第3話:白銀の騎士・オデット(前)
唐突だが、この世界には実に様々な人種が存在している。
その中で意思疎通が可能な知的生命体という条件に限ったとしても、それでもその種類は雑多と表現するにも余りある程だ。
世界中を巡ったこの俺が出会った人々ですら、この世界においてはほんの一握りの人種に過ぎないのだと云う。
そしてそれらはそれぞれが独自の文化を形成しており、その趣味嗜好、味の好みというものも様々だった。
俺は自らの調査不足を呪った。
詳しく調査を行ったわけでもない。しかし俺と彼ら、異人種の味の好みも大きく異なる可能性についても考慮すべきだったのだ。
つまり、先だっての失敗は、異人種ごときに人間さまの食事を与えてしまった事に尽きる。
犬や猫にワゴンの安肉と霜降り和牛の違いが分かるはずもなく、そもそも俺は大前提で間違いを犯していたのだ。
しかし、その点において、次の客は安心だ。
何しろ(おそらく)俺と同じ生態系の人間種。
比較的、元いた世界に近い文化、感覚の持ち主で、俺の仲間のうちでも際立った常識人。
彼女になら和食の素晴らしさが伝わるに違いない。
だが、しかし。
それでも先だっての失敗が尾を引きずっていた。
和食における主食。冠番組のメイン司会者である『お米様』に対し、恐れ多くも「虫の塊」などと表現した愚か者たちにはいずれ神罰が下るだろう。
あのような感覚はいずれも異人種どもの偏見であり、一般的感性で見れば『お米』は純白の至宝、見るものすべてを魅了する天からの授かり物である。
それでも俺は恐れていた。
もしも万が一、次にどこかの誰かが俺の目の前で『お米』をゲテモノ扱いした場合。
その時、俺は正気を保っていられるだろうか?
俺は知らなかった。この世界がこんなにも残酷で、歪つで、狂っていた事を。
まさか大多数の意見ではないだろう。あるいはあの無知な二人が特別に愚かだった可能性がある。
それでも俺は最悪の事態を想定しまう。
そうなった時、俺はどうなってしまうのか。
そうして俺はやむなく、お米は封印する事にした。
無論、相手が正常な感性の持ち主であるならばすぐにでも食膳にご登場願うのだが、念の為に、俺は断腸の思いでお米を献立から外すことにした。
画竜点睛を欠く食卓になってしまうが、それもやむを得まい。
代わりに俺は、次の料理は「攻めて」みようと思う。
それは和食の真髄。お米と等しく並ぶ、和食のレジェンドに白羽の矢を立てることにした。
実は、次にやってくる客は社交界でもその名をよく知られた人物だった。
この世界でも有数の優れた味覚を持つと称され、その評価を求めて多くの料理人が乞い集う食通としても知られた女傑。
それがかつて背中を預けた白騎士姫・オデットの世に知られたもう一つの姿だった。
旅の途中でもたびたび食事の話で盛り上がり、ガルンベ城ではそれがきっかけで大喧嘩に発展したこともあった。
あの時はオデットが作ってくれた鍋料理で卓を囲み、夜通し騒いで腹に溜まった鬱憤を出し合う事で互いのわだかまりを解消したものだった。
いつの日か平和になった暁にはお礼に俺の国の料理を振る舞おう、などと約束も交わしていた。
今日はその約束を果たす日でもある。
彼女になら、和食の繊細な味が理解できるだろうと信じている。
そして知るがいい。
この世界の低俗な料理はチンケなおままごとに過ぎず、今日この日から真の料理の夜明けが始まるのだと。
■ ■ ■
「やあやあ! 久しいな、ヤマト。息災だったか?」
朗らかに笑いながら、豪快にばんばんと肩を叩く。
全身を白銀の鎧に覆われた白騎士・オデットは今日も絶好調だった。
「元気だよ。しいて言えば、今、すげえ肩が痛え」
「そうか、そうか!」
聞いているのかいないのか、オデットはなおも肩を叩いてくる。
籠手を着けたまま無遠慮に叩くものだから本当に痛い。
しかし強く抵抗を示さず、なすがままにされているのは、これがオデット流の親しい者への挨拶だとよく分かっているからだ。
