第一章〈学園の少年少女〉1-2
武装導術士の授業は、戦闘導術科と錬装技匠科の授業を足して二で割らないと言われている。
これは武装導術士が前線で戦闘導術士の補助を行う術科であり、補助系儀界導術による戦闘支援から錬装甲冑の補修まで幅広く行うためだ。
錬装導術士が後方での技術武官であるならば、武装導術士は前線の技巧武官である。
それだけに適正のある儀界導術士は少なく、他の導術士の中から武装導術士へと異動する場合もあった。そしてその特性上、敵対者からはもっとも狙われやすい術科でもある。彼らがいなければ、戦闘導術士部隊の戦闘継続時間は大幅に減少し、同時に戦闘能力そのものが低下するからだった。
「相変わらず物好きだな。マイ・ソウルフレンド」
授業が終わり、自習用に開放されている大教室で参考書を広げていたマイトの前に、見慣れぬ青い制服を着た男が立った。
顔を上げるマイトだが、その眼前にひと束の印刷紙が突き出される。
それを手に取り、ようやく相手の顔が見えた。
切れ長の眼に細い銀縁の眼鏡。細い長身は青を基調とした情報統括科の制服に包まれている。
マイトはじっと己を見下ろす碧眼を見詰め返したあと、呟いた。
「――誰だっけ?」
「おう表に出ろこのマザコンのシスコンが。お前のために僕がどれだけ妹君にボコボコにされたと思ってるんだ。そのせいで未だに女性恐怖症なんだぞ」
びしっと親指で廊下に繋がる扉を示す男に対し、マイトは両手を挙げて降参の意を示す。
「俺が悪かった。お前がここにいるとは思ってなかったんだよ、ジルア。留年したのか?」
「違う。転科したから卒業までの期間が延びただけだ」
「お前が瑞穂に留学してたとき以来だから、もう二年は経ってるな」
「ああ」
マイトの机に広げられている錬装甲冑の資料を一瞥しながら、ジルア――名札の表記は情報統括科四年のジルア・リノリアン――はマイトの隣の机の上に座った。
足を組み、先ほどマイトに突き付けた書類を眺める。
「あのライエンティール・ヴィルトリアの甲冑整備を買って出た物好きがお前だと知ったときは驚いたよ。てっきり瑞穂にいるもんだと思っていた」
「お互い様だ。そっちだって新大陸にでも渡ってると思ったよ。中華三国とかそっちで色々やってるもんだと思ってた。アニメのDVD送れっていう連絡もなくなったし」
ペンをノートの上で走らせていくつかの数式を書き込みながら、マイトは苦笑していた。
懐かしい友人が、別れたときと何ら変わっていないことがおかしかった。十代の後半といえば、人がもっとも大きく変化する時期なのだ。
「DVDは頼もうにも宿舎生活だからね。それに、いくら僕でも戦場のまっただ中で考古調査なんてしないさ。――中華三国が戦争で黄河文明の遺跡を破壊したと聞いたときは殴り込みに行きたくなったけれど」
「やっぱり相変わらずか。気持ちは分かるが」
考古学者を目指す友人の言葉には、今も明確に残るほどの怒りが滲んでいた。
瑞穂の西にある大陸。世界最初の錬装甲冑を作ったとされる古代文明の遺跡は、その地に起った戦争の中で瓦礫になった。ジルアと同じように人類の遺産が破壊されたことを嘆いた者は多かっただろう。
「ま、壊されるところまでが遺跡の役目だったと思うさ。それはそれとして、マイト、瑞穂の儀界戦略学院をやめて何でここにいる?」
ジルアは何気ない風を装っていたが、その声音には偽りを許さないという強い意志が感じられた。それが友情の証であると理解したマイトは、ノートから顔を上げる。
「やめた訳じゃないさ。一応、留学って名目にしてもらった」
「瑞穂が中華三国の内戦に介入しようって話は聞いていない。太平洋連合に布哇王国が加入したからって旧宗主国の南合衆国政府が騒いでるくらいだろう。つまり、瑞穂が戦いに巻き込まれるような情報は今のところない。君が大事な妹を放り出して欧州にまで来る理由はどこにあるんだ」
ジルアはマイトの儀界導術を知る少ない人物のひとりだった。留学中のある一件でそれを知ることになり、以来、その秘密を共有している。
