第二章〈少年少女の日々〉2-1
「え? もう許可出たんですか?」
ライエンティールは学園事務局で思わず間抜けな声を上げていた。
彼女が昨日の夜提出したマイトの整備主任就任申請は、翌日の朝方には受理され、新たな専属整備士の許可証が交付された。
その早さたるやライエンティールが前述の言葉を場も弁えずに発してしまうほどで、まず異例と言っていい。
事務局には常に多くの仕事があり、それだけに許可ひとつ取るにも時間が掛かる。たとえそれが申請者にとって緊急性の高い申請であっても、それは同じ事だ。少なくとも生命財産が掛かっていない限り、その前提は崩れない。
その筈だった。
だからこそ、ライエンティールとしては学園側の許可のいらない、工房との直接的な金銭契約による補修と改修という名目でマイトを雇おうとしていたのだ。
学園の規則に照らせば、ある工房を学生の専属整備担当として申請し、学園からの許可を得られれば、そこで発生する諸々の諸費用は大半が学生としての活動に必要な経費として認められることになっている。
それを主たる収入にしている工房もあるほどで、如何に多くの学園生と専属契約を結ぶかが、工房のステータスのひとつだった。
専属契約があれば、学園側のデータベースにアクセスする権限も与えられる。そこには数多の技術知識があり、工房にとってはその情報だけでも垂涎の的だ。
もっとも、敢えて専属契約を結ばずにいる工房もある。
それは専属契約を行った場合、安定した収入と引き替えに学園と学園生に対する責任も負うからだ。
工房側の不手際で学園や学園生に損害を与えた場合、工房側はそれを補償することになる。そういった工房を相手にする保険会社も存在するが、それに加入できるほどの資本を持つ工房など全体の三割程度だった。
つまり、専属契約は工房に対して安定した仕事と収入、そして新たな技術を提供するが、それに見合ったリスクも要求する。もっとも、そのリスクは工房主と所属する技術者が全員学園生である場合、著しく小さなものになる。
専属契約そのものが学園における学習行動の一環と看做されるためだった。
「てっきり、却下されるか時間がかかるものだと……」
ライエンティールは自分に事務局中の視線が集中しているのを感じながら、目の前にいる中年の男性職員に言い訳を連ねた。
職員は明らかな愛想笑いを浮かべるライエンティールに不審そうな表情を向けていたが、それでも自分の職務には忠実だった。
「学園長から直接ね、君の専属整備士になる若者に関して“規則に反しない範囲で特別な便宜”を図るよう通達があったんだ。友好国からの留学生だし、中途半端な時期だから実績だけでも他と横並びになる程度の下駄を履かせようってことだと思うんだけど……」
「はぁ……なるほど」
なるほどとは言いつつも、ライエンティールは心の中で大いに叫んでいた。
(どういうこと!? わたしいったい誰に大事な甲冑預けたの!?)
昼にメルライアから示された情報は、ライエンティールにマイトへの疑念を植え付けるには十分過ぎた。
ただそれを確かめる術が、彼女にはなかっただけだ。
「あと、これが事務局宛に来てたから渡しておくね。受領のサインはこっち」
「あ、はい」
続けて渡されたのは、大した重さのない茶色の紙袋だった。事務員はそこに貼り付けられていた荷札にライエンティールのサインを貰うと、用は済んだとばかりに仕事に戻る。
ライエンティールは荷物の送り主が件の整備士であることに気付いて首を傾げるが、事務員にそれを尋ねるのは躊躇われた。訊かれたところで、事務員に答えられることはないだろう。
「ありがとうございましたー……」
事務局を出ると、ライエンティールは紙袋を持ったままトレーニング施設へと向かう。日課にしている訓練も、昇格戦の再戦が認められたことでその密度は増していた。
廊下ですれ違う学園生が友人たちと楽しげに会話している様を横目で見ながら、ライエンティールは抱えた紙袋をぎゅっと抱き締める。
(別に、わたしには関係ない)