「それにしてもお前、昼餐に招かれて鎧姿ってのもどうなんだよ?」
一国の姫君に対して明け透けすぎる気もするが、これが俺たちの付き合い方だ。
仲間を通り越して、ほとんど悪友みたいなノリで気楽に付き合える。
それが高い身分にありながら一切気取ろうとしない、オデットの人徳というやつだ。
「ん? ああ、これか。失礼。実はついさっきまで封印の警護を行っていてな」
「……あ〜、アレか」
アレというのは、かつての戦で俺が死闘の果てに打ち倒し封印した魔王のことだ。
結局、聖剣をもってしても討ち滅ぼすことは出来ず、やむなく封印を施して眠りにつかせる結果となった魔王。
その管理についてはいくらか揉めはしたが、最終的にオデットの国が封印の監視を受け持つ流れで事は落ち着いた。
「とはいえ、封印は施したヤマトにしか解けないし、警護なんて言っても周囲を安心させる為のポーズみたいなものだよ」
「いやいや、ご苦労さんだぜ」
労いながらオデットの兜を受け取ると、長い栗色の髪が揺れ落ちた。
その仕草には見慣れた俺ですらドキリとさせられる。
豪放な性格に反してオデットの顔は繊細な造形で、思わず目を奪われる美しさがある。
既に結婚適齢期を迎えている為に今も次々に縁談話が持ち込まれているというが、それも無理からぬ話だ。
何より無骨な鎧を脱ぐと、簡素な鎧下姿でも隠しきれない豊満な胸部が目についてしまう。
いかんいかんとは思いつつ視線が吸い寄せられてしまうのも無理はない。
おっぱいには引力があるのだ。
仕方ないのだ。
「どうした? ヤマト?」
「なんでもない。ところでお前、あの約束は覚えてるか?」
とっさに視線を逸らし、俺は話をはぐらかそうとして、あの約束を持ち出した。
ところがこれが失策だった。
オデットは遠くを見るような目つきで朗らかに笑う。
「無論だ。無論だとも。あれは私の生涯において最高の思い出の一つさ。忘れようはずもない。あの時のアルレンサとソマリの顔といったら――」
「――オデット!」
アルレンサ。
ソマリ。
今は耳にもしたくない名前が、俺から輝かしい思い出と理性を吹き飛ばした。
今はあの二人の話なんて聞きたくもない。
そんな俺の剣幕を、オデットは静かに美しい灰色の瞳で射抜く。
しばしの沈黙。
それから少しして、オデットが根負けしたように深くため息をついた。
「…………何かあったようだな」
「いずれ話す。今はそういう気分じゃない」
「ヤマトは強情だから、どうせ喧嘩でもしたのだろう。しかし、あの二人とは不仲か…………」
そこで一瞬、眉をひそめてから吐き出すように。
「私にとっては好機なのかもな」とオデットは呟いた。
「どういう意味だ?」
「いや、こちらの話だ。それより、噂の料理の再現は上手くいったのか?」
今度はオデットが何かをごまかすように話を振り戻す。
俺も深く追求することを避け、むしろその話に飛びついた。
「ああ! 魔王を封印して早数ヶ月。俺はとうとうこの世界に『和食』を完全再現したぞ!」
「となると、ついに話に聞かされた、かの料理たちが味わえるわけだな」
「お前は本当についてるぜ。何しろアレはお前の為に作ったようなもんだからな」
そもそもこの世界で和食を再現しようと思い立ったのは、オデットとの約束があったればこそだった。
ゲテモノ料理が渦巻くこの世界に、和食という名の一条の光をもたらそう。
そう考えたのはオデットとの約束を交わしたあの日が始まりだったのだ。
様々な料理の中からまず第一に再現することに決めたのも、この約束の料理から。
そう考えてみれば、この崇高な使命に目覚めさせてくれたオデットは福音の伝道者である。
俺は心から感謝を述べたつもりだった。
「…………」
だが、当のオデットはそんな俺の顔を忽然と見つめながら上の空だった。
「おい? ……オデット?」
「ん、あ、あ、いや、その」
いきなりどうしたのか、オデットは顔を赤らめて挙動不審になった。
