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第15話:人はそれを自業自得と云う

「くそッ、何をやってる! 走れ、走れ!」


 俺の焦りとは裏腹に、とうとう馬は歩かなくなってしまった。

 精一杯、横腹に蹴りを入れるも、馬は息も絶え絶えによろめくばかりで歯の隙間からは泡まで吹き上がっている。

 俺は舌打ちを鳴らし、やむなく馬上から飛び降りると瞬く間に馬は横転し、そのまま動かなくなってしまった。


「畜生! どいつもこいつも!」


 馬が潰れてしまったのなら、ここからは歩くしかない。

 まだ距離はあるがやむをえない。俺は馬をその場に置き去りにして歩き出す。




 ■  ■  ■


 

  

 とにかく急がねば。

 もはや一刻の猶予もない。奴らの連絡網に情報が伝達すれば目的の地へたどり着く事すらも危うくなる。

 出来る事なら全力疾走で駆け抜けたいが、もはやその余力もない。

 道端で拾った小枝を杖にして、ようよう歩いているような有様だ。飛んで行こうにも魔力もとうに底を尽きている。


 こんな状態で奴らに見つかったら一巻の終わりだ。

 我が身の不備を恨みながら、ただただ喘ぐように歩き続けた。

 ああ、俺は何故こんな目に遭っているのか。


「…………愚民どもめ」


 思い返すだに腹がたつ。

 どいつもこいつも身勝手な理屈ばかりを並べ立て、未来への展望というものが少しも見えていない。

 何が決定には絶対服従だ。

 蓋を開けてみれば、抵抗勢力の反乱によって俺の改革は遅々として進まなかった。

 何故だ。何故、分からんのだ。

 

「コォーリとかいう小麦もどきより、お米の方が栄養価は高い。ならばそれを主食にした方がいずれ国の為になる。バカにもわかる理屈だ!」


 幸いにも近隣で野生化していた米を商人から買い付けて、それを国民に給付してやった。

 味はあまり良くなかったが、それでも食えるだけマシというものだ。

 じきに国の総力を挙げ、俺が見つけた米にさらなる品種改良を加え、大量量産への道も拓けていたはずなのだ。


 …………まぁ、確かに、一部地域を除いてのコォーリ作付け全面禁止令は性急だったかもしれない。

 クレスも必死になって止めていたが、最後まで抵抗した農民の畑に次々と火を放ったのも今思えば少々やりすぎだったと反省している。

 だがそれもこれも長期的に見れば国の繁栄に繋がる政策だ。あの一件だってそうだ。


「この世界の調味料はどれも辛すぎる。あんなものを日常的に食っていたら体がおかしくなるぞ!」


 だから俺は塩と砂糖以外、この世界の全ての調味料の製造・輸入を禁じた。

 関所の検査も厳密にし、一滴すら国内に入らないよう厳重な規制網を敷いた。

 それでも家庭内でこっそり使っている連中が絶えないので、やむなく特務組織を結成して監視を強化。ついに完全に悪の芽を撲滅した。

 

 …………まぁ、確かに、その後の密告制度はやりすぎだったかもしれない。

 国内が日に日にギスギスし始め、疑心暗鬼に捉われた国民同士の諍いが絶えなくなった。

 日毎に上がってくる報告書の山を見たクレスが、言葉もなく泣いている姿を見た時はさすがに良心が痛んだ。


 だから俺は代わりに醤油と酢を作って急いで広めようとしたのに、それは途中で頓挫(とんざ)した。

 愚民どもが決起し、醤油工場に真っ先に火を放ちやがったからだ。

 奴らの身勝手は留まる事を知らない。あの政策もそうだった。


「お箸の一斉普及は急務だった。フォーク・ナイフ・スプーン全ての働きを持つお箸の方がコスト削減にも役に立つ!」


 刺す、切る、すくう、つまむ。これら全ての機能を兼ね備えるお箸の普及は国家財政すら潤すはずだった。

 コスト削減だけでなく、ムンディから食器革命を起こし、世界各国からお箸を求める需要が発生するのだ。

 そうなればお箸はムンディの名物として大きな利益を生む。これが有益な国策でなくてなんだと言うのか。


 …………まぁ、確かに、最初から正しい箸の握り方を強要したのはやりすぎたかもしれない。

 一日一時間の訓練を義務化し、そこから逃れようとする者には重い重い罰を下した。

 それでも遅々として成果が上がらないので、兵に命じて国内にあったお箸以外の食器を全てを回収して処分したのがまずかった。


 通称・食器狩りを契機に、国のあちこちから火の手が上がった。

 気づいた時にはすでに愚民どもが主城を取り囲み、指導者を出せの大合唱。

 とうとう頭がおかしくなったクレスが突然服を脱ぎ始め、奇声をあげて飛び出した隙に逃げ出さなければこの身も危うかった。


「愚民どもめ……愚民どもめ……愚民どもめ……愚民どもめぇ……」


 いつの世も先駆者は理解されない。

 遥か未来を見据えた政策のことごとくが、目の前しか見えない愚かな民によって踏みにじられてしまったのだ。

 これを悲劇と言わずして何と言う。こんなおぞましい事が許されていいのか。

 