こんな自分を助けてくれる友人はきちんといる。普通の学生として生きるようなことを望んでいる訳ではない。
だから、大丈夫だ。
(うん、大丈夫)
たとえそれが強がりであったとしても、ライエンティールにはそれしか確固たる価値観がなかった。
自分のルーツである父の名誉を回復する。その決意だけが彼女の意思を支えていた。
「あ、そういえばこれって何だろう……?」
ライエンティールはトレーニング場に入り、受付を終えた辺りで紙袋の中身を確認していないことに気付いた。
彼女は受付横の休憩スペースで紙袋を開け、そこに入っているものを取り出し、広げた。
「げっ」
乙女が発するには少し考え物の声を発し、ライエンティールは硬直する。続いて肩を奮わせ、顔を真っ赤に染めていく。
それは、全身を包む薄い布地の、レオタード調の訓練着だった。同封されたカードには、それのみを着用して所定の訓練を行うように記されている。
「うわ、何アレ……」
「ひでーな、趣味か?」
背後を通過する学園生たちが、彼女が広げたものを見てそう感想を述べていく。
ライエンティールはその声にはっと我に返ると、それを慌てて抱え込む。その顔は羞恥で赤く染まり、彼女はそのまま女子更衣室に飛び込んだ。
広い更衣室の中にはそれなりの数の学園生が居たが、扉からロッカーなどが並ぶ区画には壁があって見通すことができない。だから、慌てて飛び込んできたライエンティールに注目する者はいなかった。
(あり得ない! こんなの絶対あり得ない!)
そう心中で叫びながら、ロッカーのひとつを開いてそこに紙袋を突き込む。
そこからはみ出した封筒に気付き、慌ててそれを開いた。
「ぐ、ぐぬぬ……」
その内容に、思わずそんな声が出る。
〈中枢ユニットを分析した所、モーションデータの一部が欠損していた。それを補填するついでに新しいモーションデータを収集する。このデータ収集用トレーススーツを着て基礎訓練番号二から六までを二セット行うこと。なお、これ以外の衣類の着用は下着も含めて筋肉の動きを多少なりと阻害するので認めない〉
トレーススーツ。それは術士の動きや導術回路の流れを感知し、外部機器にフィードバックする装置だ。
腕のみのスーツが外科手術や危険物質を扱う研究機関で使用されていたり、製鉄所の高炉区画や原子炉などの極所作業用遠隔操作ロボットの操作用に民間にも出回っている。
「だ、だからって……こんな痴女みたいな格好出来るわけがないじゃない!」
ライエンティールはこの場にいない整備士に文句を垂れる。
その気持ちも理解できないものではない。身体の線が完全に現われるのだから、その姿は裸と大して変わらない。見る者の好みによっては、こちらの方が“良い”という場合もあるだろう。
「薄い! 超薄い! まるで何も着てないみたーい! ――がっでむ!」
床を踏み鳴らし、ライエンティールは吼える。それはもう、周囲の迷惑など顧みない勢いで吼える。幼少の頃過ごした南合衆国の言葉が出てくるほどだ。
「何なのよ……うう……」
そしていきなりテンションが落ちる。電源を落としたかのようにばっさりと。
「他に選択肢はない、わよね……」
上着も駄目、下着も駄目となれば、当然薄いトレーススーツしか着ることはできない。彼女自身、自分のスタイルにはそれなりの自信を持っていたが、それを他人にひけらかすような趣味は持ち合わせていなかった。
しかし、それを見越したかのような言葉が便せんに綴られている。
〈若い間は体型及び体組織の変化もあってこまめなデータ更新が不可欠だ。どうせ学園が義務付けた年一回のデータ採取しかしてないんだろう。体型の変化、筋組織の変化、導術回路位置の変化。かなりデータを修正しなくてはならない箇所があるぞ〉
「ぐぅうううううう!」
一々正論である。
ライエンティールは額をロッカーの扉にがんがんとぶつけ、吐き出しようのない怒りを誤魔化す。
〈そのスーツは君の体型から導術回路、その他諸々のデータ収集を一括で行える優れものだ。北合衆国からの輸入品で当然高価なので大事に扱うように〉
