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第10話 時は来た


『眠い』


 キャンプ2日目の朝を迎えた遥の第一声がコレだった。スマートフォンの液晶に表示された時刻は――午前3時。

 昨日の打ち合わせで夜明けをバックに撮影を行う事になっていたから、早起きは仕方がない。カーテンを少し避けてみると、外はまだ暗い。

 夏の日の出は早いのだ。撮影するなら起床時刻は更に早くなる。わかっていても眠いものは眠い。ついでに言えば頭が痛い。

 寝汗で肌に張りついた髪が煩わしい。時々バッサリ切りたくなる。

 半眼であくびをひとつ。隣のベッドに目をやると、そこに横たわる大人がひとり。寝相についてはノーコメント。


「裕子さ~ん、起きてください」


「ん~、あと5分」


 シーツが蹴り飛ばされているせいで大胆に晒されている豊満なボディを軽く揺らすと、枕を抱いた裕子は夢心地のままで子供のようなことを言う。

 昨晩しこたまビールを飲んでいた影響もあるのかもしれない。

 もう少し寝かせておいてあげたい気もなくはないが、仕事である。

 寝過ごして困るのは裕子本人だ。


「もう朝ですよ。早く!」


「う~、頭痛い」


 眠たげに目蓋を擦りつつ頭を上げる裕子を置いてシャワールームに向かう。

 脱衣所で寝間着を脱いでシャワーを浴びる。

 冷水と温水を交互に浴びると眠気は消えて身体が引き締まる。

 ようやくサッパリしてきたところで撮影用の水着を身につける。白のビキニ。

 部屋に戻ると裕子が大あくびをしているところにかち合った。

 

