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第三章〈日々に潜む〉3-1

 学園内宿舎の一角、上位者のみが住まうことを許される邸宅にその人物が足を運ぶようになったのは、ここ最近のことだった。

「やあ、ぼくだ」

 勝手知ったる他人の家。彼は呼び鈴を鳴らし、ここに住む男が本国から従者として招いたメイドの誰何にそう答えた。

 重厚な玄関の扉が開き、明るい照明が照らし出す広々としたホールに足を踏み入れる。そこには来客を待つひとりの老執事が居て、彼はその執事に上着を渡した。

「ご主人はいらっしゃるかな?」

「はい。書斎に」

 執事は来客の姿を改めて眺める。

 長身痩躯の男。しっかりと整えられたアッシュブロンドは滑らかな光沢を見せ、切れ長の碧眼ブルーアイズは深い知性を感じさせた。

 仕立ての良いスーツはタグなどないローマの特注品。それでいて衣服に“着られる”ということもない。

 多くの者たちを見てきた老執事には確かに男が上流階級に属する者に見えたが、同時に底知れない恐ろしさも垣間見えた。

「案内してもらえるかい?」

「はい」

 点頭し、老執事は男を先導して緩やかなカーヴを描く二階への階段に足を掛ける。

 だがやはり、背後から感じる気配の薄気味悪さは変わらず、主人に会わせていいのかという職業倫理が首をもたげてきた。それはこれまで何度も感じ、その都度振り払ってきたものだった。

「彼はなかなか優秀だね」

「はい」

 一歩ずつ階段を登る。そうして話し掛けられれば答えるが、老執事にはそれ以上の返答は難しかった。

「ぼくの言葉はきちんと聞くし、何よりも素晴らしい欲望を持っている」

「はい」

 男は老執事と会話をしているように見えて、その実誰とも会話をしてないような錯覚を抱かせた。独り言かもしれない。だが、来客の言葉を無視するなど老執事には出来ようはずもない。

「ただね、今度の相手は簡単じゃないかもしれない」

「――はい」

 今度の相手。

 老執事にとってはさほど重要な相手ではないが、主人にとってはその立場を脅かす仇敵の筈だった。一度は勝利したはずだが、整備不良による無効試合とされた結果、再戦を行うことになっている。

 一度はかなり有利な条件で勝利しているのだからもう一度勝つことも難しくない筈だが、ここ最近の主人の様子はどこかおかしかった。

(この男、坊ちゃまをどうするつもりなのか)

 老執事は主人の部屋に向かう間、背後を歩く男の真意を覗こうとその言葉や動きに神経を尖らせた。しかし、彼が長い人生の中で培ってきた観察力を持ってしても、その心中を窺うことはできなかったのである。

 まるでこちらの相づちに合わせて言葉を発するだけの人形のようにさえ思えてきた。

(旦那様は放っておけと仰っていたが、しかし……)

 神聖帝国の名家を背負う当主は、この来訪者に関して一切の詮索と拒否を禁じていた。この屋敷に住む息子の様子が変貌していく様を聞かされても、同じように『ただこの者の望むように総てを行え』と言うのみである。

「そういえば、御当主はお元気かな?」

 老執事はそう背後から言葉を掛けられ、一瞬だけ歩調が乱れた。

 今まさにその人物のことを考えていたからだ。

「――はい、本国にてご壮健であられると」

「それはよかった。機会があれば、“サンジェルミ”がよろしくと言っていたと伝えてくれ」

 老執事はその名に思わず足を止めた。

 サンジェルミ――稀代の錬金術師にして、欧州儀界導術史にその名を刻む大導術士。すでにこの世を去ってから二百年以上経っているというのに、背後の男はそのサンジェルミが拠点としていた神聖帝国の貴族に対し、その名を名乗ろうとしている。

「どうかしたのかい?」

 思わず振り返った老執事だが、そこにいるのは若い青年である。

(偽名か……)

 そう考えるのが最も自然だったが、彼は心のどこかで本人なのではないかという疑念を抱いていた。だがその疑念も、彼の並外れた職業意識によって押さえこまれる。

「畏まりました」

 老執事はそう言って頭を垂れた。

 彼の主人の部屋は、もう目の前だった。



「おお、来てくれたか!」

 そう言って自分を招き入れる若い男――パトリック・グラントを前にしても、サンジェルミの仕草には一切の変化はなかった。

 必要以上に謙ることもなければ、不遜とも言い難い言動を続けている。

「ええ、パトリック様がそろそろぼくに頼み事をしたいのではないか、と思いましてね」

「そうか、流石だ」

 パトリックはすこぶる機嫌良く、サンジェルミの肩を抱いて自室の奥へと誘う。その際にここまで客人を案内してきた老執事に人払いを命じたのは、これからここで行われる会話が万が一にも外部に漏れることを防ぐためだった。