その文面を読み、ライエンティールは慌てて無造作に突っ込まれたままだったスーツを取り出した。確かに、恐ろしく細く細かい導線が張り巡らされ、小さな複合センサーがラメのように光っている。
腰の動きを阻害しないためか、無線式の中枢ユニットが袋の中からぽろりと転がり出る。ライエンティールはそれを受け止め、なおも唸り続けた。
「ど、どういうこと……でもやらないと……うわぁぁああ……」
何かを手に入れるためには、何かを失わなくてはならない。
ライエンティールはそんな人生の鉄則を今日、ようやく理解した。
その結果、色々なものを失った。
「うるぁあああああああッ!!」
ドカン、と爆発するかのような勢いで工房の玄関が開かれる。
そこに居たのは訓練を終えたあと導術を使った全力疾走で工房まで走ってきたライエンティールで、その髪は制御が緩くなった空圧制御系導術の影響を受けてか、天に向かってゆらゆらと揺れていた。
「おう、お疲れ」
しかし、機械類が騒音を発する工房の中から辛うじて聞こえてきたマイトの声は、ライエンティールの怒りなど何処吹く風といった風であった。
その声の発生源が工房奥の手加工区画であると見定めたライエンティールは、大きな足音を立てながら工作機械の間を抜けていく。
そして、精密ボール盤の前に立つマイトの姿を見付けると、そこに向かって一気に突き進んだ。相手は正しいが、自分の怒りも正しい。そんなやるせない感情がライエンティールの眼を潤ませた。
「データ持ってきたぞこの××野郎! 精密機器だからクリーニングも出来ないとかふざけてるの!?」
そう地元の卑語で罵倒しながら突き出された紙袋。マイトは機械のスイッチを切ると、振り返ってそれを受け取った。
ごそごそと紙袋のの中を探って中枢ユニットを取り出すと、ユニット上面の簡易モニターに映し出される情報を読み取って頷いた。
「はい、確かに。というか、いつものスーツだって洗濯なんてできないだろうがよ」
「それは、そうだけど!」
ライエンティールは羞恥と怒りで染まった顔をマイトに向け、今にも泣き出しそうだった。少女としての羞恥心はきちんと備えているのだ。
「他の学園生の前であんな……あんな……うわーん!」
ついに泣き出したライエンティール。
流石にマイトも状況を理解し始めた。同時に、ライエンティールが根本的な勘違いをしていたことも。
「――おい、一応確認しておくが、訓練場には個人訓練室があるよな? 昇格戦前とか、外部に戦術を漏らしたくないときに使う完全予約制の訓練室」
「え?」
ライエンティールはマイトの言葉を反芻し、次いで赤かった顔を青く変化させた。
確かに学園の訓練施設には、日常的に使われる巨大な合同訓練場と共に、考査前や研究、昇格戦前などに使用される個人用訓練室が備えられている。
他人に訓練内容を明かしたくない場合には、事前に申請することで使用できる。ライエンティールは昇格戦を控えているため、別枠で部屋が確保されており。最優先で使用できるはずだった。
それを知っていたからこそ、マイトは敢えて訓練施設でのデータ収集を命じたのだ。そうでなければ、まだ荷物の少ない工房の倉庫を使わせていた。
「俺だってな、まさか衆目に晒されるような状況であれを着ろとは言わないぞ。本人が気にしないってんなら別だけど。なんてーか、露出癖とか?」
マイトは紙袋に封をすると学園内の特殊リネン施設への荷札を付けながら、ライエンティールに滔々と語りかける。
「君は気にする方だろ?」
「き、気にするに決まってるでしょ!?」
「まぁ、気が急いていたせいで冷静な判断ができなかったということなんだろう。ただ、まず自分を落ち着けないと勝てる戦いも勝てなくなるぞ」
「うう……」
ライエンティールは反論の余地が一切ない意見に言葉を詰まらせた。
冷静に周囲の状況を把握するのは、戦闘導術士にとって当たり前のことだ。
戦闘機より遅く、ヘリより火力が劣り、戦車より脆いのが戦場での戦闘導術士だ。しかし、彼らは戦車より機動力に富み、ヘリよりも頑丈で、戦闘機よりも機敏で継戦能力が高かった。
