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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
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転落

作者: 藤園未来

高校時代の作品です。部誌にも載せました。ジャンルが分かりません。誰か教えてください

鞭打つような頭痛で目が覚めた。頭上の時計を見ると午前六時三十分、外はまだうす暗いだろう。

痛みを我慢しながらベッドから起き、テレビの電源を入れる。この時間となると全ての局が同じ知らせを放送する。深くため息をつき、液晶画面の見慣れた文字列を眺める。

今日もいつも通り人が死んでいく。

『先日、二宮真死刑囚の死刑が完了いたしました。本日は午後三時より、坂本光一死刑囚の死刑が行われます。それでは、次のニュースです』

 今日は午後出勤だった。ありがたい。昨日の惨状の後だと考えると、とてもじゃないが朝から仕事はできない。また自らの体を引きずりベッドに横たわる。ベッドのスプリングがギシギシと音を立てる。目を瞑ると、昨日の死刑囚、二宮真との会話を思い出す。


 対面室で出会った二宮真死刑囚はここ数年死んでいった死刑囚たちとは違い、晴れやかな目で俺のことを見つめてきた。純日本人らしい黒髪黒目。座っているからか、もともと俺より背が低いと分かってはいたが、より一層こじんまりとしているように思う。俺の後ろには同僚が三人、いざという時の為に立っている。時々いるのだ、死ぬことを恐れガラスを殴り浅はかに逃亡を試みるやつが。しかしこいつの目は怯えているどころかまるで新しいおもちゃを目前にした子供のようにらんらんと輝いていた。

真死刑囚は年の割に物腰が落ち着いているように見える。数か月の刑務所暮らしで髪の毛が若干伸びたようで目にかかった髪の毛をうっとおしそうにはしているものの、何か反抗しようとしているようにも思えない。

とりあえずいつものように椅子に座り、話はじめる。


「こんにちは。死刑執行人の秀也です。規約通りあなたとお話をするために来ました。まず、きみはなぜ自分が死刑判決を受けたのか理解出来ていますね」

「ああ」


 俺が生まれるずいぶん前に、この国の法律は変わった。一般人として暮らす分には特に影響のない変化ではあったが、罪と密接な関係を持っている職ではずいぶんな衝撃を受けたらしい。今では以前の法律がどういうものなのかはわからない。ただ、こうして死刑執行人が死刑囚とあうなんてことはありえなかったということは先輩に聞いた。俺としては死刑囚と会わないことの方が驚きだ。

 この行為には死刑囚に再度己の罪を自覚させることと、人生最期くらい言いたいことすべてさらけ出させることを目的としている。二番目の目的の所為で死刑執行人という職は長くても十年しかできない。いや、十年持てば御の字とさえ言われる。それくらいには、死刑囚の最期の言葉というのは支離滅裂であったり、死にたくないと叫んだり、家族の身を案じたりするのだ。その言葉に同情や共感で罪悪感を抱き、己は人殺しをしているのだと思う気持ちが積み重なって辞めてしまうらしい。そこまでいうなら死刑判決されるようなことをするのが悪いのだ。


「では、自分の行ったことを全て言葉にして発言してください」

「ふむ……殺した数は多分十二人。男が十人で、女は二人くらいだったか。殺しの方法は全部刃物。色々持ち歩いていたけれどその日の気分でどれを使うかは決めていた。俺が逮捕された原因がネット告発というのが残念な点だな。愉快犯だとかなんだとか、みんな好き勝手言ってくれちゃってさ。まあ、出来れば現行犯逮捕が理想だったかな」


 なんとも奇妙だ。自分の行為は自覚しているが、それを罪とは思っていないように思える。俺は少し顔をしかめながらもいつもの段取り通り話を進める。


「では最後に。言いたいことなんでも言って良いですよ。こちらから何か質問したりもしません。あなたの質問には答えます。動きたいなら動いてもいいですよ」


 そういうと真死刑囚は少し俺のことを見ると、お世辞にも綺麗とはいい難い歪んだ笑みを浮かべた。肘をテーブルにつき、手の上に顔をのせる。目が楽しそうだ。


「人間は人でありヒトである。……なんてね。

 へへ、柄にもなく名言ぽいことを言っちゃったな。でも、最期なんだろう? 付き合ってよ。そういうことだよな、なんでもって。もうすぐあんたの手で死刑を執行される男の話なんだ、興味もなくはないだろう?

 さて、俺は確かにたくさんの人間を、人を、ヒトを殺してきた。そして俺自身も人間であり、人であり、ヒトである、それはそうだよね?

