セクション19:ハエ相手に大暴れ
「しーっ! 声が大きい!」
ハルカは、すぐさまジェシーの口を塞いだ。
「ど、どうして、そんな事に!?」
「私だって聞きたいくらいよ。教官は、どうしてもあんたとレネを一緒にしたかったんだって。ほら、今の軍艦ってちゃんと男女分けて寝るじゃない? そのための苦肉の策なんだって」
「レネ……」
そう言われて、ジェシーは思い出した。
レネちゃんを止められるたった1人の婚約者、とアンバーに言われた事を。
そんな時だった。
「■■■■! ■■■■! ■■■■■ーっ!」
突然、部屋の奥からレネの叫び声が響き渡った。
同時に、どたんばたんと乱暴な物音も聞こえてくる。
はっとジェシーが我に返った時、ドアが開いてエリシアが姿を現した。
「2人共、大変です! レネが部屋に入ってきたハエを見て暴れ出して――!」
エリシアの知らせによって、ジェシーは状況を理解した。
レネは、虫が大嫌いだ。
少しでも虫を見ただけで、怯えてしまう。
彼女にとって怯えるとは、つまり暴れるという事に直結する。
彼女が飛び回るハエを追い払おうとしようものなら――
「すぐ行きます!」
ジェシーはすぐにエリシアの横を縫って部屋へと戻った。
部屋に入ると、いろんなものがジェシーに向かって飛んできた。
余ったお菓子や、箱ティッシュ、なぜか枕まで。
「こいつぶっ殺したるっ! ■■■■! ■■■■! ■■■■■ーっ! ああ、もうなんでこんな時にスプレーがないのよーっ!」
そこではレネが、飛び回る1匹のハエを相手に格闘を繰り広げていた。
どこから持ってきたのか、箒を手にして乱暴に振り回している。
だが、そう簡単には当たらない。
空振りした箒が、ベッド脇にある時計を吹き飛ばし、がちゃん、と乱暴に落ちる音が響く。
そして遂には、天井からぶら下がっていた裸電球にも箒が直撃。
衝撃で天井にぶつかり、がしゃん、と音を立てて割れる。
それでも、レネは全くお構いなし。
ハエが見えていなければ、ただ暴れているだけのようにしか見えないだろう。
「ちょっとレネ、スプレーなら――ひゃあっ!」
その暴れっぷりにはシエラ、ロメア、ルビーも翻弄されてばかりで、ただ逃げ惑うばかり。
このまま乱暴に箒を振り回していたら、誰かがケガをするかもしれない。
「レネ、落ち着いてっ!」
ジェシーは隙を見計らってレネに駆け寄ろうとした。
だが、ハエを狙い振り回される箒が、ジェシーの顔面に直撃してしまった。
「うっ!」
「いい加減に落ちろ■■■■っ! ■■■■っ!」
ジェシーが崩れ落ちるのもお構いなしに、レネは箒を振り回し続ける。
「ジェシーちゃん、大丈夫ですか?」
「な、何とか……」
エリシアに体を起こされるジェシー。
「ど、どうするの……? ジェシーの事、見えてないみたい……」
「うん、完全に我を忘れてるんだ……」
シエラの言葉に、ジェシーはそう説明した。
レネは、ジェシーの事を気にしていないのではない。ジェシーに気付いていないのだ。
ハエを叩く事に夢中になるあまり、周りが見えなくなってしまっている。
ならば、猶更鎮めないといけない。
だが、箒という得物を振り回している以上、迂闊に近づけない。
どうしたら、とジェシーは考える。
そんな時。
「私がやる!」
名乗りを上げたのは、ルビーだった。
彼女が手にしたのは、先程飛んできた枕。
それを、レネに向けて思い切り投げつけた。
闇雲に箒を振り回し続けるレネの後頭部に、命中。
「■■■■――っ!?」
突然後頭部に大きなものがぶつかった衝撃で、レネが一瞬体勢を崩した。
「今よジェシー!」
「うん!」
すかさず、ジェシーは飛び出した。
「レネ、落ち着いて!」
レネが振り向いたその瞬間、口を自らの手で素早く塞いだ。
「むぐぐ――む、うう……」
途端、レネは急におとなしくなってしまい、振り上げていた箒が手から滑り落ちる。
からん、と乾いた音を立てて、箒が割れた電球の破片の上に落ちる。
「じぇ、じぇしぃ……?」
「ハエならもう大丈夫だよ。ほら」
「え……?」
ちょうどその時、エリシアが見つけ出したと思われる殺虫スプレーを吹きかけ、ハエを撃退した。
レネが怖がる存在は、もういなくなった。
「ほらね。だから、もう怖がらなくてもいいんだよ」
「あ、そうかぁ……ああ、あったかいぃ……」
レネは、ハエの事などすっかり忘れたかのように、ジェシーの手の感触を味わい始めた。
「はあ、これで一段落ですね……」
と、肩を下ろすエリシア。
「ジェシーがいなかったら、どうなってたかな……?」
「この部屋跡形もなく破壊されてたかもね……」
そんな推測をする、シエラとルビー。
それを聞いてか、レネが改めて滅茶苦茶になった部屋を、とろけた瞳で見つめる。
「ごめんね、みんな。じぇしぃも……」
「うん、いいよ」
ジェシーは安堵した。
そして、甘える猫のようにジェシーの手に頬をすり寄せるレネの頭をそっと撫でつつ、ハルカから指摘された事を思い出す。
自分がレネの側にいるためには、男である事を隠さなければならない。
だが、いざという時にこうやってレネの側にいて、なだめる事ができるなら、それでもいいかもしれないと思った。
そんな中、不意に手に痛みが走った。
「う――っ!」
「はむ……んん、じぇしぃ……」
レネが、ジェシーの指を甘噛みしたのだ。
ジェシーは、それに全く抵抗しない。
それが彼女の愛情表現であると、知っているから。
何より、赤ん坊のような口遣いをするレネが、かわいく見えて憎めないから。
「あーあ、レネとジェシーも相変わらずだなあ……女の子同士なのに……」
そんな2人の様子を見て、羨ましそうにつぶやくロメア。
「とにかく、レネにはジェシーがいなきゃダメね……」
ロメアに続けるようにつぶやくハルカ。
ともあれ、ようやく部屋に静寂が戻った――
「ちょっと! 今の何の騒ぎ!?」
かに見えたが、それは突如現れたアンバーによって破られた。
この後、レネがこっぴどく叱られたのは、言うまでもない。