「何か飲むか?」

「いえ、結構。どうにも高級なものは舌に合わないもので……」

 サンジェルミはパトリックの申し出を固辞した。

 この男がパトリックの元に現われてから何度も同じような遣り取りがあり、一度も飲み物や食べ物を口にしたことはなかった。

「まあ、それもよかろう。私は一杯貰うが」

「どうぞ」

 パトリックが酒の用意をしている間、サンジェルミは窓際のソファで懐から取り出した手のひらより小さな金属製の箱を弄んでいた。

 酒の用意を済ませたパトリックが傍らに戻ってくると、サンジェルミはそれをテーブルの上に置いた。

「それは?」

 ソファに深々と身体を沈み込ませたパトリックが酒を一口飲み、サンジェルミが持参した箱に興味を示す。

 サンジェルミは箱を人差し指でトントンと突きながら、笑顔を浮かべた。

「おそらくパトリック様が思った通りのものかと。以前のやり方は通用しますまい」

「――学園の連中も馬鹿ではないからな」

 パトリックはテーブルの上の箱を手に取り、そこに小さな端子口があるのを見て取った。

「今度は直接中枢ユニットに繋ぐのか」

「はい。以前はプログラムを仕込みましたが、今度も同じ手を使うのは危険ですので」

「万が一見付かったらどうする?」

 パトリックは何処か不安そうな眼差しでサンジェルミを見た。

 この男は基本的に臆病なのだ。幼少期から自分に向けられた期待を重荷と感じ、賞賛さえ重圧だと認識する。自分の地位も実力も、その総てに対して臆病になっている。

 小心者が立場を得たらどうなるか、その手本のような男なのだ。

 だからこそサンジェルミはパトリックを望むがままの方向に誘導することができた。彼の望む未来のために用いる手駒としてみれば、パトリック・グラントとその実家は非常に扱いやすい存在だった。

「外装に近い部分に取り付けますので、パトリック様が直接破壊してしまえばよろしいかと。それに、レギュレーション審査員はすでに取り込んであるのでしょう?」

「ああ、お前の言った通りの人物を借金の肩代わりで抱き込むことができた。――しかし、何故お前はこの人物を知っていたのだ?」

 昇格戦に限らず、成績に関わる公式戦の前にはレギュレーション審査が行われる。両陣営の用いるあらゆる導術装備を審査し、これに合格してようやく試合に臨むことができた。

 パトリックはそのレギュレーション審査を行う審査員のひとりを、自分たちの協力者として仕立て上げることに成功していた。

 この審査が行われた後は、当然ながら選手はおろか整備士さえ装備に近付く事が禁じられている。レギュレーション審査時に細工ができれば、それを専門知識を持たない選手や、手出しの出来ない整備士に防ぐ術はない。

「機能停止と同時に自壊するようプログラムを組んであります。外装近くですからな、戦闘中の衝撃でデータが吹き飛んだと思われて終わりです」

「そうか、ならいいんだ」

 パトリックは再び酒を呷った。

 今年二十歳になったこの男は、あと一年今の地位を保つということに全力を傾けている。それこそ、自分よりも年少の少女を不正な手段を用いて叩き潰すほどに。

「あの女が悪いんだ」

 パトリックはそう呟いた。

 酔いが回っているのだろう。サンジェルミはその様に笑みを深め、その敵愾心をより洗練させるべく言葉を発する。

「ええ、そうでしょうとも。パトリック様と違って彼女はまだ二年、これからいくらでも上位を狙うことができるというのに、敢えてパトリック様を引き摺り下ろそうとしているのです」

