セクション06:朝の日課
窓がない寝室の中では、日の光が差し込まず時間が流れる実感が湧かない。
代わりにスピーカーから流れる起床ラッパの音色が、一日の始まりを告げた。
目を覚ましたジェシーは、未練がましく毛布の中にこもる事なく体を起こす。
素早い行動が要求される軍内の生活で、自然と身に付いたものだ。
思いの外しっかり眠れたな、と体の感覚を確かめつつ、ジェシーはベッドを降りる。
ジェシーが寝ていたのは、2段ベッドの上段。
下段には、部屋を同じくするレネが眠っている。
「む――っ」
レネはうるさいと言わんばかりに、顔を毛布で覆う。
もっと寝かせて、という体の主張。
初めての環境で眠れなかったのか、それともこれからの航海が楽しみすぎてテンションが上がりっぱなしだったのか。
いずれにしても、ここで起きてもらわないと困る。軍隊では、だらだら寝ている時間は意外とない。
「レネ、起きて。もう時間だよ」
脅かさないようにそっと毛布を剥がす。
服装は特に気にしない。軍人ではごく普通の寝間着と言えるTシャツ姿だからだ。それはジェシーも同じである。
「――――っ!」
だが。
レネは抵抗して腕を乱暴に振るった。
うわ、とジェシーは反射的に身を引く。
駄々をこねる子供のように、ぶんぶん、とレネは何度も手を振り回して抵抗している。
「レ、レネ、起きなきゃダメだよ……」
「――――っ!」
ジェシーの言葉も聞かず、レネは寝返りを打って枕に顔をうずめてしまう。
もしかしたら、今目の前に自分がいる事に気付いていないのかもしれない。
そう思ったジェシーは、レネの枕元と同じ高さになるようにベッドの横へ座ると。
「ほら、起きなきゃ」
伏せたレネの顔に手を差し込んで、口元をそっとつかみ、顔を横――ジェシーの顔が見えるように向ける。
「む、うう……じぇしぃ……?」
レネの重い瞼が僅かに開かれ、起きたばかりの猫のような表情でジェシーの姿を確かめる。
「おはよう、レネ。ほら、起きよう」
「はあい……」
ジェシーが優しく呼びかけると、レネは面倒臭そうながらもあっさりとうなずき、ジェシーの手に促されるままに体を起こす。
指にぎこちなくしゃぶりつく様は、まるで釣り上げられた魚のよう。
そんなレネの様子を、ジェシーはかわいいな、と本心で思った。
2人には、朝起きて着替えた後、必ず行う日課がある。
それは、髪を結ぶ事だ。
すぐ行動できるようにしなければならない時は時間がないので髪を縛ったまま寝るのだが、今日はある程度余裕があるので髪を解いていた。
隣り合わせで座る2人は、顔を向かい合わせて互いに相手の髪を普段通りにゴムで結ぶ。
「レネ、今日はちゃんと眠れた?」
「ん、多分……」
レネはまだ本調子ではないようだが、ジェシーの髪を普段通りにポニーテールに結ぶ。
まだ目が覚めきっていなくてもできるのは、長くやってきて体が覚えているからなのだろう。
「まあ、船で寝るのは初めてだもんね。気分は悪くない?」
「それは、ない……」
「そう、よかった」
他愛ない会話をしながら、ジェシーはレネの髪を丁寧に結ぶ。
レネの銀髪はとても滑らかで、触り心地がとてもいい。そのままずっと触っていたいと思う事もあるほどだ。
だからこそ、ジェシーは痛めるような事をしないように丁寧に結ぶ。
赤いメッシュが入って少し歪な色合いになっていても、ジェシーはレネの髪が好きなのだ。
「はい、終わり」
結ぶ髪はジェシーの方が少ない分、必然的にレネの作業が先に終わる。
それでも、ジェシーがレネの2本目に取り掛かっている間、レネはおとなしく手を降ろして待っていた。
「これでよし」
ジェシーは手を髪から離すと、改めて普段通りのツーサイドアップに結べた事を確かめる。
「今日もかわいくできた」
そう言って、ジェシーは両手を降ろそうとしたが、不意にレネに掴まれた。
そのまま、両方とも自らの頬へ持っていくレネ。
「ありがと、じぇしぃ……んん、うむぅ……」
ジェシーの手の暖かさを自ら頬で味わい、甘える猫のようにうっとりするレネ。
「レ、レネ……」
今はそうしてる時間じゃないよ、と言いたいが、酔いしれるようなレネの表情も声もとても色っぽく、反論する事ができない。
レネ自身も、頬をすり寄せる手をがっしり掴んで離す様子を見せない。
そんなレネをどうしても憎めず、彼女のなすがままにしていると。
「あのー2人共、まだ時間はあるけどさ――」
不意に聞こえた誰かの声で、どきりと胸が高鳴った。
見れば、レネの背後にある部屋の入口に、いつの間にかフライトスーツ姿のアンバーが。
壁にもたれかかりながら、退屈なものを見るような目でジェシーとレネを見ている。
「そんなイチャイチャしてたら、あっという間に時間なくなるわよ?」
「きょ、教官!? ごめんなさい! すぐ行きます!」
ジェシーはここでだらけてはいけないと慌てて立ち上がり、レネの頬から手を離す。
「むー……」
だが、レネは未練がましく腕を引き寄せて抵抗する。
まるで、背後のアンバーの言葉が耳に入っていない――いや、そもそもアンバーの存在そのものに気付いていないかのように。
「ごめん、続きはまだ後でね。さあ行こう」
ジェシーはそうなだめて、レネの手を離した。
むー、とレネは不機嫌そうに頬を膨らましたが、ジェシーの言葉には反発せず、共に部屋を出ていく。
2人の服装は、これからランニングにでも出かけるかのようなTシャツと短パン姿だった。




