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第一章〈学園の少年少女〉1-1

『ERROR』

 そんな文字が、突然ヴァイザー内部に乱舞する。

「え」

 人の身の丈ほどもある両刃型高周波ブレードを模した模擬剣を振りかぶっていた彼女だが、思わずそんな声を漏らした次の瞬間には背部の重力式飛翔制御翼(GFCU)の異常によって相手への接近中に地面に叩き付けられ、一瞬意識が遠のいた。

 次に眼がしっかりと焦点を結んだときには、相手が両腕に抱えたブレフォス〈メデューサ〉十二・七ミリ機関銃から多量の銃弾をこちらに向けてばらまいていた。

 それは模擬弾だったが、高威力の重機関銃から比較的近距離で放たれていたこともあり、その弾丸は彼女の纏う錬装甲冑の装甲板を次々と貫通、変形させていった。

「ぐう……」

 破損状況を知らせるモニターは刻一刻とオレンジから赤へとその色合いを変化させ、身体を襲う衝撃と痛みはその力を増している。

(ここまで来て……!)

 身を起こして左腕の小型空力シールドを掲げ、視線感知式インターフェースで異常箇所へのエネルギー伝達を手早く切断していくが、それでは到底処置が追い付かないほどダメージの蓄積が早い。

 シールドへのダメージも恐ろしい勢いで蓄積され、あと数秒も保たずに使用不可になるだろう。元々高速戦闘を阻害しない程度の補助防御装甲でしかなかったのだ、それも無理はない。

「どうして!」

 嗚咽と共に涙が出てくる。

 ここまでは上手くやって来た。

 学園に入り、座学でも実技でも学年随一の成績を収めてきた。だから二年という早い段階でこの舞台に立つことができた。

「まだ終わってない!」

 そう叫んで、最低限の姿勢制御ポスターコントロール系と健在な運動補助パワーアシスト機能以外のすべてのエネルギー伝送を切断する。

 各部の運動補助機能が幾つも落ちたことで身体が重くなり、軽々と振り回していた模造剣の重さがずっしりと腕にのし掛かる。

「……ぁぁぁあああああああ!!」

 だが彼女は、両腕でしっかりと模造剣の柄を掴み、ひしゃげて動きを阻害する装甲板を無理やりねじ曲げて走り始める。

 一瞬射線がぶれたことで、相手が驚いたのが分かった。

(ビビりめ!)

 ここしかチャンスはないと思った。

「これで!」

 辛うじて無事だった腰のエネルギー変換式補助推進器サブ・スラスターに火を入れ、一気に加速。青い炎を曳きながら飛んだ。

 意識が飛びそうになるのを堪え、ぐんぐんと近くなる相手の姿目がけて模造剣を振り上げた。

 当たる。勝てる。

 そう思った。

 だが、次の瞬間、彼女の纏っていた錬装甲冑は断末魔の悲鳴とも言える爆発を起こした。

「――!?」

 爆発は腰の推進機構スラスター・ユニットの伝送系基部で起きていた。

 冷却系が停止していたせいで、スラスターへ送り込まれるエネルギーに耐えきれなくなったエネルギー整形装置が爆発したのだ。

 その爆発が、彼女の敗北を決した。事前に設定された累積ダメージ量に達したのだった。

『YOU LOSE』

 訓練場に響き渡る終了ブザーと同時に、彼女の目の前にそんな文字が浮かんだ。

 これにより、彼女――ライエンティール・ヴィルトリアの学園位階第十位への昇格戦は終了した。



 自分を見て首を傾げていた秘書に案内され、巨大な書架に三方を囲まれた部屋で彼はこの学園の責任者と相対していた。

 秀でた額に真っ白な頭髪、片眼鏡を嵌めた蒼い瞳は彼が提出した書類をじっと見詰め、かつて戦闘系儀界導術士として数多の戦場を駆け抜けた男の存在感が青年に無形のプレッシャーを与え続ける。