「ごめん、早速始めましょ」


「よろしくお願いします」


「その前に顔洗ってくる」


 冷水で目を覚ました裕子の手でメイクを施される。

 遥はもともとメイクは薄めだが、裕子の手にかかると一味違う。

 普段の遥のメイクを100点とすると、裕子のそれは200点。

 さすがのプロの手腕に感心しつつ、ひとつひとつポイントをチェック。

 撮影の際は基本的にプロのメイクにお願いすることになるが、日々の高校生活でも生かせるところがあるはずだから。

 遥の用意が完了してから裕子もシャワーを浴びてメイクを施す。

 人前に出る以上、眠たかろうが手は抜けない。いついかなる時であろうとも。その気持ちは痛いほどよくわかる。


「ん、うん~」


 端のベッドから可愛らしい寝声が聞こえた。

 できるだけ静かにしていたつもりだったが、深月を起こしてしまったようだ。


「あれ、空野さん? 今何時ですか?」


 寝ぼけ眼の深月は、遥たちを見るなり驚いて体を起こそうとして――撃沈。

 昨晩撮影を見学するという話をしていたせいか、朝早くから準備をしている遥たちを見て慌てているようだが。

 問題は意識に身体が追いついていないということ。


「起こしちゃってごめん。まだ寝てていいから」


「でも……」


「撮影は昼間もあるし、ゆっくりしてて」


「……すみません。せっかく誘っていただいたのに」


「気にしないで」


 気を緩めた深月は再びベッドに潜り込む。

 いくら若いとは言え、さすがに午前3時起きは辛かろう。

 深月が再び寝入ったのを確認し遥は上着を羽織り、トレッキングシューズを履く。

 夏と言っても日の出前。水着だけでは肌寒い時間帯だ。


「それじゃ、行ってくるね」


 小さな声で呟いてロッジを出て鍵を掛ける。裕子の鍵はを深月のために枕元に置いておいた。

 男性陣はすでに外でスタンバイしていた。まだ日の昇らないキャンプ場に懐中電灯の明かりが目に眩しい。

 早朝の空気が肌に寒い。たまらず上着の前を締める。脚が丸出しなのであまり意味はないが。


「おはようございます」


「ああ、おはよう……痛たたた……」


 待たせてしまった遥の方から挨拶すると、各務原が顔をしかめる。

 後の二人も似たり寄ったりの様子であった。


「どうかされました?」


「うん、まあ、その、二日酔い」


 遥以外の4人の大人は揃いも揃ってしっかり酒にやられていた。

 自業自得としか言いようがない。

 大人とは一体……遥の胸中に不安がよぎる。


「……大丈夫なんですか?」


「大丈夫。かなちゃんにカメラを向けたら調子は戻るから」


 各務原が何を言っているのかよくわからない。

 カメラで二日酔いが直るなんて聞いたこともない。

 別に追及する気にもならないが、各務原を信じることにする。


「それじゃ出発……痛たた」


 各務原の号令で一行は移動を開始する。

 行き先は東の道を進んだ先にある湖。

 薄暗い山道、朝もやでけぶる木々の間を抜けていく。

 早朝の山はどこまでも静謐で、どこか神聖な気配すら感じられた。

 


 ★



 湖を見た遥の第一印象は『想像以上に大きい』だった。

 対岸はギリギリ視界に入っているがかなり遠い。前に写真で見た琵琶湖(日本最大の湖)ほどではないにしても、都内の池とは大違いである。

 見た感じでは全体に円形のようで、撮影班以外は誰もいない。遠目にボートらしきものが係留されているのがわかる。乗ることができるのだろうか?