動物としての本能のままに生きるとき、野生の彼らは自分の生命線上の壁、天敵となるやつを殺す。彼らだって、別に殺したくて殺しているわけじゃないんだ、生きるために生きるんだ、殺すんだ。果たして、あんたはそれを罪だと咎める? そう、それは当たり前のことだと言うだろう? 罪じゃないだろう? だったら、俺が生きるために人間を殺すことの何がいけないというんだ? 奴らは俺の生命線上に立って俺の生きる道を脅かした。

 俺は生きることが好きだ。生きているという実感がほしい。それは心臓が痛いくらい脈を打つだとか、他の者のむごいものをみて自分ではないことに安心するだとか、そんなことが俺は大層好きだ。

 そうだ、俺の初めての話をしよう。生きている俺にナイフを持って襲い掛かってきた男がいた。そいつは気が変だった。俺は生きるために奴を殺した。返り血が大量に飛び散った。俺は俺の生きることを続けられることを感じた。自分の敵が消えたことに安堵したんだ。

 だけど流石にやばいと思って俺は逃げた。そして、返り血のべっとり付いたシャツの俺を見た女が悲鳴を上げて警察を呼ぼうとした。警察に捕まったら俺の生きるためにやった行為は否定され、俺の生は終わらされてしまうかもしれない。俺は俺の敵である女を殺した。最初の男の時よりもうまくやれた。

 俺は俺の敵を殺す、俺の生を脅かすものを殺すんだ。俺は生き続けるんだ。これからも、これまでも、俺はそうやって生きるんだ!

 そして、俺は今も生き続けているわけ。

 いけないことだと思っているか? そりゃそうだよ。俺は人だもの。でも、ヒトだ。生きるために仕方がなかったんだ。俺には生きるという実感がなければ俺を生殺しにするしかなかったんだ。生きているのに死んでいるなんて、なによりも辛いことだよ。いけないなんて考え、いつの間にかなくなったよ。

 俺は生きたい、生きていることを実感したい。

 あとは刑事さんたちが調べた通りだよ。あんたも読んだよね? 俺の調書。

 じゃあ、なんで俺がここでこうして静かに死刑が執行されることを、生が終わらせられることを待っているのかって?

 うーん、なんでだろうな。俺にもわからないや。

 でも、強いていうならば、もう殺すことで俺が生きているということを実感できなくなったんだ。慣れってやつかな。どんなに真新しいものもずっと使っていると中古となるように、生きていることを実感できる行為も、ずっとやっていればいつしかそれはふつうのことになるんだ。慣性惰性そういうもんさ。俺は生き続けることよりも生きているという実感が欲しいんだ。だから、俺は俺の生を終わらせることで俺が生きている、生きていたということを実感するんだ。

 差し詰め、君は俺が生きているということを実感させてくれる大事な存在なわけ。だから敵じゃあない。俺は君を殺さない。

 だから安心してくれよ。せいぜい、俺が生きているということを強く実感させてくれ。期待してるよ、秀也さん」


 真死刑囚の言葉に俺はやっぱりか、と思った。彼にとって人はヒトという動物でしかなかったのだ。人が豚や牛を殺して食べるように、真死刑囚にとって殺しは生活の行為の一つでしかなかったのだろう。なんとも可哀想な人だな、と俺は思った。後ろからはなにか息をつめたかのような声が聞こえるが、同僚ながら情けない。


「お話は以上で」

「いや、まだある」


 つい片眉が上がる。死刑を受け入れておきながら、こんなにも話す死刑囚はそういない。


「では、どうぞ」

「まあ、話したいというか、話してほしいんだ。秀也さんはなんで死刑執行人なんて職に就いたんだい? 死刑執行人は名前の通り人を殺す仕事だよ、どれだけ法で罪とされていなくても、やっていることは絞首殺害だ。精神的にもキツイ仕事だって聞く。顔つきからして秀也さんはどうも若い。多分俺より一、二歳上なくらいじゃない?そんなに若いのにその仕事ってどうなのよ」

 俺に質問する死刑囚もなかなかいない。みんな自分のことで精いっぱいだろうに。

「大学の教授に向いているといわれたんだ。給料もいいし、死刑執行人は辞職後の待遇もいい。職につくなら、自分に向いている仕事がしたいとおもったんだ」

「へぇ」


 真死刑囚はそういうと愉快とでも言いたげな顔で俺を見た。そういえば、真死刑囚は大学で心理学を学んでいたと聞く。彼は俺から何かを引き出そうとしているだろうか。

 何秒経ったのだろう。後ろから息を殺す音が聞こえる。精神の軟弱すぎる同僚に呆れて表情が動きそうになる。


「秀也さんは俺と一緒だ」

「は?」


 口を開いた真死刑囚は正真正銘、比喩などではなくあたらしいおもちゃを見つけた子供の目をしていた。


「後ろの人と、秀也さんとはなんか違うと思ったんだ。だけどなんだ、秀也さんは面白いなぁ。教授さんの言葉、言い換えてあげるよ。『君は精神的に人との共感性がない。加えて言えばボタン一つで人を殺すという行為で精神がやられることもない。むしろ仕事となれば君はきっと嬉々として行うだろう』だ。

秀也さん、何年死刑執行人やってる? 職についてから何人の人が辞職していった? 辞職した理由は? その理由を聞いて君はどう思った? きっと秀也さんはね軟弱だなとでも思ったんでしょ。駄目だよそれじゃあ秀也さんは僕と同じだよ。殺しを日常にしちゃったんだ。後ろの人たちに聞いてみなよ、みんな死刑を日常になんて出来てない。出来てないから十年も持たずに辞職していくんだ」


俺には真死刑囚が何を言っているのかが分からなかった。自分でも己の体が動かないことが分かる。動こうと思っても、動かない。


「辞職するとね、ほとんどの場合仕方ないって思うと思う。というか、思うんだよ。普通の人の精神状態なら。俺が刑務所に入れられる前にニュースにでていた元死刑執行人もそういっていたよ。普通の精神状況では辞職することは仕方がないんだって。俺わかるよ、秀也さんの目は分かりやすい――楽しいでしょう? 今の仕事」