「マイト・ガルディアン君」

「はい、学園長閣下」

 男に名を呼ばれ、青年――マイト・ガルディアンは背筋を伸ばして答える。

「閣下はいらないよ、ガルディアン君」

「はい、学園長」

 苦笑し、訂正する学園長に、マイトはやはり背筋を伸ばしたままの姿勢で答えた。

 この国の王家から直々に貴族位を授けられ、他国からも同じように様々な位や勲章を与えられた男に対し、彼は尊敬以外の感情を抱けない。

 たとえ、父母双方の実家から絶縁されていたとしても、マイトは術士の家の生まれとして学園長を敬っていた。

「君の後見人である二人、瑞穂の竜城子爵とアルビオンのシールマ卿。おふたりは君をこの学園の生徒として迎え入れて欲しいと仰っている。優秀な術士だとも書いてある」

「はい、恐縮です」

「そして、君の儀界導術が世界から見てどれほど危険な代物かも、記されている。私自身も、その力が人々に与える狂気をよく知っている」

「――はい」

 学園長は椅子から立ち上がると、背後の巨大な窓から外界を眺める。

 大欧州を構成する小国、パスティーラの長閑な風景が広がっていた。学園の周囲にはその学園生を相手にする街が点在しているが、架空導線のないそれらの街は、まるで近世欧州時代のままに見えた。

「君の導術は――正確には酷似した能力は、大欧州戦争のきっかけのひとつだ。ひとりの狂った独裁者の妄想が引き起こしたものだとしても、世間はそうは取らない。同じ儀界導術士ですら、忌まわしいものとして認識している」

「はい」

 マイトは両親と同じ言葉を紡ぐ学園長が、果たしてどんな表情を浮かべているのか知りたかった。父母は、これ以上ないほど辛そうな表情だった。我が子が世界の憎しみを一身に背負うのだ。

「後見役のふたりはこの学園で君に新たな肩書きと立場を与え、その力を隠すつもりらしいが……」

「そう、聞いております」

「君個人では、力はあってないようなものだ。不可能ではないだろう。しかし――隠れ続けることはできなくなる」

 学園長は振り返り、その優しげな瞳にいくらかの憐憫を浮かべていた。

 大欧州連合の誇る儀界導術士養成機関の長にして、大欧州連合軍中将という肩書きを持つマクスウェル・ダリトン・パッカードは、孫ほども年の離れたマイトに最後の決断を促すした。

「ご両親は君に生きていて欲しかった。しかしこの学園で新たな人生を歩み出せば、君の導術に目を付ける者も現われるだろう。それは君のご両親の遺志に反するのではないかね?」

 隠れて過ごせば当たり障りのない人生を全うできるかもしれない。しかし、ここでその技能を磨き、儀界導術士として生きるならば、或いは命を落とすことになるかもしれない。

「それでも、父母の名誉だけは回復したいのです。忌子の親として暗殺されたのではなく、誇りある儀界導術士の一族として生き抜いたのだと、俺が……自分が証明したいのです」

 世間の理屈を知り、それ故に彼は両親の名誉を回復することを選んだ。

 自分に向けられた愛情に、自分なりの理由を与えたかった。世界中の憎しみを打ち消すほどの愛情に何を返すべきか、彼はそう考えた末、同じだけの愛情を両親へと返すことに決めた。

「学園長、お願いします」

 勢いよく頭を下げると、上着の胸元から懐中時計の鎖が覗いていた。精霊石駆動の一点物で、両親の形見のひとつであり、彼の拠り所だった。

 マクスウェルは青年の姿をしばし眺め、自分の立場の重さを噛み締めながら頷いた。微笑を浮かべることができたのは、ひとえに長い人生経験の賜物だった。

「――分かりました。私も人の親ですし、名誉を守る軍人の端くれです。本人及び後見人の希望を受け入れ、当学園への入学を認めましょう」

「ありがとうございます!」

 もう一度、深々と頭を下げる。

 そうして、マイト・ガルディアンはこの大欧州連合議会直轄の儀界導術士養成機関、“レイスマギルカ学園”の一学生となったのである。



 マクスウェルはマイトが一礼して学園長室を出ると、彼の後見人ふたりからの推薦状をもう一度眺めた。

 二十二年前、大欧州連合とアフリカ・中東連合が、地中海と紅海の主導権を奪い合うことで発生し、以降六年も続いた『烈海紛争』。

 そこで共に戦った戦友ふたりの名前を眺め、そこに記されているかつて彼が憎んで止まなかった政治的配慮を求める文章。それは彼や友人たちの立場が変わったことの証拠だった。