 海に似て砂浜はあるが波はない。湖面は平らかで、静かすぎて少し不気味でもある。


 湖についた一行は早速撮影の準備を始めた。もうすぐ夜が明ける。あまり時間がない。

 到着するまでに20分ほど歩いたおかげか、さすがに身体も暖まってきている。

 遥は入念にストレッチをこなし、各務原はカメラのチェック。

 柿本と坂本は機材の用意。昨日と違い着替える予定もないので裕子は見学。

 椅子に腰を下ろしてはいるが、念のため簡易なメイク直しの準備だけは怠らない。


「よ~し、それじゃ始めよう」


「はい!」


 昨日と同じように最初は何気ない感覚で湖岸を歩く。

 軽快なシャッター音とフラッシュの連続。いつもの各務原だ。本当に二日酔いは治ったらしい。

 程なくして空が白み始め、光が差し込んでくる。遠くの稜線が徐々に明るく照らされていく。

 水面がキラキラと輝き始め、神々しい雰囲気が醸し出されてくる。


「かなちゃん、水に入って」


 打ち合わせ通り。

 遥が進んだ後の砂浜に足跡が残る。早朝の湖、その水が冷たくて、背筋を震えが駆け上がる。

 我慢のしどころだ。文句を口に出すことなく、表情を崩すこともなく。

 派手に動き回るわけではないが、砂浜に足を取られて転んだら色々と台無しである。

 続いて各務原も服を着たまま湖の中へ。機材担当の二人も続く。

 ズボンの裾が濡れるのもお構いなしで遥を撮り続けるのは、さすがプロのカメラマンと言ったところか。

 各務原の表情は変わらないが、柿本と坂本は冷たい水に顔を強張らせている。


 そして太陽が山すそから登ってきたところで指示が飛んでくる。

 普通に立っているだけでなく、振り返りポーズ、横顔などなど。表情にも様々な注文が入り、その全てに遥は応えた。

 一日のうちこのタイミングでしか撮れないだけあって、各務原の顔も真剣そのもの。

 無言のまましばらくシャッターが刻まれるだけが響き渡る。

 各務原自身も器用に湖の中を歩き回り、様々な角度から遥をレンズに収めている。

 ややあって――


「悪いんだけど、座ってくれるかな?」


「え……はい」


 遥は一瞬だけ躊躇した。

 ただでさえ冷たい水の中に、身体の大半を浸すことになる。

 水着も濡れてしまうが、替えを持ってきていない。それでも――各務原を信じる。

 ゆっくりと水の中に腰を下ろすと、予想どおり冷える。背筋が震える。

 横ばいになってカメラの方を向く。ついで仰向けになって後ろ手を付くと凹凸のある肌の表面をなぞる水滴が、差し込む陽光に照らされてきらめく。

 笑顔から初めて、遠くの方を眺めたり、アンニュイな流し目を送ったり。連続する各務原の指示に必死で表情を作る。日頃のトレーニングの成果だ。


「ようし、こんなもんでいいだろう」


 ようやく満足したらしい各務原の声が聞こえると、さすがに我慢の限界がやってきた。慌てて立ち上がろうとして――転びそうになる。

 水から上がった遥は、しかし自分のことより先に、すっかりずぶ濡れになった各務原のズボンを指さして、


「各務原さん、それ……」


「ん、気にしない気にしない。夏なんだからすぐ乾くよ」


 遥の方はと言うと慌てて駆け寄ってきた裕子から手渡されたタオルで足を拭きサンダルを履いた。

 冷水で自社グラドルがずぶ濡れになったことに柿本は難しそうな顔をしていたが、裕子はそれほどでもない。現役時代に各務原と似たようなことがあったのだろう。

 続いて全身の水滴を拭い、上着を羽織って椅子に腰を下ろす。身体の震えが止まらない。

 写真のチェックをしていた各務原からOKが出ると、即座に撤収に入る。

 幸いスケジュールには余裕がある。予定では今日の午後は休暇にあてられる。

 それでも写真は多めに取っておくに越したことはない。

 数多ある写真の中で、実際に日の目を浴びるのはほんの僅かなのだ。

 だからと言って予定を全部撮影で埋めてしまうのも違う。

 遥自身だけでなく、他のメンバーにしても休息は必要。大切なのはメリハリだ。

 よく働きよく休む。そうやって良い作品が生まれていく。そういうものだと遥は考えている。



 ★



「遅いですね」


 広場に戻ってきた柿本は、開口一番そんなことを口にした。

 スマホを見ると午前6時。まだ十分早い時間のように思える。


「昨日随分お酒を飲んでたし、まだ寝てるんじゃないんですか?」


「うっ、それは……」


 柿本が言葉に詰まる。

 他の3人も遥から視線を逸らして下手な口笛を吹き始めた。

 思い当たるところがありすぎるようだ。さもありなん。


「昨日のバーベキューではお世話になったし、朝食はこちらで準備しましょうか」


「かなちゃんはダメ」


「かなたさんは休んでいてください」


 ツッコミが早い。

 仕方がないので一度ロッジに戻って洗面所でメイクを落とす。

 シャワールームで濡れて肌に張り付く水着をはぎ取り、暖かいお湯を浴びると心身ともにホッとする。

 ゆっくり時間をかけて身体を温め、バスタオルを巻いただけの姿でベッドに戻る。

 着替えを用意していなかったことに途中で気づいたから。隣のベッドを見ると、深月はまだ眠っていた。


 裕子が持ち込んだ分も含めて、水着の種類にはまだ余裕がある。

 どうするかと迷った結果、赤のビキニ水着の上からTシャツとホットパンツ。

 食後にまた撮影があるのだから、先に着替えておくことにする。続いて裕子の手で再びメイク。

 再びグラビアアイドル『空野 かなた』ができあがったところで弟にモーニングコールを入れようか迷ったけれど止める。

 あちらの様子がよくわからないのに朝早くに起こすのはマズいかもしれない。連日の猛練習で疲れているだろうから休ませてあげたい。

 