だからその導術が恐ろしく使い勝手が悪いもので、しかしある特定の人種にとってはあまりにも魅力的に映ることを知っていた。
「違う、そうじゃない。俺自身の問題なんだ」
「それは良かった。じゃあ話せ」
ジルアは眼鏡のレンズに光を反射させながら、マイトに迫った。
怜悧な相貌を持つジルアが据わりきった眼で睨めば、大抵の者は恐怖を覚える。しかしマイトは、例外に属していた。
「何、大したことじゃない。妹が、軍に入ったからだ」
「な……」
取り立てて重要なことでもないと言わんばかりに告げられた言葉に、ジルアは驚愕した。そして同時に、深く納得もした。
「――なるほど、瑞穂の連中も結構えげつない真似をする」
実質的な人質。
マイトが唯一残った家族である妹を可愛がっていることはジルアもよく知っていた。そしてマイトを自国に縛り付けるにはもっとも効果的な策であることも。
しかし、深刻そうな顔のジルアに対し、マイトはそれよりも随分穏やかな表情だった。
「いやいや、そうでもない。軍なら外から下手な手出しはできないし、小父さんたちの手も届きやすい」
「それは……そうかもしれんが」
ジルアはやはり納得し難いという表情であったが、妹と離れることを選んだマイトの決断を尊重することにした。
あまり踏み込んでしまえば、自分も無事では済まない。そうなったときに友人がどれほど強く自らを責めるのか容易く想像できた。
「あとは俺が本国から遠く離れた場所に留学すれば、妹の身はより安全になる。妹に何かあれば、俺はそのままこっちに残れば良いんだからな」
くるりとペンを回し、マイトは笑った。いつも面倒事ばかりが身の回りで起きるせいか、そういったことに対する耐性はできていた。
「ただ、あいつには恨まれてるような気がするよ」
「間違いなくそうだろうな。自分から離れて遠く欧州の地で別の女の為に手を尽くしている。何なら僕から手紙でも送ってやろうか?」
意地の悪い笑みを浮かべ、ジルアは友人をからかった。
マイトは眉間に皺を寄せたが、深々と嘆息するだけで何も言わない。
「おい。どうした」
「いや、本当にな。こんな西の果てに来てまで何やってるんだろうって」
「自分で言い出したことじゃないか。ライエンティール・ヴィルトリアの身の上に関しては好悪半々ってところだが、本人は至って真面目な奴だ。それに美人だしな」
「美人なぁ」
マイトはぼうっと天井を見上げ、初対面の一幕を思い出す。
艶やかな髪と若々しく水滴を弾く肌。均整の取れた体躯には女特有の柔らかさと戦う者特有のしなやかさが共存していた。それはマイトの美的感覚に照らし合わせれば、確かに美人であった。
「うん、うん」
少しだらしない表情を浮かべて何度も頷くマイトを気味の悪いものを見るかのように眺めていたジルアだが、自分が何のために旧友に声を掛けたのか思い出した。
「それはそれとして、彼女の方からお前を主任整備員として申請する旨が出されて、ちょっと揉めたんだが、知ってるか?」
「何?」
ジルアは自分が持っていた紙束をマイトに押し付けた。
「昇格戦の相手、第十位のパトリック・グラント。良くある軍人家系のお坊ちゃんだが、僕と同じで今年が最終学年なんだ」
「十位で最終学年ってことは、今年を乗り切れば聖戦士の肩書きを持ったまま卒業か」
大欧州連合唯一の戦闘系儀界導術士の公的養成機関であるこの学園で、十指に入る実力を持っているという証。それはそのまま軍での昇進や役職に影響する。
そういった悪癖を取り除こうという試みもあるが、陸海空軍の士官学校や大学校の席次がその後の軍での人生に多大な影響を与えるのは事実だった。
「祖国である神聖帝国の陸軍大学校。そこに編入することも内々に決まってるらしい。正直、そっちの席次は頭とコネさえ備わっていればどうにかなるから、問題はむしろ国籍に関わりなく実力者が鎬を削るここだ」
「まさか、依頼者のこの間の一件、そいつが黒幕だとでも言うのか?」
マイトは呆れた。