 ライエンティール・ヴィルトリアにそのような意図はない。ただ、結果としてそのような形になるだけだ。

 パトリックがライエンティールに敗北した場合、次に第十位に挑戦できるのは予選代わりの対抗戦を経た半年後である。

 その対抗戦すら、パトリックが勝ち抜ける保証はない。これまでの彼は、上位者の特権として与えられる様々なものを総て投じて今の地位を保ってきたのだ。

 授業の免除、高等機を整備できる専属工房、専用の邸宅、祖国からの莫大な援助金。

「裏切り者の娘が、神聖帝国貴族たる私を足蹴にするなどあってはならない」

「ええ、ええ、その通りですパトリック様。ぼくらはあなたこそが今の地位にもっとも相応しいと理解しております」

 サンジェルミの言葉には、言葉以上の何かがあった。

 パトリックの耳から入った音は、まるでそれそのものが意志を持っているかのようにパトリックの意識に深く深く潜り込んでいく。

 サンジェルミの言葉を聞くほどにパトリックの表情から怯えが消え、それに取って代わるようにして憎悪が滲み出してくる。

「万事、我々にお任せください」

 だからこそ、サンジェルミがそう申し出た時、パトリックは何の疑いもなく頷いていた。自分の地位を脅かす不貞の輩に罰を与えることに何の呵責が必要だというのか。

「ああ、よろしく頼む」

「はい、しかと」

 パトリックは満足そうに頷き、そのまま意識を失った。グラスが床に転がり、酒の甘ったるい匂いが広がる。

 その様子は酒が回ったようにしか見えない。使用人たちもそのように受け止めるだろう。

 だが、サンジェルミだけは違った。

 彼は意識を失ったパトリックの耳元で囁いた。

「勝利をお約束しますよ、パトリック様。あなたは正しい。あなたの望む未来はすぐそこにあります」

 パトリックの無意識に染み込んでいくそれらの言葉は、彼の行動の原理となるだろう。決して自分を疑わず、己の行動こそが絶対だと思い込む。

 たとえ友人や使用人がパトリックの行動に異を唱えたとしても、それを顧みることはできない。

「それでは、失礼します。――“我らが黄金の未来のために”」

 恭しく頭を垂れ、サンジェルミはパトリックを残して部屋を出る。

 その顔に浮かんでいたのは、邸宅に来たときと少しも変わらない笑顔だった。



「お帰りですか、サンジェルミ様」

「ああ、パトリック様はお疲れのようで、酔って眠ってしまわれた。介抱して差し上げた方が良いのではないですか?」

 サンジェルミは、部屋の外で待機していた老執事にそう言い、扉から部屋の中を確認させた。

「そうですな」

 老執事は頷き、しかし主人の替わりとして客人を見送るべきだと思った。

 だが、サンジェルミは老執事の内心を見透かしたかのように頭を振る。

「話は済んだから、ぼくはこれで失礼させてもらうよ。屋敷の主人を放っておく訳にもいくまい。見送りは結構」

 客人にそう言われては、老執事に否はない。彼は首肯した。

「お気遣いありがとうございます。それでは、屋敷の者に案内させましょう」

 老執事は手を叩き、近くの部屋で待機していたメイドを呼び付ける。

 現われたのは、学園に来てから雇った若いメイドだ。平均的な体つきで、平凡な顔を持ち、働きも平凡。明日居なくなってもさほど困らないメイドだった。

「お客様がお帰りになる。玄関までご案内したまえ」

「はい」

 老執事がそう命じると、メイドはすぐサンジェルミを先導して歩き始めた。

 サンジェルミは背後で老執事が礼をしていることにもさほど気を留めず、メイドの後を追ってゆっくりと歩を進める。

 そして背後から扉を閉める音が聞こえてくると、おもむろにサンジェルミは口を開いた。

「仕事は慣れたかい、ペルネル」

「ええ、それなりに」

 突然のサンジェルミの言葉にも、メイドは驚いた様子を見せず答えた。

 サンジェルミは「結構結構」と頷き、自分の前を歩くメイドに笑いかけた。

「不満は?」

「あるわ。我々が数百年にも亘って待ち望んだ“鍛神ヴァルカンド”が来ているというのに、手を出すなと言われて誰が納得できるというの?」

「百年前の雪辱かい? そんな昔のことまで……女性は怖いね」

 サンジェルミはくく、と喉を鳴らして笑い。ペルネルと呼ばれたメイドは僅かながら不機嫌そうに眉根を寄せた。

「“奇跡”を恐れ、現世にしがみつく俗物どもが我々の理想を穢した。確かにそれは実に腹立たしいことだ」

「腹立たしいで済むのね。あなたらしいわ、裏切りの錬金術師さん」

 そう呼ばれた瞬間、サンジェルミは歩みを止めた。

 続いてペルネルが歩みを止め、振り返る。

 サンジェルミの表情は変わらぬ笑みだ。だが、その瞳の奥に隠しきれぬ感情が蜷局を巻いていた。

「そうだね、確かにぼくは裏切りの錬金術師だ」

 サンジェルミは壁に掛けられた絵画に目を向ける。そこに描かれていたのは、望遠鏡で夜空を観測する古代の占星術師の姿だった。

「使命を果たすためとはいえ、本来秘匿されるべき秘術を世に解き放った」

「ええ、そのお陰で世界に術が満ちた。世界は我々が望まぬ方向へと変わった」

 ペルネルの声音は恐ろしいほどに冷え切っていた。

 彼女にとってサンジェルミは同志であると同時に、決して許すことのできない罪人でもあった。その罪が、最初から予定されていたものだったとしても。

「君と議論する気はないよ」

「わたしもそんなつもりはない。だけど、この学園での自由行動権フリーランスを持つ以上、あなたは我々の監視下になければならない」

「それも分かっているさ、脅かさないでくれよ」

 サンジェルミは肩を竦め、再び歩き始める。

 ペルネルはその先を進みながらも、決して背後から注意を逸らそうとはしなかった。

「“アガルタ”に至る道は、我々が開かねばならない。人の手による奇跡によって」

 そう告げるペルネルの声には、抑制しきれない興奮があった。

「そうだね、実に素晴らしいことだ」

 だがサンジェルミは、相鎚を打つことはしても決して同意することはない。

「心の底から我々の望みが成就することを願うよ」

 サンジェルミは何度も頷き、やがてペルネルもそれに同意するように頷いた。

 それを見て、サンジェルミは心の奥底で本当の笑みを浮かべる。

(そう、他でもない『我々』の望みがね)

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