 自分の息を吸った喉がひゅっと音を立てたことが分かる。後ろの同僚の視線が痛い。喉が渇く。

 図星であった。俺は今まで辞職していった人々の理由を見るたび、なんだこの程度理由で。軟弱にもほどがあると思ってきた。しかし確かに、先輩も同僚も、仕方ないとでも、むしろ今まで頑張ったなと褒めていたように思う。


「以上で……言いたいことは終了ですか」

 震える唇を無理矢理動かす。

「ああ、満足だ。ありがとう秀也さん」


 そういう真死刑囚の顔は本当に、今から死ぬ人間とは思えないほどに晴れやかな笑みを浮かべていた。対面室から出るとき、同僚が俺をおびえた目で見ていた気がした。




目を開ける。時計を見ると十時になっていた。あの後、俺と一緒にいた三人は辞職届を出してしまった。そのあとすぐ、同僚の山本が俺のところに来た。


「新田の言っていたことが分かったよ。あいつは正しかった」

 俺にはなぜ唐突に新田が出てきたのかが分からなかった。いまあいつは精神病院に入院しているはずなのに。

 明日は休みだ、新田に会いに行こう。そのためにも今日の仕事を終わらせなければ。今日も一人の死刑囚を殺せばいいだけなのだ。どれだけ人殺しと言われようが、俺がやっていることは法律で認められているのだから。

 ベッドから降りて食パンをトースターにかける。水が入れっぱなしのポットにも火をつけその間に顔を洗う。昨日の疲れが残っている感覚がする。髪も整え終えるとポットの沸騰した音が聞こえる。火を消しいつものようにインスタントコーヒーを淹れる。コーヒーを入れているうちに食パンが焼き終わるからカリッとやけた表面にマーガリンを塗る。遅めの朝食であるが、いまはこれ一つで満腹だろう。

 テーブルの上に食パンとコーヒーをおいていただきます、という。何も変わらない、いつも通りの生活だ。



「おはようございます」


 そういって扉を開けると上司の川島さんが挨拶を返してくれる。三人が辞職して今の仕事場の人数は俺を含めて五人。うち二名は事務職専で実際に死刑に携わるのは三人。使い捨ての仕事らしい心もとない数である。


「今日は一人しか死刑囚がいないからな、三人でもどうにか出来るだろう。明日は誰もいないし、明後日までには助っ人呼んでおくから、今日は江藤がよろしく頼む。事前対面には俺が同行しよう。橋本は準備頼む」

「了解です」


 準備は昨日使った死刑執行部屋の整理だ。と言っても昨日の死刑囚はあいつだから、いつもよりは汚れていない。ほとんどの掃除は昨日のうちに終わらせており、次の日にやることは縄の確認と落板の確認と昨日落としきれなかった汚れを落とすこと。ひどい死刑囚だと暴れに暴れ回って汚らしい飛沫物で床という床、壁という壁を汚す。なんとも惨たらしい。そう考えるとやはり真死刑囚は本当に奇妙な奴だった。最期まで目隠しの下は笑っていたのだろう。静かな終わりだった。

 当番表にチェックをして扉を開ける。掃除終了の合図だ。あとは部屋の隅で死刑囚が来るのを待つだけ。いつもと同じ。変わらない。



 目覚まし前に目が覚める。昨日は業務終了後に精神病院に連絡して新田と会いたいことを伝えた。多分、久しぶりに会うことに高揚していたのだろう。せっかくの睡眠時間を自分の手で殺してしまった。どうにもまた眠ることは出来ない。時計を見ると、午前五時三十分。最悪だ。仕方がないから仕事の書類を見ることにする。今週死刑する人数はあと五人。いつというのは分からないが、今日が休日になっているのだ、明日からは忙しそうだ。


「みんな本当に殺すのが好きだねぇ……みんな疲れてるんじゃないの、これ?」


 五人は皆が皆殺人による死刑判決であった。少年法の年齢が最近また下がったから、未成年の死刑囚もいるようだ。といっても執行年齢が十二歳になっただけだ。中学生ともなればやばい奴はふつうに人を殺せるような行為をいじめという形で行う。ここまで下がることはまあ、想定内だ。


「で、少年の手口は真死刑囚そっくり……と。模倣犯かぁ、なら死刑も受け入れてくれるかな」



 午前十時。新田は最後に会ったときと同様に青白い顔をしていた。手にはいつものようになにかの本を持っている。


「久しぶり、新田」

「ああ……久しぶり、秀也か」


 挨拶をすると顔色以外は正常に思える。そういえば新田が精神病院に入ることになった理由はなんだったろうか。


「今日はお前に聞きたいことがあってきたんだ」

「もう、仕事を辞めた俺になんの質問だ?」

「いやね、実は一昨日三人も同僚が辞職したんだけど、その後山本がお前の名前を出したんだよ。新田は正しかったって。俺なんのことだかわかんなくてさ、直接聞こうと思ったんだ」

