セクション28:2人のシャワールーム
夕方。
ジェシーはシャワールームの個室で、シャワーを浴びていた。
その顔立ちと同じく、裸体の体つきもまた女のように華奢なものであったが、平たい胸元は紛れもなく男のものである。
頭から熱いシャワーを浴びながらも、うつむくジェシーの表情は心地よさとは無縁のものであった。
(レネが、世界を敵に回しかねない……どういう意味だろう……?)
そう。
謎の男が言った言葉の意味を、考えていたのだ。
レネはただの暴れん坊ではない、危険人物。
彼が語った言葉は、まさに衝撃だった。
レネの事は何でも知っていると自負していた身としては、猶更。
――か弱い嬢ちゃん、世の中には知らない方が幸せな黒い一面ってのがある。
謎の男は、そう言って根拠を語らなかった。
ジェシーには、それが嘘やごまかしの言葉には聞こえなかった。
明らかに、知っていてあえて言わなかったものだった。
レネの背後には、表立って言えないような黒い何かが隠れているというのか。
王家に近いスクルド家には、そこまで暗い印象はないのに。
そう思うと、怖くならない訳がない。
――そいつは今のお前に不釣り合いだ。今の内に手を切っとけ。じゃないと、手を噛まれるくらいじゃ済まなくなるぞ?
あの時、謎の男は、そうジェシーに忠告した。
レネと縁を切った方が身のためだ、と言わんばかりに。
(そんな訳、ない……)
普段は前髪で隠している額に手を当てて思い出すのは、レネと初めて会った頃の記憶。
あの頃も、似たような事を言われ、周りから心配されていた。
当時はあまりの乱暴さに、婚約そのものが決裂しかけたほどひどい有様だったから。
でも、今は仲良く一緒に過ごせている。
確かにレネは暴れん坊だけど、そんな世界を敵に回すくらい悪い人じゃない。
怖がってなければ手は出さないし、ちゃんと話せば友達だって作れるんだから。
でも。
本当にそうなのか。
――何でも知ってる、ねえ……そんな事言う奴ほど、知らない事があったりするんだよねえ。
自分の知っているレネは表の顔で、自分の知らない裏の一面があるのだとしたら。
それは。
それは、本当に――
(そんな訳、ない……!)
否定したくなるほど、怖くなる。
額に当てている指で、縫った傷跡をそっとなぞる。
もし、謎の男の言ったように、この程度で済まなくなるとしたら、それは――
「ジェシーッ」
と。
背後から、レネの声がした。
振り返ると、個室のドアの向こう側から、スポーツブラ姿のレネが顔を出している。
個室のドアは顔と足元だけが見えるタイプなので、個室の外にいる人が見えるのだ。
「まだシャワー終わらないの? 早くしないと他の人来ちゃうよ」
「あ。そうだね、ごめん」
我に返ったジェシーは、ここで考え事をしている場合じゃないと気付く事ができた。
今レネは、他の人が来ないか見張っているのだ。
このシャワールームは、当然ながら女性用のものである。
だがジェシーは男である事を隠している以上、男性用のシャワールームを使う訳には行かない。かといって裸の女性達の中に堂々と混ざる訳にもいかない。
そのため、人気がない時間帯を狙い、レネが見張りながら女性用のシャワールームを使う事になったのである。
怪獣と呼ばれるレネには大きな抑止力があるのか、今の所他にシャワールームに入ってきた猛者はいない。
「ねえ、レネ」
ふとジェシーは、顔を戻してレネに声をかけた。
「何?」
「レネって、危険人物って言われた事ある?」
は? と首を傾げるレネ。
「なんでそんな事聞くの?」
「いや――変な噂を聞いたんだ。レネは世界を敵に回しかねない危険人物だって。だからレネには関わらない方がいいって」
ジェシーは、謎の男に言われたという事を一応隠し、説明する。
