セクション08:レネ、甲板で大暴れ
「おいおい何だ? 何の騒ぎだ?」
「あっ! レネがまた暴れ出すかも!」
「あ、暴れる!? そりゃ大変だ、とにかく通報だシエラ!」
「は、はいマスター! お任せを!」
ランニングしていた他の面々の視線が集まり始める。
だが、2人はそれさえも意に介さず口喧嘩を続ける。
「サングリーズは、空母や……! 陸軍はんのもんや、あらへん……!」
「だから強襲揚陸艦って言ってるでしょ! そんなに空母に乗りたいなら、アメリカにでも行ってくれば!」
涙目になりながらも主張を続けるリューリの襟元を、とうとうレネが掴んだ。
とうとう手を出してきた。
このままでは、リューリを殴る事態になりかねない。
「どうしましょう、早く止めないと……」
「ジェシーみたいにやってみれば――!」
心配するエリシアの横から、ハルカが飛び出した。
ハルカはレネの背後から駆け寄り、手を伸ばして口を塞ぐ。
ジェシーが普段行っているのと、同じように。
「む!?」
「いい加減にしなさいよレネ!」
「――っ!」
だが。
レネは、リューリから剥がした手でハルカの腕を口から剥がすと。
「何するのよっ!」
そのままハルカを、乱暴に背後へ押し除けてしまった。
きゃ、と小さな悲鳴を上げてハルカがジェシーの目の前で尻餅をつく。
「ああ、ハルカ!」
「なんで……!? ジェシーと同じようにやったのに……!?」
ジェシーの手を借りて立ち上がりながら、ハルカは悔しそうにつぶやく。
一方、自由の身となったリューリは、隙を見てレネの前から逃げ出そうとしたが。
「逃げるなーっ!」
レネが、すぐに気付いて追いかけていった。
「ジェシーちゃん、早く止めてください!」
「あ、はい!」
エリシアに促され、ジェシーも慌てて後を追う。
まずい事になってきた。早く止めないと。
だが、その思いとは裏腹に、なかなかレネに追いつけない。
「騒々しいな……一体何の騒ぎだ――げ」
そんな時、2人の行く手にシーザーが現れた。
彼はレネの姿を見た途端、目を見開いて凍り付いてしまう。
「シーザー様ーっ!」
そんな彼へ、リューリが泣きついてくる。
そして、隠れるように彼の背後へ回り込む。
追いかけてやってきたレネは、必然的にシーザーと対峙する。
「や、やあ……どうしたんだいレネ?」
「どいてシーザー。あたしは後ろの奴に用があるの」
「後ろの奴……? さあ、誰の事かな……?」
ひきつった笑みを浮かべて会話するシーザーは、明らかに弱腰だ。
その視線を、レネから逸らした瞬間。
「どいてって言ってるでしょ――っ!」
レネは容赦なく、シーザーの腹に蹴りを浴びせた。
ぐは、と情けない声を出して、リューリ共々後ずさりするシーザー。
「シ、シーザー様っ!?」
「リューリ、すまない……こいつは、僕の手には負えない存在だ……だから逃げよう!」
シーザーはそう言うと、リューリの手を取って一目散に逃げ出した。
「待てーっ!」
当然レネも、その後を追いかけて駆け出す。
ようやく追いつきそうだったジェシーは、僅かにタイミングが合わず捕まえ損ねてしまった。足が少しもつれたが、仕方なく追跡再開。
レネの足が速いのか、それともシーザーらの方が分遅いのか、レネはあっさりとシーザーに追いつく。
「てやあああっ!」
そして、走る勢いを利用して、レネはシーザーの背目がけて飛び蹴りを繰り出した。
「ぎゃ――っ!?」
ちょうど背骨の部分を思い切り蹴られたシーザーは、頭から転倒してしまう。
その手が、力なくリューリから離れ、ぱたりと甲板に落ちる。
「シ、シーザー様っ!? お気を確かにっ! シーザー様っ!」
驚いたリューリは、すぐさま足を止めてシーザーの体を揺さぶるが、返事がない。
そこへ、追いついたレネの手が素早く伸びてくる。
「きゃっ!」
一瞬の内に、甲板へ組み伏せられてしまった。
それはさながら、猛獣に狩られた哀れな草食動物のようであった。
「やっと捕まえた……っ!」
レネはリューリの上に馬乗りになると、左手で両腕をがっしりと頭の上に抑え付け、抵抗をできなくする。
ぎらぎらと輝く赤い瞳は、まさに獲物を狩る猛獣の目だった。
追い詰められて涙を浮かべ始めたリューリの顔を見ても、全く変える事がない。
「や、ああ……」
「もう泣いたって無駄よ。覚悟なさい……!」
レネが、右腕を強く振り上げる。
殴られると直感したリューリが、恐怖で目を閉じる。
レネの拳が、リューリの顔面に容赦なく振り下ろされた瞬間。
「やめてレネッ!」
追いついたジェシーの手が、レネの口を塞いだ。
「む――!?」
ぴたり、と拳がリューリの目前で止まった。
リューリが目を開けて、その光景に目を丸くする。
「む、うう……」
拳はゆっくりと開かれ、力を失ったようにぱたん、とリューリの耳元に落ちる。
レネの瞳には、猛獣のような輝きが失われ、猫のようなうっとりしたものになっている。
「じぇ、じぇしぃ……?」
「レネ、ダメだよ。落ち着いて。喧嘩なんて、みっともないよ」
「で、でもぉ……」
「怖くない。怖くないから。さあ、まずは離れて」
「う、うん……」
レネはジェシーの言う通りに、リューリの上から離れる。
その光景に、後から追いかけてきた一同は目を奪われた。
正確には、その中で2人のこの様子を初めて見る者達が。
「な、何が、どうなってるんだ……?」
「レネは、ジェシーにああされるとどんな時でもおとなしくなっちゃうんですよ、マスター」
スコットに説明するシエラ。
「先輩。あの子、なんで口塞がれたらおとなしくなるんですか?」
「え? 何でしょう――きっと、ジェシーちゃんの手には強力な抑制効果があるのですよ」
フィリップの疑問に答えるエリシア。
「あいつが、鎮まるなんて、あるのか……」
起き上がっていたシーザーも、目を白黒させてジェシーとレネの様子を見ていた。
「あぁ……じぇしぃの手……」
そんな一同の様子などお構いなしに、甘える猫となってジェシーの手に頬を摺り寄せるレネ。
ジェシーはその様子を見てふう、と大きく息を吐き、リューリに目を向けた。
「君、大丈夫だった?」
「あ、うん……」
空いた片手でリューリの手を掴み、しっかりと起こす。
それから、レネに代わって謝った。
「ごめん、レネがこんな事しちゃって――うっ!」
「はむ……んん、じぇしぃ……」
だが。
レネは全てを忘れてしまったかのように、ジェシーの指を甘噛みして味わう。
「あっ、なんか噛まれてるけど、大丈夫なんか?」
「平気。これは、レネの癖みたいなものだから――っ、もうレネ……ッ」
ジェシーは甘噛みに抵抗する事なく、リューリに説明する。
はあ、とリューリはわかったのかわからなかったのかよくわからない表情を浮かべる。
「さすがね、ジェシー君。慣れたものじゃない。でも騒ぎを起こした罰は、軽くしないからね」
そんな時。
ジェシーの前に、いつの間にか2人を見下ろすアンバーの姿が現れていた。
一方。
その様子を艦橋の陰から興味深そうに見ていた存在に、ジェシーは気付かなかった。
「へえ……」
それは、艦内でジェシーと対面した、あの謎の男だった。




