セクション10:赤い赤いフライトスーツ
遂に、出発の時がやってきた。
ジェシーはフライトに向けて、更衣室にて装備を整えていた。
フライトスーツをしっかりと着て、首元のライフプリザーバーという救命胴衣を着ける事も忘れない。
そして、ヘルメットを用意。右目部分を覆うバイザーは付いていない。
最後に、この場では少々場違いなスーツケースも確認する。
(とうとう出発かあ……)
内心でつぶやくジェシーの心は、不安でいっぱいだった。
これからは長旅になる。一旦サングリーズに乗り込んでしまえば、余程の事がない限り数か月はスルーズへ帰ってこられないだろう。
今からでも断れるだろうか。
そんな思いが、悪魔のささやきのように込み上げてくる。
いや、それはできない。
レネを1人にする事はできない。彼女の事を考えたら、自分も行くしかない。
「じぇ、し、ぃ」
と。
不意に呼び声がして、ジェシーは背後に振り返った。
見ると、そこにはドアの向こう側から顔だけ覗かせているレネの姿があった。
「あ、レネ! ごめん、すぐ行くから――」
てっきり遅れていると思ったジェシーは、準備をする手を急がせる。
だが、軽快に踊るようなステップで更衣室へ踏み込んできたレネの姿を見て、ジェシーは目を丸くした。
レネが着ていたフライトスーツが、通常と異なる赤一色だったのだ。
「じゃーん! どう、この赤いフライトスーツ!」
レネはジェシーの前で得意げに両手を開き、笑顔でポーズをとって見せた。
「わざわざ特注してもらったの!?」
青くすっきりした晴天の空の下の駐機場。
レネのフライトスーツを見たハルカが、驚いてそんな感想を漏らした。
「そうよ! ヘルメットもほら、赤くしてもらったの!」
レネは同じく赤一色に染められたヘルメットも見せびらかす。
その姿は、欲しかったおもちゃを買ってもらえた子供のように無邪気だった。
「パパもたまにはいい事するのね! お礼言わななきゃ!」
レネはパーソナルカラーを手に入れられた喜びからか、上機嫌だ。スーツケースの持ち手を軸に、踊るようにくるくると回りながら歩いている。
このフライトスーツは、彼女の父、サー・スティーブ・スクルドの注文で作られた特注品だ。
アクロバットチームでもないのにこんな装備品を用意できる辺り、さすがは高貴な一族と言わざるを得ない。
「赤一色なんて落ち着きのない色ね……どんな趣味してんだか……」
腕を組んで趣味悪いと言わんばかりにつぶやくハルカに対し。
「俺は似合ってると思うよ。赤っていかにもレネって感じだし」
ジェシーは、素直に好意的な感想を告げた。
「でしょー?」
嬉しそうに答えて尚もくるくる回り続けるレネを見て、ジェシーも自然と笑んでいた。
そんな時。
不意に背後から、ジェシーとハルカの肩に何者かの手がぽん、と置かれた。
「ところがどっこい、事情は複雑なのよ」
2人の間に挟まる形で話しかけてくるのは、いつの間にか現れていたアンバーだった。
「きょ、教官!?」
「しーっ! 声が大きい!」
驚くハルカを、口止めするアンバーは、2人の顔を急に引き寄せ、耳打ちするように小声で話を続けた。
「レネちゃんには秘密だけど。あの赤い赤いフライトスーツはね、『行動監視』用なの」
「行動監視? そのためにサー・スティーブが……?」
「そうよ、ジェシー君。その、うまく言えないけどさ、あんな目立つ格好をしてれば変な行動もしにくいって事」
ジェシーはその事実に唖然としてしまった。
単純な善意によるものではなく、騒動を起こさせにくくするための目的があったとは。
確かにこの事をレネが知ったら、どんな顔をするか。
これは黙っておいた方がいいなと、ジェシーは直感した。
「そんな訳で、少なくとも任務中は見つけやすくなるだろうから、頼むわよ。婚約者さん」
アンバーは顔を離すと、託すようにジェシーの肩を叩き、何事もなかったかのようにジェシーとハルカの間を通り抜けていく。
「さー、全員集合してー」
そして、やはり何事もなかったかのように、集合の合図としてぱん、と手を叩いた。
「この前も説明した通り、組み合わせはレネちゃんとジェシー君、そしてハルカちゃんと私で行くからね。レネちゃんとハルカちゃんがガンナーで、ジェシー君と私がパイロット。コールサインは『リザード』、もちろん私が1番機になるからね」
アパッチの前に集まった4人は、改めてフライトの概要を確認する。
「何か質問はある? ない方が嬉しいけど」
「はい。機長はあたしとジェシー、どっちがやればいいの?」
レネが手を上げて、アンバーに質問する。
アパッチのクルーは、パイロットとガンナーのどちらでも関係なく、階級が高い方が機長になるという決まりになっている。
「もちろん、ジェシー君よ」
「えっ、俺ですか?」
ジェシーは驚いて、自分を指差してしまう。
「そうよ。そういう訳でレネちゃん、フライト中ジェシー君の言う事には絶対に従う事。いいね。絶対に」
アンバーは、絶対に、という言葉を強調して指示する。
明らかに逆らう事をわかっているかのように。
無理もない。以前のフライトでは、パイロットの指示を無視してまでジェシーを助けに行き、大暴れしたのだから。
「了解。よろしくね、ジェシー」
だが、意外にもレネはすんなりと受け入れ、ジェシーに笑みを向けた。
あ、うん、とジェシーは生返事で答えてしまう。
大丈夫なのかな、と少し不安になったせいか。
「教官、自分も1つ質問が」
続けて、ハルカが手を上げる。
アンバーは面倒臭そうな表情を見せたが、渋々受け入れる。
「え、まだあるの? どうぞ」
「この荷物は、どうすればいいのでしょうか?」
途端、げ、と言わんばかりにアンバーは目を見開く。
「あ、忘れてた」
「忘れてたって――しっかりしてください教官」
「ごめんごめん。その答えは――えーっと……」
途端、辺りを見回して何かを探し始めるアンバー。
どうしたんですか、というハルカの問いも無視して。
そして。
「いた! あそこにあるわ!」
アンバーは、自身の右側を指差した。
その指先を、他の3人が揃って追う。
すると、本来このヒルデ基地にいないはずのヘリコプターが1機、駐機しているのが見えた。
ローターが2枚前後に付いた、箱のような独特なシルエット。
緑と茶の迷彩塗装で塗られた胴体には、『Royal Thrusian Air Force』と書かれている。
もう見間違えようがなかった。
「空軍のチヌーク……?」
ジェシーが、その名前を口にした。