「俺も歳を取ったか」

 窓から眼下を望めば、そこには学園の生徒たちの姿が見える。

 部活動らしき集団が運動場を走り、戦闘競技場では様々な術士科の航空導術士たちが模擬戦闘を行っているのが見える。

 この政治的均衡を作り出すためだけに生まれた学園で、生徒たちはようやく対等な友人を見付けることができる。

 選ばれし者。エリート。英雄。

 おそらく彼らの行く先にはこんな空虚な肩書きが待っているだろう。かつてのマクスウェル・ダリトンと同じように。

「マイト・ガルディアン、か」

 戦友たちは、マクスウェルが学園長を務めている間にあの導術使いが生まれたことを運命だと記している。儀界導術士の宿命をよく知る彼がいるならば、マイト・ガルディアンを正しく導くことができるだろうとも。

(よくもまあ、俺なぞに総てを托そうとなどと考えたものだ)

 彼がマイトと同じ年齢の頃は命令違反の常習者で、上官に噛み付いては営倉に放り込まれていた。

 そんな過去を知りながら、なおも友人たちは自分に世界の運命の一端を担わせようとしている。

「誓願系儀界導術、クラス:Dⅳ」

 技能を扱う術や力の絶対量を持たない導術士と一般人を示すクラス:D0。

 専門家としての儀界導術士としての最低ラインであるクラス:Dⅰ。

 儀界導術士としてのひとつの壁とされるクラス:Dⅱ

 学園の卒業生の多くが到達する、儀界導術士としてのエリートたるクラス:Dⅲ

 学園の最高峰であり、そこに至るのは運と才能に恵まれた一千人に一人の導術士とされる、戦場で一騎当千の力を振るうクラス:Dⅳ。

 歴史に幾つもの痕跡を刻み、奇跡の別名とされるクラス:Dⅴ。

「ほかに比較対象がないからとはいえ、あの年齢でDⅳ。我が学園の上位クラスにも食い込むか」

 同時にそのクラスはあと一歩踏み込めば、もう引き返せないことを示していた。

 再び世界に『奇跡』が現出する。そうなれば、世界は変わるだろう。今のように互いを監視し、牽制し合う世界ではなく、より悪意に満ちた世界に。

「君がここで自分の願いを見付けることを願っているよ」

 マクスウェルは推薦状を執務机の中に仕舞い、事務局へと通じる内線を開きながら、そう漏らした。

 そして、人々があの大戦から学んだことを覚えているよう、心の底から願った。



 ぎっしりと何かが詰まったダッフルバッグを肩に掛け、学園事務局で渡された地図を見ながらマイトは与えられた工房へと歩を進めていた。

 高大な学園敷地の中には、儀界導術士たちが纏う儀界錬装装備を扱う工房が点在している。

 学園から委託を受けた導術系企業や、個人の錬装技師マギアマイスター錬装導術士エンチャッターが学園生からの依頼を受けていたり、錬装科の学園生が科の所有する工房で技術習得のための実習を行う場として活用したりもしている。