近代兵器の発達によりその活躍の場が減っている戦闘導術士だが、今以てその役割がなくなる気配はない。
「さて、取り敢えず今日の所は帰ってもいい。今日中にデータを分析して……」
そう言ってライエンティールに扉を示したマイトだが、来客を告げるブザーに言葉を中断した。そして手首の情報端末を操作し、中空に玄関前の映像を投影した。
「思ったよりも早いな」
ライエンティールが覗き込むと、そこには輸送業者の運転手の姿があった。
学園に出入りする中堅輸送会社の名札を付けている。
「おいライエンティール・ヴィルトリア、ちょうど良いから荷受けしてくれ」
「なんでわたしが?」
「今届いたのは君の甲冑を修理するための諸々の部品で、俺は比較的低価格でこの仕事を受けたわけだが、それでも手伝おうという気にはならないかね?」
「――分かりましたよ! やれば良いんでしょ!」
ライエンティールは工房に来たときとさほど変わらない足音を立てつつ、工房の扉を開けて運転手に応対する。マイトの眼前に浮かぶモニターには、ぎょっとした表情の運転手がライエンティールのサインを貰い、奥の搬入口へトラックを入れるよう指示を受けている様が映っていた。
再び工房内を苛立たしげな足音が通過し、荷物搬入口のシャッターがモーター音と共に開いていく。トラックがゆっくりと工房内に入ってきた。
マイトはその様子を横目で見ながら、切削油塗れの革手袋とインターフェースグローブを取り替え、工房の一角を占める工房のメインコンピュータの前に座ると、パーソナルデータとモーションデータの入った中枢ユニットを接続した。
キーボードを叩いて中枢ユニット内のデータを呼び出し、すでに取り込んである破損した錬装甲冑のブラックボックスから引き出したデータと照合する。
一瞬モニターの動きが鈍ったが、すぐに照合結果が出てきた。
「ほうほう」
新しいデータのほとんどの数値が、ブラックボックスからサルベージされたデータを上回っている。反応速度から体幹バランスまで、まるで別人のように改善されている。
それだけを見れば、ライエンティールという少女の非凡な才能が開花しつつあると喜ぶところだが、マイトはブラックボックス内のパーソナルデータとモーションデータの日付が半年前であることに深い深い溜息を吐いた。
「これでよくもまあ、昇格戦まで漕ぎ着けたもんだ」
データと実測数値の齟齬は、それが少なければ日常の体調変化として見てもいい。
だが、十代はそれこそ日に日に身体が育っていくため、可能なら半月に一度はデータを取り直した方がいいのだ。そこで得られるデータの差異は少ないだろうが、継続して収集することで術者の成長の特徴を見付けることができる。
それは術者の未来を予測する大事な手がかりになるものだ。
「それが半年とか、学園の最低限のデータ収集しかやってないってことだろ、おい」
ライエンティールのパーソナルデータを空中投影し、インターフェースグローブでそれを操作する。
ライエンティールの体型及び導術回路図がそのまま組み込まれたワイヤフレームにグローブの指先が触れると、そこに詳細なデータが表示された。
「やっぱりMTSの感度が悪いわけじゃない、そもそも感知するべき場所がズレてる」
MTS――モーショントレースセンサーだけではない。術士の導術反応を読み取ってそれを錬成甲冑の増幅装置に送り込むべき収集器の調整も必要だった。
(これは大仕事になりそうだ。しかし、ここまでいい加減だと誰に文句を言うべきか分からんなぁ)
マイトは錬装甲冑のメインフレームの構造設計データを呼び出し、筋肉の変化と導術回路の移動を考慮して現在のセンサー位置を変更していく。これだけでも随分と操作感覚が変わるはずだ。少なくとも、タイムラグは半分以下にまで減らすことができる。
「終わったわよーってそれは!?」
天井クレーンを使ってトラックから工房内に荷物の入った木箱を降ろしたライエンティールが、一仕事終えた達成感に満足しながら戻ってきた。
