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第二章〈少年少女の日々〉2-2

「メルライア!」

 授業と課題を終えて宿舎に戻る途中、メルライアは背後から名を呼ばれ、振り返った。こちらに向かって、赤い短髪の少年が手を振りながら走ってくる。

(何であんなに焦ってるのかしら?)

 そんな疑問を抱きながらも、メルライアは自分の抱えている資料の紙束が少しずれたのが気になった。

「どうしたの、タック」

 メルライアは息せき切って自分に駆け寄ってきた友人の様子に首を傾げ、訊ねる。大声を上げるのは騒音の中で仕事をする錬装技匠科の学園生によく見られる癖だ。

「どうしたって、リリィは今何処に?」

「この時間なら、訓練が終わって新しい工房に行ってると思うけど」

「そんな……!」

 少年の表情が絶望に歪む。

 何事かと思ったメルライアは、タックを伴って通路の片隅に移動する。

 そこでタックの呼吸を落ち着かせ、理由を問う。

「何かあったの?」

「リリィが何かもの凄い格好で訓練してたって聞いたんだよ! 新しい整備士に何か弱みでも握られたんじゃないかって噂になってて……」

「もの凄い格好って……」

「あの裸よりエロいって有名なトレーススーツだよ! しかも神聖帝国の野暮ったい奴じゃなくて北合衆国の色気満載の奴!」

「ああ、あれ」

 メルライアは直情的で背後を顧みることのない友人の行動力に呆れたし、ろくでもない噂を喜んで吹聴する学園生に侮蔑の感情を抱いた。相手がライエンティール・ヴィルトリアという少女なら構わないだろうという、見下げ果てた性根だ。

「俺も見たかったのに!」

「こら」

 タックの本音を聞いたメルライアは。目を吊り上げて彼の額を人差し指で小突いた。少し本気で突いたので、メルライアの指も痛みが走る。

「いって!」

「いつもそうやってあの娘をからかうけど、度が過ぎれば他の連中より問題よ?」

「ああもう、確かに悪かったよ。でも映像とか少し出回ってて……」

「そっちは学生自治会の風紀部に通報するわ。それで?」

 メルライアの冷たい表情に、タックは首を竦めた。冷静沈着で表情を変えないため、彼よりも遙かに年上に見える。もっとも、本人は実年齢より上に見えることを気にしており、迂闊に口には出せない。

「いやだから、リリィが自分からそんな格好する訳ないじゃん? ひょっとして新しい整備士が不届きなエロ野郎で嫌がるリリィに無理やり色々やらせてるのかと……」

 最初は得意気に語っていたタックであるが、途中でメルライアの視線が気になり始め、最終的にはだいぶ小さな声になっていた。

 タックは、この他人を動物のように見るメルライアの目が苦手だった。それさえなければ、彼は躊躇うことなくメルライアを口説いていただろう。

 彼は、真性のマゾヒストではなかったのである。

「それはないわ。あのリリィが黙って言いなりになる訳ないでしょう」

「確かにまあ、それはそうだけど」

 タックはそれでも尚、自分の考えに一定の自信を持っているようだった。

「うちの大工房にも、外の工房にも依頼できなくて仕方なくその工房に頼んだ訳だし……」

 そう言い募れば再び動物扱いである。

 間違いなく、そういった趣味を持つ男であれば泣いて喜ぶ視線だ。

「――ごめんなさい」

「よろしい」

 メルライアに許されたタックは、「それはそれとして」と別の話題を切り出す。そうでもしないと、更に怒られるという予測が彼の中にあった。

「うちの班長も結構気にしててさ、昇格戦統裁部への提出義務がないからって工房のデータベースに落としたままだった整備データ、リリィの新しい整備士のところに持っていけって頼まれたんだよ」

 そう言ってポケットから取り出したのは、金属カバーの付いたチェーン付きフラッシュメモリだった。

 それを弄びつつ、タックはさらに言い訳にも聞こえる事情説明を続ける。

 彼に対し、メルライアの視線は常に冷ややかだ。

「実はうちの班長も何か細工をされたんじゃないかって疑ってる。だけどほら、うちはあくまでも実習名目で最低限の整備と調整だけしかできないから、分析しようにも設備がないんだよ」