 そういうと新田は少し目を開き、俺を見た。すぐに新田は俺から目をそらし、何かを思案すると決意したようにもう一度俺に目をむけた。

「橋本は、『堕落』という本を知ってるか?」

「堕落? 聞いたことはあるかな」

「二一六六年に発売されたんだ。中身は心理学と哲学を合わせたようなフィクション。だけどその中身の生々しさからモデルが存在しているとさえ言われた、未だ大学の心理学科や哲学科で議論されているんだ。俺は、一応心理学科だったから読んだことあった。で、死刑執行人になって橋本と仕事をしていくにつれて、既視感が襲うようになったんだ。堕落の主人公と君が被って見えるようになった。

堕落の主人公はどこまでも数値主義で、そして憲法を盲信していた。何をするにしてもデータだけをたよりにしていた。人の感情や調子などお構いなしに。彼は憲法は絶対と信じて疑わなかった。憲法で許されていることであれば、どんな行為も許されると思っていた。彼はどこか人として欠如していると思えた。日本人らしくない個人主義で、見ることなすことすべて『データに基づいている』『憲法では許されている』と締める。結局俺たち世代の議論でもこの本が真に伝えたかったことは分からなかった。

俺は山本達にね、橋本はそいつそっくりだっていったんだ。山本も心理学科だったからすぐに何を言っているか分かったようだったよ。橋本、お前死刑執行人の仕事をなんだと思ってやっている? 俺は目の前で死にゆく死刑囚達に自分を重ねていた。法で守られていても、やっていることは殺人なんだ。いつか、自分もあの絞首台にのぼる日が来るのだと思ってしまうんだ。俺はやめる数日前に、山本達にそういった話をした。山本達もやっぱり、形は違えど恐怖と不安を抱えていた。川島さんも、ああいう態度ではあるけれど、不安はあった。打ち明けれくれたよ。強いように振舞わなければ、心が折れそうになるのだと。俺は、あえてお前にこの質問はしなかったんだ。したら、堕落の主人公を目の前でみているように錯覚すると、確信していたから」


新田の声ははっきりしていた。まっすぐと俺を見るその目は精神病棟に入っているような人間のする目つきではない。どこか俺は居心地が悪く、手が首元をさまよう。今日はネクタイをしてないんだった。


「俺だってそこまで非情じゃないと思うんだけど」

「お前の目、見ていれば分かるよ。お前は自分の仕事に恐怖も不安もないんだって。俺はお前が怖かったよ」


*****


どうやって家に帰ったのだったか。新田の姿に真死刑囚が重なって見えた。怖かった。まるで心を見透かされているようだった。これは今日もろくに寝れそうにない。暗い部屋の中着替える。なんだか今日は自分の顔も見たくない。明るくしたら多くのものが俺に俺を見せてくる。そんなのは嫌だ。胸が痛い。頭の中を真死刑囚と新田の言葉がぐるぐると回っている。痛い、痛い。



 外を歩くと近所の子が一人で公園で遊んでいた。手の中にいる猫は野良猫だろうか。そういえばあの家は最近また子供が生まれたらしい。あの子もまだ幼いから、寂しい思いをしているのかもしれない。

 そのまま出勤すると、見知らぬ顔が二人いた。新任だと気付く。


「川島さんおはようございます。そこのお二人は新任ですか?」

「そうだ。池田と真弘だ。今日から入った。新任早々に悪いのだが……橋本」

「はい」

「今日の面会こいつらを連れていってくれ。実践で学ばせる」

「了解」


 二人はどうも俺よりも年上に見える。まあ、今の時期に再就職のだからそれこそリストラされた人とかなのだろう。昔からリストラは多いと聞くが、この職に就いているとどうも実感できない。


「えーと、じゃあついてきてください。とりあえず今日はお二人は後ろにいればいいだけですから」

「分かりました」


 今日はついにあの真死刑囚の模倣犯である少年の死刑日だ。確か、名を荒谷と言ったか。憂鬱だ。真死刑囚と出会ってから碌なことがない。相手は十五歳、泣いて死にたくないと喚いてくれれば俺の気持ちも安らかになろう。


「今日の事案は十五歳の少年です。荒谷死刑囚、真死刑囚の模倣犯と言われています。といっても、真死刑囚自体特別な殺害の仕方はしていませんが、本人がどうも真死刑囚を崇拝しているような所があるため、模倣犯として世間では周知されているといえます。何か質問はありますか?」


 二人に聞くと、なにも質問はないらしく黙っている。あとは面会室まで行くのみ。今日を乗り越えればもう、彼を思い出させる要因はいなくなるはずだ。今まで通りの生活に戻るはずだ。自分に言い聞かせながら面会室までの道を急ぐ。

 扉を開くと既に死刑囚は椅子に座っていた。真っ直ぐとした背筋に既視感を覚える。寒気がした。


「二人は後ろで立っていてくださいね」


 そう二人に言って自分は面会室の椅子に座る。座って気付くのは少年の目が後悔の色を見せていないことだ。むしろ口元が少し緩んでいるようにも見える。ダメだ、思いだすんじゃない。


「こんにちは。死刑執行人の秀也です。規約通りあなたとお話をするために来ました。まず、荒谷死刑囚はなぜ自分が死刑判決を受けたのかは理解出来ていますね」

「はい」

「では、自分の行ったことを全て言葉にして発言してください」

 はっきりとした返事に身体が少し硬くなる。思い出すな思いだすなおもいだすな!

