警の捜査一課――殺人などのいわゆる凶悪犯罪を担当する、推理小説ではおなじみの方々。遥も小説でお世話になっている――に所属していると名乗った。
「少しお話を聞かせていただいても、よろしいですかね?」
物腰は柔らかではあったが有無を言わせない口調。
お決まりの言葉と共に事情聴取が始まった。
★
事情聴取は個別に行われた。
キャンプ場という場所が場所だけに、所轄から持ち出したらしいテーブルと椅子で臨時のブースが設営された。
ロッジやテントから離れたところに用意されたのは、もちろん余計なことが他の者の耳に入らないようにという気遣い、あるいは用心のため。
まずは大学組から。ついで撮影班へ。殺害されたのが大学組のメンバーであることを鑑みれば妥当な順序だろう。
ひとりひとりに話を聞いているおかげで、遥の番になる頃には結構な時間が経過していた。
――午前中の撮影は無理ね、これは……
そっと溜め息をついてテーブルの前に設置された椅子に腰かける。
目の前には斎藤が座り、横に小川が立っている。ずっと話を聞き続けているせいか、ふたりとも少し疲れが見受けられる。
揉めませんように。遥は心の中で呟いた。
「えっと、それではお名前を教えていただけますか」
斎藤に促されて名前を名乗る。
壮年の刑事は穏やかな表情だが、目の奥には光がある。
いつも遥に向けられているモノとは異なる、誰何の瞳。
口調は丁寧だが、これはなかなか油断ならない人物に見受けられる。
何しろ、捜査一課は警察の花形といってもいい。実力主義で成り立っている部署である。
その一員である彼らが、チョロい人物であるはずがない。
「『高遠 遥』と言います」
名乗ると同時に名刺を差し出すと、紙片をしげしげと見つめた斎藤が疑問を呈する。
「この『空野 かなた』と言うのは?」
「それは芸名です。あとペンネームも」
「芸名? ペンネーム?」
斎藤は首をかしげている。演技というわけでもなさそうだ。
「私、グラビアアイドルと小説家をやっておりまして」
「ああ、確かにそう書いてありますな」
聞いたことがない。真正面から言われるとかなりショックだった。
横の小川は思い当たるところがあるらしく、目を丸くしている。
いったいどちらの名前を知っているのだろう。両方だと嬉しい。
「そのアイドルさんが、どうしてこんなところに?」
斎藤の言葉に『撮影です』と答える。
アイドルとグラビアアイドルの違いを指摘するのは止めた。この場においてはあまり意味がない情報だろう。
「撮影ですか……私はあんまり詳しくないんですが、こんなところでやるもんなの?」
「企画の内容次第ですが、今回はそういうお話を頂きましたので」
「左様ですか……大変ですなぁ」
斎藤刑事はたいして興味もなさそうに鼻を鳴らす。
「企画ってのは、あっちの大学の方と一緒に?」
「いえ、あちらの方たちとはここで偶然一緒になりました」
遥の説明に納得しているのかいないのか、外見からは俄かに判断しがたい。
「それじゃ、早速だけど昨日の夜の話を聞かせていただけますか?」
「はい」
頷いて頭の中で記憶を手繰り寄せる。
と言っても、あまり話すことはないのだが。
「昨日の晩ご飯はみんな一緒にバーベキューして、解散した後でロッジに戻りました」
「ひとりで?」
「撮影スタッフの裕子……三上さんと、あちらの後藤教授のお孫さんの深月さんと一緒でした」
「別々に来たのに、教授の孫と一緒に寝たと?」
「はい。深月さん、テントだと眠れないとおっしゃったので。幸いベッドに空きもありましたし」
「ロッジに戻ってからは?」
女性用の室内でのアレコレを、躊躇いもなく訊いてくる。
別に下心の類ではないとわかっているので、遥も普通に答える。
「メイクを落としてシャワーを浴びて、寝間着に着替えてから二人と少しおしゃべりして、それから寝ました」
「いつぐらいに寝たかわかります?」
「えっと、そうですね……」
時間を聞かれて白いスマホを取り出す。
メッセージアプリを立ち上げて履歴を確認していくと……
「弟にメッセージを送ったのが午後9時半。それからしばらくして寝たので……大体午後10時ぐらいだと思います」
「メッセージ、見せてもらうことはできますか?」
若い刑事――小川は、遥に対しても敬語を使う。
斎藤を見習ってのことなのか、それとも誰に対しても同じなのか。
見た感じでは純粋そうな――あるいは純朴そうな印象。捜査一課の人間としては珍しいタイプ。
