第一章〈侵入者〉1-3
ここはいつから紛争地帯になったのか。
依頼を受けてひとりの少女を狙った“専門家”のひとりは、突然姿を見せた若い男にそんな感想を抱いた。
「面倒なので勧告は一度だけだ。――とっとと失せろ」
ぶおん、と手に持った高周波振動刀を振り回し、剣呑な表情で自分たちを睥睨する。
その視線はかつて中東の戦場で見た儀界導術士と同じもので、場合によっては自分たちごと一地区を消し飛ばすことも躊躇わないことを意味していた。
「誰?」
ターゲットが、目の前に現れた男に訊ねている。
彼女は驚きよりも懐疑の表情を浮かべており、やはりその存在に困惑しているようだ。
「メイドに言われて来た。こっちは客商売なんだ、近場で事件を起こされては困る」
「あの子……無事に着いたのね」
男の言葉に、ターゲットが胸を撫で下ろすのが分かった。
それを隙と見て動こうかとも思ったが、振動刀を持った男はそれを許さない。
「余計なことを考えるな」
静かな言葉と同時に、儀界の力を注がれた振動刀が光を発する。
内部の駆動機関が唸り、刃が耳障りな音を奏でた。
「――――」
周囲の仲間たちに目を向けると、大半は戦う意思を失っていないようだった。
何を考えているのかと思ったが、すぐにここにいる者たちの大半は、儀界導術士を相手にすることに慣れすぎているのだと気付いた。
(侮る相手を間違えやがって……)
同じ相手に雇われてこれまで共に仕事をこなしてきたが、周囲の者たちとは違って彼には戦場の記憶がある。
(どう考えてもこいつは一対多数の戦闘に慣れてる。それも、導術士相手じゃない、ゲリラ相手の泥臭い奴だ)
自分たちの姿を見ても全く動揺していないのは、これまでに似たような経験があるからだろう。それも単なる実戦経験ではなく、どこから敵が襲ってくるか分からないという状況に置かれた経験に違いない。
(若いくせにろくでもない人生だな、このガキ)
そう重いながら僅かに身を退くと、男が嘆息した。
自分たちが引き揚げる気配がないと悟ったようだ。
「仕方がない」
男は全身に導術を張り巡らし、背後にターゲットを庇うようにして戦闘態勢に入った。振動刀が発する音がより大きく、聴覚を押し潰すかのように広がっていく。
「自分の身だけ守っていろ」
「――分かった」
ターゲットは男の素性を確かめるよりも、この状況を打破することを選んだらしい。
男に言われるがまま、刃毀れしたナイフを手に周囲に目を配っている。
そして、男が振動刀の柄を握り直した瞬間、状況は一気に加速した。
「――!」
男の近くにいた仲間が低い姿勢を保ったまま接近し、ナイフを振るう。
巨大な得物ならば小回りは利かないと考えたようだ。
しかし、そんな誰の目にも明らかなことをそのまま放置しているような奴は、どこの戦場であっても生き残ることはできない。
この男もそうだった。
「っし」
短い呼気を吐き出した男が、左足の踵を軸にして目にも止まらない速さで回転する。振動刀の発光部が残像を曳き、暗闇に円を描いた。
「ぐ……」
短い悲鳴は、ナイフを振るった仲間だった。
予想を遥かに超える速さで側頭部に叩き付けられた柄尻が、頭蓋を陥没させる。
弾き飛ばされ、地面に転がった同僚を捨て置き、さらに刃が男に迫る。
今度は三人。連携して相手の視界を振り回し、常にひとりかふたりが死角に潜り込むようにして動いている。
だが、それだけに動きを読むことは難しくない。
「風巻き」
男が呟き、振動刀を振るって身を翻す。振動刀の重量を利用した動きは襲撃者たちの予想を超える動きを男に与えた。
それに追従しようと動きを乱れさせた襲撃者に対し――
「空打ち」
空を切った刃がそこに不可視の力場を形成すると、襲撃者たちは突然現れた障害物に完全に勢いを削がれる。衝突こそしなかったものの、これまでの洗練された身熟しは失われていた。
