セクション10:バターロールの少女
「バターロールの人?」
エリシアがフィリップの言葉を繰り返した直後。
「はーいみなさぁーん。バターロールができましたよぉー」
不意に、おっとりした少女の声が耳に入ってきた。
見ると、山盛りに盛られたパターロールを乗せた大きな皿を手にする、1人の少女がいる。
青い制服はスルーズ空軍航空学園の候補生の証。しかしゆったりと伸びた髪とおっとりした雰囲気と相まって、パイロットというより育ちの良いお嬢様といった印象を与える。
彼女がテーブルにパターロールの皿を置くと、多くのパイロット達が待ってましたとばかりに一斉に集まってきた。
「あらあら、ダメですよぉー。ちゃんと並んでくださいねぇー。あ、1人3個までですよぉー」
やんわりと、いや、それ以上ののんびりした声で集まるパイロット達をなだめる少女。
エリシアは、そのマイペースな姿に見覚えがあった。
「あれは、ヘーベちゃん!」
エリシアはすぐに、他のパイロット達の後を追う形で少女の元へと向かう。
目的はバターロールではないので、並んでいるパイロット達をよけて、直接少女の元へと向かう。
「ヘーベちゃん!」
「あ、エリシア先輩じゃないですかぁー。お久しぶりですぅー」
エリシアの呼びかけに、少女――ヘーベはすぐに気付いた。
「もしかして、『アライド・ウェーブ』に選抜されたのですか?」
「いかにもぉー。ここでお会いしたのも、何かの縁ですねぇー」
ヘーベはゆったりした笑みを見せた。
そして、おもむろに皿からバターロールを3個手に取り、
「という訳でぇ、食べますぅ?」
エリシアに、名刺のようにゆっくり差し出した。
エリシアは、はい、と答えてそれを両手で受け取る。
しっかり焼き上がったパターロールの表面は、スーパーで売られているもののようにふにゃふにゃになっておらず、適度な硬さ。それが、ホームメイドである実感を与えてくれる。
「ヘーベちゃんのバターロールなんて、久しぶりですね」
このバターロールは、ヘーベの手作りだ。
彼女が行く先々で焼いて配っている事で、学園ではそこそこ有名になっている。
彼女は輸送機科の候補生であり、フライトがてら様々な基地に立ち寄る事が多いのだ。
「ヘーベちゃん。もしかしてリコ伍長も――」
「ヘーベちゃーん、残りも置いておくからね!」
言いかけた時、ふとヘーベの後ろから男の声がした。
見ると、そこにはフライトスーツ姿の青年がいた。肩にある伍長の階級章で正規部隊の人間だとわかる。彼はバターロールが山盛りの追加の皿を、テーブルに置いていた。
エリシアと、ふと目が合う。
噂をすれば影、とはまさにこの事だった。
「あっ、君は――」
「リコ伍長。お久しぶりです。ここでヘーベちゃんと一緒なんて、珍しいですね?」
「えっ? まあ、今はアルバート少佐が用事でいないから。鬼の居ぬ間に、って奴だよ」
リコと呼ばれた青年は、そう言って笑って見せる。
そして、ヘーベと確かめ合うように目を合わせた。ヘーベもそれに笑みで答える。
「え? ヘーベちゃんのお父さん、まだ2人のお付き合い認めてないのですか?」
「まあ、頑固な親父さんだから……」
「きっと何とかなりますよぉー。ねー」
苦笑するリコに対し、楽観的に笑むヘーベ。
それには、リコも頬を赤らめて目を泳がせてしまっていた。
相変わらずですね、とエリシアは暖かく笑んだ。
リコは、積荷管理者を務めているが、バターロールがきっかけでヘーベとお付き合いをしている。ただ、それをヘーベの父が認めていない。しかも彼はヘーベと同じ輸送機のパイロットであるため、この影響で今の所2人は大っぴらに付き合う事ができずにいるのである。
それでも、2人の仲は見ての通りだ。
故に、エリシアのように関係を知っている者からは暖かく見守られているのである。もしそのような人々が増えれば『既成事実』になって父を頷かせる事もできるかもしれない。
『皆様、ご静粛に。これより、来賓挨拶に移ります』
と。
格納庫内に、アナウンスが響いた。
参加者の視線が、一斉に会場の正面にあるお立ち台に集まる。
『まずは、今回の演習の総司令官を務める、エドワーズ大将からお言葉を頂戴します』
静まり返った参加者の前に、1人の中年の軍人が姿を現した。
途端、格納庫の空気が引き締まり、参加者達は一斉に持っていた料理をテーブルに置き、姿勢を正す。
制服の肩にある大将の階級章に恥じぬ威厳を持った彼は、ゆっくりとお立ち台に上がり、参加者をさっと見回し、
『気を付け! 敬礼!』
号令とより、参加者達と敬礼を交わした。
エリシアもフィリップもシーザーも、普段はのんびりしているヘーベも、教科書通りの敬礼をする。
『休め!』
号令により参加者達が敬礼を解いたのを確かめると、大将はマイクのスイッチを入れて語り始めた。
「スルーズ空軍とカイラン空軍のパイロット諸君、『アライド・ウェーブ』へようこそ。今回は、未だかつてない規模のスルーズとカイランの合同演習というだけあり、意気込んでいるパイロットも多いだろう。先程行われた記者会見でも語った事ではあるが、両軍がチームとなって戦うためには、調和が必要だ。そのためには、互いに同じ目的を共有している必要がある。軍人の諸君には今更語る事ではないかもしれないが、ここにはまだ学生気分が抜けていない訓練生もいるようなので、あえて言わせてもらおう」
学生気分が抜けていない。
その言葉に、航空学園の候補生達が僅かにどよめく。
「『アライド・ウェーブ』は、『来たるべき脅威』に備えるための戦闘シミュレーションだ。ゲームでもなければ、スポーツ大会でもない。殺し合いをしないだけの本物の戦闘を、君達は明日から体験する事になる。それに挑むだけの覚悟を、君達は持っているか?」
鋭く言い放った、大将の言葉。
それを前に、学園の候補生達は一斉に硬直してしまった。




