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第5話:白銀の騎士・オデット(後)

 そりゃあもう、わんわんと。

 道端で女の子が無遠慮にぐずるように、オデットは泣きわめいていた。


「ひど、ひどいよ……」

「えっ……」

「だって、ヤマト、トウフの味いっぱいするって……いって、いってた、のに……」


 グズグズ鼻を鳴らしながら、オデットの涙が止めどなく食卓に降り注ぐ。

 当然だが、こんなオデットを見るのは俺も初めてだ。

 どう対応していいかも分からず、べそべそと語る愚痴に黙って耳を傾ける。


「……味、しない、んだもん……だって、味……あっ、あ゛あああああぁ!」


 ……なんだか今更、俺がとても酷い事をしてしまったかのような罪悪感に苛まれてきた。

 俺は悪くない。この女の馬鹿舌が悪い。


「……ひっ……ひっぐ、みんな褒めてくれたんだもん。あたし、味いっぱい分かるって、褒めてくれたんだもん」

「あのなぁ、オデット」

「……ヤマト、がっ……!」

「はい」


 はいはい。女を泣かした俺が悪いです。全面的に俺が間違っておりました。

 だから泣き止んでくださいお願いします。


「ヤマトの作る料理、よくわかんないよぉ……まずくないけど、おいしくもないんだもん……分かんないんだもん……」


 不味くもないが、美味くもない。

 振り返ってみればオデットの感想はその一点に集約されていた。

 

