セクション08:君ならきっと大丈夫
「……!」
すると。
椅子を再び投げようとしていたレネの手が、不意に止まった。
急に静まった事に気付いたジェシーは、ふとレネに顔を向ける。
「ジェ、シー……?」
レネの視線は、真っ直ぐジェシーに向けられていた。
その目にはどういう訳が、涙が溜まっている事にジェシーは気付く。
「ジェシーッ!」
レネは持っていた椅子を乱暴に投げ捨て、ジェシーに向かってきた。
怯んだ兵士達が、慌てて身構える。
その隙に、ジェシーも兵士の壁から抜け出す。
無論、レネを迎えるためだ。
「レネ――うわっ!?」
「もーっ! 今までどこ行ってたのよーっ!」
レネは、ジェシーの予想に反していきなり胸元に飛び込んできた。
突然の事に驚くジェシーの胸を、レネはぽかぽかと叩き始める。
あまり痛くない。その力は、先程までの暴れっぷりが嘘のように、妙に弱い。
「ど、どうしたの? 何が、あったの?」
「何があったの、じゃないでしょっ!」
レネは、涙ぐんだ目でジェシーを見上げてにらむ。
心当たりが全くないジェシーは、戸惑うばかり。
「くよくよしたままどっか行っちゃって……! 全然探しても見つからないし、電話かけても電源切れてて繋がらないし――あたし、寂しかったんだからねっ!」
「あ」
言われて、ようやく気付いた。
レネは、単純に自分の事を探していただけなのだと。
なかなか見つからない事に苛立って、このように暴れてしまっていた事も、すぐに察する事ができた。
「だ……大丈夫。ちょっと用事があっただけ。ちゃんといるから」
ジェシーは苦笑しつつも、その場を取り繕ったが。
「なら、くよくよしないでよっ! 側にいれば、あたしがちゃんと守ってあげるからあーっ! うぐっ、ひぐっ……」
あろう事か、そのまま泣きじゃくり始めるレネ。
そんなに、俺の事を心配していたのか。
まるで母親に怒られているかのような錯覚がして、申し訳ない気持ちになる。
「ご、ごめん……」
ジェシーは素直に謝りつつ、レネの背をそっと撫でた。
子供をあやす、親のように。
「す、すげえ、おとなしくなってる……」
「あいつが、『怪獣使い』だったのか……」
その光景を、兵士達はぽかんと眺めていた。
「ジェシー君」
ふと、声がしてジェシーは顔を上げる。
見ると、レネの後方にいつの間にかウォーロックの姿があった。
乱暴に投げられた椅子をしっかり立たせながら、2人の元へ歩いてくる。
怒られるとジェシーは一瞬思ったが、ウォーロックは特段怒っているように見えず、あくまで普段通りの雰囲気を保っていた。
「見させてもらったが、君ならきっと大丈夫だ」
「……え?」
「君は、彼女の乱暴な一面を受け止めた上で、好きだと言える優しさがある。そんな事は、普通の人間にはできない事だ。だから、君はきっと軍隊にいても自分を見失う事はないだろう」
「え、そ、そうですか……!?」
突然褒められた事に、ジェシーは戸惑った。
そんなジェシーの肩に、ウォーロックはそっと手を置いて言葉を続ける。
「だから君は、胸を張ってアパッチに乗るといい。余計な事は考えず、パイロットとしての使命を果たす事だけを考えろ。そうすれば、君にしかできない事はきっと見つかる」
「パイロットとしての使命……は、はい!」
ジェシーは、戸惑いながらも返事をする。
「ねえジェシー、艦長と何かあったの……?」
レネがそんな疑問を投げかけたのは、ちょうどその時だった。
* * *
すっかり日が暮れてしまった頃、サングリーズとゲイラヴォルがラーズグリーズ島の軍港へ入港した。
ほぼ一週間ぶりとなる地上に、多くの船員達は羽を広げるようにのびのびとした様子で港へ足を踏み入れた。
だが、それはほんの束の間の事に過ぎない。
ここは、軍事演習『アライド・ウェーブ』の拠点となる場所なのだから。
「ええっ!? またレネが暴れたの!?」
「しかも食堂が滅茶苦茶って……随分派手にやったのね」
港で数日ぶりに顔を合わせたロメアとルビーは、エリシアから聞いた話に目を丸くしていた。
「はい、ジェシーちゃんが無事に止めてくれたので、よかったですけど……」
「なんでレネは暴れたの? 嫌いな虫がいたとか?」
「いいえ、そうではなく。ジェシーちゃんが落ち込んで急にいなくなっちゃったのが寂しかったらしくて……」
「はあ……いいなあ、暴れるほど寂しがってくれる人がいるなんて。ジェシーも憎いなあ……」
エリシアの話を、唖然として聞くロメア。
一方で、ルビーはシエラに別の事を問うていた。
「じゃあ、今ここにジェシーとレネがいないのって、もしかして――」
「あ、うん。そうだね。あんな事しちゃったから今は――」
シエラが説明しかけたその時、シエラの背中に不意に何かがぶつかった。
「きゃっ! あ、ご、ごめんなさ――」
シエラはとっさに謝ろうとして振り向いた瞬間、息を呑んだ。
そこにいたのは、明らかに間違いな男。
口元が無精ひげで覆われ、黒い革ジャンを羽織っているその姿は、夜の街をバイクで駆け回っているアウトローのような、明らかに軍人ではない印象。
しかも、何やらくちゃくちゃと口の中で噛んでいる。
その鋭い視線を向けられた瞬間、シエラは何も言えなくなってしまう。
文字通り、蛇ににらまれたカエルのように。
「すまねえ、悪いな嬢ちゃん」
謎の男は、それだけ言うと、意外にも興味ないとばかりにシエラの前を去っていく。
絡まれなかっただけでも一安心と、胸を撫で下ろすシエラ。
しかし、全く見た事がない人だった。
現れたのは後ろから――すなわち、サングリーズがある所。
明らかに軍人らしからぬ格好だったが、見物に来た民間人にしても今は一般開放の時期ではないし、そもそもこの島に民間人はほとんどいないと聞いている。
「……誰、あの人?」
「わからない……」
ルビーの問いに答えられなかったシエラはしばし、その後ろ姿を見続けていた。
そんな一同の静寂を切り裂いたのは、ジェット機の轟音だった。
一同が顔を上げた先では、1機の戦闘機が車輪を降ろして着陸態勢に入っているのが見える。
スルーズ空軍の戦闘機、F-15Tストライクイーグルだ。その機首にはスルーズ空軍の国籍マークが描かれ、2本並んで立った垂直尾翼は青く塗られている。
長いフライトをしてきたのか、主翼には2本の増槽が、そして胴体にはそれより小ぶりの荷物入れが装備されている。
そのストライクイーグルがゆっくりと高度を下げて見えなくなっていく先にあるもの。
そこは、まさにこれからエリシア達も向かおうとしていた、広大な飛行場だった。




