セクション07:飛行甲板でランニング
朝日に照らされる、青い海原。
艦隊以外に存在する影はなく、静かな波の音だけが聞こえてくる。
だがそれを観賞する余裕は、残念ながらない。
「15、16、17、18――」
置かれているものが何もない、がらんと空いた飛行甲板の真ん中で、ジェシーとレネは腕立て伏せを行っていた。
2人だけでなく、エリシアやシエラなど、他の選抜メンバーの姿もあり、揃って腕立て伏せを行い、汗を流していた。
しかし、どうしても気が散って動きが緩んでしまう。
その理由は、エリシアにあった。
「チヌークが20機、チヌークが21機、チヌークが22機――」
まるで寝る前に羊を数えるような感覚で、腕立て伏せのカウントを行っている。
隣にいるフィリップはもう慣れているのか全く気にせずに続けていたが、空軍ではない他の一同は揃って気になり出している。
「おい、あいつなんでヘリの数なんか数えてるんだ?」
「何でも『力が出るおまじない』なんだそうです、マスター」
「なるほどな。だからチヌークなのか――って、何も筋トレでやらなくたっていいだろ」
スコットが、シエラと言葉を交わす。
それを気にせず腕立て伏せに集中しているエリシアを見て、ジェシーも苦笑するしかない。
「エリシア先輩、まだあれやってたんだ……」
それが、素直な感想だった。
中等部でもやっていた事があったものを、よもや今でも続けているとは思わなかったのだ。
「ほらジェシー君、手が止まってるわよ! 回数増やしてほしい?」
「あ、はい! すみません!」
そんな時、アンバーに注意されてしまった。
ジェシーは慌てて、腕立て伏せを再開する。
何回までカウントしたか覚えていない、というオチが付いてしまったが。
サングリーズの飛行甲板はかなり広く、小さめのサッカー場程度もある。
そのため、甲板上に何もなければ絶好の運動場となる。艦内にもトレーニングルームはあるのだが、実際に外で動くに越した事はない。
これを利用して、ジェシー達は今、朝のトレーニングを行っているのだ。
筋トレやストレッチを終えると、本題とも言えるランニングに入る。
縦に長い飛行甲板をトラック代わりにして、何週も走るのである。
足を踏み出すリズム一定にを保ちながら、ジェシー達は飛行甲板の滑走路部分を走っていく。
艦橋の横を通り過ぎて真っ直ぐ進んでいくと、やがてスキージャンプ台という名の坂道にたどり着く。
この角度は12度あり、結構な急勾配だ。
とはいえそれほど長い訳でもないので、しっかりと天辺まで登っていく。
天辺は艦の先頭部分という事もあり、風で船が進んでいる感覚を味わう事ができるが、ランニング中にそんな余裕は当然なく、すぐに折り返す。
そして、甲板の後部に着いたらまた折り返し、を繰り返す。
それを何度も繰り返していけば、体がいい汗をかいてくる。
「何か、海の風を浴びながら走るのって、いいね!」
「うん」
並んで走るレネは、起きた時の眠気が嘘のように上機嫌だ。
ヒルデ基地が内陸部の基地だった事や、海辺にあまり縁がない所で暮らしていた事もあるだろう。
ジェシーもまた、以前とは異なる環境でのランニングに、新鮮さを感じていた。
朝方の適度に低い気温が、海風とうまく合わさって心地いい。
そして、どこまでも広がる海原を眺めながら走ると、不思議と穏やかな気持ちになる。
サングリーズのクルーは、いつもこんな風にランニングをやっているのか、と思うと、軍艦での暮らしも悪くないのかも、と少し思った。
「これだったらサッカーとかもできそう――あっ!?」
だが。
レネが急に、何かに躓いて思い切り倒れてしまった。
「ああっ、レネ!?」
驚いたジェシーは、足を止めてすぐさまレネの状態を確かめる。
「大丈夫!? ケガはない!?」
「いたたたた……何なのよ急に――」
ジェシーの心配をよそに、レネはすぐさま自力で起き上がった。
幸い顔はぶつけていないようで、傷は見当たらない。
「ああっ、ご、ごめん! 大丈夫やったか!?」
途端、謝ってくる声は聞き覚えのある訛った声だった。
はっとレネの足元に目を向けると、そこには慌てて立ち上がる1人の少女が。
水色の髪の彼女は、シーザー王子と行動を共にしていた少女だ。
「えっと――リューリ、だったっけ?」
ジェシーが名前を思い出そうとしていた矢先。
「ちょっと、危ないじゃない! 今のあんたの足!? こんな所で堂々と足伸ばしてるんじゃないわよ!」
レネが、怒り心頭とばかりにリューリに怒鳴りつけてきた。
さすがのリューリもこれには怯んでしまい、身を小さくしてしまう。
「ご、ごめん……空母の甲板って広いやから、つい――」
「広いからって問題じゃないでしょ! っていうか、ここ空母じゃなくて強襲揚陸艦だし!」
強襲揚陸艦。
その言葉を聞いた途端、弱気だったリューリの表情が、僅かに変わった。
「く、空母も似たようなもんやないかっ!」
発する言葉が、急に強みを帯び始める。
「どこが似てるのよ? アメリカのみたいにカタパルトなんて付いてないじゃない!」
対するレネも、一歩も引かない。
話の論点が、次第にずれ始めていく。
「カ、カタパルトがない空母だってあるで! そな事言ったら、ロシアとかに殺されるで!」
「でもサングリーズは強襲揚陸艦でしょ! あんた本当に海軍の候補生?」
「ちょ、ちょっとレネ……」
ジェシーが呼びかけるものの、白熱し始めた口喧嘩は止まりそうにない。
嫌な予感がし始める。
このまま行けば、レネは確実に――