「……こんなんじゃ、これから一緒にやってけないよぉ……」


 ――――その一言で、俺は憑き物が落ちたように冷静になれた。


 何も分からない。それでもオデットは和食を、俺の作った料理を理解してくれようと努力してくれていた。

 ひょっとしたら、頭に血が上っていたのは俺の方だったのかもしれない。


「……悪かったよ」


 俺は心から謝罪した。

 オデットは一度も和食を侮辱してなどいなかったのだ。

 彼女は大切な仲間だ。なのに、俺は彼女をここまで追い詰めてしまった。


「……ひっ、えっ、ぐ」

「悪かった。もう豆腐は食わなくていい」


 俺は何を焦っていたんだ。

 和食の素晴らしさは不動不変。今、この場で失敗したからといってその価値を損なうものではない。

 いずれ世界中にその素晴らしさは知れ渡る。これは運命を通り越して必然とすら言える真実である。


「……俺が悪かった。だからもう泣き止んでくれ」

「ん、んっ……」


 思い返してみれば、アルレンサやソマリとも、もっと落ち着いて話し合えば分かり合えたのかもしれない。

 ひょっとしたら、ここまでの騒動は全ては俺の焦りが生んだ無用な衝突だったのか。


「本当にすまん」

「……すまない。私も……その、取り乱した」


 俺がひとしきり反省し終えると、オデットも心の整理がついたようだった。

 いつもの毅然とした姿……からは程遠いものの、涙を拭いながら口調はいつもの慣れ親しんだものに戻っていた。


「…………」

「…………」


 しばし、互い気恥ずかしさから無言になっていた。

 俺はつい怒鳴り散らしてしまった事が恥ずかしいし、オデットも幼稚な素顔を晒した事が恥ずかしいのだろう。

 お互い様、と言いたいところではあるが等価ではないか。明らかにオデットの方が醜態を見せてしまっている。

 ここは男としても勇気を持って場の空気を和ませるべきだった。


「……でもお前、『びえーん』はないだろ、『びえーん』は」


 嫌なことはさっさと茶化して笑い話にしてしまうに限る。

 これもかつてガルンベ城での大喧嘩で学んだ、オデットとの付き合い方というやつだった。


「……あ、はは、面目ない。…………実は私は、泣き虫なんだ。一人の時はいつも泣いていたような気がする」

「そうだったのか」

「うん、そうなのだ。……ガルンベ城の一件は覚えているか?」

「ああ、覚えてる」

「あの時もそうだった。ヤマトにひどいことを言われて、『男女』呼ばわりされて、ずっと部屋で泣いてた」


 思いがけぬ告白に俺は言葉を失った。

 互いに角を突き合わせ、言いたい放題に罵詈雑言をぶつけあった。

 しかし対等に喧嘩をしていたつもりが、オデットは俺が思っていた以上に深く傷ついていたのだ。

 呆然とする俺に、オデットは笑った。


「実は平和を取り戻して数人から求婚されたが、本当に私自身に魅力を感じてくれているのか疑わしく思えてしまった程だ」

「す、すまん。オデット」

「いや、私もヤマトにひどいことを言ったからお互い様だ」


 オデットはそう言うが、俺はあの時、何を言われたのか全く覚えていない。

 交わした言葉も所詮は口喧嘩の範疇だったし、そこで出た単語は誹謗中傷にすら値しない些細なものだったはずだ。

 なのに、俺の言葉は今もオデットの心に刺さっていた。


 何が仲間なものか。

 人知れず悩み苦しんだオデットの心中を察する事なく、俺はすっかり彼女と和解したつもりでいた。


「本当にもう気にしてないんだ」


 だがオデットはなおも気丈に笑った。

 その屈託のなさに、逆に俺の方こそが励まされているようにも思えてくる。

 事実、続いた言葉が俺の、そしてオデットの救いとなった。


「あの一杯の、ヤマトが作ってくれた一杯の『ミソシル』を見て、私は自信を取り戻せた」


 あの一杯の味噌汁が。

 和食。

 嗚呼、和食。

 我知らず傷つけた彼女の心を、和食が優しく癒し、その魂を救ってくれていたのだ。


「……ヤマト、なぜ突然、祈りを?」

「いやなに。どうやらまた和食の神髄に触れちまったようでな」


 その慈悲深くも暖かい御手に、俺は深く感謝を捧げた。

 思わずこぼれ落ちそうになった涙をぐっと堪える俺を横目に、オデットは続けた。


「……まぁ、とにかくだ。お前の作ってくれた料理で私は立ち直ることが出来たんだ。だからもう気にしていない」


 俺が傷つけて、俺が、ひいては俺の作った和食が癒した。

 なんだかマッチポンプで奇妙な感じではあるが、当人が納得しているなら口出しする意味はない。

 

「これから一生かけて、自分の弱虫も治していこうと思う。ヤマトとなら……それが出来る気がするんだ」

「オデット……」


 オデットは頬を桜色に染めながら決意を述べた。

 その尊さに、俺は改めてオデットという素晴らしい『仲間』を得た事に感謝した。

 そうとなれば俺も負けてはいられない。たとえこの生涯を賭したとしても、和食をこの世界に広めてやる。

 

 大丈夫だ。どれだけ辛い試練が待ち受けていようと、俺には支えてくれる『仲間』がいる。

 オデットと一緒なら、どんな厳しい道程も乗り越えていけるはずだ。

 俺たちの戦いはまだ始まったばっ――――。



「それでヤマト、結婚式はいつにする?」

「………………は?」


 かくして壮大な序章が幕開けんとしたその時、オデットが奇妙なことを言い出した。

 結婚? 

 誰と誰が?


「急かすつもりはないのだが、私にもお前にもそれなりの立場というものがあるのだから、出来るだけ入念な準備をしておく必要が……」

「なぁ、オデット」


 先ほどまでの狼狽っぷりが嘘のように滑らかな舌回りのオデットに、俺は問うた。


「なんだ?」

「お前、結婚するのか?」

「ああ」


 そいつは知らなかった。

 めでたいな。それにしても水臭い。教えておいてくれても良さそうなものだが。


「誰と?」

「お前と」

「そうか」

「そうだ」


 …………。

 ……何を言っているんだ、こいつは。


 俺とオデットが、結婚?

 あまりに脈絡のない展開に、頭がどうにかなりそうだった。

 ひょっとすると和食の神が俺に更なる試練を与えんと人類の言語を九つに分けたのではないかと思ったが、どうやらそうではないらしい。

 

 しかし、結婚? 俺と、オデットが?