「だから、データだけでも新しい整備士に渡して、分析をして貰おうってこと?」

 メルライアはそのタックたちの行動を、他力本願だと思った。しかし、彼らは自分たちに出来うる範囲でその責任を果たそうとしている。

 それに、彼らの工房は常に誰かの監視下にあると言っても良い。下手な陰謀ごっこは自分たちの首を絞めることになるだろう。

「整備記録だけじゃ原因は分からないかもしれないけど、何もないよりはね。学園のデータベースから必要な情報は持ってこれると言っても、細かい記録まではないじゃん?」

「確かに、その通りね」

 メルライアは頷き、タックの手からフラッシュメモリを奪い取った。

「ちょ、何すんだよ!」

「私はリリィがどこに行ってるか知ってる。届けてあげようってこと」

「いや、俺も班長からの言い付けだしさ、他人に預けてはい終わりって訳にもいかないんだけど……」

 メルライアの視線の温度が下がるにつれ、タックの声が少しずつ小さくなっていく。

「本当のところは?」

「エロエロなことになってないか気になって……」

「ほんっとうに、馬鹿ね」

 若き少年の迸る青春は、留まるところを知らないようだ。

「あ、はい、すんません」

 素直に頭を下げるタックに、彼女は資料を押し付けた。

「それ、部屋まで運んで。そうしたらリリィのいる工房まで案内してあげる」

「お、マジで? メルライア様女神様超感謝!」

「いいから早くして」

 自分を拝み始めたタックを無視し、メルライアは宿舎へと向かう。その頬が少しだけ緩む。

「はいはーい!」

 その背を追いながら、タックは調子よく返事をした。

 