「真死刑囚が殺した通りに殺しました。身長や外見も極力似ているヒトを殺しました。ただまあ、真死刑囚と同じくするのはいいですが、その後は苦労しました。まあ、真死刑囚と同じ量を殺すのに一週間も使わずにやってしまったので、そこからはどのようなヒトを真死刑囚は殺すだろうかという事を考えながら殺すヒトを探していました。真死刑囚の心理の変化も考えながら、慎重に慎重に見つけ出して行きました。おかげで真死刑囚よりも五人も多く殺すことが出来ました。これはとても喜ばしいことですよね? まるで己が真死刑囚になったかのような錯覚に陥りました」


 異質だ。異常だ。真死刑囚の時とは違う異常性を感じる。今だけは後ろの新任の恐怖が分かる気がした。新任達には真死刑囚の崇拝者といったが、これは崇拝どころの問題じゃない。震えそうな身体を必死で抑え込み、いつも通りの質問を投げかける。


「では最後に、言いたいことなんでも言って良いですよ。こちらから何か質問したりもしません。あなたの質問には答えます。動きたいなら動いてもいいですよ」


 俺の言葉に、彼は待ってましたとでもいうように目を輝かせる。ダメだ、この目をみてはいけない。こいつの目は真死刑囚よりも格段に可笑しい。


「あなた、秀也さんですよね。始めまして、話に聞いていた通り仕事に忠実な方のようで」

「は……?」


 思考が停止しそうだった。一応、死刑執行人という事を近所の人にも言ったことはないし、ただ、警察関係の仕事としか伝えたことがないというのに。この建物も、警察関係の建物と接しており、傍から見たらその通りにしか見えないはずである。そして、俺がその名前を口に出し、なおかつ死刑執行人とわかるのはこの場所と、新田に会いに言ったあの時しかないはずだ。それこそ、限られた人にしか知られていないはずなのに……。


「知ってますよ。俺と一緒に真死刑囚の心理について考えてくれた人が、あなたの事を言っていたんです。きっと面会室で、秀也という死刑執行人に会うだろう、と。的中ですね。さすがはあの人です」

「あの人……?」

「いいですよ、いいですよ。教えてあげます。彼は自分の事を真也と言っていました。きっとあなたも会うはずです。会う運命です。彼から会いに来てくれるはずです。俺の時もそうだった! 彼は俺がこれからどうやって人を殺していけばいいのか分からない時に現れたんだ……彼のおかげで真死刑囚よりも多く殺すことが出来たといっても過言じゃあない。彼には秀也さんの事、いっぱい聞きました。大丈夫、小声でお話してますから、後ろには聞かれてないですよ」


 言うとおり、荒谷死刑囚は新任達に聞こえないような声音で話し始めた。俺はもう震えを止める事も出来なかった。


「秀也さんって考えてる事顔に出やすいんですね、驚きました。真也さんはね、秀也さんと真死刑囚の友人だと自分の事言っていましたよ。だから真也さんは秀也さんと真死刑囚が根本的な所で似ている事に気付いていました。真也さんはいつも哲学書や心理学書を持ち歩いていて、時折犯罪関係の本も持っていました。全てをもって真也さんは真死刑囚の心の変化からそこから導き出される殺す人間の傾向まで調べ上げてくれました。俺の考えもよく聞いてくれて、かつどこの考え方が真死刑囚らしくないかを教えてくれたんです。凄いですよね、その中で『その考え方は秀也君の方だね。彼はそういう所がある。だけどそれを真君はもってないんだ。だから少しのきっかけでカチリとなってしまう。秀也君はじっくりじっくり心の根を揺らがせないと可笑しくならないんだ……君は元から可笑しいからわからないかもしれないけどね』って言ってた事があるんです。彼は事あるごとに秀也さんの名前を出していました。きっと、真也さんは秀也さんの事、そうとう好んでいるみたいですね。あれ、秀也さん大丈夫ですか?」

「以上でよろしいでしょうか」

「え?」

「以上で、言いたいことは終わりましたでしょうか」


 口の中が乾いていく。視界がぼやけていく。指の震えが止まらない。真也という人物について、俺は知りすぎていた。そうだ、彼ならば俺が死刑執行人であることも知っているだろう。あいつとは大学時代をずっと過ごした。まさか、まさかあいつが関与しているなんて。


「……秀也さん、真也さんの事侮らない方がいいですよ。彼は必ずあなたの所に行きます」


 そういった荒谷死刑囚の笑みは真死刑囚に似すぎていた。彼は心から真死刑囚になろうとして、真也の所為で、その心を理解し持ってしまったのだろう。ああ、本当に可笑しくなりそうだ。こんな所で真也の名を聞くとは思わなかった。なぜ、いまさら彼が出てくるんだ。

なぜ……



荒谷死刑囚の死刑はまるで真死刑囚の時のように静かだった。それがより一層、俺に恐怖を抱かせた。

今俺は家の隅で毛布にくるまり身体を震わせている。背筋を逆撫でるような寒気に真也が近くにいる事を錯覚させられる。まるでホラー映画だ。俺はホラー映画は大嫌いだ。真也は呑気な奴だった。大学では犯罪心理を熱心に勉強していたはずだ。しかも熱心すぎて他の単位を取り忘れて留年するという馬鹿をやらかした。一つの事への集中力は素晴らしく、逆にいえばそれ以外については滅法駄目な奴だった。だけど留年しても俺はあいつと関わりがあった。あいつは熱心に勉強していた通り、犯罪心理に関してはピカイチだった。ちょうど俺のレポート内容に合っていたのだ。そしてなによりあいつの話は面白かった。どこまでも客観的であり冷静な意見を述べるあいつは、学生時代の俺にとってはとてもありがたい存在だった。そして俺達はどちらもシミュレーションが好きだったから、ゲームでもなんでも筋を立てたり、人の行動を今までの行いから予測するだとかを遊び感覚でやっていた。


