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第6話:和食バンザイ

 暖かな食卓。

 そこには燦々と降り注ぐ陽の光と、喜びが満ち溢れていた。


 純白のクロスにはシミひとつなく、太く長いテーブルの先は遥か彼方へと伸び続いている。

 落ち着いた飴色の木製椅子に腰掛けた客は皆、貴賓一等の場に相応しい礼装に身を包み、そんな紳士淑女然とした人々が狂喜の悲鳴を上げていた。

 その中の一群。


「う、美味いッ!」

「な、なんですの、この深い味わい!」

「……こんな美味、私は知らない」


 一口頬張るごと、思い思いに感動を叫ぶ仲間たち。

 アルレンサ、ソマリ、オデット。

 それは普段、礼儀正しい彼女らにしては、とても珍しく取り乱した姿だった。


 だが、それも無理もない話だ。

 なぜなら、彼女たちは至高の料理――――『和食』を食べているのだから。


 あっという間に料理を平らげ、空になった皿を前に逡巡する事しばし。

 物欲しげな目でこちらを見て、とうとう彼女たちは虚飾を脱ぎ捨てる。


「……ヤマト、おかわり」

「あの……わ、私も」

「こちらもお願いする!」


 せっつくような「おかわり」の荒波に苦笑しながら、俺は再び器を料理で満たしてやる。

 すると彼女たちの表情は、途端に晴れやかな笑顔へと様変わり。

 さらに満たされた皿を前にがっつきながら、恍惚の表情を浮かべ、また料理を口に運んでは深く吐息を漏らしている。


「……こんな料理、初めて食べた」

「本当に。コレと比べたら今まで食べてきた料理なんて……」

「うむ! 残飯に等しい!」


 多少、暴言にも聞こえる意見。しかしそれもまた素直に感想を述べたまでに過ぎない事を、俺はよく知っている。

 和食とはそれほどまでに魅惑的で、人の価値観を一変させる魔力を秘めている。

 仕方がない事なのだ。


 いつもの少食っぷりはどこへ行ったのか、ソマリは少し目を離した隙に再び軽々おかわりを平らげるや、俺の服の裾をぐいと引っ張った。


「どうした?」

「……桑園の図書館の一員として、この料理のレシピ開示を要求する」


 持って回った言い方だが、とどのつまり料理の作り方を教えてくれ、と言っているらしい。

 だが、その言葉に隣席の仲間たちが慌てふためいた。


「ソ、ソマリさん!? ズルいですわよ!」

「そうだ! 我々にも交渉する権利がある! ヤマト、我が国には多少の財貨を提供する用意がある。だから――」

「こっ、こちらも貴方が望む物を用意します! ですから、レシピを……」


 気がつけば彼女たちだけでなく、その場に居合わせた全ての人々がこちらにすがるような目を向けてくる。

 いつになく色をなくした面々は、今にも互いに掴みかからんばかりに興奮していた。


 それまでの平和な雰囲気は一変し、さながら戦場のようにお互いを睨み合いながら権利を主張する。

 しかし、その騒乱も一瞬のどよめきの後に収まった。俺が静かに手を差し伸べて、その動きを制止したからだ。


 彼女たちは大きな勘違いをしている。俺はそれを正してやらねばならない。

 俺は無言で首を振り、彼女たちの提案を一蹴した。


「ああ……」

「そんな……」

「なんてこと……」


 この一言に顔面蒼白。目を白黒させて嗚咽を漏らす彼女らの瞳はすでに光を失っていた。

 それは明確な絶望だった。

 だが、それもわずかな間。


「お前ら、何を勘違いしている?」


 俺の声が、まるで時が止まったように静まり返った部屋に反響した。

 誰かの息を飲む音だけが切実な時の経過を知らせ、俺の声が再びその静寂を打ち破る。


「……『和食』ってのは、誰のものでもないんだぜ?」


 それはまるで闇に閉ざされた世界に光が差したようだった。

 次の言葉を待ちわびる人々の顔にみるみる希望の火が灯っていく。

 俺はこの貧しき食事に囚われた、哀れで慈悲なき異世界に向かって高らかに宣言する。


「当然! レシピは無償で公開するに決まってるだろぉッ!」


 途端、嵐のごとく巻き起こる拍手喝采。

 客は半狂乱になって詰め寄せ、俺の手を我先に奪い合いながら握手を求めては涙を流す。

 後ろでは従者たちが互いに抱き合い喜びにむせび泣き、給仕たちはどこから持ってきたのか、花を撒き散らしながら仕事も忘れ、歌い、踊り出したではないか。


 共に感動を分かち合えた喜びに感極まっていると、ふいに地面が揺れた。

 一瞬、地震かと焦ったがそうではない。

