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Solitudes.  作者: 真城うさ
2/10

「私が冬を殺したの」

気がついたら、冬はその世界で生きていた。

天を撞くように立ち上がった狐の耳と、背中で揺れる九ツの尾の先は冷たく凍りついている。首元には金色の鎖。冬の手では外すことがかなわない。物心がついたときには、既にそこにあった。汚れもせず、錆びもせず、冬の首元を飾り続けている鎖は、冬をこの場に縛り付けて離さぬ呪縛にも似ていた。

それでも構わない、と冬はひとつあくびをし、見慣れた白一色の世を見渡した。厚く張った氷に覆われた凍土には、木の一つも生えていない。その代わり、降り積もる真新しい粉雪を纏い闊歩する、白く柔らかな大型の獣が住んでいた。冬のもたらす冷気を糧に、穏やかに生きる獣たちと時に戯れ、時に眠る毎日。音のない、眠りの季節に咲いた命の華。可憐な命に囲まれ、毎日を謳歌していたから、例え繋がれていたとしても、幸せだった。


凍りついた世界、愛しい子ら。やがて生まれる幼子に祝福を贈ろう、と立ち上がった冬の足元が、突然揺れだした。獣たちが怯えて咆哮する。どこからか、めきめきと何かが崩れるような音が響いた。数秒の間を空けて、冬はそれが大地の軋みであることを理解する。

この数千年、初めての災害だった。冬が意図的に起こしてきた、命を育む為のそれとは全く違う、意志を持たぬ介入だ。


「愛しい子らよ!」

「…!」

「いけない、そちらに落ちてはならない!」


大地の裂け目に落ちてゆく獣らを救うべく吹雪を喚ぼうとし、冬は青ざめた。

―吹雪の声が、聞こえない。

今や、冬が統べていたこの世は、冬の手中から離れていた。無数の罅がはいった大地が、とうとう崩れだした。獣達の断末魔の叫びが、冬の耳を打つ。

痛い、痛い、なぜ、どうして。

悲鳴をあげていた獣達が、次々と言葉を亡くしてゆく。


幼子を胎に抱えた母親も、為すすべなく裂け目に飲み込まれてゆく。一緒に落ちながら、冬は彼女に手を伸ばした。必死に、必死に触れた。大地に叩きつけられる前に喚んだ風は、然し冬に応えることなく、冬の目の前で、彼女はあっけなく生を散らした。


ざあ、と氷が消えてゆく。水たまり、川、湖、海。雪解け水が、新たな世界を形作ってゆく。氷に覆われていた大地を、今度は草が覆い隠した。背の高い木が伸び、太陽から冬を守るように枝を伸ばしている。音のなかった世界に小鳥の囀りが響く。


「春が来た、のか」


冬がひとりごちたのと同時に、冬のそばに降り立ったのは、たんぽぽ色の髪を二つに結んだ少女だった。翼をうさぎの耳に変えて、息を飲んだ。意志を持たぬ介入、であったことにも頷ける。彼女は冬を殺そうとしたのではなく、ただ、自分の守る季節を従えて、此処に降りただけだ。彼女の純真な愛情がいっぱいに詰められた季節自体が、然し、冬と冬に生きた子どもたちにとっての凶器となり得たのだ。

冬が寄り添っていた骸に手を伸ばし、何が起こっているのかわからない、といったように唇を震わせる彼女の首元には、髪と同じ色をした、柔らかそうなリボンが結ばれていた。彼女は、つい先程まで息をしていた獣の冷たい身体を抱き、冬の顔を見つめ、泣き出しそうに顔を歪めた。


「どうして……私…?」

「春の子、………どうして、此処に…」

「く、くろい獣に導かれて、」

「此処には凍土が在った。…この意味が、貴女に解るか」


春をもたらした少女はいよいよ唇を真っ青にして、頷いた。はちみつ色の瞳からぼろぼろと涙を零して、獣の身体にすがりついた。


「凍土に生きる命は、私‐春‐の下では生きられない。そして私が此処に春を、連れてきた。私が、冬の愛しい子らを、―――」

「それ以上は、」

「殺してしまった、の、ね」


彼女の言葉を否定するかのように、絶命した骸の腹が動いた。生まれてくるはずだった幼子が、母に護られ、命を繋いでいたのだ。冬は瞬時に駆け寄り、その腹に手を当てた。凍りつくように冷たい冬の体温を求めるように、幼子が泳ぐ様が視えるようだった。