 ロッジを出ると、朝もやの中、テーブルの周りを柿本がせわしなく動いていた。

 バーナーを点火し卵をスキレットに落とし、目玉焼きを作っている。

 その間に野菜をちぎり、バゲットを切り分ける。シンプルな朝食が出来上がっていく。手際がいい。

 椅子に腰を下ろして柿本の様子をじっと見ていると、


「早いねぇ」


 大学組で一番最初に顔を出したのは後藤教授だった。


「おはようございます」


 腰を上げ、近づいて頭を下げると、


「深月は迷惑を掛けませんでしたか?」


「いいえ。いい子ですね、深月ちゃん」


「そう言っていただけるとありがたい。どうも私はあの子と上手くやれていないもので……」


 好々爺然とした教授の言葉。どこにでもいるお爺さんといったところ。

 深月は祖父に対しては何も言っていなかったように思う。

 いや、雑談の中でキャンプに無理やり連れてこられたみたいなことは口にしていたか。

 それでも両親が家におらず祖父まで不在となれば心配になるのが親というもの。

 放置されるよりはよほどマシだろうし、どこかに連れて行ってもらった覚えのない高遠家の娘としてはむしろ羨ましい。


「そんなことないと思いますよ」


「そうですか。いや、まだ若いのにしっかりしておられる……」


 感心されてしまった。そんなにしっかりしているだろうか。

 遥は内心で首をひねった。自分では至らないところばかりのように思える。


「ところで、それは何を……キャッ」


 後藤教授はいきなり服を脱ぎ出した。さすがに上半身のみだが。

 汗をかいているようには見えないのに、露出された肌を乾いたタオルで擦っている。


「ああ、乾布摩擦です。健康にいいんですよ」


「そ、そうですか……」


 周りの目をはばかることなく鼻歌交じりで身体をゴシゴシする教授を見ていると、後藤ゼミ男性陣がやたらと服を脱ぐのはこの人のせいかもしれないという疑問が浮かび上がる。

 まさかそんなところまで教授のご機嫌伺いをしているわけでもなさそうだが……

 荷物を置いた残りの撮影組も合流する。各務原は相変わらずカメラを首から下げている。


「各務原さん、食べてるとこ撮らないでくださいね」


「いやいや、こんなおいしいところを撮らないなんて、それはない」


 頭を掻いて誤魔化しにかかってくる。


「各務原さん、ホント変わらないわね」


「昔っからこうなんですか?」


「ええ、今日みたいに夜明け前にたたき起こされるわ、撮るなって言ってるとこばっかり撮るわでもう……」


 現役時代を思い出した裕子が頭を抱えている。

 しばし裕子の現役時代――主に各務原に酷い目にあわされたアレコレ――を聞かされる。

 想像以上に酷かった。いずれ自分も同じ目に合うのかと思うとゾッとするくらいには。

 そんなこんなで(シャレにならないと思いつつ)笑っているとロッジから深月が顔を出す。


「おはようございます」


「おはよう。もうすぐ朝ごはんよ」


「すみません、何から何まで……」


「気にしないで。みんな好きでやってるんだから」


 特に柿本はここに来てから気合の入り具合が違う。

 はあ、と気の抜けた返事をする深月。

 続いて学生組もちらほらと顔を出し始める。

 矢生と芦田は教授に倣って乾布摩擦を始めた。

 そんな3人に冷たい眼を向ける七海。教授たちはセクハラ呼ばわりされても文句が言えない気がする。

 なお、美空は彼らをスルーしていた。慣れっこになっているのかもしれない。

 ところで――


「あれ、池さんは?」


 美空がキョロキョロと見まわすと、確かにあのウザ――陽気な若者の姿が見えない。


「あの人のことだから、一番に起きてるかと思った」


「ねぇ」


 意外そうに顔を見合わせるゼミ生たち。


「もうすぐ朝食も出来あがるみたいだし、起こしてきましょうか?」


「すまんね、美空君」


 そう言ってテントに向かった美鈴は――次の瞬間、キャンプ場に響き渡るほどの悲鳴で空気を切り裂いた。


「どうした美空君、そんな大声をあげて?」


 顔をしかめる後藤教授。他のみんなも似たり寄ったりの表情を浮かべている。

 しかし腰を抜かしてへたり込んだ美空は、日頃のツンとした態度も余裕すらも投げ捨てていて。

 服が汚れることを気にした様子もない。


――ん?


 様子が明らかにおかしい。嫌な予感がする。

 その遥の直感は最悪の形で証明される。


「し、死んでる。池さんが……池さんが……」


 メイクの決まった顔を青ざめさせて、うわ言のように繰り返す美空。

 その言葉の意味を理解した一同は顔を見合わせ、そして叫ぶ。


「死んでる……だって!?」


 日が昇り気温が上昇しているはずなのに、周囲の温度が一気に下がったように感じられた。

本日の更新はここまでです。

ようやく死体が転がりました!

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