 それを証拠に地響きと共に聴こえてきたのは民草の声。

 やや遅れて俺の宣言を耳にした庶民が口々に叫んでいる。


 バンザイ。

 和食バンザイ。


 人々の叫びは大きなうねりとなって、たまらず部屋を飛び出した俺の肌に痺れるような熱風となって叩きつけられる。

 眼前一杯。果て知れず続く人山が思い思いに叫び、あるいはその興奮を足踏みで表して大地を揺らしていた。


 バンザイ。バンザイ。

 和食バンザイ。


 人々のあくなき和食への願い。

 その純粋な思いに、俺は応えねばならない。

 両手を挙げてその思いに応えると、一群が波を描いて気炎を上げる。


 これだ。これこそが俺の求めていたものだったのだ。

 無から銀河が生まれたように、今ここに和食によって世界は再誕したのだ。

 

 さて、そんな新世界の住人たちに何を振舞ってやるべきか。この大人数だとシンプルな鍋料理がいいだろうか。

 そんな風に大きな満足感に浸りながら献立に思いを馳せていた最中。


「兄ちゃん!」

「兄様!」


 ふいによく聞きなれた声が耳に届いた。

 振り返り、俺は唐突に現れた小さな二つの影に笑いかける。


「ああ、お前らにも美味いもん食わせてやるからな。安心しろ。――――サラ、ゾラ」


 お揃いの紺のローブを身にまとい、鏡合わせのように立つ双子の姉妹。

 二人の名は、サラとゾラと云った。


 その類稀な魔法の資質に目をつけられ、かつては魔王によって祖国を滅ぼされた悲劇の王女たち。

 しかし、二人はそんな辛い過去を感じさせず、日々をたくましく、周囲に笑顔を振りまいている。


 その幼い見た目とは裏腹に、俺と共に戦場を駆け抜けてくれた歴戦の勇士であり、かけがえのない仲間たちでもあった。

 二人揃って大人顔負けの魔術師で、劣った身体能力を補って余りあるその素養には、窮地を救われた事さえ数え切れないほどにある。


 だが、やはりその内面はまだまだ子供だった。

 こうして会うたびに俺の足元に駆け寄ってきては頭を撫でてくれとせがんでくる。

 俺もそんな二人をまるで実の妹のように可愛がってきた。

 いつものように頭を撫でてやろうと歩み寄る。しかし、どうにも二人の様子は変だった。


「……おい! 兄ちゃん、死ぬな!」

「……兄様! 兄様! 目を覚まして!」


 二人はこの晴れがましい舞台にふさわしくないほどに鬼気迫る様子で叫んでいた。

 「死ぬな」とはおかしな事を言う。むしろこれから世界は生まれ変わり、新しく光に満ちた世界へと……。


「…………光?」


 何故だろう。辺りを包んでいた神々しい光を仰ぐと、出し抜けに頭痛が走りだした。

 いけない。なぜだか皆目見当もつかないが、この光を見てはいけない気がする。

 無意識に本能がぐわんぐわんと警鐘を鳴らすのだが、しかし視線をそらす事が出来ない。

 光は次第に強さを増し、周囲の風景を白く染め上げていく。


 そして世界は唐突に暗転した。





  ■  ■  ■






「おおっ、起きた!」

「兄様……! 兄様……!」


 重いまぶたを開くと、心配げに覗き込む愛らしい双子の姿が見えた。


「…………おはよう、サラ、ゾラ」


 ぼやけた景色が徐々に像を結ぶと、床一面の赤が目に飛び込んでくる。

 俺は血だまりの中に倒れていた。一体全体、何が起きたというのか。

 その脇で懸命に回復呪文を唱えていたと思しき二人の表情にも、わずかな安堵の色がにじむ。


「兄様……よかった、兄様」

「おはよう! 兄ちゃん!」


 かたや快活に挨拶を交わしながら、かたや頬に玉の涙を転がして俺の無事を喜んでくれている。

 見慣れた双子の笑顔を見て、俺はなんて仲間に恵まれているんだろう。そうしみじみと思った。

 しかし、そうやって天に感謝しかけたところで、ようやく自分が置かれた状況を理解して思わず天に唾を吐く。


 何が仲間だ。何が戦友だ。

 胸の内に抱えた泥が煮えたぎるようだった。

 顔面に降りかかる唾を物ともせず、俺は今、自分が置かれているこの状況を呪った。


「あんの、クソアマァ…………」


 対人に使用するにはあまりある、あの封印すべき絶技を、事もあろうに仲間であったこの俺に向かって躊躇なくぶっ放しやがった。

 緊急回避スキルを発動させ、かつ回避魔法を同時展開できる俺でなければ確実に死んでいた。

 いや、この俺ですら危機一髪だったと言うべきか。

 本当に危うかった。一瞬の判断が遅れていれば、今頃は救助を待つまでもなく光の粒になってこの世から消滅したところだ。


 なぜだ?