 そして、俺は逃げる最中、それを見てしまった。

 暗闇を照らす炎。その先々で燃え盛る田んぼの稲を。

 数ヶ月後には大きく実りをつけ、この世界を照らす太陽となるはずだった者たちが焼け落ちていく姿を。


 その憎しみの炎は俺の中に燃え移り、俺を復讐の化身へと変えた。

 俺は支城の一つに入ると、手元に残ったわずかな手勢と共に群がる暴徒を蹴散らした。

 いかに数を揃えようとも所詮は一般市民。かつて魔王軍と剣を交えた俺の敵ではない。

 

 各地を転戦する内に次第に暴徒の気勢は衰え、元の平和な国の姿が戻りつつあった。

 そう、何もかもが再びうまく回り始めようとしていたのだ。

 なのに――――。


「そこの者、止まれ!」




 ■  ■  ■



 あと一歩、立ち止まるのが遅れていれば突き刺さっていたほどに危うい距離。

 そんな殺気めいた鋭い槍先が数本、俺の眼前に突きつけられていた。

 無我夢中で歩いている内、どうにか目的の場所にまで辿り着けたらしい。


「こんな夜更けに何の用だ!」

「この先に何があるか、知らぬわけではあるまい!」

 

 武装した男たちが口々に誰何の声を上げる。

 さて、どうしたものか。しかしこのままで居る訳にもいかない。

 俺は恐る恐る顔を上げる。

 周囲に焚かれた松明の灯りが俺の顔を照らし出すと、にわかに周囲の空気が変わった。

 

「…………ヤマト様?」

「んん? おお、確かに勇者様だ!」

「どうなさったんですか? こんな夜も遅くに」


 取り巻く兵士たちは一様に愛好を崩して、みるみる内に警戒の色が消えていく。

 こいつらはオデットの国の兵隊だ。何人か顔見知りも混じっていたようだ。


 俺はほっと胸をなでおろす。

 …………幸いにも、ここまでは情報が行き渡っていなかったらしい。


「緊急だ。通らせてもらうぞ」

「了解しました! お気をつけください!」


 この奥にある物の重要性ゆえか、兵たちは多くを聞かず道を開ける。

 もうすぐだ。もうすぐ。

 俺は己に発破をかけながら、亡者のように歩き続けた。





「ぐっ……」


 しばらく歩いて、不意に足元がふらついた。 

 かろうじて踏みとどまった拍子に骨まで軋む音がした。改めて身体がガタガタだ。

 思えばあれから一度も休息を取っていない。

 そんな疲労のせいなのか。思い出すだに忌々しい、ここ数日の出来事が幻となって闇夜に投影される。


 迫り来る暴徒を鎮圧し、平和なムンディを奪還したのも束の間。

 逃げ延びた暴徒の一部が隣国にいるオデットを頼り、実態調査のための使節団が派遣されてきたのだ。

 もはやオデットなんぞとは関わりたくもなかったが、使節団を率いていたのが奴だった為に仕方なく応対した。

 

 味音痴の大馬鹿たれではあるが、少なくとも一国の王族である。

 国家計画という大きな視点を理解できる立場であれば、説明すればこちらに非はないと容易に理解できるだろうと踏んでいた。

 

 ところが奴の答えは違った。

 俺の打ち立てた政策をことごとく否定し、さらにそれらの方針を破棄するよう求めてきたのだ。

 あるいはこの国の将来性を見抜いて、それを潰そうとしていたのかもしれない。

 いや、そうに決まっている。

 奴らは我が国の利益を横取りしようと画策し、俺の立案を一から十まで潰そうとした。


 もはや武力衝突しか道は残されていなかった。

 俺は和食を守るために戦いを挑んだ。

 言ってみれば、これは聖戦だ。

 奴らが油断している隙に、俺は寡勢を率いて電撃戦を仕掛けた。


 しかし、当初こそ奴らを勢いで圧倒した我が和食聖戦軍だったが、旗色はすぐに悪くなった。

 オデットが率いる軍隊は、長い年月を魔王軍と矛を交えてきた強兵ばかり。

 一方、こちらは連戦に次ぐ連戦で疲弊しきり、さらに残された糧食もわずかで弱り切っていた弱兵ばかりだったのだ。


 どうにか戦況を押し返そうと俺一人で孤軍奮闘するも要所要所をオデットに抑えられ、あっけなく我が軍は潰走した。

 天に人の心なし。いかに正義はこちらにあろうとも、運命は悪に屈してしまったのだ。


 再起を図るために転進したが、さらに悲劇は続く。

 かろうじて数騎を伴って逃げ延びたが、そこでもまた部下の裏切りに会った。

 奴らは俺の枕元に迫るとこう絶叫した。

 

