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第14話:不憫で不運な役人・クレス(後)

 振り返ると、そこには一人の女が立っていた。


 どこか見覚えのある、白を基調にした仕立ての良い礼服の上に艶やかな紺色の髪を流している。

 一見すれば垢抜けた身なりに整った佇まい。それだけでこの女がそれなりに貴い身の上である事が察せられた。

 おそらく普段はメガネの一つでも似合いそうな知的な美人なのだろう。


 だが、その顔が、半べそをかいて盛大に崩れていた。

 気品もへったくれもない。表情は崩れに崩れ、今にも泣きだしそうだった。


「今更の訪問、誠に非常識ではあると存じますが、なにとぞ、なにとぞ、なにとぞ…………どうか御再考願えませんでしょうか!!」

 

 言うが早いか、女は迷わず地面に這いつくばり、俺の足元にすがるように泣きついてくる。

 その薄気味悪さに思わず飛び退くと、女には終いには泣きながら再び俺の足元へと這い寄った。

 というか、誰だ。この女。


「どうか、どうか! もはやムンディを救えるのはヤマト様しかおられないのです! どうか、どうか〜!」


 ――――ムンディ。

 その単語には聞き覚えがあった。次いで目に入った女の格好で全てが繋がる。

 そして同時に、俺の脳裏に一つの閃きが走った。




 ■  ■  ■




 ムンディとは、かつて魔王軍の猛攻に晒され、滅びかけた国の一つだった。

 それだけなら別段、珍しくもなんともないのだが、この国の場合、少し事情が違った。

 その国には標となる王がおらず、数十人程度の評議会が国の全ての実権を握っていたのだ。


 しかし魔王軍と全面衝突するに辺り、その評議会が大いに迷走した。

 

 これは後になって知ったことだが、魔王は攻め込む国に宣戦布告すると同時に、人類の撤退を推奨していた。

 つまり、国を捨てて逃げるのなら後は追わぬ、命も奪わぬと言うのである。


 この選択肢によって、ムンディは二つに割れた。

 抗戦か、撤退か。

 両者の意見は拮抗し、いつまでも結論が出なかった。

 そうしてかなりの歳月が流れ、その間、魔王軍は律儀に待ち続けたのだと云う。


 気長にムンディ側の結論を待っていたものの、とうとう痺れを切らした魔王はムンディに強力な呪いをかけた。

 ムンディを治める権力者のみに降りかかる、死の呪いである。

 かくして評議会の主要人物が次々と呪いに倒れ、わずかに残った風見鶏たちはすぐさま撤退を選択した。

 

 こうしてムンディはあっけなく魔王の手に陥ちた訳だが、問題はむしろ平和になった戦後にあった。

 魔王は封印され、呪いは消えた。だが、人々の恐怖だけは残った。


 生き残った評議会のメンバーのほとんどが帰国を望まず、また国民も彼らの優柔不断さには呆れ果て、評議会の復権を望まなかった。

 そうした民心から他国より有能な指導者を迎えいれる事が決まったが、今度は件の呪いの噂が足を引っ張る。

 有力な候補者は何人もいたが、いずれも様々な理由を挙げて断った。

 だが、どれも本音は魔王の呪いを恐れての返事なのは明白だった。


 実際にはすでに呪いは解除されており、それは俺も確認済みだ。 

 しかし、現実がどうであれ、ムンディの風聞は「魔王に呪われた国」だった。


 そうこうして、どうしてそうなったのか、ついには俺の元にまでそのお鉢が回ってきた。

 政治のせの字も知らないど素人のガキを国の指導者に据えようというのである。

 どこまで迷走し足りないのかと心底呆れて、この一件は既に何度もお断りの返事を入れさせてもらっていた。

 

