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第二章〈少年少女の日々〉2-3

「おー! すげーっスねこれ!」

 リビングに入った途端、タックがそう叫ぶ。彼の視線の先にあるのは、未だ立体図面を映したままの投影装置だ。

「このクラスの奴を個人所有してるって、にーさん結構リッチなんですねー」

 タックは立体図面を指で突きながら、何度も「おー」と声を上げる。

「そうなの?」

 タックの様子を眺めるライエンティールが首を傾げると、彼女の肩越しに投影モニターの基部にあるコンピュータの型式を読んだメルライアが答える。密かに彼女も狙っていた機種だった。

「A.E.の最新モデルだから、リリィの大好きな食堂のデラックスパフェがざっと二万個は食べられるわね」

「うそッ!? さっきわたし、ちょっと蹴飛ばし――てない! 蹴ってないよ!?」

 思わぬ高値に衝撃を受けたのか、途中まで罪を自白しかけたライエンティール。しかし途中で背後の気配に気付いたのか、首と両手を振って自らの無罪を訴える。

「あれだけ盛大に小指ぶつけて唸ってたんだから気付いてない訳ないだろう。あとで検査して、万一壊れてたら修理費請求するだけだ」

「そんな! わたしのパフェが!」

 パフェはあくまでも一例であったはずだが、ライエンティールの中では投影機付きコンピュータはたくさんのパフェという概念が定着してしまったらしい。

 メルライアとタックは思わず顔を見合わせ、この上ないポンコツぶりを見せる友人にどんな対応をすればいいのか視線で意見を交わした。

「週に一度の楽しみなのに……」

「食べ過ぎて太るなよ。メインフレームに嵌まっても放置するからな」

 実際、そのような事例は後を絶たない。

「そこは蹴っても良いから助けてよ! 絶食すると胸が萎むんだから!」

「その前に脳みそが萎みそうだな。ほら、友人が呆れて何も言えなくなっている」

 そうマイトに促され、ライエンティールは同情とも呆れとも言い難い表情を浮かべるふたりの友人を見た。自然と、愛想笑いが出てくる。

「あははは……」

「はははは……」

「ふふふふ……」

 ライエンティールの笑い声に答え、タックとメルライアも辛うじて笑う。しかし、タックの瞳は困惑一杯。メルライアのそれは呆れ一杯であった。

「それはそれとして、何か用があって来たんじゃないのか?」

 マイトは厨房でお湯を沸かしながら訊いた。

 その声にはっと顔を上げたタックが、胸ポケットからフラッシュメモリ入りのケースを取り出した。

「それは?」

「お前の甲冑の整備データ。うちに残ってた奴全部持ってきたんよ」

 タックはそれをメルライアに渡し、メルライアは厨房に向かって叫ぶ。

「すみません、コンピュータを少しお借りしてもよろしいですか?」

「構わん。今、立体図ホロプラ映してる奴のプレートが部屋の隅にあるから使ってくれ」

 厨房からの返答に、メルライアはリビングの一角で重ねられている幾枚もの黒いプレートに近付く。それは縦置き充電器に綺麗に並べられたホロ・プレート――プレート型複合デバイスだった。