ひとつ間違えば命を落とす戦場で生き残るための手段を学ぶ。それがこの学園の存在意義だ。連合各国の政治力学の均衡点として生まれたとしても、それは変わらない。
ここでの悪名は祖国でのそれよりも重いものになる。なにせ、連合中にそれを喧伝するようなものだからだ。
「グラントは一年半前にようやく第八位に入ったんだが、それも上の連中が卒業やら転出やらした結果の繰り上げ。今はふたつ席次を落としての十位。奴がそこそこのプライドを持ってたら……」
「難儀も難儀、大難儀。面倒くさいったらないな」
嫌なことを聞いたとマイトは顔を顰めた。
「その面倒くさいプライドやら何やらが御国を守ってきたのさ。時間が経ってでかくて重くて邪魔になっても、捨てようにも捨てられない」
「名門ってのは面倒なことだな。俺みたいに縁を切られてた方がまだいい」
マイトはそう言ってノートを閉じた。
大教室の窓の向こうでは、何人かの戦闘導術士が空を舞っている。
「悪いが、もうちょっと首突っ込んで見てくれ」
「そりゃ構わないが、お前らしくもないぐらいに入れ込んでるように見えるぞ」
ジルアは立ち上がり、扉に向かって歩きながらそう呟いた。
しかし答えを求めているわけではないらしく、そのまま静かに立ち去る。
マイトは窓の外から視線を外さずに、ぽつりと漏らした。
「何ものであったとしても、バランスは取るべきだと思ってるだけだ」
それがたとえ、人の生き死にや善意や悪意であったとしても。
学園内に幾つもある食堂は、それぞれが各国の有名料理人を招いて開かれているものだ。
北はモスクワ大公国やスオミ王国。南はローマやイスパニアまでの幅広い範囲の様々な料理が提供されているが、それはこの学園内での各国の競争意識の表れでもあった。
そんな食堂のひとつに、周囲に空白の目立つ席がある。ここ最近の学園の噂話のなかで、一際目立つライエンティールだった。
「はぁ……」
魚介類と野菜をふんだんに使ったパスタサラダをつつきながら、彼女は周囲から向けられる好奇の視線に溜息を漏らす。
後頭部でひとつにまとめた髪が尻尾の如く垂れ下がり、彼女のやる気の乏しさを示していた。
「気になるなら直接聞けってーの。別に秘密にしてる訳じゃないんだから」
そうは言うものの、確かに積極的に父の名を明かしたことはない。それが他人からは、やましいことを隠していたように見えたのかもしれない。
実際にそんな感情がなかったかと問われれば、彼女自身も確信は持てない。だからこそ、ライエンティールは現状に甘んじていた。
これ以上、誰かに嫌われようとは思わない。
「リリィ」
そんな彼女の据わるテーブルにひとりの少女が近付いてきた。肩口で切り揃えた藍色の髪は、凍結系儀界導術士の家系が帯びる特徴のひとつだ。
少女は青い瞳をライエンティールに向けながら、その前の席に座った。トレーの上にはフルーツジュースとライ麦パンのサンドイッチが載っている。
「また浮かない顔ね。主任整備員の申請は通ったんでしょ?」
少女は胸元に付いていた身分証明書を兼ねた名札を取り、テーブルの上に置く。そこに書かれていたのは、彼女がメルライア・ロシェードという名前を持ち、情報統括科の二年に属していることを示す文字列だった。
後の管制官や分析官を育成する学科だが、そこには導術を用いて巨大コンピュータ並みの思考能力を持つ学園生もいるという。
「タックに頼まず、自分で整備士を探すって聞いたときには驚いたけど、ちゃんと見付けられたじゃない」
飲み物を一口飲み、サンドイッチを口に入れる。メルライアはライエンティールの反応を待ちつつも、狙っていたサンドイッチが想像以上の味だったことに満足感を抱いた。
「あの子に迷惑は掛けられないでしょ。ただでさえあの一件で色々責められたんだから」
学園が用意した錬装技匠科整備士による整備不良。その責任は当然、整備を行った者たちにも課せられる。
ライエンティールの友人であり、メルライアの幼馴染みであるところのタック・イェーガーが最もその責任を痛感していた。錬装技匠科の二年といえば、ようやく邪魔な見習いから手際の悪い助手扱いの半人前に格上げされた頃だ。友人の昇格戦だからと無理を言って整備チームに加えて貰ったことも聞いている。