 学園敷地内の工房だと、学園生はその費用の補助を受けられるため、多くの学園生が外部ではなく学園内の工房を利用していた。

 だが、より一層高度な技術を求める学園生は、学園の外の工房を利用することも決して珍しくない。ただそれは、個人の主観や導術錬装に対する考え方の違いでしかなかった。

 高度な技術を求めて外に出るか、適度な技術と利便性を取って学園内の工房を利用するか。それらを天秤に掛け、大多数の学園生は学園内の工房を利用していた。

 学園生の立場から考えれば、便利な学園内工房が好まれるのも無理はない。

 しかし、どんな便利な存在でも常に競争は行われる。

 腕の良い錬装技師や錬装導術士のいる工房は、多少高くても常に仕事があるし、学園生の運営する工房はそれ自体が学習の一環なので潰れることはない。

 だが、錬装技師や錬装導術士の腕が必要水準を下回っていたり、工房の立地が悪かった場合、採算が取れずに工房を閉鎖したりすることもあった。

 中には腕は良くても性格が悪く、学園生に嫌われた結果潰れた工房もあったが、それは例外だ。

 マイトが与えられた工房も、そうした理由で潰れた工房のひとつだった。

 何故彼が敷地内とはいえ外部の工房を与えられたかというと、それは学園長直々の考えによるものだ。

「君は前線担当の戦闘導術科ではなく、様々な戦闘支援を担当する武装導術科に入学することになる。君の力を生かし、学ぶのであれば、こちらの方が良いだろう」

 最前線で敵と戦うのではなく、そんな導術士たちを戦場で助ける道を示したマクスウェル。その最後の言葉を思い出しながら、マイトは砂利を押し固めただけの道を進む。

 夕暮れ時、橙色の光に照らされた高大な学園敷地は、恐ろしく牧歌的な光景だった。ここが事実上の、世界有数の火薬庫であるとはとても思えない。

「うーん? あれか?」

 マイトの前に、鋼板プレハブ造りの少し大きめの平屋工場を、煉瓦造りの二階建ての住居に接続した工房が現われる。個人住居と作業場を併設した、ごく一般的な工房だった。

 だが、正面に立つと、蔦に覆われた住居と鋼板造りの工房が何ともミスマッチで、マイトは自分の美的感覚と世間のそれが乖離しているのではないかと少し心配になった。

「半年前までは人がいたって言うし、まあ、大丈夫だろう」

 結局マイトは父譲りの黒髪を掻きながら、事務局で預かった鍵を取り出す。

 それを工房の玄関に突き刺すと、解錠方向へと回した。

 あの、鍵を開くときの抵抗がなかった。

「おーい?」

 解錠されなかった。正確に言えば、最初から開いていたようだ。

「セキュリティ大丈夫かよ、おい」

 マイトはバッグから渡航のために封印の施されたままの導力式の麻痺銃を取り出すと、封印を解いて銃把グリップを最初は緩く、次いで固く握った。そこから銃に導力が伝達され、導力充足の赤いランプが小さく点灯した。

「よし」

 身体を低く保ち、玄関のドアをゆっくりと開く、鏡を取り出して室内を確認し、誰もいないことを確かめてからするりと侵入した。

 そう、今日からの自分の家に、泥棒よろしく侵入した。

「嫌になるな」

 今日はもうシャワーでも浴びて旅の汗を流し、用意された設備と工具を確認して一日を終わらせようと思っていたマイトだが、何故か捕り物じみたことをする羽目になった。

 単に鍵のかけ忘れであることを祈りながら、マイトは工房の中を進む。

 溶接機、旋盤、ボール盤、油圧式のベンダーにコンプレッサー。工具の大半は壁の工具掛けに掛かったままだったが、マイトはやはり新しくいくつかの工具は新たに手配しなくてはならないな、と思った。

「誰もいてくれるなよ……」

 唇をひと嘗めし、足音と気配を殺してから住居部分に入る。

 床材がコンクリートから木製のそれに代わり、マイトの体重で軋んだ。

(慎重にっと)

 暫く進むと、建物の奥から水音が聞こえてきた。

「蛇口の閉め忘れであってくれ……」

 そう祈ったものの、進めば進むほど水音は大きく豪快なものになっていく。どう考えても、蛇口の閉め忘れではない。

「風呂場、か」

 マイトは水音まで扉一つというところまで進み、そこで扉の上に掲げられた表示を見て少しだけ迷った。

 もしかして自分は、間違った工房に入り込んでしまったのではないか。

 そうなると当然、ここには本来の住人が住んでいて、自分こそが不法侵入者である。仮にそうであれば色々不味い。

(近所に他の工房はなかった筈だな、俺)

 自問する。

 答えは是だった。だが、世の中には書類の記載間違いということもある。

「事務局に確認した方がいいか」

 学園事務局の係員が地図を間違えた可能性もある。地図が正しければ不法侵入の通報にもなるし、地図が違うならもう一度学園事務局に行って新しいものを発行して貰わなくてはならない。