「……だから、か」


 チャイムをならす音がする。震えが止まる。誰が立っているかななんて分かりきっている。だからこそこの毛布から出たくない。ドアなんて開けたくない。


「秀也君、いないの?」


 以前と変わらない声だ。きっとドアの向こうではあの時と変わらないヘラヘラした笑みを浮かべているんだろう。きっとそうだ。


「んー、どうしようかな……想定内だったとはいえ、開けることなんて出来ないし……」


 心臓が痛い。ダメだ、きっとダメなんだ。開けなくてはいけないんだ。想定内ってなんだ? 何が想定内なんだ。俺が開けない事がか。なんだ、なにが正解なんだ。きっとあいつはここへ来るに当たって昔のように予測してきたのだろう。だとしたら、もし、俺があいつならこの後俺はどんな行動をとると思うか? この後あいつはどんな行動をとるか? そう考えれば決まってる。ここで開けなければあいつの予測通りだ。俺ならそう考える。ここで開けてこそ、あいつの予測を覆す。

 震える指で毛布をどけ、ドアへ歩く。


「どうしようかなあ……明日にしようかな」

「し、真也」


 右手で鍵を開ける。真也は人の行動を予測する時に相手の感情を考える事を苦手としている所があった。だから大学の時もその感情の揺れを予測に入れず、俺との遊びで負ける事があった。

 ドアを開け、真也の顔を見る。やはりあの笑みを浮かべていた。あの時よりハンサムになったように思う。そんな逃避をしながら真也と面と向かう。


「ひ、久しぶり」

「久しぶり。うん、開けると思ったよ。予測通りだ」

「え?」

「僕も成長したんだよ。実はあの後も単位を何回か忘れてしまってね、五年くらいはあの大学にいたんだよ。さすがに教授にも溜息をつかれたよ。忘れるなんてあるのかって。だけどそのおかげで僕は感情という行動の揺れを予測に入れる事が出来るようになったんだ。まあ、今回は秀也君の事だから予測しやすかったというのもあるけどね。いや、そんなことは置いといてさ、お話しようか」


 目の前が真っ暗になりそうだ。



「へえ、質素だね。死刑執行人の仕事って確か高給じゃなかったのかな」

「こういう生活が好きなんだよ」


 真也の顔を見ないようにしながら部屋へ案内する。コーヒーしかないが大丈夫だろうか。大丈夫だったはずだな、真也にはシュガーも出しておこう。


「うんうん、秀也君は大学の時から趣味という趣味はなく、これといった好みもなかったものね。こういう部屋なのは妥当かなあ」

「そうだな、生活において必要不可欠なものを集めただけな感じはする。だけど本も中々揃ってると思うぞ。あと、これコーヒー。シュガーあるけど」

「シュガー三つちょうだい。そうだね、ノンフィクションものが多いかな? 予測に人の感情を入れる事は出来るくせに、自身の感情を動かす事が苦手な秀也君らしい」


 真也にコーヒーとシュガーを渡すと、ブラックで飲む俺からすれば病気になるのではないかという量のシュガーがコーヒーの中に入れられる。真也はいつもカバンの中にお菓子をたっぷり持っていた。どれもとびっきり甘く砂糖たっぷりだ。

 座布団に座り顔を合わせる。どうも話し辛い。それにしても先ほどまで毛布に包まっていたとは思えないほど心臓が落ち着いている。なぜだろうか。


「あー……その、真也」

「もう荒谷君から話は聞いているよね?今日は色々話そうと思ったんだ。何、僕は真君の事を話そうってわけじゃあない」

「それじゃあ、なんの為に会いに来たんだ。いや、会いに来たことが悪い訳じゃあないけど」


 そういうと真也はよりいっそう笑みを浮かべた。あんなにも安心感のあった笑みが、どうしてこうも不安を煽るのだろう。


「うん、秀也君の心を動かしに来たんだ。なに、ただ僕の話を聞いているだけでいいんだよ。秀也君はただコーヒーを飲んでいればいい。秀也君よくブラック飲めるね」

「まあ……うん」


 真也の話は飽きない。それは多分彼の話し方が俺を惹きつけるのだのだと思う。俺が無言を貫くと真也はそれを是と判断したらしく、話し始めた。


「多分もう、荒谷君に言われていると思うけれど、君の心は現代犯罪心理学から見るととても強いんだ。だけどこれは現代だからこそ強いだけで、たとえば五十年ほど前の書籍をひっくり返すと君の心はとても脆く書かれている。だから僕は過去百年ほどまでさかのぼって君の心について調べたんだ。世の書籍と大学時代の君の思考感情とここ最近の君の行動を合わせて、君の行動を予測した。そしてその後僕の行動や周囲の人々からの指摘によって君がどんな反応をするのかを逆算した。簡単に言うと君の心の柱を揺らがせるにはどうするか? という所から始めたんだ。僕はどうしても君のその最法律至上主義な所がどうしても理解できなくてね。心を揺るがせたらもしかしたら分かるかもしれないなんて思ったんだ。

