セクション01:森に潜むアパッチ
緑が広がるのどかな森林の上を、突如黒い影が羽音と共に通り過ぎた。
ヘリコプターだ。森林に身を潜め、木々の間にできた狭い道を縫って低く飛行している。
全身をオリーブドラブ一色に塗られたその姿は、街中で普通に見かけるヘリコプターと異なる、異質なものだった。
スマートとは言い難い武骨なシルエット。側面に伸びる一対の翼。そして、メインローターの上には、巨大なこぶがある。
もごもごと動く口のように動く機首先端のターレットと、巨大な目のように側面から張り出したエンジンと相まって、正面から見ると地を這う昆虫の顔のようである。
AH-64Eアパッチ・ガーディアン。それが、このヘリコプターの名前である。
コックピットの下にある銃座を見ればわかるように、これは戦闘用のヘリコプターだ。
このデザインは、全て戦闘のために最適化されたものなのである。
当然ながら、所属は軍隊。
そのボディには、紫、白、黒に上から塗り分けられた円形紋と、『Royal Thrusian Army』という英文が書かれていた――
アパッチは森林の切れ目に達すると、その直前で停止しホバリング。
ちょうどメインローター上部のこぶだけを木の上から出す形で、森林に身を潜める。
さながら、潜望鏡だけを海面から出した潜水艦である。
今アパッチは、潜水艦と同じように、狩るべき獲物を探しているのだ。
「ターゲット捕捉。距離およそ1500メートル」
そのコックピットの中。
計器のディスプレイをにらみながら、パイロットが報告した。
ヘルメットでも覆いきれない長い黒髪が目立つ、女性のようだ。緑色のフライトスーツとヘルメットを身に着けており、右目には片眼鏡型の特殊なレンズをかざしている。
見下ろすモノクロ表示のディスプレイには、レーダー画面が映っており、目標を示す小さな長方形のシンボルマークが1つ浮かんでいる。
このアパッチには実際にレーダーが搭載されている。今木の陰から出している、ローターの上のこぶがそれだ。
「ジェシー、準備はいい?」
「りょ、了解」
パイロットが前席に呼びかける。
少しびくびくした様子の返事が、前席から帰ってきた。
そこに座っているのは、ガンナーだ。
やはり女性のようで、パイロットと同じ服装と装備をしている。
ジェシーと呼ばれたガンナーは、どこか落ち着かない様子で計器のスイッチを操作し始める。
中央のディスプレイを挟むように配置された2本のグリップを握って、準備を整える。
すると、コックピットの下にある銃座の銃身が、突如がくん、と下がった。
そして、左右を確認するように、銃身が左右に振られる。
その動きはジェシーの頭部と連動しており、ジェシーもまた首を左右に振っていた。
正面に顔を戻して、動作チェックは終了。
その間、ジェシーはずっと思い詰めたような表情を浮かべていた。
「しっかりしなさいよね? 『イチイセンシン』、『ジンソクカカン』よ? 顔を出したらすぐ撃ってサッと隠れるんだから」
「わ、わかってるよハルカ」
「ちゃんと素早く狙って撃てるんでしょうね?」
「……」
ハルカというらしいパイロットのきつめな口調に、ジェシーは黙り込んでしまう。
どうやら少し怯えているようだ。
そんな反応が来るのを察していたのか、ハルカは呆れたようにため息をひとつ。
そして、きっと鋭い眼差しで顔を上げる。
「じゃ、行くわよ。カウントダウンと同時に飛び出すからね!」
「りょ、了解」
「3、2、1――」
ハルカは中央のサイクリック操縦桿を右手で、左サイドのコレクティブレバーをしっかり握りしめ。
「ゴー!」
サイクリック操縦桿を、勢いよく左へ倒した。
アパッチは機体を勢いよく左に傾け、一気に横滑り。森の切れ目へ飛び出した。
視界が開けた途端、姿勢を戻して急停止。
目の前には平原が広がり、その中央に1台のキャタピラ装甲車があった。その車体は、まるで不法投棄されたかのように薄汚れている。
これが、今回の目標だ。
ジェシーが顔をうつむけると、視線と銃身の向く先が、装甲車へと収束する。
右目の片眼鏡レンズは、コックピットの壁を透視して視線の先の風景を映している。
さらに、その中央には照準用の十字が投影されており、装甲車と重なっている。
狙いは定まった。
後はトリガーを引くだけ。
左手側のグリップにあるトリガーに、ゆっくりと人差し指をかける。
そして――人差し指が硬直した。
「――」
ジェシーの息が止まる。
グリップを握る手に、汗がにじむ。
そして、その顔はえらく青ざめている。
まるで、一度でもトリガーを引けば核戦争が起きて人類滅亡、のような取り返しのつかない事になってしまう、とでも思っているかのように。
「どうしたの! 早く撃ちなさいよ! 弾切れや故障の表示なんて出てないわよ!」
ハルカが後席から怒鳴ってくる。
「――」
ジェシーは返事をしない。いや、返事をする余裕がない、と言うのが正しい様子だ。
息はまだ止まっている。
トリガーにかけた指は相変わらず硬直したまま。
その目は何かに怯えているかのように見開かれ、いつの間にか、頬に冷や汗が滴っている。
これから撃つのは、30ミリの口径を持つ機関砲だ。
これを撃てば、目の前の装甲車など容易く破壊できる。
照準は正確。ブレは一切なく、外す心配は全くない。
ならば、一体何に怯えているのだろうか。