手をぱたぱたしながら、いつもの滑舌の良さはどうしたのか。しどろもどろになっている。
「そうか、そうか……私の為に……」
「ああ、お前の為だ」
そして俺の為だ。ひいては和食の為だ。
食界で並々ならぬ影響力を持つオデットが認めた料理となれば、各国で真似を始めるに違いない。
この女は優秀な広告塔だ。
いくら雑な舌を持つ愚民どもが和食を拒んでも、オデットが良いと言えば世評は簡単にひっくり返る。
だからこそ、オデットにはまず和食の真髄に触れてもらわねばならない。
俺は心中でほくそ笑みながら、その料理を食卓へと運んだ。
さあ、味わうがいい。
和の心。ふるさとの味。全ての魂が帰るべき根源のスープ――――『味噌汁』を。
■ ■ ■
「これが、ミソシル……!」
なんと美しい料理だろう。黄金色に輝く液体が器に満ちている。
その神々しさには器に配したこの俺ですら、思わずひれ伏したい衝動に駆られるほどだ。
本来ならここで一緒に白米にも登場していただく予定だったのだが、前述の通り、封印しているので卓には味噌汁しかない。
不完全である。片手落ちと言わざるを得ない。だが、それでも俺はこの神のスープ・味噌汁の神威を信じている。
これまでの白米の反応を見るに、どうも愚か者の目には美しき白米が、その、虫、というか、ややグロテスクに写ってしまうようだった。
一方、味噌汁はどうだろうか。一見して煌びやかに輝きながら、その底には安らかな森林奥深くに佇む巨樹に似た暖かみがある。
それにこの世界にもスープ料理は数多く存在しているので、皿に盛ってしまえば、さほど抵抗なく口に運ばせる事が可能だろう。
ハシではなくスプーンで提供している点には個人的に大いに不満だが、この世界では一般的な食器でないためにハシを扱える者もいない。
海外でもフォークやスプーンで和食を提供している店も多いと聞くし、そこは和食の寛大さに倣い、俺も臨機応変に対応すべきだろう。
さて、問題のオデットの反応は。
「……どうだ、オデット?」
「確かに嗅いだ事のない香りだ。だが、悪くない」
上々だった。
上々だよ、上々。見たか。これが食の分かる人間の反応ってものだ。
「たしか、ヤマトの世界ではこれを毎日のように飲むんだったな」
「ああ、最低でも毎朝一杯は飲んでおきたいな。日常的に食べる料理だからプロポーズに使われる事もある」
「ぷ、プロ、ポーズ!?」
俺の説明に、なぜか突然オデットは硬直した。
既に手に取っていたスプーンがぷるぷると震えている。
……どうやら美食を前にして待ちきれない御様子だ。
「たとえば『毎日、俺の為に味噌汁を作ってくれ』とかな。生涯を共にしてほしい、といったような意味の言葉になる訳だ」
オデットは味噌汁と俺の顔を交互に見つめると、急に晴れやかな笑顔になった。
どうやら味噌汁の偉大さというものがようやく飲み込めてきたようだ。
「ミソシルにそんな意が……でも、すぐに返事と言われても、その、あの」
返事? こいつは何を言っている。
ああ、そうか。なるほど。
「いやダメだ。すぐに返事してもらわないと俺が困る」
味噌汁の感想はすぐに、今この場でもらわなければ意味がないのだ。
俺は真剣な面持ちでオデットの顔を覗き込んでから、軽く頭を下げた。
「頼む。今この場で、返事がほしい」
「えっ、あっ、うう……」
「お願いだ、オデット。俺を男にしてくれ」
俺の真剣な願いが届いたのか、オデットは俺の手を取った。
そして、高らかに宣言する。
「……分かった! 私は、お前のミソシルを飲もう!」
網歴401年。オデット味噌汁宣言、頂きました。
俺は思わず目尻に涙をにじませた。
「ありがとう……オデット!」
「さあ、私はヤマトのミソシルを飲むぞ!」
「おお! 飲んでくれ!」
なんだか妙なテンションになってしまったが、当人にやる気があるのはいいことだ。
ついに世界に認められる食通でもあるオデットの審判が下ろうとしていた。