 本当、僕ってバカだよね。ここまで僕は君の周りから攻めていったのだけれど、まったくもって君のその考え方が理解出来なかった。だけどこの過程で真君と荒谷君と友達になれたことはとっても幸運だったと思う。君とは違う、根本は違うけれど、ぱっとみは二人はとっても君と似ていたから、君の事を揺らすのに最適だと思ったんだ。だけどまさか真君が犯罪者になるとは思ってなかったんだよ? まさか一度襲われたことでスイッチが押されるなんて思わなかったんだ……荒谷君は初めて会った時からああだからよくは分からないけれど、まさか彼が真君を崇拝しているだなんてじっくり話してみなきゃ分からなかったからね。

 秀也君もこの二人とはとてもそっくりだよね。人の感情に対して鈍いくせに、感情を読み取る事が得意だ。一見矛盾しているように見えるこの二つが三人とも揃っているんだから面白いよね。ちょっとごめん、のどかわいた」


 一つ小さく咳こむと真也は甘いコーヒーを一気飲みした。俺はもうコーヒーに手を付けられないでいた。きっとぬるくなっているだろう。正直にいって、彼の話が一欠けらも理解が出来なかった。支離滅裂? いや、どちらかというといつものように筋立てをしないで話しに来たのだろう。ここまで予測しておきながら、筋立てをしないなんて、これも真也の逆算の結果の一つなのだろうか。


「ごめんね、ごちゃごちゃ話しているけれど、許してね。言いたいことからどんどん言っているから少し僕自身混乱しちゃったよ。えーと、何を話していたかな……」

「俺と、あの二人が似ている所からだ」

「ああ、ありがとう。そう、三人は似ているんだ。だけど根本が違う。真君は元より脆かった。現代心理的にね。多分影響を受けやすかったのだと思う。それが犯罪のほうに寄ってしまっただけなんだ。荒谷君は、初めて出会ってから話していて思ったのは、彼にはカリスマ性があった。メディアを見れば分かると思うけれど、真君には信者集団が出来ていただろう。その信者達の統治をしていたのが荒谷君だ。信者最年少が統治だって、すごいよね。あと一つ分かったのは荒谷君がサイコパスだって事。あそこまで典型的なサイコパスも珍しいんじゃないかなってくらい当てはまったよ。あ、サイコパスって言葉の意味知ってる?異常人格者のことなんだけどね。病的に嘘を吐くのが上手くて、他人に害を及ぼす才能は桁違いさ。そして秀也君。秀也君も大学の時から人を纏める事が上手かったよね。君の周りには自然と人が集まる。それこそ、信者とまではいかないけれど、陶酔している奴も多かった。君は気づいていなかったかもしれないけどね。人に恵まれた君が僕と一緒にいてくれたことはすごい嬉しいよ。秀也君はさっき言ったように最法律至上主義だ。法律で罪ではないことは罪ではないとね」

「そうだろう。法律は絶対だ」


 クスクス笑う声が聞こえる。真也のこういう笑い方は嫌いだ。こういう時のこいつは碌な事を言わない。


「なんで少年法があると思う?」

「責任能力がないからだよ。決まってるだろう」

「じゃあなんで大人の精神病患者が犯罪を起こすと罪になるんだい? 大昔は罪にならなかったらしいよ」

「それは大人だからだよ。どれだけ精神病であっても、良い悪いの区別くらいつく。それも出来ないようじゃあもう社会じゃ生きていけない。むしろ罪として裁かれて清々するだろう」

「つまり罪は良い悪いの区別がついてなくちゃいけないのかい?」

「そうだ。子供は時折無邪気に残酷な事をするだろう。蜻蛉の翅をむしったり、集めた蜘蛛にスプレーをかけたり。だけどそういうのは総じて悪いと思ってないんだ。いわゆる遊びの一つだな」

「だけど子供の中にも悪いと分かっていながら悪いことをする子がいるよね」

「それは……」

「ねえ秀也君。可笑しいと思わないかい。君は死刑を悪いものだと思っていない。だから罪じゃない。子供は残酷な事をすることもあるが、それを遊びの一つとして行っており悪いと思っていないから罪じゃない。じゃあ悪いと分かっていながら、どうしても悪いことをやってしまった子供は? 死刑に対して後ろめたさがあり、これもまた殺害だと奥底で思っているような死刑執行人は? 君の考えからするとこの二つの場合、罪になるんだよ。不思議だよね」


 真也の目は純粋にそう思っているようだった。言い返せない。真也の考え方こそが俺の考え方だ。だからこそ、真死刑囚の扱いに困った。荒谷死刑囚の言い分に頭が混乱した。二人は殺しを悪いものだと思っていなかった。そんな人を死刑にしていいのだろうか? それは俺の考えに反するのではないだろうか。だけど俺はいつだって規則の中で生きていて、規則にのっとった生活をしていた。だからその時も、規則の通り淡々を口を動かし身体を動かす事で事なきを経た。しかし真也の疑問の二つ、これにはもう、なにも言えない。どちらも法律で守られているというのに、なぜ、そう思うのか。分からない。