「おいで、いい子だ、いい子…」


冬の声に同調するように、やがて母の腹部が光りだす。命の珠と化した幼子が、春の統べる世界に現れた。春の麗らかな日差しから守るように、冬はひかりを己の振袖に隠した。

幼子が命を辛うじてつなぐことができたのは、ひとえに春が誕生を司る季節であるからだろう。

春は冬に生きた命のほとんど全てを無意識に、間接的に殺したが、その反面、誕生を控えた命を救ったのだ。

未だ泣き続ける春の背後に、影が差す。


暁の空のような色の髪をした青年が、冬の気づかぬ間に立っていた。泣き伏している春は、気づいていない。ヘマトクロミアの瞳は金と紫に彩られて煌めいていたものの、なんの感情も浮かべてはいない。頭には、少しでも触れれば貫かれそうなほどに鋭い角が生えている。。

冬の姿を見て、笑う姿には見覚えがあった。心の底で眠っていた記憶が、引きずり出されるような不穏な心地を飲み下した冬の頭に、彼の二つ名が浮かぶ。


銀河に囚われし、破壊の神獣。

あるときは闇と呼ばれ、あるときは煉獄と呼ばれた彼の名は―――ああ、真名だけは思い出せない。


「摂理の御心のままに、春を喚んだのは、俺だ」

「はは。僕の愛し子を殺すのもまた、摂理の望みか」

「そう。大地の準備は既に出来ていた。春を喚び、凍土を溶かし、命を呼び覚ます。多種多様な命を」

「―最大公約数の幸福の為に必要だったと?」

「そう。この世は貴様一人のものではない」


だから、冬以外の季節で生きられない獣を淘汰した。


彼は、それだけ言うと、打ちひしがれる春を残して、一瞬で掻き消えた。

冬とて己の季節が全てであるとは思わない。然し、季節の移り変わりは過激に行われるべきではない。

命を育むはずの季節、春に殺戮の業を負わせることが、最大公約数の幸福の為に必要であったとは言い難い。やり方が、気にいらない、と冬は憤る。

わざわざ獣を遣って絶望を齎す手腕も、季節に害をなすような真似をさせることも、何もかも。


春は、春風を喚んだ。桜混じりの風が、散り散りになった獣達の骸を、ひとところに集めた。

冬の寵愛と祝福の元、生き続けていた愛しい愛しい子供たちを見て、春は泣きはらした瞳をまた歪めた。


「冬の王女、私は貴方の愛しい命を殺してしまった。…だから、この子らが還り、誕生するまでを、私は見届けようと思います。…失くした命は、戻らない……」

「春の花姫、君の覚悟は受け取った。…僕も、還るまでは見届けることとしよう。この絶望を、二度繰り返すことのないように」


永い時が過ぎた。

春の片隅に集められた冬の子どもたちを守るように咲き誇る、桜の大木という墓標。

さらさらと砂のように崩れ、消えてゆく命ひとつひとつに別れを告げながら、春と冬はいくつもの言葉を交わした。


初めまして、から始まり、互いの季節の話、命の話、出自。

木漏れ日の下で話す事柄は尽きなかった。


「いつまでも花姫、と呼ぶのも些か違和感が拭えないね」

「では、名を私にくれる?…貴女がその名を呼ぶたびに、私は冬の子らを思うことができるでしょうから」

「ああ。では―――春兎、みぃ。春を喚ぶ兎、頼りなさげな響きを君にあげる。決して強いわけではない君の靭さに敬意を払おう。…君も僕に名を付けて。君が僕を呼ぶたびに、君の祈りを想うことができるから」

「素敵な名前ね。今から私はみぃ、春兎みぃ。あなたの名前は…そうね、暁あおい。漆黒の瞳が見つめる先に、まだ見ぬ花が咲くことを願って。あおいの花は綺麗だと、いつかツバメが教えてくれた」


最後の一頭の骨が跡形もなく消え去ったのを見届けて、彼らは立ち上がった。


「あおいちゃん、貴女は往くのね」

「ああ、僕はいつまでも此処にいるわけにいかないから。また、巡る時にでも逢おう」

「またね、愛しい冬。…次出会うときは、どうか、」

「―――もう、起こることのないように、と。願っているよ」


眠りに落ちてゆく冬の視界に、春のはにかむような笑顔が映った。その隣に、袖の中に隠していたはずの命がふわふわ浮いていた。冬が統べていた世界の、最期の生き残りが、彼女の肩の上で跳ねている。


(みぃ、その子をよろしくね)


原始的な魂の姿であれば、季節の影響を受けることもないだろう。

冬は頬を緩ませ、目を閉じた。


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