オデットの批評は竹を割ったように単刀直入、言い換えれば至ってシンプルなものであった。
「美味い」と言えば翌日にはその料理のレシピが飛ぶように世界を駆け巡り、「不味い」と言われれば翌日、料理人の店には閑古鳥が鳴くのだと云う。
だがその分かりやすさ故に、影響力は絶大だ。
俺は固唾を飲んでオデットの一挙を見守った。
オデットのスプーンは音もなく味噌汁の中をくぐり、優雅に主人の口元へと神の雫を運ぶ。
それは一枚の宗教画のようでもあり、まさしくそれは審判の時にちがいない。
そして、オデットの口から判決が下された。
「…………うん。よく分からない」
聞いたこともない判決だった。
「……オデット」
「……うん」
「お前、いつもみたいに『美味い』『不味い』って言えよ。なんだその反応、舐めてんのか」
「や、違う! 本当に分からないんだ!」
オデットはあらぬ嫌疑をかけられた聖人のように身振り手振りで説明を始めた。
それはそれで宗教画っぽいが、俺が求めていたものはそれじゃない。
「こんなの初めてなんだ。確かに複雑な味がするような気もするし、そうじゃない気もする。美味いとは言えないけど不味いとも言えない」
「……つまり、お前の口には合わなかったって事か?」
「……うん。せっかく作ってもらったのに、ごめん」
素直に謝られてしまっては、こちらも立つ瀬がない。
こうなっては仕方ない。冷静に状況を分析すべく、横から味噌汁を一口すすらせてもらった。
やはり味は完璧だった。完璧な味噌汁だ。
俺がいつも食べていた、味噌汁の、味で。
「あっ、そうか」
なんでこんな簡単な事に気がつかなかったのか。
この味噌汁は完璧だった。完璧に俺の家の味噌汁だったのだ。
「すまん、オデット。どうやら原因は俺の方にあったようだ」
「……どういう事だ?」
「この味噌汁って料理は、いわゆる家庭料理の一種でな。地域によって味付けが変わる料理なんだよ」
厳密に言えば、味噌汁とは同じ調理法を用いても各地域、どころか各家庭でそれぞれ味が異なる料理である。
俺は図らずとも自分の慣れ親しんだ味噌汁を再現してしまい、それがたまたまオデットの口に合わなかったのだ。
「つまり、料理が悪い訳ではなく、俺という料理人の問題だったんだな」
これは盲点だった。
深遠なる和食の世界。所詮、俺はその大海を知ったつもりでいた井の中の蛙に過ぎなかったのだ。
「気にしないでくれ、ヤマト。その、お前の気持ちだけは十分に伝わった」
やはり仲間とはいいものだ。
思わぬ落とし穴に気落ちした俺を気遣ってか、オデットは励ましの言葉をかけてくれた。
「なに、人生は長いんだ。これから頑張って、私の口に合うミソシルを作っていけばいいじゃないか」
…………まぁ、確かに。
この広大な和食の世界を極めるには人の一生でも足りるかどうか。
流石はオデット。一見シンプルに見えてその実、底なし沼のような和食の奥深さをよく理解している。
俺はその研鑽に一生付き合ってくれるという仲間のありがたさに、心から感謝した。
「ありがとう、オデット」
やはり持つべきは”人間の”仲間だ。
そうとなれば落ち込んでばかりもいられない。
俺はともかく、和食が美味しくないなどという偏見を持たれては一大事。
「では気を取り直して、次の料理に行くとするか!」
「ミソシルの次となると……ついにアレが出るのか、ヤマト!?」
名誉挽回。汚名返上。
実はオデットとの約束で挙がった料理とは、味噌汁だけではなかったのだ。
そして、当然。俺はもう一つの和食も既に完成させている。
「ああ! 待たせたな、オデット!」
本来、これは分類上では食材に位置するはずだが、俺はあえてこの食材を料理と呼ぼう。
シンプルな食感と複雑に味が絡みあった奇跡の料理。
その美しさに思わずオデットも感嘆を洩らした。
「おお……」
「さぁ、見ろ! これがかの和食…………」
天よ見よ。地を見よ。三千世界で最も白く輝く物。
その名も『豆腐』の降臨である。