「ごめんなさーいでしたー」

「おう、ちゃんと謝れやこの我儘娘」

 ごん、と一発振り下ろされた拳骨は、狙い違わずライエンティールの頭頂部に命中した。

 ぐえ、と蛙の潰れたような悲鳴が発せられ、ライエンティールがリビングの床に蹲る。

「ああああ、いたいぃ~」

 頭を押さえながら呻くライエンティールを横目で見ながら、マイトは印刷した諸元表を手にソファに座る。

「おう、呻き終わったら面接するぞ」

「な、何という鬼畜整備士。乙女を傷モノにしておいて……」

 涙を浮かべた上目遣いでマイトを見るも、少年にとってみれば、それは自分を優位にするための女の武器にしか見えない。

 だから彼は、その武器を総て無効化する言葉を発した。

 これを言えば少なくとも、彼の妹は静かになったのだ。

「君の教義がそれを傷モノというなら、責任ぐらい取ってやるわい。だからさっさと座れ」

 がたたた、と慌ててその場から逃げ出すライエンティール。

 両手で自分の身を抱え、怯えたような表情を浮かべた。

「この鬼畜!」

「分かった。この仕事は降りる方向で……」

 ライエンティールはマイトのその言葉で、今度は一気に近付いた。

 むしろ縋り付く勢いである。

「うわあああ! ちょ、ちょっと待ってごめんなさい!」

「おう、最初っから素直に謝れば俺だって何もしないぞ」

 マイトは余裕綽々といった風を装っていたが、密かに鬼畜と言われたことを気にしていた。自分は果たしてそこまでの悪行を重ねたのかと自問する。

「やってないよな、うん、やってない」

 そう呟いたマイトの言葉は、ライエンティールには断片的にしか聞こえなかった。

「え、やらない? 整備してくれないの?」

 そして自分なりにマイトの言葉を理解した彼女は、この世の終わりかと言わんばかりの表情を浮かべていた。

 マイトはここに至り、この少女の性格をほぼ正確に理解する。

「ライエンティール・ヴィルトリア。君、人の話はちゃんと聞きましょうとか、もう少し落ち着きを持ちなさいとか言われなかったか?」

「い、言われてないですよぉお!?」

 メルライアはマイトの指摘に目を逸らして動揺した声で答える。明らかに言われ慣れているようだった。

 マイトはそれを確認し、嘆息した。

「感情の上下幅が大きい。これは確かに導術を用いるときには有利かもしれないが、これからは直した方が良い」

 儀界導術士は、その感情の振れ幅が導術の威力に直結する場合が多い。

 中には常に音楽を聴きながら戦闘行為を行う戦闘導術士もいるほどで、感情面でのテンションが限界突破の鍵のひとつとして認識されていた。

 気分が高揚することで意識の拡大し、それがそのまま儀界導術を使うためのキャパシティになっているのだろうと言われている。

 しかしこれは問題も多い。

 気分の上下で能力が変化するのは、兵器として見れば明らかな欠陥である。如何に威力が増すといっても、本人さえ制御できないという事例も皆無ではないのだ。

 だからこそ、軍に属する儀界導術士は冷静沈着を旨とし、常に一定の能力を発揮できるよう様々な訓練機関で経験を積む。ここレイスマギルカ学園も、その訓練機関のひとつだ。

「ほ、ほら、わたしって風系の導術士でしょ? だからどうにも気儘なところがあるって教官が……」

「教官が?」

「――がっつり怒ってました」

 がくりと項垂れ、肩を落とすライエンティールに、マイトはこの日何度目かになるか分からない溜息を吐いた。

「そりゃそうだ。空圧系に限らず、高速近接格闘型って言えば、地上の兵隊の神様みたいなもんだぞ。歩兵ぶった切って戦車をぶった切ってヘリをぶった切って、おまけに地上制圧のために降りてきた地上攻撃機を追い回す。おう、ライエンティール・ヴィルトリア。そんな崇めても崇めても足りないような存在がぷーぷくぷーだったらどう思うよ?」

「ぷーぷくぷー!?」

「ぺーぺけぺーの方がいいか?」

「どっちも嫌よ!」

 どんどんと床を叩き、ライエンティールは猛抗議だ。

 マイトは仕方のない奴だと頷き、告げた。

「分かった。ぽーぷくぺーと呼ぶことにしよう」

「さらに混ざって悪化した!」

 どんどんどん。

「それはさておき、第十位と君の彼我戦闘能力について色々戦闘情報を分析するとだ」

「あ、うん」

 急に話を変えたマイトに面食らいながらも、そそくさと向かいのソファに座るライエンティール。ちょこんと腰掛け、打ち合わせの資料として渡されたファイルを開く。

 そこには、これまでのライエンティールの戦闘記録と、学習資料として学園全体に向けて公開されている相手側の記録が併記されていた。

 相手側の資料には武装導術士科や錬装技匠科向けに整備記録も添付されており、各箇所の部品消耗度合いから分析された、その機動の癖までも明確に記載されていた。

「何これ」

「何とは何だ。武装導術士ってのはこういう仕事もするんだぞ。鹵獲兵器の簡易分析とか、それに基づいた対処法の考案とか。あとはへたくそな使い方をする戦闘道術士を肉体言語で矯正したりとか」

「はぁ」

 ライエンティールは武装導術士を、前線の整備兵といった程度にしか考えていなかった。重要な仕事なのは分かるが、それはあくまでも戦闘導術士が居てこそだと。

 しかし実際には、戦闘導術士よりも武装導術士の方が戦場では重要視される。敵から真っ先に狙われるのは最前線で戦う戦闘導術士ではなく、武装導術士だ。彼らが居なくなった部隊は、その稼働率が目に見えて低下するという。

「だから、それはどうでもいい」

 マイトは再び脱線しかけた話を引き戻す。

 ライエンティールは自分の戦いの詳細を記録した資料に気を取られながらも、マイトの言葉を聞く。

「資料の五ページ目。ここにあるのは君と第十位の甲冑が装備する武装の有効射程を示したものだ」

 言われたとおりのページを開くと、左にライエンティールの〈風の魔女〉、左に彼女の対戦相手であるパトリック・グラントの〈血塗れ伯爵グラーフ・ブルツ〉の武装有効射程が扇状に記載されていた。

「相手の錬装甲冑は汎用型という名目だが、実質的には機動遊撃が主任務の射撃型だ。近接武装は素体になった神聖帝国の〈グスタフ〉に標準装備されていたコンバット・アックスが腰のマウントラッチに一本だけ、対する君の〈風の魔女〉は……」

「全武装の八割が近接格闘用。残る二割も牽制目的の軽火器よ」

「その通り、つまり……」

 マイトは頷くと黒髪を掻き上げ、インタフェースグローブを嵌めた指を鳴らした。すると、リビングの片隅に置かれていた投影機付きのコンピュータが起動し、ふたりの間に二基の錬装甲冑の三次元データが映し出される。