だからこそ、これ以上の迷惑は掛けられないと思った。
以前の整備チームが何か細工をしたとは思いたくない。友人を疑いながら戦いたくない。そう思って外部の工房を訪ね歩いたのだ。
「ま、タックもその辺のことは分かってるから強くは言わないつもりみたいだけど、応援には行くって」
そう言って自分を慰めてくれるメルライアにも周囲の学園生たちが興味本位の視線を向けていることに、ライエンティールは苛立つ。
そしてふと、これは父も経験したものなのかもしれないと思った。
友軍撤退を成功させながらも精鋭だった自分の部隊を全滅させ、軍の第一線を退くことになった父。部下たちを悼みながら、失意に殺された父。
ライエンティールは周囲にぎろりと鋭い視線を向け、その先にいた学園生たちが目を背ける様を見て鼻を鳴らした。
(わたしみたいな学生に怯えて軍人になれるかっての)
それは彼女なりの意地だったのかもしれない。
「ありがとうって言っておいて。本当なら直接言いたいんだけど、新しい整備士が基本調整からやらなきゃいけないって言うから、あまり時間が取れなくて」
「それも仕方の無いことよ。私もあなたの〈風の魔女〉を見たけど、結構手酷くやられていたから。あれを直せるっていうだけで、十分な腕があると思うわ」
サンドイッチをひとつ食べ終えたメルライアは、学園からライエンティールに貸与されている錬装甲冑の固有名称を口にした。
空圧運動制御系の儀界導術士であるライエンティールの戦闘スタイルは、風と電位を操っての高速戦闘だ。近接を主にしているが、導術によって照準を補正された射撃系も決して侮れない。
ただ、性別による持久力の差は如何ともし難く、ライエンティールはより攻撃力の高い戦闘導術の開発を進めていた。ただ、昇格戦にはどう考えても間に合わないし、間に合ったとしても導術に合わせた調整が行われていない錬装甲冑がそれに耐えられない。
結局のところ、以前と大して変わらない戦い方を強いられる。一度負けた戦い方を強いられる。
「――本当なら、もう少し調整も詰めたいところだけど、腕も分からない錬装導術士をどこまで信用して良いか分からないの」
それに、初対面での一件がどうしても引っ掛かる。
シャワーを勝手に借りた自分が悪いのは確実で、思わず出力を上げた導術銃で射撃したことも自分の非である。
しかし、裸を見られたことに変わりはない。
(くっそ! あの唐変木!)
ずだん、とテーブルの上に拳を振り下ろしたライエンティールに、周囲の視線が一斉に集中する。
すんでの所で最後のサンドイッチを手に取ったメルライアだが、ジュースの入ったグラスまでは救えなかった。テーブルの上に広がるオレンジの色彩を前にして、彼女は呆れた顔で友人を見た。
その眉間には深い皺が刻まれ、明らかに不機嫌そうだ。
「悔しいのは分かるけど、私のフルーツジュースどうしてくれるのよ」
「ごめんって、ちょっと嫌なこと思い出したら思わず……」
「その直情的なところ、いい加減直したら? そのせいで肝心なところで負けたりしてるでしょ」
騒ぎを聞きつけたウェイトレスがジュースを拭き取り、一礼して去って行く。授業で見た顔で、アルバイト中の同じ科の学園生だった。
メルライアはこの一件でまたひとつ噂の種が増えるな、と内心嘆息した。
「それは……」
「確かにその一瞬の気迫で勝ったこともあるけど、相手にしたら付け入る隙よねぇ」
「うっ」
これまでの様々な対戦において、ライエンティールの直情的な行動は敗北に結びついたことが多い。地力があるからこそ諸々の成績は勝ち越しているが、今後成績上位者と戦うときには明らかな弱点になるだろう。
もっとも、メルライアにはその弱点を含めてもライエンティールが友人として魅力的に映る。相性が良かったのかは分からないが、親友と言っても良いだろう。
「とりあえずは整備士の言うことを良く聞いておいた方がいいわ。私が覗ける範囲の情報だけでも、能力的には十分だから」