 なぜ俺がこんな目に遭わなければならない?

 俺はただ皆に美味しい料理を食べてもらいたかっただけなのに。

 

 改めて言うまでもないが、とてつもなく、健全にして善良極まった動機である。

 その純粋さはもはや天使の域にまで踏み込んでいると言ってもいい。

 そうか。俺は天使だったのか。


 冗談はさておき、そんな俺を虐げる連中は悪魔以外の何物でもない。

 神の施したる和食をみんなの元へ届ける使命を邪魔をする悪魔ども。

 ――――悪魔は、どうすべきなのか。

 そんなものは決まっている。

 

 この体にみなぎる熱量はもはや天命と呼ぶべきものなのかもしれない。

 ぐらぐらと煮えたぎるマグマのような感情が俺の体を支配しつつあった。


 だが、そんなマグマに一滴の冷水が降りかかった。


「……お兄様、おかわいそう」

 

 それはサラが流した一粒の涙だった。

 サラは俺の頭を抱きかかえるようにして、音もなく泣いていた。


「辛いことがあったのですね。何があったのかは知りません。でも、お兄様の悲しそうな顔を見ていると……」


 俺の深い悲しみを知るように。

 俺の代わりに泣くように、サラは泣いてくれていた。

 その瞳から零れ落ちる涙が、火照った肌を冷やしていく。


「兄ちゃん、痛いのか? 辛いのか?」


 その横からゾラが心配そうに覗き込んできた。

 いつも満面の笑顔を今日は曇らせて、傷の治りきった体を遠慮なくペタペタと触ってくる。

 ゾラの心配をよそに、二人が懸命に治癒魔法をかけてくれたお陰で俺の体にもはや大きな傷はない。

 そして、残された心の傷も、この二人が癒してくれたようだった。


「…………すまん、もう大丈夫だ。ありがとう、助かった」


 告げられるだけの感謝の言葉を並べて、俺はひどく謙虚な気持ちになる事が出来た。

 俺はいつもこうだった。

 

 時折、こうして追い詰められると感情が爆発してしまう。

 暴走するたびに事態を悪化させ、周囲に迷惑をかけ続けてきた。


 思い返してみれば、その都度、この双子が最悪の方向へと向かって暴走する俺を瀬戸際で引き止めてくれていたような気がする。

 ガルンベ城での一件でも仲間たちと喧嘩別れしかけた俺を引き止めたものは、この双子の涙だったではないか。

 二度と元の世界に戻れないと知って絶望した時、健気にずっと慰め続けてくれたのもこの双子の笑顔だっだじゃないか。

 つらつら記憶をたぐっていくと、サラとゾラがまるで天啓の如く、その場に居合わせ、俺を立ち直らせてくれた。


 天使はこの俺などではない。

 この二人こそが、俺にとっての天使だったのだ。


「お兄様、立てますか?」

「兄ちゃん、いけるか?」

 

 共に小さな手を差し出して、導く二人の姿はまさに天使そのものだ。

 思わず滲んだ涙を拭うと、俺は二人の手を借りて立ち上がった。

 驚くほどに身が軽い。それまで腹に飲み込んでいた燃える鉄の塊が失せたような爽快感。

 熱く、煮えたぎるマグマのようだった感情の荒波は、もはやどこかへ消え去ってしまっていた。

 

 今日一日の中で起こった悲劇はもう忘れるべきだろう。

 そんな考えが湧くほどに俺は穏やかになっていた。

 冷え切ったマグマが強固な岩壁となって、俺の内面に驚くほどの静けさを取り戻させていた。


 だが。

 俺はその奥から、別のマグマが噴き上がる音を聞いた気がした。


 厚く頑丈な岩壁に亀裂が走り、また新たなマグマが湧き上がる。

 心は晴れた。しかしその晴れ空にはいまだ巨大な炎の塊が燃え盛っていた。

 

 俺は祈るような気持ちで言った。


「なぁ、二人とも。――――ハラ減ってないか?」

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