 三次元モデルは様々な武装を展開してはそれを放つ動きを見せ、その数値はグラフとしてマイトとライエンティールの眼前に表示された。

「第十位と君に限れば、接近さえ出来れば十二分に勝機はある。これは君も分かっていることだろう」

「当たり前でしょ。相手のことは徹底的に研究したし」

 パトリック・グラントはその手堅い戦法で今の地位を維持している。昇格戦の行われる学園の大演習場の端から端までを安定して射撃できる武装をバランス良く搭載し、近接戦闘を得意とする相手が近付いて来れば弾をばらまきながら距離を取り、遠距離戦を得意とする相手に対してはその運動性を生かした一撃離脱戦法を取る。そして隙を見付け、一気に勝負を掛けるのだ。

「相手は大出力のジェネレーターを積み、十分な武装積載量を持つ中量級の機体を準高速型と言っても良い程度までチューンしている。羨ましくなるくらい贅沢な使い方だ」

 元々正規軍に制式採用されるほどの安定性を持つ錬装甲冑を、さらにフルカスタムしている〈血塗れ伯爵〉。データで見れば、ライエンティールの〈風の魔女〉の二.五倍の機関出力を持ち、推進器出力でも一.八倍という数値になっている。

「何? わたしの〈風の魔女〉が学園支給甲冑のセミカスタムだからって馬鹿にしてるの?」

 そうライエンティールが頬を膨らませるもの無理はない。

 彼女の〈風の魔女〉は、学園が戦闘導術士科の学園生に支給するガリア製錬装甲冑〈フランベルジュ〉の高速型派生機を改装したカスタム機だ。未だに、所有権は学園にある。

「馬鹿になんてしてないぞ。バランスも取れてる良い改造だ。ただ、ジェネレーターは瞬発力を上げるための調整はしてあるけど既存のままだし、武装もほとんど既製品でこれといった特徴はない」

「それが馬鹿にしてるっていうのよ!」

 ライエンティールの頭が三次元モデルの中を突き抜け、マイトの目前まで迫る。

 マイトはライエンティールの膨らんだ頬を突いてぽひゅうと空気を抜くと、その額を押してソファに押し戻した。

「何すんの」

 再び膨らむ頬。不満そうなライエンティールだが、その表情が妙に楽しそうに見えたのは、マイトの錯覚だろうか。

「話は終わってない。いいから座ってろ」

「はいはい」

 ライエンティールがソファで体勢を整えると、マイトは三次元モデルを〈血塗れ伯爵〉のものに切り替えた。

 どこからどう見ても、祖国からの補助という潤沢な資金にものを言わせた高次改造機だ。ただ、第十位以上の上位者ハイアードたちはその大半が、これ以上の甲冑を持っている。

 中には軍の量産試作機を持ち込んだ剛の者もいるという。

「手堅く勝つ。相手の基本戦術はそこに尽きる。だから、自分より強い相手にはほぼ勝てないし、格下相手にはこの上なく強い。勝てる方法でしか戦わないってのは、学園にいる分には賢いやり方だな」

 実戦において勝てる戦いがどれだけ用意できるか。所詮戦闘導術士はひとつの戦術単位でしかない。指揮官が有能でも無能でも、不利な戦いを強要されることが当たり前だ。

 そうなったときに、パトリック・グラントがどの程度の実力を発揮できるか、マイトは少し楽しみだった。

 手堅く守り切るか、それとも自分のキャパシティを超えた状況に戸惑うのか、経験を積むほど長生きできるかどうかは、本人次第だ。

「じゃあ、どうしろって言うの?」

「簡単なことだ。『初撃必殺』――実に単純」

「初撃って……一発で決めろってことでしょ? わたしも前の戦いの前に同じ事考えたし、実際に開始直後に一気に距離を詰めたけど、向こうの後退速度が予想より速くて捉えきれなかったのよ」

 ぶつぶつと文句を言いながらも、ライエンティールは自分と相手の昇格戦での動きをしっかりと分析していた。それはあの敗北の直後、再戦が認められる前から悔しさを押し殺して行ってきたことだ。