 俺が下を向いていると、真也はまた、続きを話し始めた。


「秀也君の考え方は本当に素晴らしい。だけどこうして疑問を問いかけるだけでぶれる。今の質問は七十年ほど前の書物から引用したところがあるのだけど、秀也君の考え方は結局何かに縛り付けられたものなんだ。だから一見とても強い。だけどその隙間に純粋な目を向けられるととたんに揺れ始める。そして疑問を問うだけで思考が停止する。僕はね秀也君。秀也君の考え方の方が正しいと思った。どれだけ法律で守られていても、悪いことは悪いんだ。悪いと思っている事を自らやるなんておかしいよ。ね?」

「だけど、それは」

「じゃあ秀也君はこれからもそうやって悪いことから逃げて逃げて規則と法律に守られながら死刑執行人をやっていくんだ。結局罪ってなにさ。ねえ。年齢って関係あるの? 職業って関係あるの? なんで後ろめたく思っている事をしているのに、他の人と同じように罰せられないの。僕は馬鹿だから、本当に犯罪と心理学以外の事は必要最低限しか覚えてこなかったし習おうとも思わなかったから」

「その二つをやってきたなら分かるだろ」

「分かんないね。むしろ疑問ばかりが生まれたよ。罪の定義が分からなくなった。そろそろ時間だから締めよう。秀也君、僕は君に問うよ。罪ってなにさ。君にとって、死を求める罪ってなにさ。許される罪なんて存在するのかい。許される罪って、それは罪とは言わないんじゃないのかい」

ここで真也は甘いコーヒーを飲みほした。きっとそこにたまった砂糖の塊がじゃらじゃらとうっとおしかっただろう。

「それじゃあ、僕今は田舎に住んでいるんだ。もう帰らないと終電を逃してしまう。じゃあね、ばいばい秀也君」



 いつの間に寝ていたのだろう。外が騒がしい。昨日の問いが今だ頭の中をぐるぐると回っている。本当に自分の考えの根本をスコップで弄繰り回された気分だ。


「今日……休日、か……うるさ」


 テーブルに合ったはずのコップがなくなっている。真也か、記憶はないが俺が綺麗にしたのだろう。思い頭を上げ、少し身なりを整えて外へ出る。なんの騒ぎだろうか。

 警察が複数人、アパートの前にいた。はて、あの警察はウチの施設と一緒になっている所の男だ。なにか事件でも起きたのだろうか。階段を一つ一つゆっくりと降りていく。


「お疲れ様です。どうしたんですか」

「え、ああ……お疲れ様です。実は一〇一号室のお嬢さんが弟君を圧迫死させたらしくて……まだ六歳ですし、死ぬとも思ってなかったでしょうし、なにより悪いことと思っていない可能性がありますからこの事件はもう終わったも当然なんですけど」


『罪ってなにさ』


「あー、最近公園でよく猫と遊んでるお嬢さんか。桜ちゃんだね。今彼女は」

「多分その、あなたのいう公園にいるかと。そう長く幼子を拘束も出来ませんから。一応、監視は付けてますが」

「ちょっとお話してこよーかな。次の休日遊んであげようとか思ってたのになぁ」


『許される罪なんて存在するのかい』


「ああ、知り合いがお話してあげると彼女も心が落ち着くのでは」

「うん、いってくる」


 公園へは徒歩五分。一応部屋に戻り上着を被る。ラフではさすがに出歩けない。道すがら桜ちゃんがよく好んで飲んでいたカフェオレを買う。ちょっと話をするだけだ。すぐ終わる。


「桜ちゃーん」

「……お兄さん」


 暗い顔で桜ちゃんはベンチに座っていた。横では心配そうに野良猫が座っていた。カフェオレを渡し隣に座る。反対側にいた猫は逃げてしまった。


「弟君が羨ましかった?」

「うん」

「弟君、どうしちゃったの」

「上に、ようふくいっぱい乗せちゃったの」

「そうしたら弟君がどうなるかは分かってた?」

「……うん。苦しそうだった」

「だけど助けなかったんだ。悪いことだって自覚はあったのかな?」

「ここで、助けたら、ママがみつとの所に行くの分かってたから。わ、わるいことだけど、だけど!さびしくて、みつとがいなければ、ママは、わたしのこともっと見てくれたのに」


『じゃあ悪いと分かっていながら、どうしても悪いことをやってしまった子供は?』


「桜ちゃんは……今、どうしたい」

「へ……?」


『君にとって、死刑すべき罪ってなにさ』


 口角が上がっている事が分かる。なんて事だ。ああ、真也にはやられた。そういうことか。あいつは本当にどうしようもない奴だ。そしてあいつの意図が分かっていてもなお、俺はこっちを選んでしまう。大した力量だ。


「世の中にはね、死んで罪を償うやり方があるんだよ。弟君とはちょっと違うけれど、同じくとっても苦しい方法で。君は、罪を償いたいかい?」


 一度外れた枷がつなぎ直されることはない。この時俺は初めて、自己理念と法律の天秤の末、自己理念を選んだ。





 今日も死刑場には真新しい飛沫物が飛び散っている。


誤字・脱字ありましたら連絡してくださると幸いです。

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