そんな彼女が見たのは、自分の身体そのままのワイヤフレームだ。当然のことながら、スタイルなども丸わかりである。
「ぎゃああああッ!」
「おい、その悲鳴は流石に若い娘が出すもんじゃないぞ」
大声を上げながらマイトの眼前に飛び出し、ワイヤフレームを隠すべく両手を広げるライエンティール。
その必死な姿に呆れたマイトは、ただそれでも一端の男として言わなくてはならない。
彼の視線の先には今、ワイヤフレームではなく実物のライエンティールの胸がある。それは乱れた息で上下し、汗のにおいと共にマイトを誘っているように見えた。
問題はまだある。
ライエンティールは自分のワイヤフレームを隠すことに汲々としており、自分の身体でマイトの視線を隠すという一点のみに意識を集中している。そして彼女はあろうことか、よりマイトに近付くことでそれを果たそうとしたのだ。
「だめー! だめー! 絶対だめー!!」
そこまで恥ずかしがるようなスタイルではない――マイトはそう言おうとしてやめた。言ったところで余計に騒ぎが大きくなるだけだ。
「駄目と言われても、それを直さないと実機の修理には入れないぞ、ライエンティール・ヴィルトリア。君は俺に設計図もナシで修理と調整をやれというのか」
「やってよ!」
ライエンティールは叫ぶ。それこそ魂の叫びと言わんばかりの声であった。
それを眼前で放たれたマイトは、耳に走る痛みを堪えながら反論する。
「無茶言うな! お前だったら目隠しして戦えって言われてるようなもんだぞ!?」
「それでも何とかして!」
「出来るかぁ!」
マイトは思わず立ち上がり、そう吼えた。我儘娘にいつまでも付き合っていられないという気持ちもあったのだろう。
だが、昇格戦での一件以降、不安定な部分のあったライエンティールは、間近で発生した大声に過剰なまでに反応した。
「う……」
「おぅ?」
びくりと肩が震え、次の瞬間にはその振動が全身へと波及する。
その震えはやがてライエンティールの眼に涙を浮かばせ、マイトはそこに至って不味いことをしたと悟った。
「うえぇえええええええええええ!」
「泣いたぁああああああああああ!」
そう、ライエンティールは泣いた。思いっきり泣いた。
年下の少女を泣かせたというばつの悪さで何もできなくなったマイトに、ライエンティールの拳がポカポカと叩き付けられる。痛くはない。が、心が痛い。
「わたしが何したって言うのよぉ! ちゃんと勉強して、正々堂々と昇格戦に出て! 誰にも悪いことしてないじゃない!」
「いや、俺にはしてるぞ」
マイトの言葉は力のないものだった。
失敗や挫折のひとつでも経験していれば、ライエンティールの気持ちも多少なりと理解できる。
彼女は、彼女自身の努力ではどうしようもない不条理と戦っているのだ。
過去と、世界と、人々と、そして自分と。
覆せない過去。
価値観の定まった世界。
自分の背後に父を見る人々。
それらを背負い走り続けるしかない自分。
「何よ! 何なのよ!」
それは癇癪というには悲しすぎた。
顔をぐしゃぐしゃに歪め、一度決壊した感情と涙を必死に押し止めようとしている。マイトはそんなライエンティールの姿に戸惑い、頭を掻き、天を仰いで神を恨みつつ、最終的には自分の懐に手を入れてあるものを取り出した。
「見ろ」
「ふえ?」
マイトはライエンティールの目の前にそれを差し出した。
銀の蓋に交差する剣と絡み合う蔦のレリーフが彫り込まれた、懐中時計。
その蓋を、マイトは開いた。
「あ……」
懐中時計に内蔵されたオルゴール機能が作動し、文字盤の上に手を取り合って踊る三頭身の王子と姫の立体映像が浮かび上がる。
ライエンティールの涙が止まり、その瞳は踊り続ける王子と姫を追い続ける。
子どもじみた理由で泣いているのなら、子どもに対するようなことでそれを止めることができる。興味の対象を自分の内にある感情から、外部の何かに向ければいい。
(妹と同じ手段でどうにかなるとは……)
マイトはようやく止まったと胸を撫で下ろし、悲しげな表情で懐中時計を見詰めた。