「よし、戻ろう」

 マイトはそう呟き、ゆっくりと扉の前から離れる。

 ちょうどその時、水音が止んだ。

「――?」

 マイトは振り返った。

 磨りガラスの引き戸の向こうに、肌色の人影が見える。

 不味い。そう思ったときには遅かった。

 からからと軽い音を立てて引き戸が開き、そこには当たり前だが人の姿がある。

「――――」

 若い女だった。

 見掛けの年齢は少女と言って良いだろう。

 マイトを見る瞳は灰色。腰近くまである明るい茶髪は濡れ、細くも柔らかさを感じる身体がその下に続く。そこに何も遮るものはなかった。

「だ、誰?」

 少女の声は震えていた。浴室に手を伸ばしてバスタオルを引っ掴み、それを当てて身体を隠す。怯えられていると思ったマイトは、空気を和らげるべく努力した。

「と、通りすがりの武装導術士だ。お宅は女神さんで?」

 マイトの美的感覚は正常であった。少女の裸体は女神像のそれとさほど差はなかった。しかし、努力は報われなかった。

「ひ……」

 少女の顔が歪み、再びその手が伸びる。

 その先にあるのは脱衣籠。そして彼女が取り出したのは、マイトのそれよりも太く、きらりと黒光りする導術銃であった。

「あ、それ駄目なヤツだわ」

 マイトはそう呟き、少女が連射モードで放った麻痺性の弾丸を全身に受けた。

 唯一の救いは、それが学園指定の完全非致死性の弾丸だったことだろう。



 目を覚ました時、少女は学園生の制服を着て、ふて腐れたような顔でマイトの額に濡れたタオルを乗せ換えていた。

「あ、起きた? あなた重かったからそのままだけど」

 少女に言われ、マイトは床に寝転がったまま介抱を受けていたことを知る。

 確かにごく平均的な身長であろう少女と、東洋人としては珍しい長身のマイトの体格差は大きい。それについて、マイトは文句を言うつもりはなかった。

「いや、それはいい。俺こそ悪かった」

 それは二重の意味での謝罪だった。

 ひとつは明らかに見てはならない光景をみたこと、そしてもうひとつは、そんなことがあったにも関わらず、わざわざ介抱までしてもらったことに対するものだ。

「――いいよ、さっき勝手に鞄を見せて貰ったから、おあいこ」

「鞄?」

 少女はマイトの疑問に答えるように一枚の書類を彼の眼前に掲げた。この工房の使用許可証である。

「申し訳ないとは思ったけど、わたしも通報されたら困るし、本当にあなたがここの武装導術士ならちゃんと謝ろうと思って……本当にごめんなさい」

 震えを抑え込んでいるような少女の声に、マイトは内心混乱していた。

 そもそも目の前の少女は誰なのだろう。

「申し訳ないついでに、名前を聞かせて貰えないだろうか」

「あ、ごめんなさい。わたしはライエンティール・ヴィルトリア。学園の戦闘導術士科エインヘリアの二年です」

 少女はぺこりと頭を下げると、固い表情のままで名を名乗った。マイトは起き上がり、同じように一礼してから自分の名を告げた。

「マイト・ガルディアン。本日付で学園武装導術士科の三年に編入した」

 事務局で渡された学科徽章と学年徽章をそれぞれポケットから取り出して示し、マイトは使用許可証に手を伸ばす。

「ここで工房を開いて色々やるつもりだから、何かあれば来てくれて構わない。まぁ、戦闘導術科でも二年ともなれば馴染みの工房があるか」

 マイトは立ち上がり、工房の外に置いたままのバッグを取りに行こうとする。

 その背後で、ライエンティールが呟くのが聞こえた。

「何処の工房が、裏切り者の娘なんかと付き合ってくれるのよ……」

 マイトは振り返り、俯いたままのライエンティールの肩が震えているのを見て取った。だが、何も言わず、そのままバッグを取りに行く。

 掛けるべき言葉は彼にはなく、だが、放置するにも後味が悪い。