 マイトはライエンティールのそういった純粋さが好ましく思えた。それは、故国にいる妹とよく似ているからということもあるだろう。

「捉えきれなかったというのは、おそらく相手の動きが予想よりも早かった訳ではなく、君の動きが鈍っていた可能性が高い」

「え?」

 それはライエンティールが敢えて考えずにいたことだ。自分の錬装甲冑に細工を施されたかもしれないと考え、しかし友人の名誉を考えて、敢えて思考の外に追い出していた。期待していたのだ、整備不良だとしても故意に行われたものではなく、単なる事故だと。

 だが、マイトは〈風の魔女〉の最新データを表示することで、そんなライエンティールの希望を打ち消した。

 三次元モデルの横に、推進系のコントロールプログラムが表示される。その一部が、マイトの手によって赤く着色されていた。

「物理的な細工じゃないのは確かだ。君の友人がどの部分を担当していたかは分からないが、中枢制御プログラムを技匠科の二年がいじれるとは思えない」

「じゃあ!」

 ライエンティールはその細工で自分が痛い目を見たというのに、友人がそれを行ったのではないと知ると、ぱっと表情を輝かせた。

(単純というか、真っ直ぐというか)

 マイトは呆れたが、それも美徳のひとつだろうと思い直した。

 父の名を復することを生き甲斐にしていながら、今の自分と周囲をしっかりと見詰めている証拠だ。他者の悪意に父を殺されていながら、自分は他者である友人を信じる。

 これは間違いなく、ライエンティール・ヴィルトリアという少女の類い希な強さだった。

「確実なことは俺には言えないが、その可能性はほぼないと思っていいんじゃないか?」

「うん、ありがとう!」

 そう言って、ライエンティールは満面の笑みを見せた。

 他の誰かが同じことを告げても、ライエンティールは信じ切れなかったかもしれない。マイトという、友人を知らない人物が告げたことだからこそ、信じられた。

「おいおい、喜ぶのはまだ早いぞ」

「あ、うん、そうだったわね」

 ライエンティールは顔を赤らめ、居住まいを正す。

 その姿を一目見て頷き、マイトは言葉を続けようとした。

「じゃあ、次の問題点だが……」

 だが、ちょうどそのとき、工房の玄関で来客を告げるブザーが鳴った。

「誰だ? 今日はもう荷物はない筈だぞ」

 マイトはグローブの人差し指で記号を描く。それはインタフェースグローブのコマンド方法のひとつだ。

 その入力に答え、マイトの前に玄関前の様子を映し出すモニターが展開される。

 若い男がインターフォンの前に立っていた。

「あ」

 その映像を三次元モデルの向こうから覗き込んでいたライエンティールが、小さく声を漏らす。

 マイトは視線で「知っているのか」と訊ねた。

「うん、暗いから分かりにくいけど、多分今話してた友達。錬装技匠科のタック・イェーガーだと思う」

「そうか、じゃあ大丈夫だな」

 マイトはモニターを切ると、来客を迎え入れるべく席を立つ。

 その後ろを、カルガモの雛のようにライエンティールがくっついていった。



「はいはいっと――えーと、どちらさん?」

 そう言って扉を開いたマイトは、そこに立っていた見覚えのない一組の男女にほんの僅かな警戒を見せた。それは軍人としての経験を積んだ者特有の、無意識の警戒だった。

 先ほどは男しか見えなかったが、どうやらその後ろにもうひとりいたようだ。

 だが、たとえライエンティールの友人だとしても、警戒は怠らない。

「お仕事中、失礼します。私はメルライア。メルライア・ロシェード。情報統括科二年で、ここでお世話になっているライエンティールの友人です」

「錬装技匠科のタック・イェーガー。同じくライエンティールの友達っす」

 自己紹介され、それぞれ名札代わりの身分証を提示されれば、マイトも多少なりと警戒を緩める。

「マイト・ガルディアンだ。ちょっと待ってくれ、ご友人を呼ぼう」

 そう言って背後を振り返るマイトだが、そこにはもうライエンティールが待機していた。

 自分に出番はあるのかと期待するライエンティールの姿は、まるで餌を待つ飼い犬のような雰囲気を持っていた。

「――友人が来てるぞ。ふたり」

「え!?」

 流石に友人がふたりとも訪ねてくるというのは、ライエンティールも予想していなかったようだ。先ほど見えた映像でタックには気付いていたが、メルライアまでいるとあってははしゃぐのも無理はない。