 まるで大きさの違う書籍が本立てに入っているかのような様だが、その一枚一枚がキーボードやタブレット、製図板の機能をもつデバイスだ。

 メルライアはその中から二番目に小さな横長のプレートを取ると、リビングのソファに座って膝にそれを乗せ、横にあるスウィッチをキーボードモードに設定する。

 すると、真っ黒い板の表面に赤い線でキーが浮かび上がった。

「貸して」

「お、おう」

 タックは突き出された手に、ケースごとフラッシュメモリを渡す。

 メルライアは手早くケースを開けると、そこに収まっていたフラッシュメモリをプレートの端にある端子に突き刺した。

 すぐに、パスワード入力を求めるウィンドウがメルライアの眼前に展開された。

「パスワード」

「ふたりの誕生日。リリィとメルの順番」

 タックが答えると、メルライアはすぐにその情報を打ち込む。プレートの表面は樹脂製で、タタタという板を叩く音が打鍵音だ。

「コピーしてもいいの?」

「いいよ。擬装掛けた方が良いかもしれないけど……」

 タックはそう言って厨房に顔を向ける。

 すると、ちょうどマイトが戻ってくるところだった。

「あ、今更だがコーヒーでいいか? 紅茶もティーバッグで良ければあるが」

 四つのカップが載せられたお盆を手に、マイトはライエンティールにテーブルの上の資料を片付けるよう視線で命じる。

 ライエンティールは小動物のような素早い動きでテーブルの上に広げられていた図面などの資料を纏め、それをテーブルの下にある書類ラックに収めた。

「あ、わたしが配るわ」

 そう言ってマイトからお盆を受け取ると、ライエンティールはそれぞれのカップに砂糖やミルクを入れていく。

 確かに、自分とそれ以外の三人の好みを知っているのはライエンティールだけだった。

「ミルクたっぷりの砂糖少なめ。砂糖なしのミルク少なめ。砂糖少しのミルクなしっと」

 それぞれメルライア、タック、マイトの前にカップが置かれる。

 ひとつ残ったカップには、ミルクと砂糖がどっさり投入された。

 その様子にマイトは呆れたように身体を反らし、美味しそうにコーヒー入り砂糖ミルクを飲むライエンティールに忠告した。

「太るぞ、ライエンティール・ヴィルトリア」

「運動するから大丈夫!」

 そう言ったライエンティールだが、内心では少し砂糖を入れすぎたと思っていた。

 明日の基礎トレーニングを一セット増やそうと心に決め、彼女は友人の少女の仕事ぶりを眺めた。

「学生にしておくには勿体ないな」

 次々と擬装を掛けたデータを移していくメルライアに、マイトは心底感心したというように呟いた。

「ありがとうございます」

「凄いっしょ。学年じゃメルより早い奴なんていないっスよ」

 メルライアの隣に座ったタックが我が事のように胸を張るが、そこにメルライアの肘が突き刺さる。

「ごふっ」

 前のめりに倒れ、身体を震わせるタック。その顔は真っ青だった。

「また、余計なこと言うから……」

 当たり前のようにマイトの横に座ったライエンティールは、いつも通りのタックの後先考えない行動に嘆息した。

 隣に座るマイトが「君も似たようなものだ」と呟いたが、それは彼女の耳には届かなかったようだ。

「これで最後です。あとはコピーした痕跡を消しておきます」

「ああ、よろしく頼む」

 メルライアの仕事は非常に早く、正確だった。タックが場を弁えずに友人を自慢したくなるのも無理はないと思えるほどの仕事ぶりだ。

「じゃあ、こっちのデータと比較しておくか」

 マイトはグローブを嵌めた手を空中で上下左右に動かし、整備データの中から拾い出した各パーツの設定数値を最新の数値と比較する。

 学園のデータよりは最新の数値に近かったが、やはり付け焼き刃の設定変更が目立つ。学園の大工房で行う最低限の整備と調整では、これ以上の調整は望めないのだ。

 設備的な問題もあるが、特定の学園生だけを優遇することはできない。どんな学園生でも公平に扱うのが大工房の規則だった。

 だが、同じ大工房でも上位一〇人だけは特例措置として最高に近い待遇を受けられる。ただ、その頃には自分の癖まできちんと把握した馴染みの工房ができていることが多く、設備が限られ、またその他多くの学園生の導術装備の整備も行うこともあるために情報管理に不安のある大工房で整備を行う上位者は皆無と言って良かった。

「さて、君たちはどうする?」

 データの複写が完全に終わったことを確認して、マイトはタックとメルライアに目を向けた。

「もう良い時間だ。そこの子豚を連れて帰ってくれると助かるんだけども」

「子豚って言うな! だから太ってないって言ってるでしょ!」

 拳を振り上げるライエンティールと、その腕を掴んで押さえ込むマイト。

 メルライアは「それでは、その娘も一緒に連れて行きます」と立ち上がったが、タックは少し目を伏せて何かを考える素振りを見せた。

 訝しげに友人を見るメルライアだが、タックが何を考えているかは想像がついた。

(この前の昇格戦の一件、自分のせいだと思ってるんでしょうね。まったく……)