 ならば、行動で示そうと思った。

「おい、そこな二年」

 マイトはバッグを担いだまま、それを工房の床に勢いよく下ろした。

 どすん、と低い音が工房の床を伝って住居部にまで響き、ライエンティールが顔を上げた。眼が赤かった。

「馴染みの工房がないならちょうど良い、俺の慣らしに付き合え」

 得意気に言い放ったその言葉だが、マイトはすぐに自分の発言を後悔することになる。

「――ごめん」

「は?」

 ライエンティールは再び謝罪し、マイトは首を傾げる。

 断られたのかと思ったが、ライエンティールはマイトの背後に視線を向けていた。

「そこにもう、わたしの錬装甲冑マギア・メイル入れちゃった」

「はぁッ!?」

 マイトは振り返り、そこでようやく工房奥のガレージ区画に輸送車が一台止まっていることに気付いた。クレーン付きの錬装甲冑輸送車だった。

「おいおいおい……!」

 マイトは輸送車に駆け寄り、荷台を覆っているオリーブドラブの防水カバーを引き剥がした。

 果たして、そこには女性用の錬装甲冑が横たわっていた。

 だが、それは辛うじて人の形を取っているものの平常な状態ではなかった。

「ぐっちゃぐちゃじゃないか。前衛芸術かよ、おいぃ……」

 マイトは呆然となった。それほど、ライエンティールの錬装甲冑の状態は酷かった。

 背部の飛翔制御翼は六本のうち五本が根元から千切れ、製造元のこだわりが感じられる優美な曲線を描いていたであろう装甲板はあちこちが凹んだり割れたりしている。

 基本骨格メインフレームは無事かと少し触れてみれば、明らかにねじ曲がった状態の構造材が装甲板の影から顔を見せていた。

 彼の中にある損害基準に照らし合わせれば、大破以上の大破である。戦場での修理は不可能、開発元の企業が抱える工房に持ち込んでようやく何とかなるかどうかと言ったレベルの損傷であった。

「――何したらこうなるんだ。戦場に出た訳じゃないだろう?」

 マイトはカバーを戻して錬装甲冑を視界から隠し、ライエンティールに向き直る。

 彼女はマイトの視線から目を逸らしながら、小さく答えた。

「昇格戦で、負けたの」

 マイトの知らない言葉だったが、ライエンティールは彼が黙っているのを先を促されていると解釈し、言葉を続けた。

「学園の戦闘系上位一〇人がそれぞれ男子は聖戦士クルセイダ、女子は戦乙女ヴァルクーレって呼ばれているのは知ってる?」

 マイトは首を振る。

 そういった風習は彼の故郷にはなかった。様々な国出身の学園生がいるこのレイスマギルカだからこその風習かもしれない。

「そ、まあ、その辺は追々分かるから省くけど、その上位一〇人は連合内部から引き抜きも結構あるエリートでね、大半の学園生はそれを目指している。わたしもそうだった」

 だが、ライエンティールはその入れ替え戦で第一〇位の聖戦士に敗北した。

 戦闘中の錬装甲冑の不具合が原因だった。

「管制塔のデータに異常が検出されていたから、再戦の機会は貰えたんだよ。でも、わたしのことがそのすぐ後に学園中に広まって、どこの工房も相手にしてくれなくて」

「相手にしてくれないって、何でまたそんなことに……」

 上位入れ替え戦となれば、錬装甲冑の整備工房も名を売るチャンスだ。それを捨ててでも受け入れたくない事実とはなんだ。

 マイトの疑問が顔に出ていたのだろう、ライエンティールは悲しそうな大人びた笑みを見せながら答えた。

「わたしのお父さんが、烈海紛争で部隊を見殺しにしたから……」

 マイトはそう言われ、ひとりの人物を思い出した。

 大欧州連合空軍の戦闘導術士大佐が、十年前の烈海紛争で自らの部隊を失った。指揮官と後方要員のみを残して一個飛行戦闘団が消え去ったのだ。味方の撤退援護を行っていた戦闘団は、敵の多重包囲を受けて指揮官を脱出させるのが精一杯だった。

