セクション17:マーリン発艦、シエラの勇気
ヘルメットを被ったスコットとシエラは、いよいよエンジン始動に入る。
「エンジン始動」
「了解マスター、エンジン始動します」
スコットの指示で、マーリンのエンジンが始動した。
タービン音の高鳴りに応じて、計器盤にあるディスプレイの回転数表示が次第に上がっているのを確認する。
マーリンは、世界でも珍しい3発エンジンのヘリコプターだ。回転数表示も、しっかり3つある。
そのため、他のヘリコプターと比べると、エンジン始動に時間がかかる。
それでも、シエラは慣れた手つきでエンジンを的確に始動させていく。
「回転数、異常ないか?」
「はい、ありません。ローターブレーキ解除します」
メインローターが、ゆっくりと回転し始める。
徐々に加速して回転数が軌道に乗ると、きゅんきゅんきゅん、と独特の羽音が響き始めた。
その後もシエラはスコットと協力し、各部のチェックを手順通りに行っていった。
「よし、チェック終了だ。後は積み荷を待つぞ」
「はい、マスター」
シエラはうなずくと、艦橋前方にあるエレベーターに目を向ける。自機の正面に駐機されているアパッチのちょうど右側にある。
ゆっくりとエレベーターが上がってきているのが見える。
姿を現し始めたのは、ヘルメットを被り突撃銃を持った海軍陸戦隊の歩兵達。数は20人。
彼らこそが、マーリンの積荷。
マーリンの主任務は、彼ら海軍陸戦隊の歩兵を戦地まで運ぶ事なのだ。
ふう、と大きく息を吐くシエラ。
それがため息だと思い込んだのか、スコットが気にして声をかけた。
「どうした? ため息か?」
「あ、いえ、そういう訳ではなくて……」
シエラは、気付かれないように懐から飴玉を取り出す。
ロジャーからもらった、レモン味の飴玉。これを渡すタイミングを、窺っていたのだ。
緊張して、胸が高鳴る。
それでも勇気を出してぐっと口を閉じたシエラは、飴玉をスコットに差し出した。
「マ、マスター、これを」
「へ? おい、その飴は――」
「その、レモン味の飴です。よかったら、舐めます?」
スコットは目を白黒させたが、すぐにそれを手に取った。
「くれるのか!? ありがてえ! これ出港前に買い損ねた奴だったんだよ! もうしばらく買えねえと思ってたが――」
目の色を変えて飴玉の袋を開け、口に放り込むスコット。
「うーん、やっぱりこのレモン味がいいんだよなー」
口の中で転がし、すっかりご満悦な様子のスコットは、どこか子供のようにも見える。
シエラも、その喜び方は予想外で、ぽかんと見つめてしまっていた。
そのせいで、スコットが体を急に乗り出してきた事に驚いてしまう。
「なあシエラ、これまだ持ってるのか?」
「え? あ、はい、多分……」
「なら、オレに譲ってくれないか? もちろん、礼はする! 物々交換――って、いいのが思いつかないな……そうだ、何かシエラが欲しいもの買ってやるよ!」
「え、ええ!? その、ええっと――」
シエラにとっては、予想もしない急展開。
食べ物で相手を落とすのは恋の基本、というロジャーのアドバイスの効果が予想以上で、どう対応すればいいのかわからない。
どうしようどうしようと考えれば考えるほど、心拍数が増していき、視線が泳いでしまう。
コックピットの後ろが騒がしくなってきたのも、気付かないほどに。
「やーどうもシエラちゃん! 今回は世話になりますー!」
まるで近くに引っ越してきた人のように、誰かがコックピットへ顔を出してきた。
「へぇっ!?」
はっと我に返ったシエラは、すっとんきょうな声を上げてしまった。
見ると現れたのは、あのスキンヘッドの准尉だった。とは言っても、今はヘルメットを被っているのでスキンヘッドだとはわからない。
彼は先程の20人の歩兵達のリーダーであり、マーリンの後部にあるカーゴドアから、並んで乗り込んできたのだ。
「……あ、准尉さん」
「おやおや、どうかなさいましたか? かわいい声なんか出しちゃって――」
准尉は、営業スマイルという言葉がぴったりな笑みで、シエラの顔を覗き込む。
「今のはシエラちゃんの声か!?」
「准尉! シエラちゃんに何したんすか!」
途端、他の歩兵達が首を突っ込んでくる。
だが、准尉は彼らの頭を強引に押し除け、何事もなかったように笑みを保ち、話を続ける。
「もしや何か取り込み中でしたか?」
「え? いや、その――」
「いいからさっさと戻れ。発艦できねえ」
それを強引に断ち切ったのは、スコットだった。
虫を払うような手付きで、准尉らをコックピットから追い払う。
「はいはーい、まずは皆さん着席してくださーい。シエラちゃんに会いたい方は、後で握手券の提示をお願いしまーす」
そして、歩兵達を整理する陽気なロジャーの声も聞こえてきたのだった。
その間、シエラは恥ずかしさのあまり、うつむけた顔を起こす事ができずにいた。
だが、いつまでもこうしてはいられない。
「シエラ、大丈夫か? カーゴドア閉めて発艦するぞ」
「は、はいっマスター! お任せをっ!」
スコットに指摘されたシエラは、慌てて計器盤に顔を戻す。
落ち着かなきゃ落ち着かなきゃ、と小声でつぶやきながら、操作を行う。
後部のカーゴドアが自動で閉まる。
外では、機体を甲板に固定させていたチェーンが作業員達の手によって外され、彼らがシエラ達に見せている。
発艦の準備は整った。
シエラはスコットと共に、正面に立つ黄色いジャケットの誘導員と敬礼を交わす。
そして、誘導員が両手を高く上げた。
上昇しろ、の合図だ。
「サーペント3、発艦します!」
シエラは、ゆっくりとコレクティブレバーを引く。
回転するローターが、僅かに上へとしなる。
そして、機体がふわり、と宙へ浮かび上がった。
誘導員が何度も両腕を上に振るのに合わせて、高度を上げていく。
ある程度上昇すると、誘導員が腕を左側に向けて振る。
それに合わせて、マーリンは機体を左に傾け旋回、サングリーズから離れていく。
そんなマーリンを、誘導員は敬礼で見送る。
「サーペント3、発艦完了!」
そしてシエラの言葉に合わせて、マーリンは車輪を収納した。
速度が乗り、サングリーズがどんどん小さくなっていく。
発艦は成功。シエラはふう、と緊張で溜め込んでいた息を大きく吐いた。
「シエラ、調子悪いのか?」
そんな時、スコットに声を駆けられた。
どうやら普段を様子が違う事に、気付いているようだった。
「あ、いえ、そういう訳ではないです。ただ、マスター」
「何だ?」
シエラは、スコットに真っ直ぐ視線を向ける事ができないながらも、問うた。
「私が欲しいもの買ってやる、というのは、私と一緒に買い物をするって事、ですよね?」
「え? そうだな、メモとかで聞いても間違ってたら大変だからな……シエラは嫌か?」
「い、いえっ。むしろ、嬉しいですマスターッ!」
そう答えたシエラの表情は、自然と笑んでいた。
その様子を、ロジャーがコックピットの後ろから静かに頷きながら見守っていた。




