セクション09:怖い思いをさせたくない
「アパッチが人を撃ってる映像?」
レネが、その言葉をオウム返しする。
ジェシーは、やや顔をうつむけて、語り始めた。
「俺は見ちゃったんだ、たまたま動画サイトにアップされていた、その映像……ひどかったよ。アパッチの銃撃を受けた人は、木端微塵に砕け散るんだ。赤外線映像だから血は見えないけど、それでも――」
むごいものだった。
そうとしか言えなかった。
ジェシーが見たその映像は、とある戦場でアパッチのセンサーが記録したものだった。
隠れ場を求め、逃げ惑う人。それが兵士なのかどうかは、判別できない。
それを容赦なく飲み込む、30ミリ機関砲の銃撃。
残された、無残な光景。
今でも、思い出す度に吐き気が出そうになる。
あの白黒の映像に、色が付いたらと想像してしまうと。
アパッチのガンナーは、どんな心情でトリガーの引いたのかと思うと――
「まあ、あれは元々対装甲車用だからね。人に当たったらそりゃオーバーキルになるわよ。それに、機関砲って相手の頭を下げさせるために使う武器だもん。隠れもしないでしないで当たりに行った方が悪いって事よ」
しかしレネは、相変わらず平然としている。
それどころか、銃撃を受けた人に非があるとまで言っている。
知らない人が聞いたら、人の命を何だと思っているんだ、と文句が来そうな言葉。
ジェシーもそう思っていない訳ではないが、それを口にする事はなかった。
「あのような事を、君がする事になるかもしれないんだよ、レネ?」
「……だから?」
そんなの当たり前でしょ、と言わんばかりに答えるレネ。
「ジェシーが酷い目に遭うくらいなら、あたしはそうするわ。ジェシーを守るためならあたし、人殺しになっても構わないもん」
さらに、そんな言葉を笑みながら平然と言ってみせる。
その言葉を、ジェシーは否定できない。やり方は過激でも、純粋な善意だから。
ああ。やはりレネに、躊躇いはない。
彼女は、手段として人を傷付ける事を躊躇わない。
だからこそ――
「レネは、やっぱり怖がりなんだね……」
「え?」
「俺は、レネに人殺しになって欲しくない……笑っていて欲しいんだ……」
代わりに口から出たのは、そんな本音だった。
そして、本能的にレネの両手をぱっと取っていた。
「……あ」
「ねえレネ、もし俺が学園を退学するって言ったら、一緒に退学してくれる?」
真っ直ぐレネの赤い瞳を見つめて、ジェシーは問う。
レネはその視線に戸惑い、頬を若干赤らめてしばし視線を泳がせる。
意外にも、レネは退学という単語そのものには驚いていなかった。
「……あ、あたしと一緒に退学して、どうする気なの?」
「逃げるんだよ。レネが怖がらなくてもいい世界に」
「……何かそれ、駆け落ちみたい」
「確かに、そうかもね……」
駆け落ちと言われると、少し恥ずかしくなりジェシーは僅かに視線を逸らす。
だが。
「でもごめん、無理」
レネはあっさりと、ジェシーの問いにノーを突き付けた。
反発や不快さを感じさせないその笑みは、混じり気のない純粋なものだった。
「……え?」
「ジェシーが心配してくれるのは嬉しいけど、あたしは逃げたくないの」
レネはジェシーの手を解き、背を向けて曇った茜色の空を見上げる。
「逃げるくらいなら、強くなりたい。だからあたし、パパのやり方は嫌いだけど、この学園に入れてよかったって思ってる。軍に入れたら、ジェシーを守れる本当の騎士になれるから」
風が吹いて、レネのメッシュ入り銀髪が横になびく。
ジェシーを守る。
その言葉に、ジェシーはどきり、と胸が高鳴ってしまった。
「ダ、ダメだよ、レネ……騎士は、国を守るものだよ……不謹慎だよ……」
「え? 好きな人1人守れない人が、国を守れる訳ないと思うけど?」
肩越しに振り向いたレネに、さらりと言い返される。
その純粋な笑みを前にして、ジェシーは何も反論できない。