 その後、撤退支援そのものが命令違反であったことが判明した。大佐は予備役へと編入され、総ての責任を負わされた末に部下の遺族たちに責められ、自ら命を絶った。

 当時のことは今でも各国の軍関係者の間で様々な噂話が飛び交っているので、マイトも知っていた。

「グルツ・エルマ大佐?」

「うん」

 そのときマイトは、ライエンティールが名乗る際、妙に緊張していた理由に思い至る。学園中に噂が広まっているなら、マイトも知っているのではないかと怯えたのだろう。

 初対面の人物にさえ悪意と憐憫を浴びせられる。マイトにしてみれば慣れた状況だった。

「でも、学園の錬装技匠科なら……」

 それは学園内での錬装甲冑などの装備品の整備を行う学科だった。

 外部にも工房は持っているが、費用などの面から工房に依頼を出せない学園生を相手に学園内の巨大整備施設で無償の整備や修理を行っている。

「駄目!」

 ライエンティールは叫び、マイトは驚いた。

 何故かと思うよりも前に、ライエンティールがその理由を告げた。

「前の昇格戦の前、わたしは技匠科に整備と調整を頼んでたの。お金の問題もあるけど、昔から仲の良いクラスメイトがそこにいるから……」

 そこでライエンティールは言い淀み、マイトが後を続けた。

「技匠科の整備で細工されたのか?」

 マイトは座り込んだままのライエンティールの前に胡座をかき、視線を合わせた。

 その視線は探るようでもあったが、何よりも怒りを抱いているように見えた。他人の命を預かる現場で何らかの工作が行われていたとしたら、それは世界中の錬装甲冑整備士を敵に回す行為だ。

「証拠はないから、部品の劣化ってことになってる。それでも整備不良なのは間違いないから、友達は噂を知っても、もう一度見てくれるって言ってくれたんだけど」

 それでは、その友人まで爪弾きにされてしまうかもしれない。

 ライエンティールはそう考えているが、同時に友人が細工をしていたら、という恐怖も抱いている。

 それを確かめることもできず、技匠科ではない工房に修理と調整を依頼しようとした。結果は、総ての工房に断られるというものだった。

(随分と弱腰な工房が多いんだな。学園のお膝元ならそんなものか)

 マイトはそんな感想を抱いたが、実際にそれらの工房を見ないことには判断できないことだ。

「それで、今日ここに新しい武装導術士が来るって聞いて、来てみたら鍵が開いてたから……」

「輸送車を入れて、待ってたと」

「うん、シャワーは甲冑の積み込みとかで汗掻いちゃったから、悪いとは思ったんだけど」

 初対面の相手だからと気を使ったのかもしれない。

 悪気はなかっただろうし、むしろマイトにとっては――

「いやいや、そうじゃなくて、そっちはいい」

「え?」

 マイトはライエンティールの身体を思い出し、直後にそれをかき消した。

「状況は分かった。それで、君はどうしたいんだ?」

「どうしたいって……」

「錬装甲冑を直して再戦したいのか、それとも諦めるのかってことだよ二年生」

 マイトは目の前の少女に入れ込む自分を嘲笑いながらも、どうにも他人のような気がしなかった。その境遇は似ていると言えば似ているという程度だが、世間の大多数よりは理解できる。

「直したいっていうなら、俺で良ければ依頼を受けてもいい。腕の方はせいぜい中堅ってところだが」

「でも、そんなことしたら!」

 ライエンティールの怯えた様子に、マイトは苦笑する。

 他人の事ばかり気にするのは、自分とよく似ているかもしれない。

「噂なんて継続して流さなけりゃその内誰も気にしなくなる。君が優秀な導術士だって証明すれば、父親じゃなくて君自身に利用価値を見出すさ。それが人間ってもんだし、ギブアンドテイクの健全なお付き合いって奴だ」

 工房の中には、ライエンティールの出自を知りつつも悩んだところもあっただろう。連合内部からの引き抜きさえあるという上位一〇名に、二年生ながら食い込むかもしれない儀界導術士の依頼だ。

 たとえ負けたとしても、善戦すれば十分な宣伝になる。

「やれるところまでやれよ二年生。お前自身が限界だと思ってる訳じゃないんだろう?」

「それは……そうだけど」

 ライエンティールの揺れる内心を表すように、その瞳が左右にぶれる。

 マイトはやれやれと首を振ると、輸送車の荷台からライエンティールの錬装甲冑、その背中の部分に組み込まれている整備端末を取り外し、配線ごと引っ張り出した。

「何とか無事か」

 そして二つ折りの端末を開くと、電源を入れる。

「おうおう、結構根性のある甲冑メイルだな」

 端末の表示部に歓迎の意を示す文字列が浮かび上がり、パスワード入力を求める。

 マイトはその画面をライエンティールに示し、言った。

「伸るか反るか。勝って一歩を踏み出すか、それとも立ったまま朽ちるか。もう一度自分と他人を信じるか。――親父さんならどうするよ?」

 ライエンティールはぱっと顔を上げ、その端末画面を見る。

 そして震える指をキーボード部に乗せ、パスワードを打ち込んだ。

『0528_2002_sequence』

 二〇〇二年五月二八日。

 彼女の父が率いる部隊が壊滅した日だった。


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