すると、目を丸くしたレネは、あはははは、と腹を抱えて笑い出した。
「何その噂! あたしが秘密結社のスパイみたいじゃない! そんな噂本気にしちゃダメよジェシー!」
「で、でも……レネ、本当にそんな事――」
「ないない。だから気にしなくていいの。婚約者同士って事実が変わる訳じゃないんだし」
それで、ジェシーははっと気付いた。
自分は今、たった1人の人の意見に流されそうになってるんじゃないかと。
「そう、か……」
途端、不安は消え去ってしまった。
俺は変な事を考えていたな、と。
周りがどんな事を言ったって、自分の気持ちはごまかせない。
自分は今でも、婚約者としてレネの事を大切に思っている。
簡単に手を切るなんて、できない。
だから、不安になっていた。
そう、レネの側にいたい。
レネを優しく抱き締めて安心させてあげたい。
だから――
「ジェシーだって、周りからいろいろ言われても、あたしが好きって本気で言ってくれたじゃない。だからあたし、そんなジェシーを守りたいって思ったんだからね」
「そう、だね……」
気が付くと、ジェシーは振り返って個室のドアを開けていた。
目の前には、スポーツブラ一枚のレネがいる。
その手を掴むと、乱暴に個室の中へと引き寄せた。
「えっ!? ちょ、ジェシ――」
言い終わる前に、ジェシーはレネの唇を同じ唇で塞いでいた。
レネがシャワーで濡れてしまっても、お構いなし。
沸き上がる欲望に身を任せるまま、ジェシーは強くレネを抱き寄せその唇を味わう。
背中へ回した手で、すっかり濡れてしまったスポーツブラへと手をかける。
「……っ、待ってジェシー、誰か来たら――」
唇を離した途端、レネが慌てた事を言うのも構わず、ジェシーは脱がしたスポーツブラでレネの両腕を拘束しつつ、片手でレネの頬に触れる。
「どうする、の――」
途端、とろけた表情になっていき、目から抵抗の意欲が消えていく。
それがたまらなく愛おしく感じたジェシーは。
「俺、やっぱりレネが好きだ」
そう言って、再びレネの唇を奪った。
その間、レネの腕を拘束していたスポーツブラを完全に脱がし、放り投げるとべちゃ、と床に落ちる音がした。
「んっ、んむっ――もうっ、じぇしぃったらあ……」
いつしかレネは、ジェシーの肩に手を回し、自ら口付けを求めるようになっていった。
それを受け止めつつ、濡れたレネの肌の感触も手で味わいながら、ジェシーは残りの下着も下ろしてしまう。
自ら足で下ろされた下着を脱ぎ捨て、ジェシーと同じく一糸纏わぬ姿となったレネは、体の密着を求めるように両腕をジェシーの背へ回す。
レネの柔らかな体の感触を全身で感じたジェシーは、更に高ぶった欲望に従いレネを壁に押し付ける。
「レネ……ッ」
「じぇしぃ……っ」
互いにずぶ濡れになった二人の熱い口付けは続く。
それは、互いの感情が治まるまで続くものかと思われたが。
じりりりりりりりり!
突然鳴り響いたベルの音で、ジェシーは我に返った。
『これより、緊急戦闘態勢訓練を開始する! 各員は位置につけ!』
「緊急戦闘訓練……」
アナウンスで流れた単語を聞き、ジェシーは思い出した。
艦内では、時折抜き打ちで有事への対処能力を鍛える訓練があると。
それは当直も非番も関係なく参加する事になると――
「大変だ……! レネ、すぐ着替えて戻らないと!」
こうしている場合じゃない。
ジェシーは慌てて、個室を飛び出した。
「えっ、着替えるって――」
「いいから早く!」
「えーっ! ああもう、下着濡れちゃって着るものがないよ!」
レネがいろいろと言っているが、ジェシーには構う余裕がない。
ジェシーは体を拭く余裕もなく着替えながら、ああもうなんでこんな時に、と自分がした行いを後悔したのだった。
フライト2:終