「もううんざりだ! 何が和食だ、俺はちゃんとした食い物が食いたいんだ!」

 

 それは意味不明な発狂だった。それとも八つ当たりというべきなのか。

 わずかに残ったお米を部下にも分け与え、三日に一度、半杯の白米を支給してやっていたというのになんという恩知らずか。

 奴らは自分たちの無能を棚に挙げ、すべての責任を俺に押し付けてその刃を向けてきたのだ。


 裏切り者どもを蹴散らしながら、一人、俺は思った。

 心の底から、真に思った。

 思ってしまった。


 ――――こんな腐った世界、滅んでしまえばいいのに、と。


 



 ■  ■  ■



 

「…………着いたか」


 前を見ず、うつむき加減で歩いていたにもかかわらず、目的の場所へ辿り着いたという確信が湧いた。

 全身にまとわりつくような不快な冷気。こんな場所は世界中を旅しても早々行き当たるもんじゃない。

 

 見上げると、天を衝くように巨大な石柱がそびえ立っていた。

 四方のあちこちから物々しい鉄鎖と呪符が絡み付いている。もし邪なる者が触れればたちまち塵と化す強力な封印だ。

 しかし、俺はそんな厳重な封印を物ともせず、そっと石柱に触れた。


 本来なら作動するはずの呪文が作動しない。当たり前と言えば当たり前だ。

 この封印を施したのは、俺自身なのだから。


 ふと気がつけば月明かりが消えていた。

 厚い黒雲が月を覆い隠し、この世界にはもはやこの俺以外には誰一人存在していないかのようだった。


 どちらにしろ構いはしない。

 もはやこの俺には何も残されてはいないのだから。


 俺は呪文を唱え、諸手を挙げる。

 そして、この忌むべき世界に宣言した。


「――――さあ、甦れ、魔王・ルシフェルサタン! そしてこの世界を終わらせてくれ!」

 

 俺の願いが、夜に、闇に吸い込まれていく。

 石柱も一見してなんの変化も見られない。しかし、周囲はすでに一変していた。


 それまでは黒一色だった夜の闇に白いもやが混ざり出す。

 かと思えば、もやはたちまち紫へと、または緑、あるいは黄土色へと変化していく。

 そしてそれらが石柱の前に密集し、見上げるほどに大きな一つの形となっていく。


 強大な魔力の奔流。屈強な肉体の陰影。見間違えようもない。

 虚ろだった像が徐々に、しかし明確に、この世に一つ一つその在り様を取り戻していく。

 そして四度。目を瞬いた後に、すでにそれはそこにいた。


 魔王・ルシフェルサタン。

 かつて人類を滅亡寸前にまで追い込んだ邪悪なる者たちの王。

 俺がこの世界に呼び出された全ての元凶。


 太い四肢に頑強な頭部。特徴のみを挙げるならそれは人類と大差はない。

 しかし、人とは明らかに違う薄紫色をした皮膚に、大きく黒々とした悪魔の羽が生えている。

 頭部にも山羊を思わせる二本の大きな角が捻じれており、口の端からも溢れるように大きな牙が見えていた。

 堂々たる大悪魔の姿である。


 以前はその姿を見ただけで身震いしたものだが、今となっては妙な親近感すら覚えるのはなぜだろうか。

 確かに俺は、こいつのせいでこの世界に呼び出された。

 しかして今、こいつのお陰でこの世界を滅ぼすことが出来る。


 もはや俺に抵抗する余力はないし、その意思もない。

 なすすべもなく奴の爪牙にかかり、命を落とす事になるだろう。


 だがそれでいい。もはや未練もない。

 まずは俺が死に、そして和食を否定したこの愚かな世界が滅びるのだ。


 おそらく突如として封印が解かれ、混乱しているのだろう。

 魔王はピクリとも動かなかった。

 俺はそんな魔王を意識をこちらに向けるべく、もう一度叫んだ。

 

「どうした、魔王! お前を封印した男はここにいるぞ!」

 

 ゆったりとした動きだが、ようやく魔王と俺の視線が合う。

 その黒硝子のような瞳に俺の姿が映し出されると、魔王はようやくこちらを向いた。

 俺は待ちきれず、心の底から叫び声を上げる。

 

「さぁ、魔王! 俺を殺せ! ――――そしてこの世界を滅ぼしてみせろ!」


 魔王はやっと喋り方を思い出したように大きな禍々しい口を開く。

 喉の奥から今にも炎でも吐き出しそうな熱気が放たれた。

 そして、確かに、奴はこう言った。

 

 ――――やだよ面倒臭い、と。

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