「そうなの?」
鮮やかな色合いの人参をフォークて一突きにして、ライエンティールが首を傾げる。自分の愛機を預ける人間のことも調べていなかったのかと呆れてしまった。
「ええとね……」
メルライアがそう言って記憶を探り始めたとき、彼女たちが座るテーブルに向けて一直線に走ってくる者がいた。
波打つ金髪と意志の強そうな金瞳、そして異性が見ればその過半数が生唾を呑み込みそうな肉感的な肢体。
そのはち切れそうな身体を包んでいるのは、ライエンティールと同じ戦闘導術士科の制服だ。
「ちょおおおおっとまったぁああああああっ!」
ふたりの前に到着する寸前にブレーキを掛け、若干つんのめりながらもテーブルに両手を叩き付けることで制動を掛ける。
「どういうことなの!? ねえどういうことなの!?」
そしてそのままライエンティールの眼前に震える指を突き付け、その金髪の学園生は詰問の声を上げる。しかし、ライエンティールとメルライアのふたりはこれと言って驚いた様子はない。
それどころか、周囲の者たちも一瞬驚きはするものの、すぐに納得したように食事と、一部の者はひとり増えたテーブルの観察に戻った。
「十日後ってバカじゃないの!? 研修から帰ってきたらあんた負けてるし! しかも再戦になってそれがすぐだって言うし!」
「はいはい、分かりましたよおじょーさま。だから静かにしろ」
「おじょーさまって言うな! フェイって呼べ!」
そう点に向かって叫びつつも、フェイと名乗った女は素直にメルライアの隣に座った。
それに合わせたかのようにウェイターが紅茶とスコーンが載ったトレーを差し出し、一礼して去って行く。食堂勤務ではないそのウェイターは、このフェイという女の実家が学園で経営している喫茶店の店員であった。
「またこんなところまでデリバリーさせて……」
ライエンティールが呆れるのも無理はない。あのウェイターはフェイの居るところなら何処へでも料理を配達してくるのだが、何故かいつも同じ人物なのだ。
ある種のいじめではないかと疑っているが、本人曰く「あれが実家から命じられた彼の仕事」だという。
以来、ライエンティールとメルライアの中で『デリバリーの人』というあだ名を付けられたウェイターだった。
「そんなことはどうでもいいの!」
ばーんと派手にテーブルを叩くフェイ。
ライエンティールはもうほとんど残っていない皿を片手で押さえ、メイを睨んだ。
「そ、そんな目で見たって誤魔化されないからね!」
「さっきから何をそんなに怒ってるのよ。別にあなたには関係ないでしょう? ねえ、第八位さん?」
フェイ――メイルフィード・フェイ・アルステルマイヤー。
シンガポールに本拠を置く巨大複合企業〈アルエス〉総帥の孫娘にして、この学園の成績上位一〇人のひとりだ。そして他の学園生には、ライエンティールに絡んでは投げやりな扱いを受ける変な人として認識されている。
「関係ない訳ないでしょ! わたくしとの戦いで勝ち逃げした挙げ句に今度は昇格戦で整備不良? うちの系列の工房使えばいいって最初から言っておいたじゃない」
「だから余計なお世話だって何度も言ってるでしょ」
「使えるものは何でも使うのが基本でしょう!? わたくし以外にみっともない負け方するなんて許しませんよ!」
「縁故頼ったら今後の評価に響く可能性だってあるわよ! あんたのこと嫌いな奴だってたくさん居るのよ!」
「そんな連中放っておけばいいじゃないの! あなたのお父様を貶めた連中と同じなんだから!」
メイルフィードはそう叫んでから、ライエンティールが強張った顔で自分を見詰めていることに気付いた。間違ったことは言っていないが、正しい言葉を吐いたとも思えなかった。
「――はいはい、その辺にしておきなさいな」
居心地の悪い沈黙に陥ったふたりの間で、メルライアだけが冷静だった。
ふたりのやりとりに慣れていることもあるが、双方がこのやりとりをコミュニケーションの一環と捉えていることを知っているからだ。