 そのために、このまま黙って帰っていいものかと悩んでいるのだろう。

 いつもならすでに行動に移している筈のタックの態度に、メルライアは一瞬苛立ちを覚えた。

「――タック、時間があるなら少しお手伝いしたら?」

 苛立ち半分の声音は低く、立体映像の反対側に座るライエンティールがびくりと肩を奮わせるほどであったが、タックははっとしたようにメルライアを見上げるだけだった。

「ガルディアンさん、助手というには少し腕が足りないでしょうが、研修名目で雑用でもさせて頂けませんか?」

「お、お願いしまっス!」

 メルライアの提案を聞き、慌てて立ち上がったタックはそのままの勢いで頭を下げる。

「勝手に決めていいとは思えないんだけど、その辺りはどうだ?」

「班長にはすぐに連絡して許可を取ります。二年なんで外部研修扱いにして貰えれば――それが駄目でも授業時間外ならいくらでも手伝えます!」

「ふむん」

 マイトは鼻を鳴らしてソファに身体を沈み込ませる。

 そのまま足を組み、グローブを付けた指を鳴らしてコンピュータの電源を落とした。残ったコーヒーを飲み干し、立ち上がる。

 そして三人を一通り眺めてから、言った。

「駄目だな」

 そうしてそのまま反論も聞かず、工房へと向かおうとする。

 ライエンティールが戸惑ったようにメルライアに身を寄せ、タックが慌ててその後を追う。

「そんな! そりゃオレの腕前じゃ不足かもしれませんけど」

「そうじゃない。素人だって使いようで助手代わりになる」

「だったらどうして、技匠科に借りを作るのが嫌だって訳じゃないんでしょう!?」

 タックはマイトに続いて工房に入り、そこにある機械たちを見る。

 どれもこれも、錬装技匠科の学園生として扱ったことがあるものばかりだった。

「ここにある工作機だったら一通り使えます! 手伝える時間が短くて役に立たないって言うなら、ここの軒先貸して貰えれば寝るには十分です!」

 工房の奥。そこには一際大きな工作機械が置いてある。

 今は〈風の魔女〉が鎮座する錬装甲冑の固定台兼調整装置だ。〈風の魔女〉は修理のために各部の装甲板が外されており、剥き出しになった内部機構に粉塵が付着することを防ぐためにカバーが掛けられている。

 マイトはその前まで進み、タックを振り返った。

「分かってるよ、タック・イェーガー。だが、君はまだ知らないことが多すぎる」

 そう告げ、マイトは〈風の魔女〉のカバーを外す。

 タックの視線は自然とそちらに向かい、カバーの下から現われた〈風の魔女〉の姿に目を剥いた。

「これは……!」

 工房の入り口から覗き見るメルライアとライエンティールは、タックの驚きの理由が分からない。整備用の照明で照らし出された〈風の魔女〉は四肢がなく、装着者を待つように内腔をさらけ出している。

 その内腔部の背骨部分に、タックの視線は向けられていた。

「分かるか。なかなかいい目をしているな。この件じゃなければ手伝って貰いたいくらいだ」

「いえ、でも、これは」

 タックは先ほどまでの勢いを完全に失っていた。

 彼は目の前にある錬装甲冑が、以前のものとはまったく別のものに変質しかけていることに気付いたのだ。

延髄基幹部ベースフレームの交換? そんな、この間の戦いでもここに異常なんてなかったのに……」

「異常はなかっただろうね。軍用の錬装甲冑の延髄基幹部がそう簡単におシャカになるなんて考えられない。でも、実際にこの甲冑の延髄基幹部は交換が必要だった」

 マイトは呆れたように顔を覆い、続いて自分とタックを恐る恐る見詰めるライエンティールに手招きをした。

「な、何よ」

「怒らないから来なさい」

 ライエンティールはメルライアに目配せをした。そしてメルライアが頷くのを見てから、渋々マイトの言葉通りに工房に入ってきた。

「タック・イェーガー。俺は大工房が悪いとは思わない。しかし、あそこは工房アトリエよりも工場メーカーに近い。誰も彼もが自分の職分を全うするとしても、ひとつの機体を最初から最後まで面倒を見ることはない」

 マイトは再び〈風の魔女〉にカバーを掛け、近付いてきたライエンティールに向かって作業台の上に置いてあった小さなパーツを投げる。

「ななななっ!」

 ライエンティールは慌ててそれを受け止め、改めてそのパーツを確認した。

 それは腕部に組み込む予定のモーターだった。

「何よこれ」

「そのモーターが何種類あるか知ってるか、ライエンティール・ヴィルトリア」

「え? いや、知らないけど……」

 ライエンティールはマイトの質問に困惑していた。

 助けを求めるようにメルライアとタックに目を向けるが、タックはカバーを掛けられたままの〈風の魔女〉を見詰めているばかりで彼女の視線には気付かない。

 メルライアはマイトの言わんとしていることを一足先に理解したのか、納得したように溜息を漏らしていた。

「知らなくても無理はない。同じ規格のモーターだけで何百とある。軍のトップエース用に調整されたオーダーメイドも含めればもっと増える」

「それがどうしたって言うのよ?」

 ライエンティールは自分だけがマイトの言わんとしていることを理解していないと気付き、少し不機嫌そうにモーターを突き返した。

 マイトはそれを受け取って作業台の上に並べ、タックに向けて問いかけた。

「タック・イェーガー。これが戦闘導術士なんだ」

「――はい」

 タックは肩を落とし、力なく答える。

「ライエンティール・ヴィルトリアが特別なんじゃない。だいたいどの戦闘導術士も似たようなものだ。彼らは総じて、“自分が着ている甲冑が何によって構成されているか理解していない”」