「地切り」
それを隙として捉えた男は、振動刀を地面に突き刺して周囲に満遍なく衝撃波を飛ばす。例外は彼の背後にいたターゲットのみ。
「っち」
彼は飛んできた土塊を叩き落とすと、腰から引き出したスローイングナイフを投擲する。
風を切って男に向かっていったナイフは、男の眉間に突き刺さる直前で二本の指によって捕らえられた。
「――――」
男はそれを確認することもせず、全く違う方向へと投げ放った。
その先には、男を避けてターゲットに接近していた襲撃者がひとり。
「っ!?」
突然飛来したナイフに驚き、それを己の得物で弾くと、オレンジ色の火花が闇に煌めいた。
「そこっ!」
その光を見逃すほど、ターゲットの少女は甘くはなかったようだ。
すぐに相手の姿を見定めると、男との連携が断たれることがないギリギリの距離まで一気に追い込み、ナイフを振るった。
「ジフェール!!」
間合いには届かない――一度はそう思わせた少女だが、トリガースペルと共に生み出された三日月のように光り輝く刃が夜の闇を斬り裂く。
それは回避しようとした襲撃者の脇腹を掠め、そのまま背後にあった街路樹を一本根元から切断した。
周囲の木の枝をへし折りながら倒れる街路樹。その音は周囲に響き渡った。
「まだやるか?」
振動刀を肩に担ぎ直し、油断なく襲撃者たちを見回す男。
その男の傷と言えば、飛んできた礫で頬を切ったものだけだ。
少なくとも襲撃者たちの攻撃はまともに通用していない。
「そろそろ警備部のヘリが到着する頃だぞ」
男の言葉通り、暗闇の空からヘリのローター音が聞こえてくる。
目を凝らしてみれば、識別灯が明滅しているのも分かった。
車輌であればまだ少し時間はあるだろうが、ヘリならばそれほど時間を要さずに到着するだろう。
「――――」
襲撃者たちは倒れている仲間を担ぐと、一斉に闇の中に消えていく。
ただ最後のひとりとして、彼は頬の血を拭っている男に目を向けた。
「失せろ」
全く感情を感じさせないその声と瞳に彼は言いようのない懐かしさを感じ、仲間たちを追って林の中へと飛び込むのだった。
「ねえ」
刺客たちが去って行くのを眺めていた少女だが、完全に気配が消えたことを確認してナイフを下ろした。
「何だ」
マイトは振動刀を待機状態に落とすと、それを地面に突き立てる。
どん、と重厚な音がふたりの身体を突き抜けた。
「助けて貰ったことはお礼を言うけど、誰彼構わず信用できるほど良い生活してないのよ」
「それは良い心がけだな。俺も見習おう」
ナイフを手にしたまま、じっとマイトの顔を見詰める少女。
そのまま暫く見つめ合ったふたりは、ほぼ同時に視線を外した。
「はぁ、もういいや。疲れちゃった」
ナイフを腰のホルダーに戻すと、少女はその場に座り込んだ。
身体中に刻まれた傷が熱を発し、頭が重い。
「事情聴取って面倒?」
「お前の身分によるな。学園生ならどうにかなるかも知れないが」
「そっか、じゃあ、どうしたものかな」
気怠そうに言葉を紡ぐ少女に対し、マイトは近付いてくるヘリを眺めながら言った。
彼も厄介ごとは嫌いなタチなのだ。
「じゃあ、さっさと引き揚げるとしよう」
「大丈夫なの? 勝手にいなくなって」
少女は胡座を掻き、マイトを見上げる。
その瞳には好奇心が輝いていた。
(あいつに似た目をしてるな)
今頃工房でメイドの世話をしているであろう少女を思い浮かべ、マイトはしっかりと頷いて見せた。
「人命優先。実に良い言葉だと思わないか?」
「あー」
少女は納得したように何度も頷き、やがてマイトに向かって手を伸ばした。
「フィシー・ヴィンダーよ。そういう訳で、救助お願い」
「マイト・ガルディアン。こんなに態度のでかい要救助者は久し振りだ」
少女――フィシーの手を握って引っ張り上げながら、マイトは苦笑して見せた。