彼女は、純粋に自分の事を想っている。それ故に、昼間のような騒動を起こす。
これがあるから、ジェシーはレネの事を憎めない。
レネが、ただの乱暴者ではない事を、知っているから。
「レネ……いいんだ、俺の事で、そこまで――」
「じゃあジェシー、あたしの事守ってくれるの?」
レネが、試すように鋭く指摘する。
その赤い眼差しはいつになく真剣になったように見え、ジェシーは一瞬怯んでしまった。
「う……」
答える事ができず、返答に迷うジェシー。
だが、それを見たレネは、すぐさま表情に笑みを取り戻した。
「だからいいの。ジェシーがそういう柄じゃないって言うのは、わかってるから。ジェシーは何も悪びれる必要なんてないの」
「で、でも……」
「あたしは大丈夫だから、退学するなら1人でして。寂しくなっちゃうけど、ジェシーがここ向いてないって本気で思ってるなら、止めないから。その代わり、ちゃんと手紙送ってよね。あ、でもそうしたら遠距離恋愛になっちゃうのか……なんかそれはそれで複雑かも……」
まるでレストランで注文するメニューに迷うかのように、つぶやきだすレネ。
ジェシーの胸に、何か熱いものが込み上げてくる。
ダメだ。
この程度の事で、退学が決心できないなんて――!
「……なら、やっぱりできないよっ!」
気が付くと、ジェシーはレネを素早く抱き寄せていた。
彼の突然の行動に、レネが戸惑う。
「あっ、ちょ、ジェシー!?」
「俺は、レネの事が心配なんだ……レネは怖がりだから……俺がいない所で、何かに怖がって乱暴な事するから……レネが留まるって言うなら、退学なんて、できないよ……っ!」
レネの後頭部に右手を回し、強く方へと抱き寄せる。
触れ合う頬が、暖かい。
だがそれは、すぐに引き剥がされてしまった。
レネが、恥ずかしがって自ら肩を押して離れたのだ。
「ジェ、ジェシー、う、嬉しいけど、こんな所で――あっ」
その赤く染まった頬に、右手を当てる。
ごく自然に出た行動だった。
途端にとろけた表情になってしまったレネを、ジェシーは再び引き寄せる。
今度はゆっくりと。その赤い目を見つめながら。
「う、うう、ダメ、よ、じぇしぃ……」
その煽情的な声を出す口を、ジェシーは自らの口で塞ぐ。
「む、うう……」
レネはすんなりと、目を閉じてジェシーの口付けを受け入れていた。
同じく目を閉じたジェシーの胸の内にあるのは、ただ1つ。
怖がりなレネを1人にしたくないという、愛おしさだけであった。
* * *
夜も更け、月明かりのみがかすかな明かりとなっている寮の寝室。
そのベッドの中、ジェシーとレネは互いに生まれたままの姿で横に抱き合っていた。
レネはジェシーの腕の中で、すやすやと寝息を立てている。
自らの手を添えたジェシーの手を、頬の下に敷く形で。
だが、そんな寝顔を見つめるジェシーの顔は、穏やかではなかった。
「俺は、レネに怖い思いをさせたくない……」
静かに、つぶやく。
暴力的になる人は、人一倍臆病な心を持っている。
例えば、見くびられたくないとか、恥をかきたくないとか。
そんな恐怖を奥底に抱えているから、乱暴になる。
ジェシーはそれを知っているから、レネの性格を受け入れられている。
だから、レネが怖い思いさえしなければ、乱暴な事をさせずに済む。
そう思ってはいるのだか。
「でも、俺は強くない……」
自分は弱い人間だ。
人を傷付けるどころか、物を壊す事さえできない。
レネのように、誰かのために戦う事はできない。
昼間ハルカが言ったように、どうしようもないくらい弱虫なのだから。
――じゃあジェシー、あたしの事守ってくれるの?
自分はあの問いに、答える事はできなかった。
できるなら、守りたい。
でも、そんな力は、自分にはない。逆に守られてばかりだ。
そんな自分が、どうやってレネを安心させるというのか。
「どうしたら……どうしたら……?」
ジェシーの自問自答は、自身が自然と眠りに落ちるまで続いていた。