「ちょ、わたしだって基本構造くらいは知ってるわよ!」

 ライエンティールの反論に対して答えたのは、マイトではなくタックだった。

「リリィ、それは人間が人間の骨格を知っているっていうのと一緒なんスよ。でもオレらは骨格だけじゃなくて内臓や筋肉、場合によっちゃ脳の構造まで理解しないといけないんス」

 タックはマイトに向き直り、小さく頭を下げた。

「すんません、ガルディアンさん。オレちょっと頭冷やします」

「いいや、さっきのは本音だ。上が許可したなら助手として来て貰って構わないぞ」

「それも含めて頭冷やします。延髄基幹部って言えば、軍の事故原因で一番厄介な部品っス。その原因は、基幹部品だから各部位への干渉が大きくて、その分整備責任が曖昧なことっスから」

 タックはとぼとぼと工房の出口へと向かっていく。

 ライエンティールは慌てて居住区に戻り、しばらくその中でガタガタと騒がしく動き回っていたが、やがて自分とタックの荷物を手にして飛び出してきた。

「また明日!」

「遅れるなよー」

 しゅびっと勢いよく敬礼して外に飛び出していくライエンティールを、ひらひらと手を振るマイトが見送る。

 そしてただひとり残ったメルライアは、マイトに深々と一礼した。

「ありがとうございます」

「礼を言われるようなことはしてないぞ。あと一年もしたら学園の教官に叩き込まれることだ」

「それでも、ここ最近落ち着きがありませんでしたから。これで少しは大人しくなることでしょう」

 メルライアは無感動な瞳でマイトをじっと見詰め、再び一礼すると自分の荷物を持って工房を出て行った。

 工房の重々しい扉が、大きな音を立てて閉じる。

 その扉を見詰めながら、マイトは腕組みをして唸った。

「年上ぶってまあ、俺もまだまだガキだな」

 彼は作業台の上に置かれたままのドライバーを手に取ると、それを工具入れに放り込んだ。



「ターック! 待ってよー!」

 背後から追い掛けてくるふたつの足音。

 タックはその音が聞こえてきても、歩調を緩めることなく進んだ。

「待てっての!」

 ライエンティールの声と同時に、ぶん、と風を切る音が聞こえた。

 そして次の瞬間には、投げつけられた自分のバッグが後頭部を強かに打ち据える。

「いったああああああッ!?」

 前方から聞こえてきたタックの悲鳴に、ライエンティールはぐっと拳を握ってそれを突き上げる。

「よっし、わたし射撃系も悪くないじゃん」

「良くもないけどね」

「むっ」

 メルライアの冷静な一言に頬を膨らませるライエンティールだが、反論しても絶対に口では勝てないと分かっている。だから、黙ってそのあとに続いた。

「いつまでも落ち込んでないで、さっさと帰るわよ」

「うっス」

 タックは道路に落ちた自分のバッグを肩に掛けると、ほとんど街灯のない砂利道を進んでいく。そこにふたりの少女が続いた。

 そのまま暫く無言で進んだ三人だが、煌々と光を灯している学園本校舎がだいぶ近付いてきた頃にライエンティールが口を開いた。

「何でそこまで落ち込むかなぁ」

「いや、色々悪いことしたなって」

 タックはそう言ったきり黙り込み、いつもの快活な様子は欠片も見られない。

 ライエンティールは仕方なくメルライアに視線を向け、何とか説明をと求めた。

「学生気分の勢いで飛び込んだはいいけど、現実を突き付けられて落ち込んでるのよ」

「どういうこと?」

 メルライアは静かな声で、ひとつずつはっきりと言葉を区切るしゃべり方でライエンティールに言い聞かせる。

「責任の重さの違い。大半の軍の甲冑は戦闘機とかと同じように機付長が居て、その人が全責任を負って整備を行う。その人は戦闘導術士の命を預かるっていう重責に耐えながら仕事をしているわ」

「うん」

 それはライエンティールも授業で学んだことだ。

 戦闘導術士はそれらの整備士と信頼関係を築き、共に錬装甲冑を運用する。どちらが欠けても決して満足できる戦果は挙げられない。

「でも、大工房じゃそんなことはやってないんス。新しく搬入されてきた甲冑に、その都度班が割り当てられるだけで、一度送り出したらそれではいサヨウナラってのが当たり前」