彼女は上着のポケットから学園生に支給されている携帯端末――PDAを取り出すと、パスワードを打ち込んである情報を画面に開いた。
そしてそれを、ライエンティールに示す。
「この人でしょ? 新しい整備士って」
ライエンティールはPDAの小さな画面に映し出されている顔写真を見詰め、フェイはそれを横から覗き込んだ。
「うん、この人」
ライエンティールが頷くと、メルライアは続けてPDAを操作した。そして情報統括科が集めている学園生の情報の中から、幾つかの情報を引っ張り上げる。
「極東の瑞穂からの留学生で、年齢は十九だけど、武装導術士科では三年ね。転科組かしら?」
「あー、確かに妙に身のこなしが玄人じみてたから、軍上がりかも」
記憶を探るように皺の寄った眉間に指を当てるライエンティール。メルライアはその情報を推測として打ち込み、さらに広範な分析を進める。
「うん、当たり。瑞穂軍幼年学校の広報に名前があった。名前は違うけど」
「え? ほんとに?」
ライエンティールはいきなり新たな情報が出てきたことに驚いた。だが少し考えてみれば、儀界導術士が軍に属することは珍しいことではない。
医療や産業に深く根付いている儀界導術だが、これを一番確実安価に習得しようとするならば、軍に入るのが一番手っ取り早い。
特に一族に有力な術士がおらず、突然現われた突然変異型の儀界導術士にとっては、後ろ盾がない分、遺伝型の術士に較べて栄達への障害は多い。だが軍ならば、その障害も多少なりと減らすことができた。
「幼年学校の卒業式で軍のお偉方から直接辞令を受け取る代表十人の中に入ってる。その後は――駄目ね。彼だけ配属部隊が書いてない」
メルライアはそう言ってPDAを差し出した。
ライエンティールとフェイがその画面を覗き込むと、同期の配属先はきちんと記されているのに、マイト・ガルディアンという学生の配属先は空欄だった。
「皐月原・舞斗?」
フェイが流暢な瑞穂語で件の学生の名を読み上げる。
確かに名前は一致しているが、姓は意味さえ明らかに異なっている。
「皐月原ってどこかで聞いたような気がするんだけど……」
うーんと首を捻るフェイだが、記憶の奥底に仕舞われた情報はなかなか表層まで顔を出さない。
それどころか、余計な情報が次から次へとひょっこり姿を見せるせいで、混乱してくる。
「うぐぐぐぐ……頑張れわたくしの金色の頭脳……!」
ついには頭を抱え始めた同窓に対し、ライエンティールの感想は至極冷たいものだった。
「金ぴか脳みそって、きもくない?」
「まあ、良い趣味ではないわね。そろそろ時間よ」
メルライアはそう同意し、食事の済んだトレーを持って席を立つ。
「っと、午後は訓練場借りられたんだった」
ライエンティールもそれに続き、取り残されたことに気付かないフェイだけが延々と唸り続ける。
「じゃあ、何か分かったら教えてあげる。怒られない範囲だけどね」
「それで十分。悪い人じゃないみたいだからあんまり突っつくのもね……」
ライエンティールの言葉にメルライアは薄く笑った。
他人の無責任な悪意によって父を喪いながら、それでもなお人の善性を信じる。ライエンティールという少女が難しい立場にあっても友人を失わずにいられるのは、この気性が近しい人に好まれるからだ。
「――ふふ、わたしが気に入るくらいだものね」
「え? 何か言った?」
メルライアの呟きは、ライエンティールには聞き取れなかったようだ。
「いえ、後ろにいる人のこと。放置しても大丈夫かなって」
「大丈夫でしょ。時間になったらどこからともなくデリバリーの人が来るわよ」
「それもそうね」
教官たちの間で、情報統括科始まって以来の才媛と呼ばれる少女は、今度こそ何の含みもない微笑を浮かべた。
「さて、勉強の時間、頑張りましょう」
「おー」
ライエンティールの微妙にやる気のない掛け声を危機ながら、メルライアは友人のためにもう少し深いところまで情報を探るつもりだった。
それが彼女と彼女の友人にとってのターニングポイントになるとは、神ならぬ彼女には想像だにできないことだった。