 思い浮かんだ光景はタキシードに身を包んだ俺と、その横で豆腐のように純白なドレスを身にまとったオデット。

 一切合切、現実味のない光景に俺は苦笑した。まったくもって何かの冗談だろう。

 

「いやいや、ありえねーだろ。和食の「わ」の味すら分からん奴と結婚なんかできるか」


 冗談には冗談。軽口には軽口で返す。

 そうやって俺とオデットはあの辛い戦いの日々を乗り越えてきたのだ。

 

「だいたい俺とお前の年の差を考えろよ。お前、今年でいくつよ?」


 定番の年齢ネタでイジって、向こうもキツめの悪口で返す。

 そして二人で大笑い。


「…………」


 大笑い。

 になりませんね。

 はい、なぜかオデット嬢は裏切られたペモヌモスのような顔でこちらを見ています。

 

「…………」


 あ、ペモヌモスについて解説が必要ですね。

 ペモヌモスはこの世界の古い民話に登場する人物で、オークの糞を神から授かった調味料と勘違いしていたのですが、最後に真実を明かされてビックリ仰天するというオチの滑稽譚です。

 これはおそらく、人によって物事の価値が変わるという教訓を物語に置き換えた一種の寓話で、この世界ではよく知られた話らしく、俺も最初にこの話を聞いたときはそれはもう腹を抱えて。

 

「ヤマト」

「はい」


 オデットの目がマジだ。

 こんな目をしたオデットは見たことがない。


「お前、私と結婚する気がないのか?」


 今更こんな事を言うのも恥ずかしいのだが、オデットは掛け値なしに美人だと思う。

 明け透けな性格でまるで男友達のような付き合いをさせてもらっているが、十分に魅力的な女性だとも認識している。

 ふいの笑顔にはドキリとさせられる事もあるし、おっぱいも大きいし、金色の髪はふと触りたくなるくらい綺麗だし、おっぱいも大きいし、気持ちのいい性格をしているし、おっぱいも大きいし、良い匂いがするし、おっぱいも大きい。


 本音を言えば、オデットとセッ……結婚したいという気持ちがない訳ではない。

 ――――しかし、俺には大望がある。


「はい」


 今はこの世界に和食を布教する為の、大事な時期。

 身軽にこの食の貧しき世界を駆け巡り、豊かな和食の息吹を根付かせなければならない。

 和食にこの身を捧げた男に、家庭を持つ余裕も、資格すらも存在しようがなかった。


「すまんオデット、分かってくれ。俺は和食のために……」


 俺はこれまでの失敗を反省し、『仲間』を信じることにした。

 何が彼女を誤解させたのか分からないし、何がどうなってこんな無用な衝突が起きたのかは分からない。

 しかし、話せば理解してくれるはずだ。いつだって心を開けば、通じ合える。

 だって俺たちは『仲間』なんだから。


「――――――こ」


 ……こ?

 オデットが固く閉ざした口を開いた途端、俺の視界が謎の光に包まれた。

 この光には、見覚えがある。


 ここで唐突だが、オデットにまつわるエピソードをひとつ御紹介したい。

 

 オデットは騎士鎧をまとったその姿からも分かるように、巧みな剣技と体捌きを用いて敵をなぎ倒す剣士であった。

 その腰に帯びた名剣は、ひとたび抜き放てば光の軌道を描きながら輝く一条の閃光となって敵を討つ。

 その威力は凄まじく、かつて死闘を繰り広げた十大激烈魔将の一人にして魔剣豪・ミヤモトモサシが見事に頭から真っ二つの最後を遂げた時には、味方ながらにゾッとしたものである。


 魔王を封印し、全ての魔物との戦いが終わった後、俺は冗談めかして言った。

 お前の剣技があれば世界も征服できるんじゃないか、と。

 オデットは苦笑しながら言った。

 ――――これは人に向けて使うべき技ではない。これからはこの剣を抜く事は二度とないだろう、と。


 ここまで説明すれば、お分かりだろう。

 かつて見た、破壊の光が俺に迫っている。

 オデットさん、それ、人に向かって使わないはずじゃなかったですか?


「婚約は解消だああああああッ!!!」

 

 もちろん、そんな問いかけをする余裕はなく。

 俺は意識は光の中に消えていった。

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