「大工房は外の工房とは違って授業の一環だから、色んな甲冑に慣れるためって意味もあるんでしょうけど。どちらにせよ、整備士の責任っていうのは長期的なものじゃないわ」

 メルライアは「そうでしょ?」とタックに確認する。それに頷いたタックは、頭を掻き、唸った。

「オレ勢いで突っ込んだけど、あの人からすりゃ気ばかり急いてる視野狭窄の装着者の身内に機体弄られたくなかったんじゃないかねー。今回の話、班長に知られたら殴られること間違いなしだわ……とほほ……」

 ライエンティールは気落ちしたままのタックの肩を叩き、慰めるように背中を撫でた。

「わたしは嬉しかったよ。最初はあんにゃろわたしの友達に何してやがんだーって思ったけど」

「そう言って貰えて嬉しいけど、今回はあの人の言ってることの方が正しいっスよ。延髄基幹部ってのは軍でも結構厄介な部品で、基本的には交換することはない。オーバーホールのときにメーカーで交換するってのが当たり前で、機付長や機付整備員は日頃の点検ぐらいしかしない部分なんよね」

「そうなの?」

「人間の背骨みたいなもんで、中に各部への伝達系がみっしり詰まってるんよ。交換するにはかなりの手間と根気が必要で、あの人よく一人でやったもんだと正直脱帽するしかないわー」

「そ、そんなに大変なの?」

 ライエンティールはタックのげんなりとした表情に、ごくりと生唾を呑み込んだ。

 メルライアはそんなふたりを眺めていたが、おもむろにPDAを操作して学園のカリキュラムを呼び出した。

 錬装技匠科のカリキュラムの中で延髄基幹部という単語を検索すると、それが出てくるのは卒業の一年半前だ。最後の一年は研修ばかりだから、実質最後の仕上げの部分に組み込まれている。

「こんな感じ」

 そんな内容が映し出されたPDAの画面を見て、ライエンティールは「うわあ」と口を押さえた。そこに至るまでに記されているカリキュラムを見るだけで、思わずそんな声が出てしまった。

「あの辺は大工房でも上級生しか扱ってない部分。あのカバー開けて延髄基幹部見せられた一瞬で、『冷静になれ』、『責任を持て』、『お前の腕でやれるのか』って三連コンボ喰らった気分。実際オレの心はダウン寸前よぉ」

 おいおいと泣き真似をするタックを冷ややかな目で見詰め、メルライアはライエンティールに向き直った。

「でも、ガルディアンさん、よくそこまでやってくれたわね」

「え?」

「だって、かなり面倒な整備してくれたんでしょ? メーカーに送らなかったのは時間がないからでしょうけど、学園の授業もあるんだから大変なのは間違いないわ」

 そう言われれば、ライエンティールには心当たりが幾つもある。

 マイトはライエンティールが夕方に工房に行けば必ずそこに居て何某かの工作機を動かしているし、色々な検査や調整を済ませて工房から帰るときもまだ作業台に向かっている。

 休憩時間と言ってもライエンティールと会話をするぐらいで、時間を決めて休んでいる訳ではない。

「あー」

「その様子だと、結構心当たりあるのね。感謝しなさいリリィ」

 感謝と言っても、工房に行けばその半分の時間は雑用係としてこき使われる日々である。だが、仕事に対する文句は一度も聞いたことがなかった。

 ライエンティールは一度空を仰ぎ、「んー」と唸ったあと、頷いた。

「うん、分かった」

「え!?」

 しかし、友人ふたりの反応はライエンティールの予想だにしていないものだった。

 メルライアは大きく目を開いてまじまじとライエンティールの顔を見詰め、タックは見てはいけないものを見てしまったかのようにその場から飛び退る。

「な、何よ!」

 友人ふたりの反応に、ライエンティールは顔を紅潮させて怒鳴った。

 確かに自分らしからぬ素直な態度だと思ったが、ここまで大きな反応を返されるほどではないと思っていた。

「はー、やっぱり人との関わりって大事だなー」

「そうね。いくら人見知りだからって、いつまでも殻に閉じ籠もってたら駄目なのね」

「むきゃー!! 何よ二人して!」

 吼えるライエンティールをその場に置き去りにし、メルライアとタックは学園へと戻る道を進んでいく。

 その顔には新たな知識を見出した賢者の如き穏やかな表情があり、それが尚のことライエンティールには気に食わない。

「ちょっと! 本当にどういうこと!? 何でこんな扱いされてるの!? ねえ? ねーったらー!」

 騒がしい少女の声は、延々と響き続けた。


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