「あ、申し遅れました。私、クレスと申します。ヤマト様がそろそろ進退を決されると聞き及びまして、居ても立ってもいられず、罷り越してきた次第でして」


 この白い礼服はムンディ評議会の制服だ。言われてみれば何度か目にした服装である。

 しかしこうして諦めずに使者を送ってくる所を見るに、いまだ他の候補者からも色よい返事をもらえていないらしい。


「もうヤマト様しかおられないのです。早く指導者を立てねば領土を他国に分割譲渡する、などという不穏な動きも見られ…………」


 よくよく目を凝らして見ると、かつては純白に輝いて見えた評議会の制服が少し薄汚れている。

 おそらく各国あちらこちらで、今のように必死に候補者にすがりついてきたのだろう。


「お願いします、お願いします! どうか私たちを導いてください!! ……あ、へへ、お靴が汚れてらっしゃいますね、へへっ」


 その必死さを見るに、いよいよ進退きわまったところにまで追い詰められている様子である。

 以前はこの服装を見るたびに内心、舌打ちしたものだが、今は少し違う。


「クレスさん、でしたか?」

「はい! そうです! あなたの忠実な僕のクレスであります! どうか、どうか!」


 軽く頭が壊れかけているような返答が少し気になるが、今はよしとしよう。

 俺は彼女を優しく立ち上がらせると、その手をしっかと握り返した。


「おお!? おお! では、ヤマト様!」

「その前に幾つか」

「はい! 何なりとお申し付けください! なんなら脱ぎましょうか!?」


 ようやく一縷(いちる)の望みを見出して気でも狂ったのか、なぜか服を脱ごうとするクレスさんを制止する。

 一瞬、本当にこの国大丈夫なのかと不安になったが、もはや贅沢を言っていられる身分ではない。


「脱がなくていいです。それより、以前、こちらにこの話が回ってきた時の条件って、まだ生きてるんでしょうか?」

「えっと、はい! 数ヶ月前から条件は据え置きだったはずなので……」


 俺はゆっくり、当時やってきた使者が読み上げた条項を思い出す。

 評議会の迷走がトラウマになっているのか、今度は多数による協議制度を意地でも変えるつもりらしい。

 記憶違いでないのなら、確か……。


「国政の決定権は――――」

「国王一人に委任されます!」

「すべての国民は――――」

「一丸となって国王の決定を支えます!」

「国王の命令は――――」

「絶対服従!」

 

 最初に聞いた時、この国の連中は頭が大丈夫なのかと本気でドン引きした。

 しかし。しかし、だ。

 

「……ふふ…………はっはっはっ……アーーッハッハッハッハッ!」

「ヤ、ヤマト様?」


 和食の神は、いた。

 俺を見捨てることなく、最後の最後に希望をつかむ布石を、確かにそこに残しておいてくれたのだ。 

 俺は戸惑うクレスの手を強く握り返し、言った。


「クレスさん……あなたの熱意に打たれました」

「おお! で、では……?」


 俺はこの世界に、和食の国を作る。

 ムンディに和食という食文化の根を張り、ゆくゆくはこの世界すみずみにまで大きく花開かせる。


「行きましょう。ムンディへ」

「あ、ありがとうございます! ありがとうございます! これで我が国は救われます! ああ、なんて素晴らしい日なのでしょう! ああ、もう脱ぎましょうか!?」

「脱がなくていいです」




 ■  ■  ■




 かくして、一路ムンディへ。

 クレスさんに頼みこんで、小屋に残っていた全食材を荷車に乗せてもらった。

 それらと共に、俺は新たな世界へと旅立った。

 

 ムンディは和食の国へと生まれ変わる。

 これらの食材がムンディにもたらされるその日は、いずれ歴史で紐解けば大きな転換点となるだろう。


 その時を夢見ながら馬車に揺られていると、不思議なことに気が付いた。

 なんと、この掃き溜めのように腐った世界が輝いて見えてきたのだ。

 あるいはその全てが輝ける日を祝福してくれているかのように。


 俺はかつて、この世界で強大な魔王と戦い、仲間と共にその邪悪な野望を打ち破った。

 苦難の連続で何度もくじけそうになったこともあった。しかし、俺はその大きな壁を乗り越えて勇者と呼ばれるに至った。


 だが、それは物語の序章に過ぎず、奴らとの関係もまた仮初めの絆でしかなかった。


 これから魔王を倒すよりも困難で、まったく先の見えない真の試練とも呼ぶべき戦いの日々が待ち受けている。

 最初は不味いと言われるかもしれない。それも我慢しよう。

 大願を果たすための小事にはもはや目を瞑ることにした。

 土地の開墾、食材の現地栽培、その適正の検査、やるべき事は山のようにあるのだ。

 それでも俺には多くの「和食」という「真の仲間」たちがいる。恐れるものなど何もない。

 

 ここからだ。

 ここから、俺の真の歴史が始まるのだ。

 そしてそれは和食の歴史に相違なく、この狂った異世界に確かな和食の息吹を根付かせる、雄大な第一歩となっていく。


 さぁ、始まるぞ。俺と和食たちの戦いの日々が。

 ――――俺たちの戦いはこれからだ!








 ■  ■  ■


 




 この後、ムンディはかつて執っていた国の方針から大きく路線変更を果たす事になる。

 その分岐点となったものは、当時、魔王を討伐した勇者として名を馳せていた()()異世界人、ワジキ・ヤマトの来訪であった事に間違いはない。


 彼によってもたらされた食の改革、並びに多くの変革について後世の見解は一致している。

 多くの歴史家は、異口同音にしてこう語る。

 

 ――――ムンディの真の悲劇はここから始まった、と。

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