今も遥の顔と胸に視線が釘付けになりそうなところを必死に抑えているのがバレバレだ。
「普通ですよ」
プライベートを見せるのは引っかかるが、隠すほどのことでもない。
液晶を小川に向けると『21時34分』と呟いた。細かい。
「途中で目を覚ましたりは?」
「いいえ。昨日は凄く眠くて。朝までぐっすりでした」
もともと一度眠ると朝までずっとそのままである。
「ふむ。じゃあ今朝の話を」
「朝は午前3時に起きました」
「えらく早いですな」
その声には呆れが混ざっている。
『朝というより夜中じゃないか』なんて副音声が聞こえてきそう。
「日の出をバックに写真を撮ろうという話になってましたので」
「……アイドルさんも大変なもんだ」
アイドルは過酷。捜査一課の刑事に同情されてしまった。
さすがに捜査一課よりはマシだと思うのだが。
「メイクとかをお願いしている三上さんと一緒に準備して、他の撮影スタッフと合流して、東の湖に行きました」
「湖? どこにあるの? どれくらい離れてる?」
知ってか知らずか、えらく食いついてくる。
「えっと……あの東の山道を歩いて20分くらいです。そこでグラビア撮影を始めて……ひととおり終えて戻ってきたのが6時くらいだったかな」
濡れた水着を身につけたままガタガタ震えていたので、その辺りの記憶は曖昧だ。
柿本か誰かがそんなことを言っていた気がする。自分は時計を確認していないと告げた。
「それで、その後は?」
「私は着替えて、柿本――うちの社長が朝食を作るのを見てました」
「社長さんが朝ごはん作るんだ?」
「私と社長だけの小さな事務所ですので……」
自分で言っておいて何だが、零細芸能事務所の悲哀を感じる。
刑事ふたりの視線が追い打ちをかけてくる。痛い。
「なるほど。他の人たちは?」
「ロッジに荷物を片付けてからはずっと広場で一緒でした。それから後藤教授が起きてこられて、みなさんもやって来て……」
まだ記憶に新しい部分だ。
「池さんの姿が見えないので、美空さんがテントに様子を見に行ったら、もう……」
「ふむ……」
「あとは、私が警察に連絡して、ずっと待機してました」
現場保存に努めたつもりだ。
推理作家として、その辺りの知識はある。
「ああ、通報してくれたのは君なのか」
意外な風に感心して見せてくる小川刑事。
「確認なんだけど、夜中の0時から1時あたりはずっと寝てたってことでいいのかな?」
「はい。えっと、これ、アリバイを聞いておられます?」
「いや、そう言うわけじゃありません。形式的なものだからみんなに聞いているだけでして」
斎藤刑事はそう言うものの……
――どう考えてもアリバイでしょ。池さんが亡くなったのはその時間帯か……
午前0時から1時。全く記憶にない。完全に寝入っていた頃合いだ。
「話は変わるけど、ロッジには鍵は掛けてた?」
「はい。昨晩戻ったときと、今朝撮影に出るとき、両方とも掛けました」
女性陣のロッジの鍵は2本。
遥と裕子がそれぞれ管理していた。
今日の朝に撮影に出る際は、裕子の鍵を深月の枕元に置いて、遥の鍵でロックを掛けた。
男性側は3本。柿本、各務原、坂本がそれぞれ1本ずつのはず。これも付け加えておく。
「後藤教授のお孫さんは、ずっと寝てた?」
「いえ。私たちが起きたときに騒がしかったのか一度起きました。でも、すぐにもう一度寝たみたいですけど」
自分が眠っている間のことはわからない。
遥が答えると『まぁ、そうでしょうねぇ』と斎藤は苦笑した。
眠っている状態で周囲の状態を把握するなんて、フィクションの剣豪とかそういう人物でなければ無理な話だ。
夜中――池の死亡推定時刻に自分以外の人間が何をやっていたかまでは保証できない。
「ふむ……ところで、あちらの東桜大学の人に知り合いは?」
「いません。全員ここに来て初めて会いました。ただ……」
「ただ?」
「こっちの坂本さん――T社の編集の方なんですが、あの人が後藤教授のゼミのOBらしいです」
後藤教授と亡くなった池とは面識があったようだ。
そう続けると、斎藤はゴツゴツした手で自分の丸い顎を撫でまわした。
面白い話を聞いたという風であった。
余計なことをしゃべり過ぎたかもしれないという思いが頭をよぎったが、どうせバレることだろうと開き直る。
痛くもない腹を探られるくらいなら、積極的に情報を提供した方がマシだ。
……万が一坂本が犯人だというのなら、遥にとっても危険だろうから。身内に殺人犯がいるなんて笑えない。