「あ! タック! メルもいたんだ!」

 ライエンティールはマイトの横をするりと抜けて外に出ると、メルライアたちとマイトの間に立つ。そして一頻りメルライアの手を握ってぶんぶんと振り回したあと、首を傾げた。

「どうしたの?」

「タックが学園データベースに入力していない整備データを持っていきたいっていうから、案内してきたのよ」

「そうなんだ。こんな何にもない辺鄙な所までありがとう。遠かったでしょ」

 ライエンティールはメルライアとタックの手を握り、礼を述べる。ライエンティールに手を握られたタックの鼻の下が少しだけ伸びていたのは、ひとつの愛嬌として見るべきか。

 だが、マイトは少しだけ不満だった。

(こんな辺鄙な所って……あいつめ……)

 確かにマイトの工房はあまり大きくはない。

 さらには二階建て住居の付いた小さな工場は明らかな劣化の痕跡が見られ、設置されている機器もマイトの要望で追加されたもの以外は、彼の年齢よりも年上のものも多かった。

 だがそれでも、彼にとっては己が城である。

「おう、ライエンティール・ヴィルトリア。自分の甲冑を預けている工房を『辺鄙』とはよく言った」

「あ……」

 ライエンティールは背後から掛けられたそんな言葉に肩を震わせ、直後に固まった。

 そして油の切れたブリキ人形のように緩慢に振り返り、そこでマイトの清々しいまでの笑顔を見る。

「よーし、こんな辺鄙な所じゃない工房に移すために梱包するぞー」

「いやああああぁぁぁ~~やめてぇええええ~~」

 マイトがくるりと身体の向きを変え、工房へと入っていく。ライエンティールはその腕に縋り付いてずるずると引き摺られていく。

「あんな恥ずかしい格好までしたんだから見捨てないよぉぉおお~~」

「自業自得な部分までは知らん。俺は必要なことを頼んだだけだ」

「うわぁああああああ~~」

 ずーるずーると跡を残して引き摺られていくライエンティールの様子に、友人ふたりは目を丸くして立ち尽くしていた。

 これまで見てきたどんな姿よりも感情露わで、子どもらしい姿だ。それが実年齢よりも遙かに幼い駄々っ子のような様であったとしても、驚くには十分過ぎる。

「ほら、適当に引き継ぎ書類書いてやるから、また明日から頑張れ」

「いやだ。あれ大変なんだよ!? キャリアーのレンタルだって只じゃないんだから! ていうか、本当に追い出すつもりじゃないよね!? 冗談だよね!?」

 メルライアとタックの目の前で繰り広げられているものは、その言葉だけで捉えるなら痴話喧嘩のそれである。家から追い出されようとしている女が必死に男を宥めるようなその状況に、メルライアは少しだけ頭が痛くなった。

「冗談? そう見えるかライエンティール・ヴィルトリア」

「見えないから訊いてるんでしょ! さっきのあれは言葉の綾って奴で本心じゃないから!」

「ほうほう」

 出会って数日しか経っていないにも関わらず、ふたりの遣り取りは流れるように滑らかだ。

 ライエンティールを入学当初から知るメルライアにしてみれば、その事実が驚愕すべきものだった。

(リリィとここまで早く打ち解けるなんて……やっぱり普通の武装導術士じゃないみたいね)

 必要以上の他人との接触を避けるライエンティール。その大前提を簡単に破ったマイトに対し、メルライアは警戒心を抱いた。

 出会った切っ掛けがあまりにも衝撃的に過ぎ、その結果ふたりの距離が強制的に縮まったことを知らない彼女は、何よりも友人を心配していた。

「あの、私たちもお邪魔してよろしいですか?」

「うん? ちょっと待ってくれ」

「え? ちょ、何するの!?」

 マイトは生体作用型の導術を全身に掛けると、腕にへばりついたライエンティールを引き剥がして応接室のソファに放り投げ、その悲鳴と文句が背後から聞こえてくる中でメルライアとタックを招き入れた。

「辺鄙で何もない所だが、コーヒーぐらいは出そう」

「う、うっす」

「ありがとうございます……」

 ふたりは思った。

 この人、結構根に持つタイプだ、と。


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