「ついでに聞いておきますが……夜中にロッジから外に出ることは可能だったのでしょうかな?」
「鍵を使わずに、ですか?」
遥が逆に聞き返すと、斎藤刑事が頷く。
より正確には『ドアを開けずに』である。
少し考えてみて――
「不可能ではないと思います」
「ほう?」
「だって、窓から出入りすることができるはずですから」
面白くとも何ともない、実に単純な話だった。
隠しも誤魔化しもしない。それぐらい警察はすぐに気づくだろう。
「なるほど。ありがとうございます」
聞きたいことはひととおり聞けたのか、斎藤はメモを閉じた。
★
その後も事情聴取は続いた。終わるころには太陽が中天にさしかかっており、みなうっすらと汗をかいている。
しかも死体発見のショックで朝食にも手を付けていない。おかげで体力をかなり消耗してしまっている。
男性陣、特に学生の矢生と芦田は露骨にイライラしており、美空はそんな彼らからそっぽを向いてしまっている。
和気藹々としたキャンプが一転して凄惨な殺人現場に変貌し、撮影組も大学組もストレスは高まる一方。
「皆さん、ご協力ありがとうございました」
集まった一同を前に斎藤が礼を述べる。
慇懃ではあるものの、どこか形式的な印象を与えてくる。
「それで、俺たちはこれからどうなるんだ?」
代表して各務原が問う。
腕を組んで指をトントン。苛立ちを感じさせる。
「それなんですが……先にお話ししておきたいことがありまして」
斎藤が言うには、ポリタンクの水から多量の睡眠薬が検出されたとのこと。
その言葉が耳に入るなり、昨日からずっと設置されている白いタンクに目が吸い寄せられる。
ポリタンクの下では、シンクに食器類が沈んでいる。昨日のままの姿で。
「水に睡眠薬って……」
一同絶句。その言葉の意味するところは……
「あの水は昨日何かに使われたんですかね?」
改めて斎藤が問いかけてくる。
キャンプ一同で顔を見合わせる。
「何かって言うか、殆どの料理に使ってます」
警察の質問に答えたのは七海。元から白かった肌はすっかり青ざめてしまっている。
いきなり殺人事件に遭遇し、身近な人間を喪ったとあってショックが隠せないようだ。
「野菜だって水洗いはしますし。使ってないのは……缶ビールくらいかしら。それじゃ、昨夜はみんな眠らされてたってことに……」
ロッジで鍵をかけていた遥たちはともかく、テント泊したゼミ組はほとんど丸裸の状態で一晩過ごしたということになってしまう。
「話を聞かせてもらった限りでは、みなさん昨夜はぐっすりとお休みだったようですが……これが原因だった、と」
「いったい誰が……」
眠らされたと知らされて、大人も学生も顔を見合わせて身体を震わせる。
遥も内心では驚きを隠せない。言われてみれば昨夜はずいぶん眠かったが、てっきり初めてのキャンプで疲れがたまっただけだと思っていたから。
まさか知らぬ間に睡眠薬を盛られていたなんて。
「更に付け加えると、みなさんのテントに置かれていた荷物が荒らされておりまして、金品が盗まれた形跡があります」
大学組が互いに視線を交錯させながら頷いている。
ロッジの中にいた遥たちは特に被害に遭わなかったが、聞くところによると財布やカードが丸ごとやられているらしい。
今のところわかっているのはそれだけ。他に盗まれたものがないか、大学組は鑑識に協力して確認してほしい。斎藤刑事はそう続けた。
鍵をかけておいてよかった。遥は密かに胸をなでおろす。
「皆さんのテントやロッジも調べさせてもらったんですが、盗まれたものは全く見つかっておりませんで」
「それは、僕たちを疑っていたってことですか?」
坂本が斎藤の言葉を聞き咎める。
年配の刑事は『まあまあ』と押し止めるようなジェスチャーをする。
「何事も疑ってかかるのが警察というものですので、その辺りはご勘弁を」
一応謝罪してはいるものの、特に悪びれたようには見えない。
きっと慣れっこなのだろう。警察というのは因果な商売だ。事件解決のためとはいえ、人を疑い、嫌われて……
警察の事情はさておいて、問題は、昨晩は何者かの手によって全員が眠らされ金品が盗まれた。
そして盗品はどこからも見つかっていないということ。
これらの事実が指し示すのは――
「と言うことは池さんは……」
遥が尋ねると、厳かに斎藤は口を開いた。
「おそらくは外部の人間による犯行だと思われます」




